第一章 神阪 蓮 ⑨
騒がしかった夜が明けた。避難場所である噴水広場に集まったおよそ数百人は、肩を寄せ合って夜を過ごした。季節的にも暖かな時期だった為、不満はあまり出なかった。毛布を支給し、教会を開けて炊き出しも行なった。周囲の警備も万全を期し、噴水広場の周りを俺たちが囲んだ。夜の間、町に侵入してきた『賊』は、『あれ』以降いなかった。捕らえた『賊』は五人。町の人に晒すことなく、両手両足を縛り、町の片隅にある小屋の地下に拘束した。時期が来れば『OLRO』の知り合いに連絡し、引き渡す予定だ。
夜が明け、おっさんから「もう大丈夫だろう」と連絡が入ると、俺たちは警備を解き、おっさんの店に戻った。店にはすでに、そらとみずき、そしてつばさが待機しており、俺たちのためにコーヒーを淹れてくれていた。警備を解いたとはいえ、まだ近くに『賊』が潜伏している可能性がある。ここからは交代で待機することになる。
「蓮、あんた先に休んでいいよ」
そう言ったのは、薫だった。俺と同じ最前線で警備をしていたが、疲労は少ないらしい。対して俺は、『賊』との立ち回りが何度かあった為、さすがに疲れた。彼女の言葉に甘えて先に休ませてもらおう。
「ユマとアルも休みな、疲れたろ?」続けて、アルジールとユーマにも言う。すると、「うん、ごめんね、薫姉ぇ」とアルジール、「ほひゃひひー」と欠伸をしながらユーマ、二人とも素直に部屋に戻って行った。
「蓮」
「ん?」
俺も二人に続いて部屋に戻ろうとすると、薫が呼び止めた。その視線の先には、店の長椅子で寝息を立てている少女の姿があった。顔にはいくつも涙の跡があった。
「あんたのせいじゃないからね」
「あぁ」
今回のことでの被害者は一名。長椅子で眠る少女の母親だった。俺が駆けつけたときには、すでに母親は倒れ、『賊』の刃が少女に向けられていた。なんとか『賊』を殴り飛ばし、少女を助けることができたが、母親は大量の血を流れ、息をしていなかった。大泣きする少女を抱き上げると、少女の力が一瞬にして抜け、そのまま眠りについた。
丁度、その時だった。母親の体が青白く光り、その姿を消した。床に溜まっていた血も消えてしまい、まるで、ここには最初から何もなかったと錯覚してしまいそうになるほど、完全に消えた。しかし、少女の顔には母親の血が残っていた。それだけが、少女の母親がここにいたという証となった。
その後、携帯電話でみずきに連絡し、少女の保護を要請、数分後にみずきが到着し、少女を引き渡した。もう少し早く、俺が到着していれば、そう思わずには居られない。そんな俺の考えは、薫に見透かされていたようだ。
「すまん、少し寝る」
「うん、おやすみ」
薫は深く同情したりしなかった。至極さっぱりとした態度で、俺に接してくれた。それが今の俺には助かった。
部屋に戻ると、すぐさまベッドに突っ伏す。何も考えたくない。頭の中に何かが浮かぶ前に、眠りに落ちてしまおう。眠りは、すぐにやってきた。
夢を見た。小さな頃の夢。小学校に上がる前の頃。俺は両親と共に小さな居酒屋に来ていた。座敷に通され、そこでの夕食。店主と親しそうに話す両親。一人、だし巻き卵を食べた思い出がある。
そんな中、遅れてやってきたのは、また別の家族。父親と手を繋いで、ちょこちょこと歩いてきたのは、小さな女の子。真っ黒のマフラーを首に巻いて、真っ白な手袋を両手にはめて、ちらちらと、父親の顔を見上げていた。その視線に気付いた彼女の父親が、「行っといで」と言うと、その子は嬉しそうに微笑み、靴を脱ぎ散らかして、こちらにやってきた。
「蓮ちゃん」
俺の名前を呼ぶと、彼女は、えへー、と笑う。その顔が可愛くて俺は彼女の頭を撫でた。しかし、すぐに邪魔が入る。
「みぃちゃんは、あたしんや!」
また別の女の子の声がすると、すぐに彼女の体が揺れ、俺の手から離れていく。見ると、俺が頭を撫でていた女の子を強奪するような形で、一回り小さな女の子が彼女に抱きついていた。まるで大きなぬいぐるみを抱きかかえ、自分のものだと主張するように。
「何言うてん!みぃはこれから飯食うんや!」
「やかまし!蓮は男なんやから黙っとき!みぃちゃんはあたしと遊ぶんや!」
「へ、あ?薫ちゃんやぁ」
俺と薫が睨み合う中で、暢気な口調でみずきが言う。そんな、小さな頃の思い出を、なんで夢に見ているんだろう。今でも、あんまり変わらないな、俺たちは──、うごぅ!
「えへへー、おとーさん」
そんな感慨深い気持ちで夢の中を漂っていると、腹に何かが突撃してきた。見ると、それは小さなみずき。蕩けるような柔らかな笑顔を向けている。しかし、
「おとーさん!?」
聞捨てならない一言を俺はピックアップした。同い年のはずのみずきに、いや、小さな頃の夢を見ているとはいえ、いきなり「おとーさん」と呼ばれる筋合いはない。と、言うより身に覚えがない。
「おとーさん?」
抱きついたままの幼いみずきが不思議そうな表情で俺を見る。いや、そんな無垢な眼で見られても困る。「いやいや、ちゃうし」と反論。だって、この夢の中にはみずきの本当の父親も出演しているのだ。実際、俺の親父と酒を酌み交わしている。しかし、
「おとー、さ」
俺の腹に抱きつくみずきは、信じられないというような顔で俺を見つめていた。いや、もはや目に涙を浮かべて、すがるような眼差しを俺に向けていた。その眼差しに俺は言葉を失った。
「あ、あーちゃん、だぁめ、蓮ちゃんは今寝てるからね?」
「~~~っ!やぁ!」
俺の腹の上で小さなみずきが暴れる。その小さなみずきを宥めようとしているのは、なんと『大きなみずき』、今と変わらない彼女だった。なんだ?一体何が起こっているんだ?
「おとーさん!おとーさん!」
「あーちゃん!だぁめ!」
『大きなみずき』が『小さなみずき』を俺の体から引き離す。『小さなみずき』は暴れるが、『大きなみずき』がそれを制して、抱きしめる。「今は駄目、寝させてあげよ?」と『大きなみずき』が『小さなみずき』を宥める。しかし、『小さなみずき』は嫌々と首を振り、「おとーさん」と連呼する。ダメだ、頭が混乱する。それに周りも騒がしいし。そう思うと、急に意識が浮上した。ぼーっとする頭のまま、俺は目を開いた。
「おとーさん」
「あ、ごめん、蓮ちゃん!起こしちゃったよね」
視界に写ったのは、少女を抱いたみずきの姿だった。みずきはすぐにでも少女をそのまま部屋の外に連れ出そうとするが、少女は嫌がり、徹底的に抵抗する。しまいには、みずきの手を、ぺちぺちと叩き、逃れようとする。
「みぃ、その子は」
「へ、あ、うん。蓮ちゃんが、助けた子、あっ」
俺の言葉に気を移したせいで、みずきの拘束を逃れた『小さなみずき』、『あーちゃん』と呼ばれる子は一目散に俺のもとに飛び込んできた。胸に抱きついてきて、「おとーさん」と夢の中で見た、すがるような眼で俺を見つめる。徐々に頭が整理されていき、状況を理解する。
「……、あーちゃん」
みずきが呼んだ様に、俺も少女の名前を呼ぶ。合わせて、その小さな頭に手を載せる。すると、一瞬の強ばりの後、蕩けるような表情で「おとーさん」と微笑んだ。不安で仕方なかったのだろう。母親を殺されたばかりなのだ。頼れるのは、その場にいなかった父親の偶像のみ。天涯孤独を強要された少女は、極限状態の中、自分のことを助けてくれた男のことを『父親』と錯覚、無理やり思い込むことにより無意識下に自己防衛を図っているのだろう。それが、動物の本能なのかもしれない。
「おとーさん、朝ごはん食べよ?」
「あ、あーちゃん、蓮ちゃ、えと、『お父さん』疲れてるからさ。もうちょっと寝させてあげよ?ね?」
あーちゃんの言葉にみずきが狼狽する。俺がすんなり『お父さん』を認めたことで、彼女も口裏を合わせるように言葉を変えた。
「みぃ、俺、どんだけ寝た?」
「えと、三十分くらいかな」
みずきが携帯の時計を見て答える。時間を伝えられることで、俺の頭は、ずしりと重量が増した気がした。しかし、俺の腕の中には『娘』がすっぽりと納まり、「早く早く」と言わんばかりの眼差しで俺を見ていた。
「みぃ、薫と交代する。あいつ休ませてやってくれ」
「いいの?」
「これも、『仕事』だからな」
観念すると、俺は『娘』を抱いたまま上体を起こした。すると、みずきは「無理しないでね」とだけ呟いて、「んじゃ、薫ちゃんに伝えるね」と部屋から出ていった。残されたのは、俺と抱きついて離れない『娘』だけ。何も言わず、俺の事を見つめていた。
「朝ごはん食べに行くか」
「ん」
そう言うが、『娘』は一向に離れようとはしなかった。抱きついたまま、まるでカンガルーのようにそこに納まると、出ようとしない。ふぅ、と大きく息をついて、『娘』を抱きながら立ち上がった。
「あ」
「おう」
部屋から出ると、交代で休む薫と出くわした。『娘』にしがみつかれている姿を見て、「いつでも起こしていいから」と言って自室へと入っていった。ぱたん、と扉の締まる音にかき消されるような声で「ありがとな」と呟いて階段を降りた。
「おう、大丈夫か?」
一階フロアに降りると、いつもはカウンターに座るのだが、今日は『娘』がいるため、朝日の差し込む窓際のテーブルへと座り込む。それでも離れない『娘』の背中をぽんぽんと叩きながら窓の外を見ていると、低い声でおっさんが言いながら、湯気の立つブラックコーヒーをテーブルに置いた。
「あー、『賊』が来ないことを祈るよ」
今の俺のコンディションで「戦え」と言われてもかなり難しいと思う。
「大丈夫だ、その時は私が相手をする」
そう言いながら、テーブルの向かいにやってきたのは、和風長身美人の秋風つばさだった。そう言えば、彼女は昨日の一件ではここに残ってもらったんだっけ。と、よく回らない頭で思い出す。
「つばさがいるなら、安心だな」
呟くように言って、俺はコーヒーを口に含む。苦味が口の中を支配するが、今はそれが心地いい。はぁ、とコーヒーの余韻を浸りながら、カップをテーブルへと戻した。その一連の動作を、膝の上の『娘』が興味深そうに見ていた。美味しそうに見えたのだろうか、ソーサーの上にかちゃりとカップが戻ると、すぐに手にとって口に運んだ。そして、べーっと吐き出した。
「のわっ!ちょ、あーちゃん、何してんだよ」膝に生ぬるいコーヒーが垂れてくる。すぐにテーブルの上にあるおしぼりで彼女の口元を拭う。すると、舌をべーっと出して、おしぼりを舐め出した。どうやら苦味が取れないから、舌も拭きたいのだろう。「こら、汚いから止めなさい。おい、あーちゃん」一応、熱消毒をしているが、幼い子の口に入れていいものではない。おしぼりを離すと、名残惜しそうに両手をおしぼりに伸ばして、少し両足をぱたぱたとさせた。舌を出したまま、眉間に皺を寄せて、渋い顔をする。まるで、プリンだと思って茶碗蒸しを食べたときのみずきのような顔だった。
「なんだ、蓮。やけに小さい子の扱いに慣れてるじゃないか」
「あぁ、何て言うか、小さい頃のみずきがこんな感じだったからな。何にでも興味持って、すぐに手を出すんだ。食べ物の不成功率は高かったな」
ははは、と笑って、おっさんに「水くれー」と追加注文。膝の上では、まだ渋い顔をしていた。
「ウチはそんなんちゃいますー」と、膝の上の渋い顔と似た顔をしたみずきがオレンジジュースを持ってきた。どこから聞かれていたのか、彼女の手には、おしぼりと雑巾もあった。
「はい、あーちゃん。どーぞ」
「ありがとー」
にこり、と微笑みながらオレンジジュースを手渡すみずき。それを受け取って、『娘』もお礼を言う。ちゃんと「ありがとう」の言える子なんだなと分かって、頭を撫でた。
「蓮、本当にお前の子じゃないのか?」
いきなり、対面に座るつばさが際どい話をしてきた。その言葉に膝の上の『娘』の表情を伺うが、今はオレンジジュースに一生懸命になっていたので、少し声を落として「違う」とだけ返事した。
「妙にお前が所帯染みていたからな、心配したんだ。姉さん以外の女と子供を作るようなことがあっては、お前を殺さなければならない」
「んな訳あるか、つか、そらさんとも何ともねぇよ!」
被せ気味にツッコミを入れる。もはや、つばさの言葉から「姉さん」というワードが出てきたら大体内容が分かる。
「本当につばさは『姉さん』が好きだな」
「当たり前だ。姉さんの幸せの為なら何でもする。『この町』にやって来たのだって、姉さんの望みだったんだ」
「あぁ、その話は何百回と聞いたよ」
被せ気味にツッコミを入れる。もはや、つばさの言葉から「この町」というワードが出てきたら大体内容が分かる。
「いいか、蓮?姉さんはな」
「分かったから、みなまで言うな」
被せ気味に台詞を制止する。もはや、つばさの言葉から「いいか、蓮?」というワードが出てきたら大体内容が分かる。そして、そろそろ。
「つーばーさー?何の話してるのかなぁー?」
「ね、姉さん!」
きぃ、という軋む音と共に、穏やかな中にも怒り、羞恥、怒り、怒り、の配合でブレンドされた声が聞こえる。なぜかは分からないが、俺にはそちらを見ることが出来なかった。いつも変わりないタイミングで助かります、はい。
「お姉ちゃんも仲間に入れてよー、ね?」
「い、いや、なに。れ、れれれ蓮、あーちゃんが元気で本当によかった!あぁ本当に」
「あ、あぁ、本当に」
俺は押され気味に、膝の上の『娘』の頭を撫でた。『娘』は目の前の会話よりもオレンジジュースの方が興味をそそられたようで、ひたすらにオレンジジュースを飲んでいた。
「そうだね」
そらはさっきまでの殺気、怒気を一瞬にして消し去り、あーちゃんと向き合うと、細い指でその頬を撫でた。その擽ったさに、あーちゃんはそらの目をじぃ、と見つめた。
「蓮ちゃん」
「はい?」
俺の顔を見ず、そらはあーちゃんと睨めっこしたまま言う。
「この子可愛い!抱っこしていい?」
「え、あ、いいですよ」
「わぁー、あーちゃーん」
許可を得ると、そらはきぃきぃ、と車椅子を微調整して、あーちゃんを抱き上げようと両手を広げた。すると、
「う、ふぇ?」
あーちゃんはそらの手から逃げるように、膝の上でくるり、と反転し俺の背に手を回して抱きついた。それには、さすがのそらも傷ついたようで「こ、怖くないよ」と笑ってはいたものの寂しそうに言った。
「あーちゃん、この人はすごくいい人だから大丈夫だよ」
「うぅ、や」
頭を撫でながら安心するように言うが、半分泣き出しそうな顔をしながら、首を横に振った。たしかに昨日起こったことを考えれば、全く知らない人が自分のことを構ってくるというのは怖いのかもしれない。しかし、それならば何故、俺はこの子の『父親』なんて重役を務めているのだろうか。現場に俺も居たし、かなり乱暴なことをしていた。恐怖を覚えるのは俺の方ではないだろうか?そんなことを考えるが、あーちゃんは離れるどころか、ますます力を加えて抱きついてくる。そらが、羨ましそうに俺を見るほどに。
「可愛い」
「そうだな、姉さんもこのくらいの歳の子が居ても可笑しくない年齢だからな」
そらがあーちゃんに見惚れている隣で、つばさが感慨深そうに言った。いつもなら「そ、そんなこと言わないでよ!」と照れながらつばさを叩くと思ったのだが、「そかぁ、あたしもそんな歳かぁ」と虚空を見るような目であーちゃんを見つめながらため息混じりに言った。そらさんの自虐ネタは珍しい。普段どんなに辛くて苦しくて痛い現実にも自虐したりせずに、ポジティブに笑っている人だけに思わず心配になる。
「あーちゃんいくつ?」
無理に抱こうとはせずに、一定の距離を保ったまま、そらは聞いた。まだ視線が定まっていないところが不安ではあるが。
「ん」とだけ発して、あーちゃんは片手を広げた。指が五本。正常な人の手だ。
「そかぁ、五つかぁ」と、そら。
「姉さんも頑張らないとな。もう二十八なんだし」とつばさ。
なぜか、つばさの視線は俺だった。
「好意はさっさと伝えとくべきだぞ」と更につばさ。
「分かっちゃいるんだけどねぇ」と、そら。
なぜか、つばさの視線はずっと俺だった。
「あーちゃん、大丈夫だから」
「ふえ?」
俺はとうとう耐え切れなくなり、あーちゃんの頭を撫でると、ひょいっと抱き上げた。そして、そのままそらの膝の上に置いた。びくり、と一度震え、泣き出しそうな視線を俺に向けたが、泣き出すことはなかった。しかし、次の瞬間「ぁ、ふあぁぁぁ」というそらの感動の声と、目尻に涙を見せながらの笑顔に、あーちゃんはもう一度大きくびくりと震えた。
「あーちゃんっ!」もう我慢できない、というように、そらはあーちゃんに抱きつく。最初こそ泣き出しそうな顔をしていたものの、数秒経てばあーちゃんもそらの背中に手を回していた。しばらくネガティブなそらであったが、もうすっかり元に戻っていた。
「早く姉さんにも幸せになってもらいたいものだ。なぁ、蓮?」
「そ、そうだな」
さっきからずっと、俺を見ていたつばさの視線から逃れるように、俺はコーヒーを飲む。たしかに、あーちゃんを抱くそらの姿は喜々としていて、本当に幸せそうだ。いつか、本当の意味で幸せになってもらいたい。