第五章 ルーファス・リーデル ⑥
ヘリコプターの騒音と揺れに体が慣れ始めた頃、『Over Land』の空は見事な朱色に染まっていた。太陽は海に沈み行き、最後の陽光を周囲に散らばる千切れ雲に放つ。地上には鬱蒼と生い茂る森が続き、大地のうねりに合わせて緑が波打っている。遥か遠方には黒煙を噴き上げる活火山が見え、『この世界』の壮大さを肌で感じることができる。
この世界は、本当に美しい。
沈み行く太陽の陽光に目を細めながら、私は『世界』の一端を眺める。遠くの空では大きな鳥が群れを成し、どこかへと飛んでいく。海の方では、巨大な何かが体をうねらせて水面を泳いでいる。そして、足元に広がる森。人が決して敵う事のない美しくて、残酷な世界。そんな生物や自然を相手に、我々は戦わなければならない。
「隊長、間もなく『森林の祠』に到着します」
「そうか、分かった」
操縦桿を握るグレイヤの声に、我に返る。ヘリコプターは足元で波打つ森の端を見据えていた。
「上空に着いたら、ワイヤーを下してしばらく上空待機。私とシンで地上の安全を確保する」
「了解」
「オッケーッスよ!」
さすがに『OLRO』のヘリコプターで『ナインクロス』に突撃するわけにもいかない。最寄りの『祠』からは歩いて半日くらいの距離となるが、我々の仕事は『潜入』である。
「間もなく、上空です」
「分かった、シン、梯子を下せ」
「うぃッス!」
とぐろを巻いていたワイヤーが空中に放り出され、一本の地上へと繋がる道となる。風やヘリコプターの風圧により頼りなく揺れるが、どうすることもできない。無ければ落ちるしかないのだ。
「そんじゃ、隊長!先行きますよっ!」
そう、彼のように。
青髪の部下、シンは臆することなく、さも当然のように地上から数百メートル上空から飛び出した。まるで僅かな段差を飛び降りるかの様に。彼の背中にはパラシュートのようなものはない。もちろん、腰にも命綱のようなものもない。しかし、彼には問題ないのである。
『スキル:跳躍』──垂直跳びで高度数百メートル跳び上がることができる。あくまで『跳ぶ』であるため、浮くことはできず頂点に達すると、もちろん落ちる。着地の際に気をしっかりと持ち、足から着地すると何の衝撃もなく着地することができる。それでも、着地の時はすごく怖い。
数秒後には地面に降り立つ文字通り青年は、大きく手を振ってこちらに合図を送って来た。今なら大丈夫ということだろう、私はワイヤーに手を掛けることなく、グレイヤに降下の合図を出す。地上が安全であるならば、不安全な梯子で降りる必要などない。
しかし、事はそう上手くはいかなかった。
遠くの空から多くの鳥型モンスターが多く現れ、祠近くの森からは昆虫型のモンスターがカサカサ、という気持ちの悪い音を奏でながら現れる。
「着陸待て!弾薬総数は?」
グレイヤに叫ぶと、同じ声量で「三十二あります!」と答えが返って来た。すぐさま「八まで使っていい!あの鳥型を近付けさせるな!」と令を飛ばすと、私はワイヤーを手に取り、ベルトのカラビナを引っ掛ける。「了解!」という彼女の声を聞きながら、ワイヤーを滑らせ降下を開始、数秒後には地面の直前で降下を緩め、地面へと降り立つ。
地上ではすでにシンが戦闘を始めていた。
「ふんっ!」
彼は長柄槍を突き出し巨大蜘蛛を牽制、伸びきったところで円運動を加え巨大蜘蛛の足元を攫うと、今度は柄の中腹の辺りに持ち替えて円運動を繰り返す。刃と石突が高速回転し、息もつかせぬ連続攻撃で巨大蜘蛛を屠った。
「隊長!ムカデは平気ッスか?」
「お前は苦手なのか?」
彼に並びかけると、苦笑を浮かべながらそんな弱音を吐く。「ちと嫌ですね、蜘蛛ならなんとか……」と、言いながら蜘蛛の飛ばしてくる糸を半身で躱す。なんだかんだ言って、こいつにも余裕はありそうだ。
「私も苦手だが、まぁ仕方ない」
『右手を突き出し』て剣を取り出すと、一歩前へ出る。数メートルにもなる赤紫色の甲冑を着たムカデが体を波打たせてこちらを威嚇してくる。牙と思われる先端からは半透明の液体が雫となって滴っている。誰に言われることもなく、『あれ』が危険なものであると分かる。
「蜘蛛は頼んだぞ」
「了解ッス!」──シュゴォォッ!
シンの返事と、上空でミサイルは発射したのはほぼ同時だった。数瞬後には爆発音が響き、後ろを見るまでもなく目標に命中したことが分かる。その爆風が遅れて私の背中を叩く。
「いい風だ」
私は足を踏み出すと、背後からの爆風を受けて加速する。
瞬後にムカデの目の前にまで迫ると、甲冑の隙間に刃を走らせる。
ムカデの動きは、もはやスローモーションであった。
『スキル:駿足』──姿が見えなくなるほどの速度で走ることができ、人類の技術の限界を軽く超えることができる。しかし、速過ぎるため、方向転換や制動には素早い判断が必要である。また、風などの自然の圧力にも影響され、強い横風の際には、注意しないと斜めに走ってしまう。
片道で胴を分断すると、その復路で更に三分の一にまで切断する。私が元の場所にまで戻っても、しばらくムカデは自分の身に遭ったことが認識できずに体をうねらせて私に飛びかか──ろうとしたが、自身の武器である牙のある頭と繋がる胴体は、すでに元の三分の一程度、体のうねりを利用した突進は一切発揮されずに、地面へと突っ伏した。それでも、ムカデは自身の身に何があったのか理解できていない様であった。必死に体を動かそうとしては地面をのたうつ。ようやく理解した頃には、もちろん『そこ』には私の姿などない。
第二、第三の爆風に乗って、私は更に六往復ほど走った。その間には、ムカデの甲冑は見る影もなく剥がれ落ち、ムカデの体は縦断に裂けていた。
「私は以上だ、シン、早く済ませろよ」
「早すぎ……」
シンも蜘蛛の目の前にまで迫ると、高速の槍捌きで八つの脚を折り、八つの目を潰した。その途中で蜘蛛が口から液体を吐きかけるが、それを『跳躍』で回避。数百メートルにも跳ぶことのできる彼の『スキル』であるが、それを蜘蛛の全長、およそ二メートルに抑え、『跳躍』しながら高速回転する槍で、斬撃と打突を繰り返す。
しかし、その内の数発が蜘蛛の腹部を貫くと、夥しい量の小型──全長五十センチ程度──の蜘蛛が大量に湧き出てきた。おそらく、卵を腹部に貼りつけていたのだろう。蜘蛛の子を散らすとは良く言ったものである。
「うわっ!」
キシャーッ!と吠える子蜘蛛たち。『現実世界』では、蜘蛛の子を散らして子孫繁栄のために逃げるというイメージが強いが『この世界』では違う。それぞれが猛毒を持ち、獰猛に獲物を狙う。
数十匹の子蜘蛛がシンに飛びかかろうとした瞬間であった。上空から指示が飛んだのは──。
《シン!跳びなさいっ!》
「っ!」
すぐに『スキル:跳躍』を発動し、二百メートルを超える大跳躍を見せると、丁度、シンがいた箇所に爆撃ミサイルが撃ち込まれた。上空には攻撃ヘリコプターが空中を漂い、爆心地を睨む。
「十分だ、着陸用意」
《了解っ》
轟々と燃える森からは新たなモンスターが出てくる気配はなかった。シンが私の傍に着地し、「ひゅーっ、さっすがグレっち」と飄々と言ってのける。
「子蜘蛛が出てきた時はさすがに焦っただろ?」
「ま、何とかなるとは思ってましたけどね」
なははは、笑う青年。危なっかしいやら、頼もしいやら、である。
次いで、グレイヤがヘリコプターから出てくると、私たちはようやく一息ついた。みずきから貰ったコーヒーとお菓子を戴きながら、私たちは遥か遠くに見える、白い傘を被った山々を見据えた。
「少し休息とする。ここからは半日ほど歩きになる」
「ふぃー、先は長いッスね」
紙カップに注がれたコーヒーを飲みながら、祠の裏にヘリコプターを隠すグレイヤを眺める。手伝う隙も与えられない手際の良さでヘリコプターは迷彩を施し、上空や遠目からではヘリコプターの輪郭を見失うだろう。
「雨が降る前に『ナインクロス』に着きたいところだな」
「歩きで雨なんて最悪ッスからね」
空を見上げると、雨など降りそうもないほど青い空が広がり、夕日の朱が交じる。『Over Land』にとって、雨は週に一回行われるイベントのようなものだ。空を見ても、雨の気配など感じられず、少々戸惑うものだ。
時計を見ると、午後五時を少し回った辺り、およそ七時間後には雨が降り出す。
「ん?」
そんな計算をしていると、祠が青白い光を放った。祠を見つけると、持っている携帯のシステムから『ファストトラベル』を行うことができ、どこからでも『祠』に瞬間的に来る事ができる。そして、誰かが『ここ』へ来る時には、祠が今のように青白く輝くのである。
「誰か来る、隠れるか」
「うッス」
祠の裏、ヘリコプターを隠した茂みに私たちは姿を隠す。すると、数瞬後には十数人の『真っ黒のローブ』に身を包んだ集団が現れた。彼らが何者なのかは分からないが、決して私たちと友好的な集団ではないだろう。
「ここから一日だ」
『真っ黒のローブ』を羽織った集団の一人が、一歩前に出て集団に語り掛ける。
「俺たちを生かして死んだ『フェルト』さんの仇を討つ!そのために俺たちは戦ってきたんだ」
声色はまだ幼さを感じる。『恩人』がこの先の森で死んだのか、それとも、他の町で殺されたのか。分からないが、この集団は復讐に燃えているようだ。しかし──、
「また言ってるよ、口では『フェルト』さんの名を出してるけど、実際は『アル』の方だろ?」
「『フェルト』さんも、俺が『町』に入った時にはもう死んでたしなぁ、いまいち燃えねぇんだよなぁ」
復讐に燃えているのは、全員を鼓舞しているリーダーだけのようだ。若い指揮官にありがちな問題だ。やる気が空回りし、他のメンバーがそれに付いて行けない。おそらく、この集団の復讐が成功する確率は低いだろう。
そんな客観的な分析を行っていると、リーダーの演説は終わり、森の中へと進んでいった。
「何だったんスかね?あれ」
「隊長、あの方角に一日の距離には『レンド』があります。報告しますか?」
集団の姿が消えると、シンは呑気なことを言いながら彼らの行く先を覗く。しかし、さすがと言えるのはグレイヤだった。彼らの会話を聞いて、分析を行い、答えを導く。果たして、それが正しいのかは分からない。
「そうだな。ここからならば『グランタリア』も近い。双方に連絡し、一応の警戒を行うようにしてくれるか?」
「了解です」
私の言葉になぜか嬉々とするグレイヤ。少し離れて携帯を取り出し「あっ、お世話になりますっ!『OLRO』のグレイヤですぅ!先ほどはありがとうございましたっ!それでですね、薫さんっ!」と通常時より数オクターブ高い声で話し出す様を見て、彼女の態度に納得する。
「薫に電話する口実ができて嬉しかったんだろうな」
「乙女ッスね」
「いや、薫は女性だぞ?」
確かに、女性に人気のありそうな性格ではあるが……。薫はグレイヤの事をどう思っているのだろうか。上司として、部下の将来が心配になるが、上司として心配するとセクハラになるだろうなと考え至って口には出さなかった。
「とにかく、グレイヤが戻ってきたら我々も出発しようか」
「そうッスね」
グレイヤが戻ってきたのは、それから三十分以上経ってからだった。内訳は九対一。どちらが九で、どちらが一の割合で通話していたのかは言うまでもない。




