第五章 ルーファス・リーデル ②
この世界は、本当に素晴らしい。高く聳え立つ二十階建てのビルの十二階の窓から外を眺めると緑に覆われた陸地がずぅーと広がっている。向こうのほうでは煙を上げる山が数個連なっている。また向こうでは巨大な湖がぽっかりと大地に穴を開けている。素晴らしい、本当に。この世界には国と呼べるものはなく、もちろん国境もない。人種や民族の垣根が存在せず、白人も黒人も黄色人も共存している。更に宗教も存在しない。神々の作った世界を離れてバーチャルの世界に入り込んだ人間には、もはや宗教を語る資格はないだろう。つまり、全人類が夢見ていた差別のない世界がここにある。もちろん、生きる上で奪い合ったり殺しあったりする奴らもいる。しかし、それぞれのコミュニティーの中では差別は存在しない。さらにこの世界では言語が統一されている。いや違う。この世界のシステムの中に『自動翻訳装置』というものがあるためだ。この装置をONにしていれば、相手がどこの国の人間でも言葉の意味が理解できる。相手が何を言っているのか分かるから対立することもない。まったくもって素晴らしい世界だ。パーフェクト、ワンダフル、ビューティフル、グレイト……。どの単語でも表現しきれないほど素晴らしい。窓の前で仁王立ち、それがこの世界での私の趣味になっている。変態だと思うなかれ、素晴らしいのだから仕方がないだろう。ふふん、と思わずニヤついてしまう。いかんいかん、これではただの変態だ。
「隊長……、何やってるんですか」
自らを律していると背後から突然に声を掛けられた。知っている声、というか部下の声。しかも、若干引いている。
「グレイヤ、ノックは?」
ごほん、とわざとらしく咳払いをして、振り返る。そこには年の頃は二十四、五歳といった女性がビシッとビジネススーツを着こなして立っていた。表情が歪んでいるのは、おそらく私が変態ごっこを興じていたからだろう。
「上司の部屋に入るのにしないわけがないですよ?」
「そうだな、一理ある」
腕組みをして、こくりと一回頷いた。返事がないのに部屋に入るのはどうかと思うのだが、言わないでおこう。
「で、用件は?」
私がきりりと表情を引き締めてそういうと「会議の時間です」と同じく表情を引き締めて彼女は言った。
「あと何分?」
「開始まであと十五分です」
「じゃあ、あと五分だ」
そういって私は彼女から目を離し、反転して再び窓の前で仁王立ちを始める。うむ、素晴らしき世界だ。
「なんで、あなたみたいな人が隊長なんですか……」
「上に聞いてくれ」
こればかりはそうとしか言えない。隊長に就任したのだって、私の意思ではなく、上が勝手に決めた。本当ならば就任を喜ぶべきなのだろうが、できたてほやほやの組織、上司がリアルの世界政府の偉い人ばかり、仕事内容が体裁を気にした会議。ある意味貧乏くじを引いたとしか思えない。
「それで、会議の内容は?」
「『賊』の被害についてとその罰の設定、そして警備や監視、あと『ナインクロス』の問題です」
「『ナインクロス』か、今日もまた長引きそうだな」と私は深い息を吐く。
そういえば、昨日も前回任務の書類整理に追われて残業をたっぷりしてしまったんだった。思い出すだけで疲れがぶり返してきそうだ。
「仕方ないですよ、『OLRO』は設立して間もない組織なんですから決めなくてはいけないことが多いんです」
「とは言うが、頭の固い人間との長話は疲れるんだぞ」
そう言いながら、椅子の背もたれに掛けていた上着に袖を通した。目に付いた細かな埃をブラシで払い取る。身だしなみをきっちりしていないと、聞きたくも無い説教を長々と聞くハメになるからな。
「どうせ『ナインクロス』の件はウチに擦り付けられるだろう、すまんが準備しておいてくれ」
「ま、またですか……?~~~っ、分かりました。でも、どうしてウチばかりがそんな仕事させられるのですか」
グレイヤは大きく息を吐いた。彼女はしっかりとした人間なのだが、私とシンの前ではよく愚痴を零す。気を許されていると考えるべきか、不満が溜まり溜まって零れ出ていると考えるべきか。しかし、部下の愚痴を聞くのも上司の仕事ということだ。
「そう言うな、この素晴らしい世界を見て回れるんだ、ポジティブに考えよう」
「はぁ……、安全な任務なら愚痴らないですよ」
「そんな仕事ばかりではないだろう?」
「そんな仕事ばかりですよっ!」
彼女は涙目で私を睨んだ。怖くはないが迫力はある。
「忘れたんですかっ!?この前の任務なんて私囮やったんですよ!『賊たち』のですよ!!大勢に囲まれたときの気持ちなんて隊長には分からないですよっ!」
「いや、でも無事だったろ?」
「無事だったら何でもいいんですかっ!?いいですかっ、私まだ二十五ですよ!!肌だって水弾くんですよ!!そんな乙女がごつくて、いかつくて、大柄な男性に囲まれるなんてPTSDを発症し兼ねない恐怖体験ですよっっっ!!!」
ごつい男もいかつい男も大柄な男も大して変わらん気がするが、ここは口を挟まないほうがいいんだろうな。というか、自分で乙女って言うなよ。
「いいですかっ!?意地でもその仕事は他所に回してくださいっ!じゃなきゃ私辞めますっ!!」
「それは困る、誰が囮やるんだ」
「っ、隊長がやればいいじゃないですか」
彼女の言葉にトゲのようなものを感じた。
「いやいや囮ってのは、見た目弱そうで細くて誰にでも勝てそうな人間がやるもんだ。私がやったら囮にならないだろう」
「っどうせ……私は弱いですよ。そうですよ、押し倒されたら抵抗もできないですよ……」
そういうと彼女はさっきまでの勢いがなくなり、いじけ始めた。そろそろ会議の時間だ、頭が固い奴を待たせていいことはない。
「じゃ、じゃあ、私は会議に行ってくる」
「はぁ……、強くなろうと思って『スキル』も『筋力向上』にしたのになぁ……。武器も上手く使えないのに、なんで現場勤務なんだろう……。就職難じゃなかったら絶対に『OLRO』なんて来てないのに……。私……、次の任務で死ぬかも……」
これ以上彼女の姿を見てられなくなり、私は音もなく部屋から出て行った。会議が早く終わったら飲みにでも連れて行くか、なんて考えた私はオッサンなのかもしれない。
~~~~~~~~~~
十二階ともなるとエレベーターを呼ぶのも大変だ。ようやく来たかと思えば通り過ぎるし、やっと来たかと思えば定員いっぱいだったりする。そして、ようやくエレベーターに恵まれて乗り込むと、若い男のチャラチャラした言葉が飛び込んできた。
「あ、待って隊長!俺も乗るッス!!」
思わず『閉』ボタンを押したくなったが、いい歳の私は『開』ボタンを押した。大人とは辛いものだ。ドアを開いて待っていると、青い髪の男が飛び込んできた。青い髪って漫画かアニメの中だけじゃないんだな、とつくづく思う。
「いやぁ、よかった!あざっす!!」
「お、おう」
言葉使いを注意しようとしても人懐っこい笑顔を見せられると小言も言えなくなってしまう。上司失格だな、と自らを叱責した。
「隊長は会議ッスか?大変ッスね」
「あぁ、そういうお前はどうしたんだ?」
「俺ッスか?俺はこれから買出しッスよ、隊長は昼どうするんスか?」
にこにこ。
言えない、自分をここまで慕ってくれている奴に『もう少し社会人の自覚を持て』とか『言葉に気をつけろよ』なんて言えない。つくづく上司の器ではない、と心の涙を拭った。
「どうしたんスか?」
「いや、なんでもない。昼は会議の間に出ることになっているから気にしないでくれ」
「そうッスか……」
なぜか彼はしょんぼりとした。いい歳した男が昼飯にフラれたからって凹むなよ、とツッコミたくなったが悪い気がしなかったので口をつぐんだ。
「グレイヤでも誘ったらどうだ?私の部屋でイジけてたぞ」
「隊長また何か言ったんスか」
「………」
悪いのは、私なのか?あの場合……。囮の件に関しては私が悪い……か?しかし就職難は私のせいではない。というか、『囮の定義』を言っただけだ、何もあいつを凹ますことなんて──。
「言ったんスね?」
半眼で睨まれていた。責めるような目つきではなく、白けているような目つきで。
「まぁ、言った……かな?」
「『次の任務、囮役は君だ』とかッスか?」
「まだそうと決まったわけではないんだが」
なんでこいつらは、こうも勘がいいのだろうか。
「まぁたハードな任務回されてんスね……、あーぁ、グレっち哀れ……」
「まだ決まったわけではない。会議の内容次第だ」
「そういうのって百パー回ってきますよね」
「せめて八十パーと言ってほしい」
胸を張れることではないが。
「このままじゃいつになっても事務職なんてできないッスね、グレっち」
「なに?あいつ事務職志望だったのか」
なのに、今では現場に出て囮やらされてるなんて……。なんて可哀想な奴なんだ。
「平和にのうのうと生きたかったみたいッスよ」
青髪の男が虚空を見つめるかのような目でエレベーターの外を見た。円柱型のガラスに覆われた風景の綺麗な乗り物なのだが、今ばかりは私の部屋でイジけている部下の姿を思い出す。
「………。お前今日の夜って空いてるか?」
「へ?そりゃ暇ッスけど」
「飲みに行こうか、三人で」
そう言うと、ようやく会議室フロアに到着した。十分前に部屋を出てきたのに今は開始二分前、高層ビルってのは便利が悪いな。「ウイッス!!お供いたしやすっ!!!」なんてハイテンションな声を背中に聞きつつ、私は急いで会議室へと向かった。
そういえば──。
「あいつ買出しって言ってたけど、売店は三階だぞ?」
十九階から見下ろす素晴らしきこの世界を眺めながら「ま、いっか」と言って、会議室のドアを開けた。




