第一章 神阪 蓮 ⑧
それからは、一気に町が賑やかになった。決して良いことではない。『この町』の周りに『賊』が現れたために、夜中であるにも関わらず、みんな避難しているのだ。その光景を眺めながら、俺は北の門を見張った。これだけ騒がしくて、光も出ていれば『奴ら』は出てこないだろう。騒がしくはあるが、混乱はしていない。みんな整列して、歩いて避難している。これを乱す事があれば、即刻対処して抑えることができる。そんな無駄なことは奴らもしないだろう。
「蓮ちゃん」
きぃ、という音と共に現れたのは、車椅子に座ったそらだった。ゆっくりとハンドルを動かして、こっちまで来る。レンガで舗装された道は、車椅子では動き辛い。そらの元まで歩み寄ると、「なんで来たんですか、ここは危ないです。早く噴水広場の方に」思わず説教っぽくなってしまったが、今は仕方がない。危ないことは確かなのだから。しかし、そらは俺の言葉に動ずることはなかった。
「はい、お腹空いてるでしょ?晩ご飯もあんまり食べないで出たからね」
そう言って、手渡されたのはアルミホイルに包まれた丸いものが三つ。日本人ならそれが何か聞かずとも分かる食べ物だ。ほのかに温かくて、優しさを感じる。
「それからね、お茶もこっちにあるよ」にこりと笑う、そらには敵わなかった。
「いただきます」俺は、アルミホイルを開けた。
「具はね、梅とおかかと、もう一個は、なんだっけ」
おそらく、そらの手作りではなく、おっさんが作って、そらに持たせたのだろう。そんなそらの抜けたところに、思わず笑ってしまう。それを見て、そらも笑った。
「美味い。みんなの分はもう配ったんですか?」
「うん、薫ちゃんにはユマちゃんが持っていってくれたよ」
笑顔で言うそら。薫は町の入口がある西側を見張っている。また他の皆は避難地としている噴水広場を囲うようにそれぞれが見張っている。皆もおっさんの作ったおにぎりを食べている頃だろう。ほどよい塩加減で食が進む。
「ありがとね、いつもしんどいことをしてくれて」
そらはそう言うと、少し悲しそうな顔で微笑んだ。今まで、ずっとそれが俺の役目だったから考えたこともなかったが、改めて言われると自分がどれだけやって来たのかが実感できる。その言葉が嬉しかったのか、それとも苦しかったのか、自分では分からない。
「大丈夫ですよ。体力には自信ありますから」答えると、そらはやはり悲しそうな顔をして俯いた。「無理したアカンよ」非常に小さな声で呟く。『自動翻訳機能』が作動しないほど、すごく小さな声で。それに「わかりました」と同じく小さな声で答えた。
おにぎりを食べ終えると、ほぼ同時に携帯が鳴った。取り出して、画面を確認すると、おっさんからだった。指をスライドさせて、通話を始めると、耳に押し当てる。
〈おう、今大丈夫か?〉
「うん、おにぎりご馳走さん」
〈あぁ、で、さっそくだが、調べてほしい所がある〉
落ち着いた口調だが、俺に喋らせない勢いでおっさんは続けた。
〈お前のいるところから東に三軒行ったところの家を調べて欲しい。その周辺にまだ人の気配がある、どうやら避難していないみたいだ〉
「そうか、分かった。行ってみるよ」
〈あぁ、だが気をつけろよ。この騒ぎで避難していないとなると、町の人間以外である可能性
がある〉
通話を切る。すると「気をつけてね」と隣から聞こえた。眉根を下げ、どこか泣き出しそうな表情で俺を見つめる。相手が町の人間であれば問題はない。避難することを伝え、行動させればいい。しかし、町の人間でない場合は、そうはいかない。様々な武器を使い、襲いかかってくるだろう。そうなれば、そいつらを相手に戦わなければならない。
「危ないので、そらさんは噴水広場に行っててください」
「危ないのは、蓮ちゃんも一緒だよ」そう言うと、そらは俺の手を握り、額を付けた。
「危なくなったら、絶対に逃げてね」
「わかりました。終わったら、すぐに連絡します」そらの頬を撫でると、彼女は小さく頷いた。そして、きぃ、と小さな音を立てて、町の中心、賑やかな方へと進んだ。その小さくなっていく背中を見送ると、俺はおっさんの言った方を見た。静かで、闇に包まれている。その中で一体何があるのだろうか。そんな不安を抱きながら、俺は足を向けた。
ぐちゃぐちゃ と音がする。
べしゃ と何かが落ちる音がする。
くははは と誰かが笑う声がする。
べたり と何かに濡れる感触がある。
温かなものが冷めていくのを感じる。
「お、かあ、さん?」
少女は何が起こっているのか全く理解できていなかった。
つい数分前に突然家に入ってきた男が、あーちゃんとお母さんを見て、暴れ出した。手に光るものがあるのは理解できたが、それが何なのかが分かる前に振り回された。最初のそれはお母さんのベッドに当たり、羽毛が飛び散った。ひらり、ひらりと宙を舞う羽を見ていると、急にあーちゃんの視界が塞がれた。すぐにお母さんに抱きしめられたんだと分かった。それから、しばらく何も見えなく、聞こえなくなった。あーちゃんの顔がお母さんのお腹に包まれて熱かった。息も苦しかった。でも、お母さんに抱きしめられるのは嬉しかった。そして、次に聞こえたのは、お母さんの苦しそうな、悲しそうな、辛そうな、声だった。
「あー、ちゃん。絶、対に──」
今までで初めて聞いた言葉だった。それが何なのか、お母さんに聞いたが、何も答えてくれなかった。次第にお母さんの力が弱くなったが、あーちゃんを抱きかかえたまま、床へと倒れ込んだ。痛かった。でも、お母さんのお腹に押さえられて声が出なかった。
「くははは、いい感触だ。なんで人を刺す感触って、こんなにいいんだぁ。背中にまでビンビン来やがる」
誰か知らない男の声が聞こえる。誰だろう?そう思って動くが、お母さんが上に乗っているため見えなかった。
「そう言えば、子供も居たなぁ。殺しとこう、また、人を刺せる」
急に、お母さんが軽くなった。それと同時に視界が開けた。知らない人がお母さんの髪を引っ張っていた。お母さんの顔はよく見えなかった。
「お、かあ、さん?」
お母さんから落ちてきた何かが顔にかかり、べたり、と顔が濡れた。何だろう、と思い触れると手が真っ赤になった。
「くひひ、すぅぐお母さんに会わせてあげるからねぇ」
そう言うと、その人はお母さんを投げ捨てた。一体何が起こっているのか、あーちゃんには分からなかった。分からないことがいっぱいだった。
目の前では誰か知らない人が、あーちゃんに殴りかかろうとしていた。
「っ、てめええええええええ!」
その瞬間、いきなりまた別の人が出てきた。その人は、あーちゃんを殴ろうとした人に飛びかかり、殴り飛ばした。また知らない人が来たので、お母さんに聞こうと思い、そちらを見る。
「あの人、だ──」
声が急に止まった。息が苦しくなった。お母さんの顔がよく見えた。苦しみ、痛み、憎しみ、あーちゃんが今まで見たことのない顔だった。その表情のまま、お母さんは固まっていた。
「ぅ、ふぇ」
もう、何も、わからなくなった。それでも、一つだけ、たった一つだけ分かることがあった。それは単純なもの。ただただ、簡単なこと。
嫌だ。
「っふぇええええええええええええええええええ」