第四.五章 フェルト・クライ ②
Viwe:クリストフ・アルバー
Time:五年前
目を覚ますと、『キャンサークリニック』の床に寝ていた。掛けられていたタオルケットを手に取ると、部屋の奥の方から「ど、どうして……」と震えた声が聞こえた。
「どうした?」
上体を起こし、薬の影響で痛む頭を撫りながら、おろおろと狼狽えているキャンサーに尋ねる。彼女は両目に涙を蓄え、こちらに向き直ると「ジェラが……」と涙に濡れ震えた声で答える。
「ジェラ?」
何を言っているのか理解する前に、ジェラードが眠っていたはずのベッドに目を向ける。そこはもぬけの殻となっており、血痕と体液がシーツに染みを作っていた。
「っ!何があった!?」
すぐにベッドから抜け出して、キャンサーに摑みかかる。肩を摑みかかられたキャンサーは脱力しきり、がくがくと揺さぶられるがままの姿勢で「分からない……」と下を向く。
「私も……、眠っていたんだ……」
昨夜、ジェラードを薬で眠らせた後、『数字』を告げ、ジェラードを壊してしまったキムが、その重責、罪悪感からか情緒不安定となってしまった。堪えていた涙は堰を切ったように流れ落ち、「すまんっ、すまんっ!」と崩れ落ちて、謝り続ける始末。見るに耐えなくなり、キャンサーから薬品の染み込んだ布をひったくって彼の鼻に押し当てた。
そして、次々と壊れていく『弟』を見るのが耐えられなくなったキャンサーが貧血を起こして倒れ、その介抱の途中で、ポールから「お前も眠れ」と薬品を押し付けられた。
結局、最後まで起きていたのは、ポールとフェルトのみだ。現在、二人は『キャンサークリニック』にはいない。
「ポールには電話したのか?」
「あぁ、今食事を作ってくれているそうだ……、あの子の事は知らなかったみたいだ……」
顔面蒼白で、力も抜けているキャンサーは、再び貧血を起こして座り込んだ。今度の症状は軽いみたいで、座り込むと浅い息を繰り返しながらも俺を見上げる。
「フェルトには、連絡がつかない」
「家には?」
「すまないね、あたしゃ立つのが精一杯で……」
そう言って、また顔を下げる。責めるつもりはないにも関わらず、どうしても彼女を責める形となってしまう。だから、せめてと「わかった、俺が行く」と告げて、『キャンサークリニック』の玄関へと向かう。
しかし、その探し人は、向こうから玄関を開けて来てくれた。『目的』の人物を抱えて。
「フェル——ッ!!」
真っ黒のローブを身に纏い、ジェラードを抱きかかえて中に入ってくるフェルト。しかし、二人の姿は夥しい量の血を浴びていた。顔にまで血飛沫を浴び、真っ黒のローブは赤黒く湿る。むせ返るような人脂、人血の匂いを振りまきながら、彼はジェラードをベッドに横たえる。そして、口を開く。
「こいつは、『グランタリア』に復讐に行っていた」
「ッ!!」
フェルトの言葉に、俺とキャンサーは声を詰まらせる。そして、彼は聞き知った名を口にする。
「フェリペ、あいつがジェラードたちを殺そうとしたそうだ」
「フェリペ、だと?」
以前住んでいた『グランタリア』の住人の一人。堅物で融通の利かない人物だった。俺たちが『新しい町』を作ろうとした時も、支援はしてくれず、それどころか俺たちを追い出そうとした。そいつが今や『グランタリア』の長となっているのだとすれば……。
「そして、ジェラードがフェリペを殺した」
考えが及ぶのとほぼ同時に、フェルトの声が鳴った。
「どうして、フェルトがそれを?」
「………」
フェルトに尋ねるが、答えはない。おそらく、起きたジェラードの後を尾けたのだろう。そして、行き着いた先が『グランタリア』。そして、行き着いた先が『フェリペへの復讐』だった。
「なぜ行かせた……、なぜ止めなかった……」
「………」
答えはない。押し黙ったまま、フェルトはジェラードの髪を撫でた。
「なぜ、俺を起こさない……、あんたが……、あんたが『それ』をすんなよッ!!」
詰め寄ってフェルトの赤黒く染まった黒装束を掴む。「クリス……」と憔悴しきったキャンサーが声を発するが、俺を止めるような力は伴っていない。
赤黒く染まった黒装束。間違いなくフェルトも刃を振るったのだろう。普通に考えれば『グランタリア』の長たるフェリペがいるのは町の中枢であるはずだ。そこにジェラードが入り込むまでの間に『何事』も起こらないはずがない。そして、ジェラードがフェリペの元に辿り着いた後も、復讐を成し遂げた後も『何事』も起きないはずがない。更に、『それ』が少しであるはずがない。『町』の中枢なのだ。守りは鉄壁を極めたはずだ。
『何』があったかなど、察するのは容易い。
「あんたには……ッ!あんたには、アルジールがいんだろッ!!」
胸ぐらを掴み揺さぶる。以前にもティアを助けるために、人と戦ったことがあった。その時でさえ、フェルトは相手を手に掛けることはなく、あくまで戦闘不能にするに留まっていた。その時にも、彼は言っていたはずだった。
「アルには見せたくないからな」と。
「なぜだ!なんでッ!あんたが『それ』をする!!フェリペが相手だと分かれば!俺が行ったのに!!!」
汚名を被るのは、『何』もない人間がやればいい事だ。
しかし、フェルトは俺の手を振り払うと、普段から気丈な男は、見る影もなく涙を流して言った。
「そうだ、俺にはアルジールがいる。その通りだ」
「だったらッ!!」
「俺はッ!!アルジールの為に……ッ、『お前たちを見殺しにした男だ』!!!」
彼の言葉に、俺は黙ることしかできなかった。
「お前たちが殺されていくのを、俺はアルジールを抱きながら見ていたんだ!!!クリスッ!俺はティアを見殺しにした男だぞ!!お前の!大切な人をッッ!!!」
目の前が真っ白になる感覚に陥った。彼の言葉に反論することができなくなっていた。
「俺が『あそこ』にいれば!ティアは死ななかったはずだ!!アランも!ンバも!圭一もッ!!!」
「やめろ……」
「ジェラードもそうだ!ジェラード一人に託すんじゃなく、俺も行っていれば!ジェラードも!少年たちも守ってやれたはずだッッ!!!」
「やめてくれ……」
「恨めよ……、恨んでくれよ……ッ!俺は——」
「やめろおおおおッ!!!」
気がつけば、拳を強く握り、彼の顔に突きつけていた。
「頼むから……、やめてくれ……」
懇願することしかできなかった。しかし、フェルトは殴られたことをなかった事のように、立ち直るとキャンサーに「ジェラードの怪我を治してやってくれ」と告げる。
「フェルト……」
「怪我が治ったら、俺はこいつを休ませてやるつもりだ。『ノースイースト』の復興が終われば、そこに匿う」
「あんたは、どうすんだい?」
キャンサーが力なく尋ねる。彼の意思はすでに分かっている。「やめてくれ」と言う代わりに尋ねる。
「『町』に復讐する。ジェラードは私の『親友』だ、黙っているつもりはない」
それだけ言うと、フェルトは玄関へと向かう。向かう途中、俺とすれ違いざまに「止めるなよ、クリス」と釘を刺された。
それでも、俺は彼を呼び止めた。
「フェルト」
ドアノブを握っていた手を離して、それでも、こちらに振り返らずに「なんだ?」と言う。
「……、死ぬな」
「………ッ」
「たまには……、ポールんとこで、皆で酒を……飲もうな……」
「………、それは良いな」
そう言って、フェルトは『キャンサークリニック』から出て行った。




