第四章 ジェラード・アイスラーム ⑱
view:ジェラードアイスラーム
time:五年前
「ジェラードさん、ジェラードさんっ」
誰かが俺の名前を呼ぶ。その声は、遠い記憶の彼方から聞こえてくるような、懐かしさに満ちた声だった。その声の周囲からは「起きないの?」と女の声、炎が木を弾く音、風で木々の葉が擦れ合う音。全てが、遠い記憶から呼び起こされるような、柔らかな音。
「起きてくださいよぉ」
「ジェラードさぁん」
肩を掴んで揺する気配を感じる。しかし、俺の体は揺れることはなく、そして、目を開けることもできなかった。重く瞼が閉ざされ、体が動かない。
「………、俺ら、恨んでないッスよ」
男の寂しげな声が、耳に届いた。確かに、俺の鼓膜を震わせた。
「ジェラードさんには感謝しかありません、……この世界の、広さを教えてもらいましたから」
次は女の声。この声も寂しさと悲しさを秘めていた。
「本当は、もっと色んな世界を見てみたかった。ジェラードさんとなら、世界中を冒険できるって信じてましたから」
次はさっきの男とは違う男の声。落ち着いた声でありながら、やはり寂しさを感じる声。
「最期に、それを伝えに来たんすよ」
今度も違う女の声がした。もはや、この声の主達が誰なのか、目が開かなくとも、分からないわけがなかった。
ジャック、エマ、ラッセル、シェリー。共に世界を旅した四人の少年たち。俺の体は、彼らの声のみを受け取っていた。
「ジェラードさん、俺らはもう、平気ッスから」
「だから、今はご自身のことを大事にしてください」
「やっと『ナインクロス』に戻れたんですから、おいしいもの食べて休んでください」
「本当に少しの間でしたけど、一緒に冒険できて楽しかったですよ」
そして、四人揃って「ありがとうございました」と続けると、少年たちの気配は少しずつ離れていった。
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四人の声、そして気配がこの場を去った途端、俺に自我が戻ってきた。すぐに目を開き、周囲を見回す。傾いた『キャンサークリニック』のベッドの上。亀裂の入った天井。消された照明。瓦礫に埋もれた窓の外。
キャンサーに嗅がされた薬のせいで、頭は朦朧としている。体も自由が利かない。しかし──。
「ありがとう……だと?」
先ほど聞こえた四人の声。その言葉を頭の中で反芻して、俺は涙を流した。
「っ、~~~っ、すまん」
先ほど聞いた四人の声、その舞台は『俺の夢の中』だ。薬によって眠らされた俺によって創られた『俺に都合のいい世界の中』だ。
俺は、あいつらに『ありがとう』と言わせた。
『自分たちのことは気にするな』と言わせた。
『楽しかった』と言わせた。
そんな訳ないだろう。
ライフルで頭を撃ち抜かれる痛み。
逃げ惑う中、敵に囲まれる絶望。
恐怖の中、ショットガンで飛ばされる苦しみ。
『これから』を奪われる悲しみ。
「ぐぅっ、ふっ!」
薬で微睡む体に鞭を打つ。反動で視界が歪み、全身が激痛を訴え、胃液が逆流を始める。
「ぐ……、ぅ」
垂れ流れる胃液を噛みしめ、俺はベッドから降り立つ。久しぶりに体重を支える脚は激痛を脳へと伝える。
しかし、行かなければならない。
「待ってろよ、……お前らの無念……、少しでも、晴らしてやる……」
俺は震える手で携帯を握りしめた。
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「計画は順調です、えぇ、多少の障害はありましたが排除しつつあります」
青白い光に包まれた『町』を見下ろしながら、携帯を耳に押し当てた白髪の男、フェリペは言う。
「多少慣れは必要ですが、『こちらの世界』も悪いものではありませんよ」
口髭に触れて、俄に口元を緩める。また一つ、青白い光が生まれ、その光が徐々にこちらに近づいてきている。
「『壁の建設』が完了すれば『町』の拡大にも繋がります。そうなれば、『こちら』に移転することも可能ですよ」
ガシャンッ、と、金属が崩れる音が目下で鳴り響いた。視線を傾けると、青銅の甲冑を着た兵士が地面に倒れ、血を流している。直後には、階下のドアが開け放たれる音が鳴り、その足音はこちらに向かってきている。
「失礼、どうやら不躾な客人が来たようです」
フェリペが自室のドアに振り返るのと、そのドアが開け放たれるのは、ほぼ同時だった。そして、窓の外が青白い光に包まれるのも、また同時であった。
「アポイントメントも無く、ノックもなしとは、『ナインクロス』の底が知れるな、ジェラード君」
フェリペは通話を終え、携帯を机の上に戻しながら言う。すると、突然左肩に激痛が走る。視線を巡らせると、そこにはナイフが突き刺さっていた。
「会話をしにきたんじゃねぇ」
「ふっ、今の青い光で十二個目だ。この『町』の兵士、十二人を相手してここまでたどり着けるとは、少々驚いている」
とんとん、とフェリペが机をノックすると、ジェラードの背後に数人の兵士が現れた。すぐに兵士はジェラードを捕らえようとするが、なぜかフェリペはそれを制した。
「とりあえず、理由を聞こうか?」
それが、フェリペの最期の言葉となった。次の瞬間には、五つのナイフがフェリペの顔を埋め尽くし、視界に映るフェリペの全身を、三十を超えるナイフが突き刺さる。一瞬の出来事に兵士たちは呆然自失とその場に立ち尽くした。
「俺は……」
ジェラードはその場に膝を付き、そして、床へと倒れ込んだ。
「何をして……いるんだ……」
フェリペを殺した瞬間に、ジェラードは力を失った。そして、彼を形成していた感情も、何もかもが崩れ去った。
背後には我に返った兵士たちが甲冑をかちゃかちゃ、と鳴らしながら近づいてきている。
そして、ジェラードは意識を、そして、自我を手放した。
「お前の罪は……俺が背負う」
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time:現在
死を受け入れていた俺だったが、気が付けば『キャンサークリニック』のベッドの上に戻っていた。夢だったのか、と一瞬思ったが、「バカなことは、しないどくれ!」とキャンサーに怒られて、夢ではなかったんだと分かった。フェリペを討った後、意識を失った俺は、俺の後をつけていたフェルトに助けられた。
それからは、キャンサーが勝手に俺の治療をし、体が治ると、フェルトは俺を地下へと連れて行った。後に風俗ビルと呼ばれる場所である。
「お前はここにいればいい、何かほしい物があれば俺が全て用意する」
フェルトはそう言うと、本当に何でも用意してきた。食い物から酒、女も、クスリも。結果、俺はどんどんと堕落していった。




