第四.五章 ティア・アルバー ⑦
View:キャンサー・リンドル
Time:五年前
轟々と立ち昇る黒煙をあたしは、壁の上から眺めていた。数秒前に立っていられないほどの轟音と衝撃を受けて、尻もちをついたままの姿勢で、呆けた表情で、黒煙を眺めていた。
『何の煙』なのか、あたしには見当がついていた。
しかし、それは到底信じたくないものであった。
「ポール……、ポール……」
あたしは、力を無くした声で、隣に立つ男の名前を呼ぶ。
「あの……煙は何だい……?」
ここから、距離にしておよそ数キロ先に立ち昇る黒煙を眺めながら、尋ねる。黒煙は今尚、生きているようにうねりながら、その体積を増やし続けていく。
「………」
「教えとくれ……、ポール……」
答えない男に、縋るように尋ねる。
お願いだ、あたしの見当違いなことを言ってくれ。
そう祈りながら、決して男の方を見ず、もうもうと広がる黒煙を眺め続ける。
「あんたには、見えてんだろ……」
『スキル:拡大視』——視界の中のある部分を拡大して見ることができる。数キロ先の物が目の前数センチくらいにまで接近させることができ、目と頭がすごく混乱する。慣れていないと拡大させたまま歩いてしまい、足元が見れずに転けてしまう。
遠くの物が見える、真実を知っている男を揺さぶると、男は苦虫を噛み潰したような表情で、普段とは違う口調で、ぽつり、と言った。
「ティアが多くのモンスターに囲まれ、その中心で自爆した」
「っっ!」
ポールの頬はぐりぐり、と動き、かなりの力で歯を食い縛っているのが分かる。
「使用した爆弾は、言うまでもないな?」
「あ、あ、あぁああぁぁぁ……」
あたしは耐えきれなくなり、壁の上、よく均されたコンクリートに蹲る。ティアの自爆、使用した爆弾、それは、あたしが以前、あの子に作った『もの』だった。
ドラゴンの討伐には、自分の拳銃では威力が弱いと相談を受け、作った『もの』。威力を重視し、安全性を考えないで作った、もはや『ネタ』のような『もの』だった。使い道の無いはずの『もの』だった。
「そんな……、つもりで作ったんじゃ…ない… …」
「こんなもん使えねぇよ」と、笑い合った『あの日』が憎い。こうなると分かっていれば、作ったりしなかったのに……。
「顔を上げろ、キャンサー。まだ、終わっちゃいねぇ」
ポールの声に、あたしはゆっくりと顔を上げる。アラン、圭一、ンバの死を聞いていたあたしは憔悴しきっていた。
「まさか……」
最前線に残った仲間の中で、唯一残っている名前が頭に浮かんだ。あたしにとって、弟のような存在の青年。
「クリスはまだ生きてんのかい?」
「あぁ、ティアが生かした」
自分でも信じられないことに、憔悴しきっていたはずの体に力が戻る。すぐに立ち上がり、走り出そうとするあたしを「どこへ行くつもりだ?」とポールが止める。
「決まってるだろ!助けに行くんだよっ!もう……誰も」
「駄目だ」
「なっ!」
ポールから信じられない言葉が飛び出し、カチンときた。
「クリスを見殺しにするつもりかい!?」
「もっと周りを見ろ、お前は医者だろ」
周りには避難している『ナインクロス』の住人が集まっていた。所々を怪我し、ようやく逃げ延びた人々。その人数は一万人をゆうに超える。
「医者が戦場で出てどうなる、死人が一人増えるだけだ」
「でもっ!」
「でも、じゃねえ!!助けられる人間を助けもしねぇで、何がクリスを助けるだ!」
ポールは声を荒げた。ジッ、とあたしの目を見つめる。
「お前の仕事は何だ!?自分のできることをやれ!」
「ぅ……うぅううううぅぅぅ……」
ポールの言葉に、あたしは子供のように唸ることしかできなかった。感情に呑まれ、冷静でいられない。目の前でアラン、圭一、ンバの死を見て、更に愛するティアの失ったクリスの事を考えると、胸が張り裂けそうになる。きっと、あたし以上に苦しい思いをしているはずだ。
あたしは、すっかり涙で滲み切った視界の中で、再び黒煙に目を向ける。先ほどまでの騒がしさは鳴りを潜め、静まり返っている。
このまま、終わっておくれ。
せめて……、みんなの犠牲が、報われてほしい……。
せめて……、せめて……。
絶えない願いを、祈りを続けながら、あたしは黒煙から目を背けると、医療器具を手に取った。
——————————
View:クリストフ・アルバー
Time:五年前
はぁ……、はぁ……、はぁ……
浅い呼吸を続けながら、仰向けに倒れたままの姿勢で、空高く登って行く黒煙を見つめた。頭の中には何もなくなっていた。
はぁ……、はぁ……、はぁ……
黒煙はどんどんと空に登って行き、薄雲と交わると、水平方向に広がって行く。
その様を、ただ見つめていた。
込み上げてくる感情に気付かないふりをして、ただただ見つめていた。
しかし、このまま寝ているわけにもいかない。
——あんたなら『あいつ』に勝てるでしょ?——
彼女は言った。
『あいつ』に勝て、と。
つまり、俺は立たなければならない。
全身を覆う激痛に耐えながら、俺は立ち上がった。近くに転がっていた鉄筋棒を杖代わりにして、黒煙と正対する。
あらゆる感情が込み上がるが、それらを即座に排除する。
考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな
震える脚で立ち、鉄筋棒を捨てる。黒煙の足元は、徐々に薄くなって行き、わずかであるが、見通せるようになる。
そこには、青白い光を放つ球体が宙を舞っていた。
考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな
ゆっくりと黒煙の下に歩む。体幹は揺らぎ、立っている事すら困難だ。
薄れて行く黒煙の向こう側に、蠢く巨体の影が見て取れた。その影も、ゆっくりとこちらに向かってくる。
考えるな、考えるな、考えるな……、ただ…身を委ねろ……——、
——怒りに。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
《おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!》
二つの怒号が響き渡り、交わり合う。反響し合い、ビリビリと肌を刺す。
気がつけば、俺は走っていた。いや、気付いてなどいない。ただ、怒りに身を任せ、獣のように雄叫びを上げているだけだった。
肩に手を触れ、勢いよく振り下ろし、剣を手に取る。
黒煙の真下に辿り着くと、真っ白な体躯を真っ黒に煤けさせた『そいつ』も、黒煙に飛び込んできた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
《おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!》
獣のように吠え合い、互いが全力で振りかぶる。
互いの得物が交錯する直前に、鈴のような声が聞こえた気がした。
——あなたは、獣じゃないでしょ?——
「あぁ……『人間』だ……」
即座に『スキル:絶対的集中』を発動し、『そいつ』の拳を躱す。衝撃波を生じさせるほどの威力を孕んだ拳が、俺の目の前を通過して、地面にめり込んだ。
拳を地面へと突き刺した姿勢のまま、静止した『そいつ』の脇腹に刀身を流す。強張った筋肉に、滑るように刃が通る。
流れるような動きで二、三、四と斬撃を繰り返す。刃は『そいつ』の内臓にまで達し、切り刻む。
《ぐう、おおおおおおおおおっ!!!》
悲鳴とも、雄叫びとも取れない叫びと共に、再び拳が振り下ろされる。
しかし、どんな破壊力を纏っていたとしても、『スキル』を使用している俺には当たらない。
再び拳の脇をすり抜けて、『そいつ』の膝を切り刻む。前十字靭帯を切り刻み、膝を折る。
《があああああっ!!》
ついに悲鳴をあげた『そいつ』は、膝を地面へと落とす。煤けた白い毛皮を纏った憎い面が手の届く所にまで下りてきた。
『そいつ』の左目はンバとティアにより潰されており、残った右目は真っ赤に充血し、『τ』の文字が刻まれていた。
「ああああああああああああっ!!」
遠慮なく俺は『そいつ』の顔に刃を走らせる。右目を狙うが手で防がれ、指を削ぎ落とす。返しで鼻を縦に割る。
《ぐぅおおおおぉぉぉ、きざまっ!》
「おおおおおおおおおおおおっ!!」
続けて、耳を切り裂き、頰を抉る。
すると、『そいつ』の様子が急変した。
《っっっ!があああああああああああああああっ!!!》
使えないはずの膝を伸ばして立ち上がると、天高く雄叫びをあげる。残っている右目は赤く灯り、『そいつ』の動きで赤い線が走る。無規則に暴れまわる腕脚を躱せずに、俺は『そいつ』の元から弾き飛ばされた。
ボロボロに崩れたプレハブ小屋に背を打たれ、「ぐぅ!」と息が漏れる。立ち上がろうとしても、『スキル』を使い続けた弊害で、体力も精神力も消耗しきっていた。
《ぐあああああああああああああああああああっ!!!》
『そいつ』は両手で顔を覆って、雄叫びを上げ続けていた。要所では《まだだ!》と理解できる言葉を挟むが、おそらく理性が失われているのだろう。飛び込むのは危険だ。
《ぐぅうううううううう!!まだ、だ……、があああああああああああっ!!!まだっ!『そこ』へ行くわけにはっっ!!ぐあああああああああああああっ!!!》
頭を抱えて、『そいつ』は酔ったような足取りで、雪山の方へと動き出す。もはや、俺との戦いよりも、自分との戦いを精一杯のようだ。
「に、がすか——よっ!?」
背を預けていたプレハブ小屋から起き上がると、そのまま前のめりに倒れてしまう。気合いや根性の類では解決しない絶対的な限界が迫っている。
しかし——、
「絶対に……、お前を……殺す……!」
地を這い、俺は『そいつ』を睨む。動くのを拒否する脚に鞭を打ち、立ち上がる。しかし、今度は尻もちをついて倒れてしまった。
逃すわけにはいかない。お前に殺されたアランや圭一、ンバとティアのためにも、ここで殺さなければならない。
「ティアの……ためにも……っ!」
自ら口に出して彼女の名前を言った瞬間、現実が俺の頭に押し寄せてきた。ティアは死んだ。俺を、『町』を守って、死んだ。
考えないようにしてきた現実が、喪失感が、俺を支配した。
体は指一つ動くことなく、俺の意識は遮断された。




