第一章 神阪 蓮 ⑦
外は闇に包まれていた。外灯もなく、光と言えば、空に昇る月とか細く輝く星々だけである。周囲がよく見えないせいか、聴覚が冴える。闇の中に広がっている海からは、変わらない一定の波の音。その反対側に見えるはずの山からは、風にさらわれた木々が揺れ、葉を擦り合わせる。草むらからは虫の鳴き声が聞こえてきて、時々、獣の雄叫びも聞こえた。この程度の音ならば『現実世界』でも有り得るだろう。しかし、音はそれだけではない。空からは巨大な生物のものだろうか、大きな翼が羽ばたく音が響き、海からは巨大な何かが海に潜るような水音が鳴る。『この世界』は昼と夜で見え方が違う。大きな不安を煽る音だが、俺たちには気に留めている暇は無い。
「アル、大丈夫か?」
「うん、平気」
隣を走るアルジールに声をかける。闇で姿は見えないが、しっかりと付いてきているようだ。
「少し急ぐぞ、北の門まで行く」
闇の中でよく見えなかったが、二人が頷いたような気がしたので、俺は走る速度を上げた。
しばらく走ると、レンガで舗装された道に代わり、足音が響くようになった。海からは少し遠ざかり波の音が遠くなったのを感じると、今度は正面から水の飛沫が落下する音が迫る。町の中に入れば、家から溢れる光で少しは明るくなるが、それでも分かるのは、その家の輪郭だけだ。自分の手が開いているのか、握られているのかは視力では分からない。更に走ると、水飛沫の音が、町のシンボルである噴水であることがようやく理解できるようになった。その噴水を回り込むようにして、北の門へと走る。噴水広場から門まではそれほど遠くはないが、ここで一度速度を落とす。テンポが早くなった呼吸を整えながら、それでも足は止めない。ゆっくりと歩きながら、周囲を警戒する。おっさんの店からここまで約五分、『相手』もその間に動いているはずだ。ゆっくりと歩いて、とうとう門にまでたどり着いた。俺たちは足を止めて、お互いを見る。真っ暗ではあるが、俺たちは頷き合い、周囲に目を凝らす。そして、耳をすませる。すると、
「聞こえる」
薫が声を殺して、言った。視線は北の門よりも東。門の脇には形だけの柵が並んでいるだけだ。侵入はどこからでもできる。薫が聞いたものは、おそらく俺が聞いたものと同じものだろう。足を忍ばせてはいるが、レンガが敷き詰められている町で完全に足音を消すことは非常に難しい。更に『相手』のやろうとしていることを考えれば尚更だ。
「俺とアルで行く。薫はこの場で他に動きがないか、調べてくれ」
「ん、分かった」
そう言うと、薫は数歩下がって離れていった。それを確認して、俺とアルジールは頷き合い、足音の聞こえた方へと向かった。
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「おい、ここらでいいんじゃねぇか?」
闇の中で、男の声が聞こえた。声は抑え気味だが、何を言っているのかは理解できる。男の声で、一緒にいた残りの三人も動きを止めて、振り返った。「そろそろか」一人が呟くと、「覚悟はできてるな?」と、もう一人も言う。大きく息を吸い、少し溜めて、ゆっくりと吐き出す。周囲を見渡すと、レンガが敷き詰められた地面に、木造の家が二、三軒立ち並ぶ住宅街のようだ。真っ暗の為、確認できるのはそれだけだが、きっと明かりが灯れば、闇の奥にも数軒見えるだろう。
「いいな?やるぞ」
そう言うと、男は携帯電話を取り出して、画面を数回タップした。すると、男の手に轟々と燃える炎が現れた。急に現れた光のために、目が眩んだが、それは松明だった。そして、他の男は真っ赤な缶を手に持った。それは、車や燃料を必要とするものを利用しているものにとっては見覚えのあるものだ。携行缶、ガソリンを入れておく缶だ。そして、その男は一気に携行缶を振りかぶり、家へとガソリンを振り撒く。そして、もう一人が松明を家へと、
「そこで終わりだ」
男の声が聞こえたと思った瞬間、松明が強奪された。周囲にはガソリンの臭いが充満している。このままでは、松明を持つ男が危ないが、そう思った瞬間に、松明は消された。
「誰だ?」
邪魔をした男に言う。返事は求めていなかった。松明を奪われた男は、瞬時にナイフを取り、携行缶を持った男はそれを手放して、拳銃を取り出した。
「投降しろ、そうすれば痛い目に合わなくて済む」
「っ、誰が、てめぇ一人に投降するかよ!」
たぁぁん!
銃声が一つ、闇の中に轟いた。通常、この距離ならば外すことはない。しかし、男の悲鳴や呻き声は聞こえなかった。非常に精神力の強い奴なのだろうか、などと暢気なことを思っていると、急に自分の体が回転した。天と地が入れ替わり、自分に何が起きているのか分からない。一切分からないまま、男は頭から地面へと落下し、意識を手放した。
「おい、どうした?」
闇の中で、しかも、一瞬のことでナイフを持った男は錯乱した。理解の及ばない所で、仲間が一人やられた。その事実が、男を錯乱させた。
「う、うああああああっ!」
虚空に向かってナイフを振り回す。残念なことに、そこに狙った男はいなかった。力いっぱい振り回したナイフは、木造の家の壁に突き立てられ、抜けなくなった。
「Sie waren ungluckich」
抜けなくなったナイフを引き抜こうとする男の背後から、聞き慣れない言葉がかけられた。それが何語だったのか、錯乱している男には一生分からないだろう。
「ひっ!」
「Ganz recht, nicht erschrocken」
怯える男は耳を塞いで、座り込んだ。震える男の背後から、薬品を染み込ませた布が、鼻と口に当てられる。朦朧とする意識の中で、彼が最後に見たものは、真っ黒のローブに身を包んだ男の子だった。
「Gute nacht」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アルジールの声が聞こえた瞬間、俺はもう一人の男を一本背負いで投げ飛ばした。畳の上でも受身を取らないと非常に痛い技だが、今は暗闇で不意打ち、受身なんて取れない上に、レンガの上。気の毒だが、しばらくはまともに動けないだろう。
「な、なんだっ?」
「お前には少し、話を聞かせてもらおうか」
言いながら、一人残った男の胸ぐらを掴んで締める。いつでも投げられる態勢を作り尋問する。
「お前らは何だ?」
「くっ、うっ!」
「早く答えろ、首が締まって苦しいだろ?」
「お、俺たちは、『ナインクロス』の、兵士だ」
『ナインクロスの兵士』と名乗る男は、俺の腕にしがみついて、何とか呼吸を楽にしようとする。その行為のうざったさに、俺は胸ぐらを掴んでいた手を離した。男は重力に従い、大きく尻餅をつくと、空気を求めて荒い呼吸を繰り返す。
「兵士らしくないな、普通の男だろ?」
「お、お前に、何が分かる」
「そうだな、俺が『お前らのこと』を理解したら、この町を守ることはできない」
「はっ、偽善者が」
男は開き直ったのか、強気の姿勢を見せた。しかし、その言葉はあまりにも的を射ていた。瞬間、言葉を失うが、俺も開き直るしかない。
「そうだな、俺はいい人ではないのかもな。次だ、今回は何人で来ている?お前らの作戦は?」
「俺らが知るかよ、四、五人で班を組んで、行けと言われた日時に合わせてここに来だけだ」
「火をつけるのは、命令か?」
「いや、行けと言われた以外の命令は一切ない。俺たちは町に来たら、その町の人間を殺すだけだ」
「そうか、俺は偽善者だが、お前は外道だな」
「何とでも言え」
これ以上はろくなことは聞けないだろう。そう思った俺は後ろを振り返り、「アル、こいつを眠らせろ。縛って『OLRO』に引き渡す」
「うん、分かった」そう言うと、アルジールは布を手に取り、男の顔にあてがった。男は何を思ったのか、無抵抗のまま、薬を吸い、眠りに落ちた。
「おっさんは四、五人くらいと言ってたな」
「うん、そだね」
「こいつの言葉を信じるわけじゃないが、別動の奴らがいるかもしれない。今夜は警戒態勢を敷くぞ。『町の人たち』を避難させよう」
そう言って、俺は携帯電話を取り、みんなに連絡した。
『この世界』は、本当に美しい。空も、海も、山も、全てが美しい。しかし、その美しさは残酷の顕れでもある。『この世界』には、『現実世界』には存在しない生物が数多く存在する。その最たるものと言えば竜がその一つだ。奴らは人の姿を見かければ上空から急降下してきて人を襲う。更に上空には翼を持つライオン──グリフィンも群れを成して飛んでいる。地上には、ライガ、人食い植物、ゾンビなどがおり、地中にも人を襲う生物が多く存在する。もちろん、海中や湖、森の中や砂漠、沼野にも存在する。
つまり、『この世界』は、美しい自然を持つが故に、残酷な世界だと言うこと。現に今、この時だって、『この世界』のどこかで多くの人が生物たちに襲われている。しかし、そんな残酷な世界にも、唯一の安全地帯が存在する。それが『町』である。俺たちの住む『レンド』もその一つである。『町』は周囲全てが柵で囲われており、その柵の中には例外を除いて生物は侵入してこない。上空を飛び回るドラゴンも、地中を這い回るバジリスクも入り込むことはできない。『町』から出さえしなければ、安心で安全な生活を送れる、はずだった。
何度も言うが、『この世界』は残酷だ。確認されている『町』は全部で八つ。その大小により違いが存在するが、『町』には『人口の上限』が設定されている。すなわち、その人数を超えてしまうと、『町』は『安全な場所』ではなくなり、生物たちが『町』に侵入できるようになり、『人口を減らす』。減らすと言うのは追い出すという意味ではない。殺すのである。男であろうが、女であろうが、子供であろうが、老人であろうが、関係なしに。町は『人口の上限』を下回る人数にまで人間が減ると、再び『安全な場所』に戻り、生物たちは姿を消す。なぜか、そんなシステムが『この世界』に組み込まれているのである。そして、『そんな世界』であるにも関わらず、人々は『この世界』で生活をするのだ。その最大の理由は、『現実世界』の限界である。
『現実世界』では、人口が二百億人を超え、慢性的な食糧難に陥っている。更に、働き口は減り、収入もなくなる。しかし、物価は上がり続け、限られた人間しか生きることのできない世界になってしまったのである。そんな時に出現したのが『Over Land』、『この世界』である。たとえ、死ぬことになっても『この世界』には食べ物がある。非常に困難であっても、生物たちに打ち勝つことができれば、その肉を食べることができる、皮を剥いで寒さに耐えることもできる。しかも、人間が世話をしなくても勝手に増えるのである。無限の食料、物資が『この世界』にはある。
この時点で人は二種類に分かれた。『この世界』に来るか、『現実世界』に留まるか。圧倒的に多かったのは『この世界』『Over Land』に来る者だった。そして、そこから更に人は四種類に分かれる。『戦う者』『守る者』『逃げる者』『奪う者』だ。今、この世界で一番少ないのは『逃げる者』、文字通り『この世界』から『現実世界』に逃げる者だ。いなくなるので少なくて当然。そして、次が『戦う者』、この残酷な世界を戦って生き残る道を選んだ者は、はっきり言って少ない。その要因は、一つ。戦う相手、生物たちが強すぎるのである。十人でチームを組んでも、巨大生物には勝てない。三十人でチームを組んでも、生物たちの大群には勝てない。そうやって『戦う者』は減っていった。そして次に少ないのが『守る者』、運良く『町』の住人になることが出来、その自分の立場を必死に守る者、排他的ではあるが、自身のコミュニティーを守ることは、人間として当然の性質である。
そして一番多く、問題となっているのが『奪う者』である。『町』に住むことが叶わず、人を襲う生物たちの危険に晒され続ける人々。そういう立場にある人々はより強固に団結する。一人より、二人。二人より三人、と数が多いほうが安心できるからである。そして、見放された人間が集まれば当然、自分より良い環境の人間に対する憎悪、怨嗟が生まれる。そして、奪う者になるのである。『奪うもの』は様々だ。食料、衣類などの物資、そして、『その町に住む権利』。『その権利』は町に住む人を殺すことでしか奪えない。そんな『奪う者』たちの事を、『町』に住む人間は『賊』と呼んでいる。非常に残酷な世界。しかし、もはや人は『そんな世界でしか生きられない』のである。




