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Over Land  作者: 射手
第四章  ジェラード・アイスラーム
67/250

第四.五章  ティア・アルバー ①

view:クリストフ・アルバー

time:五年前



「クリス」


 早朝の冷えた空気がプレハブ小屋を支配する。いつもの弱弱しい陽光の届く窓は結露と凍結によって開くことはない。外では『風速十メートル』が猛威を奮い、窓や壁を強く叩く。室内は一応暖房は入っているが、明らかな力不足の為、室内でも息は白く染まる。しかし、慣れとは怖いもので、そんな状況下でもソファの上、布団代わりのジャケット一枚で熟睡できる体になっていた。

 しかし、それも過去の話になろうとしている。


「起きなよ」


 体を揺さぶる、温かな声。その揺れは起こそうとする意志はあるものの、力強いものではなく、逆に心地良さを感じてしまう。さらに、その温かな声と共に、温かなコーヒーの香りも漂ってくる。


「う……、ん……」


 しかし、そんな優美な刺激に身動ぎして抵抗する、という贅沢をチョイスする。ジャケットを顔まで引き上げて、声に背を向ける。すると、彼女は「あ……、もう」と可愛らしく鳴くと、「先に食べるからね」と僅かな距離ではあるが離れていく。サクッ、という焼きあがったパンを齧る音が聞こえてきて、先ほどのチョイスが裏目に出た事を悟ると、俺は観念して体を起こす。


「俺も食う」

「何よりも先に言うのがそれ?」


 彼女は「はぁ」と呆れつつも楽しそうに微笑む。寝起き一発目に見る彼女の微笑みは、いかに過酷な現実があろうとも自分は幸せであると感じてしまう。


「おはよう」

「うん、おはよう」


 挨拶を交わして、自身のプレハブ小屋初の家具、テーブルに歩み寄る。焼きあがったトースト、湯気の立つコーヒー、いびつな白と黄色のコントラストの目玉焼き、付け合わせのポテトとサラダが並び、俺の人生において久しぶりのちゃんとした朝食に感動する。

 朝食を目の前にして、感動のあまり硬直した俺を不審に思った彼女は「どしたの?」と尋ねてくる。彼女はこの『Over Land』においても、このようなちゃんとした朝食を毎日摂っていたのだろう。俺の感動とは別に、「何か苦手なものでもある?」と彼女は自分の用意した朝食を不安そうに見つめ直した。


「いや、ちょっと感動してる」

「何言ってんのよ」


 俺のとぼけたような台詞に、彼女は呆れたような、それでいて照れているような表情でポテトを口に運んで、そっぽを向く。そんな彼女の行動、仕草すべてがとても愛おしく感じる。少しツンとした態度に「怒った?」と尋ねながら彼女の頭を撫で、肩に手を回す。小さなテーブルであるため、少し抱き寄せると彼女の頭はすぐに俺の胸元に収まる。「~~~っ、朝ごはんっ」と言って、俺を突き放そうとするが、弱弱しい力であるため、俺はビクともしない。むしろ、そんなじゃれ合いが俺の中の『とある』スイッチを入れてしまい、より強く抱き寄せ顔を近付ける。

 最近、俺はそういう欲望を制御できなくなっている。


「あんたねぇ~っ」と彼女は呆れた声で返事をするが、すぐに目を閉じて「ん……」と俺に応じてくれる。さすがに、これ以上は制御しなくては、と思うものの、寝起きで蕩けている頭に甘い刺激が加わると、情けないことながら、自分で自分を御せなくなってしまう。しかも、嬉しいことながら、彼女も涙目になりながら何も言わずに俺から離れない。

 もうダメだ、止められねぇ……。


 椅子に座る彼女を抱き上げて立ち上がらせると、再び唇を合わせる。柔らかなその感触を堪能しながら、俺は彼女のベッドをチラッ、と見る。彼女は小さく抵抗を見せるものの、完全な拒否ではない。それをいいことに俺は彼女の腰を抱いて、一歩、二歩とベッドに近づいていく。


 甘い、甘い朝のひと時。胸に熱いものが込みあがってきて、ドンドンドン、ドアを叩く。

 ん……?ドア?


 ベッドとは正反対に位置するドアを瞬時に振り返る。閉ざされたドア、今日も外はとても冷えているのだろう、冷気がドアの隙間から白く見える。

 気のせいだ、そう、気のせいだ。


 すぐに彼女に向き直る。たまらない事に、彼女は潤んだ瞳で俺を見つめると、胸に頭を預けてきた。そんな可愛すぎる仕草に、たまらず彼女を強く抱きしめる。腕に埋もれる彼女の頭。ひょこり、と顔を出して、俺を見つめると、その艶やかな唇は小さく動き、「クーーリーースーーッ!!」と俺の名を叫んだ。

 ………、は?


 その声は、ベッドとは正反対に位置するドアの方から聞こえ、更に合わせて、ドアが強く叩かれている音がした。ドンドンドン、と三回、「クーーリーースーーッ!!」と叫ぶ声一回。いつでも全力で行動する女性、ン・バールの声だ。

 彼女の声に、蕩けていた頭が冷めていき、多少の苛立ちを覚える。


「はぁーっ」と、怒りを孕んだ溜息を吐いて、ティアの腰から手を離すと、ドアの方へと向かう。


「クーーリィ──」

「──なんだ──うっ!」


 ドアを開くと、ドアを叩く拳を握ったンバが、肩で息をしながら俺の名を呼ぶ。百四十センチと小柄な身長の為、その拳は勢いを殺すことなく俺の腹を殴った。


「く、くりすぅぅ」


 俺の姿を見つけたン・バールは、すぐに泣き声を出し、両目から涙を流した。ひっくひっく、としゃくりを上げ、俺のシャツにしがみ付く。俺はと言うと、すぐに背後を振り返り、彼女──ティアの様子を確認する。朝食の並ぶテーブルに戻っていた彼女は、じとーっ、と粘度の高い視線で俺を射抜く。


「な、なんだよ!どうしたってんだよ」


 まったく身に覚えのない修羅場に、気が動転する。

 俺にはティアがいるし、他の女になんて興味は!などと、心の中で弁明の言葉を考えていると、ン・バールは「た、助けて!」と続けた。


 その言葉に、俺はもちろん、ティアの気持ちも切り替わり、席を立つ。


「落ち着け、落ち着いて要件を言え」


 泣き続ける彼女を落ち着かせる。百四十センチ程度の低身長の為、幼く感じるが、彼女は二十八歳の女性であり、『この世界』においても実績のある『技術者』である。そんな彼女がここまで取り乱すということは、よっぽどの事だと分かる。

 事実、彼女の口から出てきた言葉は、よっぽどの事であった。


「アルちゃんがっ!『雪山風邪』にっ!」

「な、なんだと!」


 『雪山風邪』、四十度を超える高熱、激しい嘔吐、更には幻覚、幻聴が発症するなど、危険性の高い病気である。更には感染力が強く、患者を隔離して治療することが感染の拡大を抑える手段である。

 『感染の拡大を抑える手段』、その言葉通りである。


 ン・バールの言葉を聞いたティアは、みるみる青ざめていき、その場に座り込んでしまった。


「ンバ、状況は?」


 俺まで取り乱すまいと、冷静を装う。


「フェルトはずっとアルちゃんについてる、それから、キャンさんが、クリスを呼んでこいって」

「なんか手があんのか?」

「分かんないけど……」


 ン・バールは涙で潤み切った目で、俺を見つめる。捨てられた子犬のような儚さを感じ、頭を撫でると部屋に引き入れる。


「ティアはンバと一緒にいてくれ、様子を見てくる」

「嫌よ、私も行く」


 青ざめた表情のまま、ティアは立ち上がると、真っすぐに俺を見据えた。おそらく、アルジールは高熱の苦しみにうなされていることだろう。そんな姿を見て、彼女が冷静でいられるとは思えない。


「ちょっとでも取り乱したら、帰らせるからな」

「分かってる、でも、手があって、クリスを呼ぶってことは『そういう事』でしょ?」


 彼女も冷静を装う。彼女たちにとって、いや、俺たちにとってアルジールは弟のような存在だ。幼い弟が熱を出して苦しんでいることを想像するだけで、非常に辛い。

 そして、それを救う手立てがあるのであれば、どんな危険も厭わない。


「しかし、ンバを一人にするわけにもいかないな」

「そうね、一旦、圭一の所に寄りましょ」

「ごめんね……」


 動揺、動転を隠せないン・バールはティアの腕を借りると、俺たちと一緒にプレハブ小屋を出た。

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