第四章 ジェラード・アイスラーム ⑬
view:ジェラード・アイスラーム
time:五年前
それから三時間ほど歩くと、ようやく地面から水分が無くなり、足に接地感が戻ってきた。もちろん、その瞬間少年たちは地面へと倒れ込み、休憩を要求してきたのは言うまでもない。キャンサーに作ってもらった塗り薬を脚に塗り込みながら、これからの道のりに目を向ける。背の低い草が生い茂る平原、ぽつぽつ、と生える頭を大きく広げた広葉樹、人に対して危害を加えない小鳥の囀りが聞こえる。ここから先はしばらく平原が広がり、少しずつ荒廃しながら火山へと続く。『レア』があるのは、まだ緑の残るエリア。そう思うと、もうすぐだと考えることができる。
しばしの休息を終えると、再び歩き始める。この平原はかなり開けており、昼間はあまりモンスターが現れない。しかし、夜になると獣型のモンスターが闊歩する危険な場所へと変貌する。今のうちにここを抜けてしまうぞ、と話しながら歩くと、石造りの小さな祠が立っているのが見えてきた。
「ここだ」と、祠の前に立ち止まると、少年たちは「え?これ何ですか?」と口々に尋ねてくる。この祠こそが『この世界』を旅するのに、必要不可欠なものである。
「マップ出してみな」
スマートフォンを取り出して、『世界地図』をタップする。すると、映し出される『この世界』の大陸の形と、『町』の場所。そして、他にもう一つ『湿原の祠』と書かれたポイントが記されていた。
「この『地図』の『湿原の祠』をタップすると、一瞬でここに来る事ができる」
少年たちは俺の説明をぽかん、と聞いていた。よく分からない、ということだろうか。これは『現実世界』に数多く存在するオープンワールド系のゲームによくある『ファストトラベル』というシステムである。『町』に直接ファストトラベルを行うことはできないが、その周囲にある『祠』へは行うことができる。ファストトラベルを行いたければ、『世界』を歩き回り、『祠』を見つけなければならない。また、近くにモンスターがいたりするとファストトラベルを行えないことや、一日に五回しか使えないなど細かな設定が存在する。
「こんな……システムがあるんですか?」
「あぁ、便利だよな」
湿原を歩いて渡った報酬がこれだ。今度からは『ナインクロス』から『レア』に行くのに湿原を渡る必要がなくなる。しかし、『レア』から『ナインクロス』に帰る際は、湿原を歩く必要があるのだが、それは考えないようにしよう。
「これ……クリスさんたちも持ってるんですか?」
「ん?あぁ、大体はみんなで回ったからな」
『湿原の祠』はクリスやティアたちも見つけている。連絡を取り合えば、一瞬にしてあいつらはここに来ることができる。しかし、『ナインクロス』周辺には『祠』がない為、二人は徒歩で帰ることになる。
「だ、だったら、クリスさんたちが『外交』すれば『レア』や『グランヤード』にもすぐに行けるじゃないッスか!」
ようやくシステムを理解したジャックが文句を垂れた。確かに、クリスやティア達はここの『祠』も『グランヤード』の近くにある『祠』も『グランタリア』の近くの『祠』も、『レンド』付近の『祠』も見つけている。行こうと思えば、すぐに行ける。しかし──、
「これからもずっとクリスやティアに頼っていくのか?」
俺の言葉にジャックは言葉をなくした。自らの失言に気付き、すぐに口を噤んだ。
「『ナインクロス』は確かに俺たちが作った町だ。だがな、住んでるのは俺たちだけじゃない。建設チームは『壁』を作った。錬金チーム、食料チームは生活の基盤を、そして自治チームは町としての基盤を作った。自警団は何だ?モンスターと戦う力があるだけで、町の中でふんぞり返るだけか?」
もし、そうなってしまえば、間違いなく『町』の不満が集中する。『壁』が出来たことにより大幅にモンスターの襲撃が減っている。罠やトーチカを作れば少人数でモンスターを迎撃することができるため、暇を持て余すようになるのは目に見えている。自警団は薬に必要な素材を採りに行ったり、『外部(町)』と連絡を取り合える存在にならなければならない。そのためにも、手始めにこいつらを連れて出たのだ。
「す、すみません」
普段の軽口は鳴りを潜め、ジャックは顔を青くして俯いた。こいつらとは冗談も言い合うが、こういう真面目な話もしてきている。
「あ、あの……ジェラードさん」
不穏な空気に耐え切れなくなったエマが間に入る。それに、大丈夫だ、と手で合図を送ると、「分かるのなら、それでいい。不満を溜める必要はない、長い旅だ」とジャックに告げると、俺は再び火山を望む。
「またしばらく歩くぞ、ジャックは罰として何か歌でも歌え」
「なっ!そんなん無しッスよぉ!」
ジャックの情けない声が青い空と緑の平原にこだました。
~~~~~~~~~~
広大な平原を歩き続けること三時間ほど、濃淡の緑が広がっていた平原に拳大の岩が多く散見されるようになるころ、目の前に木製の柵に囲われた『町』に辿り着いた。町の名前は『レア』。火山が近くにある『町』の名としては少々安直な感が否めないが、噴火活動の活発な火山の麓の『町』を訪れること自体が人として『レア』な存在だということも掛かっているのかもしれない。詳しくは正体不明の製作者に聞いてみないと分からない。
「噴火の影響がここまで来ているということでしょうか?」
エマは屈み込んで、地面に転がる岩を一つ手に取りながら呟いた。俺たちのいる場所は火山から十キロ以上離れている。『現実世界』で見られる火山弾がおよそ数キロに飛散することを考えれば、どれほど大規模な噴火が行われているかが伺える。いや、『この世界』において、『現実世界』の力学が適合されるのかは不明なのだが。
「と、いうことは、『レア』はモンスターの脅威には晒されていないけど、『火山の強大な脅威に晒され続けている町』ということですか」
『火の町レア』は火山と俺たちのちょうど間に位置している。俺たちの場所で拳大の火山弾が飛散しているということは、『レア』では、どれほどの大きさの火山弾が襲撃しているのだろうか。また、噴火に伴うのは火山弾のみではない。火山灰などの粉塵、そして、流出する溶岩、更には、噴火に伴う地震も『レア』を襲う。
エマはそれから先の言葉を発しなかったが、果たして、どちらが『安全な町』なのだろう、という葛藤、哲学に似た問答を自身で繰り広げているに違いない。
「どの『町』にも大なり小なり問題はある」
『世界』を見るということはこういうことだ。どの町にも問題があり、その問題に向かって戦っている。
「さぁ、急ごう。夜になるとモンスターが多くなるぞ。それから」
少年たちを先へと促して、地面にしゃがみ込むエマの頭を、くしゃり、と撫でて「お前の感じたことを『レア』の人間に伝えろ」と告げて、彼女に手を差し伸べる。
「……分かりました」
彼女は俺の手を握って、立ち上がった。
『レア』は、『火の町』という二つ名には似合わないほど、緑の溢れた町だ。火山が近くにある影響か、土壌はミネラルを多く含み肥えている。また保水性も高いため、植物が繁殖しやすい。しかし、一週間に一度以上噴火する火山の麓にある町にとっては、その地の利を生かすことは難しい。噴火の溶岩が『町』にまで流れ込んで来なくても、火山弾や火山灰の影響から逃れることはできない。せいぜい一週間で収穫できるような豆や火山灰の影響を受けにくい芋くらいだろうか。この町からの食料などの援助は受けられそうにない。
「『町』でも裕福とか、安全とかそういうわけじゃないんだな」
『レア』の門を抜け、町の中を散策しながらラッセルは呟いた。『町』には緑こそあれど、そのほとんどは雑草である。名も知らない黄色い花や紫の花、赤い花を咲かせた雑草が多く、見た目こそ華やかではあるが、裏を返せば誰も手入れをしていないということと同義である。
また、そこかしこに散見する火山弾は先ほどの物よりも二回り以上大きく、大きなものでは一メートルを超すものもあった。こんなものが週一で空から降ってくることなど想像もしたくない。
「よぉ、ジェラードじゃねぇか」
声を掛けられ、そちらに振り向くと黒い髭を蓄えた壮年の男性が、旧友に向ける柔らかな笑顔でこちらを見ていた。
「ラルフか、髭なんて生やしやがって」
壮年男性、ラルフは筋肉質な体格と、百五十センチほどの低身長、浅黒く焼けた肌で、粉塵でボロボロに汚れているジーンズと黄ばんだシャツを身に着けている。その為、伝説上の生物とよく見紛ってしまう。
「よりドワーフっぽくなったじゃねぇか」
「うるせーよ、ガキが」
ラルフとは、以前クリスたちと『この世界』を冒険していた時に、この町で知り合った。当時の俺たちは火山の山頂まで冒険しようとして、『レア』を拠点としていた。しかし、何度も噴火に阻まれ、その度に命からがら『レア』まで逃げ延びたものだ。
「まぁた何か無茶なことでもしてんだろ?」
「今回はあれほどじゃねぇよ」
噴火している火山から逃げ返ること以上の無茶がそうそうあってたまるか。
「ちょうどいい、あんたちょっと時間あるか?」
「なぁにが『ちょっと』だぁ!久しぶりに会ったんだ!夜通し話をしても足んねぇよぉ!」
がーっはっはっは、と豪快に笑いながら、背中を全力でバシバシ、と叩いてくる。やること成すことが全てドワーフ染みている。更に、肩に組み付いては、俺の後ろで呆然と成り行きを見ている少年たちを置いて、馴染みの酒場へと俺を連れて行こうとする。そういえば、アランと非常に相性が良かったことを思い出す。
「ラルフ、あいつらもだ」
「お、そうか。おい!坊主たちも来い!」
面倒見のいい面倒くさいおっさんは、嬉々としながら少年たちを手招くと「いやぁ、なぁつかしいなぁ、おい!」と叫びながら、どすどすと豪快に酒場へと入っていく。身長百五十センチのラルフに肩を組まれている俺としては非常に歩きにくい。
「おい、離せっ!あんた、背ぇ小っせぇんだからっ!」
「まぁ、そういうな。アランは元気か?別嬪なねぇちゃんは?」
俺の苦情をものともせず、ラルフはいつも座っているカウンターへと俺を連れ込む。
「お、おい!ちゃんとした話だから、机がいい!」
「おぉ、そうかそうか!じゃあそっちだな!」
ひたすらに上機嫌なラルフに引っ張り回される俺を後ろから引き攣った笑顔を顔に貼りつけたままの表情で見ていた少年たちは、テーブル席に通されてからも、なかなか喋ろうとはしなかった。
「それで?話ってのは?」
「やっとかよ……」
店に入って五時間、ラルフと別れてから今までの事を一通り話し、更には俺たちが『レア』を拠点としていた時の昔話にも話題が飛び火し、ひと段落着いた今に至って、ようやく本題へと話が進んだ。
ちなみに、テーブル席に通された当初は緊張していた少年たちも、昔話に華が咲く頃には打ち解け、ついには「ジェラードさん達って、昔はどんな人だったんですか!」と非常に面倒な話題へと突入するきっかけを作るにまで馴染んでいた。
「真面目な話だけど、大丈夫かよ」
俺はテーブルの上に散らかったジョッキグラスを眺めて溜息を吐く。しかし、ひたすらに酒を飲み続けていたラルフであったが、見た目のドワーフ感がそのまま内臓にまで影響が及んだいるのか、それとも常に酔っているのか、ラルフの様子は一切の変化がなかった。
「大丈夫だっての、で?なんだ?」
「さっき話した『ナインクロス』なんだが、食料や資材やらが全く足りないんだ。これからも人の数は増え続けるし、このままでは『町』として成り立たなくなってしまう」
「それで、支援がほしいってか?」
さっきまでの陽気な笑顔をどこに片付けたのか、真面目な顔で俺の言葉の先を言う。俺は黙って頷く。
「結論を先に言うと、支援はしてやれねぇ」
「……そうか」
その後、ラルフの言葉は無常な現実そのものだった。
『レア』は毎週のように噴火の影響を受け、火山弾、火山灰、更にはその後の雨による土砂災害により、多くの人が亡くなっている。食料難は慢性化しており、今では大農場の二つ名を持つ『グランヤード』に食料の支援を受けて何とかやり繰りしている状況なのだそうだ。更に、その他の物資に至っては、火山弾の飛来により飛んでくる鉱石くらいなもので、その鉱石すらも、火山弾対策として屋根や壁を強化する素材として活用している。
「水もそうだ。火山から湧き出た水が『町』にまで流れ込んでくるが、濃度の高い硫黄成分が入ってるから飲めねぇ。毎朝、当番を決めて湿原にまで水を汲みに行ってんだよ。もちろん、汲みに行った奴らが道中にモンスターに襲われでもすりゃ、その日一日は水のねぇ生活だ」
ちなみに、酒場にある酒や食べ物は『現実世界』から持ってきたもの。これらの入手方法は、もはや合法ではない。
「本当のところ、『町』に入ってきたのがお前じゃなかったら、とっくに追い出してたところだ」
「追い出す?人口制限にはまだ余裕があるんじゃ?」
ラルフはジョッキの酒をあおって、テーブルに戻す。
「余裕があるっつっても、百人程度だ。人口は少ねぇ方がいい」
「難民の受け入れも難しいってのか?」
「そうだな」
そういうと、ラルフは席を立って「悪いな、ジェラード。何の役にもなれねぇ」と言って、俺に手を差し出した。つまりは、この話はこれで終わりだ、ということ。
「いや、こっちも悪かった。急な話だったからな」
俺も席を立ち、ラルフと握手を交わす。すると、ラルフはまた陽気な笑顔に戻り、「またいつでも遊びに来い、今度はみんな連れてな」と、背中を叩いた。
その後、ラルフの家で一晩世話になり、朝が来ると同時に、俺たちは『レア』を出た。見送りはラルフのみという少し寂しい出発であるが、『町』に一晩泊めてもらえただけでも非常にありがたい。
「次はどこへ行くんだ?」
「しばらく西に行って海まで出ようと思う。そこから南下して『グランヤード』を目指すよ」
「そうか、海を渡って『ランダ』の方へは行かねぇんだな」
ラルフは髭を触りながら、俺が連れている少年たちを見やり、「その方がいいかもな」と呟いた。
「とにかく、ありがとう、ラルフ。一晩ベッドで寝れただけでも十分だ」
「ふっふ、まぁいつでも来い。お前に旅の女神の加護があらんことを」
別れを告げ、俺たちは『レア』から離れる。手を振るラルフと、噴煙を吐き続ける火山に見送られながら、俺たちは海を目指した。
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「悪ぃなぁ、ジェラード。これが、『町』のやり方なんだよなぁ」
ラルフは遠く離れていく友人の見送りを終えると、町の奥へと足を進める。火山を見上げ、携帯からジョッキとビールを取り出すと、それを注いで一気に嚥下する。
「っぷぁー!火山の脅威に乾杯」
ラルフの目の前には、黄金に輝く小麦畑が広がり、その隣には多くの家畜が放牧されていた。




