第四章 ジェラード・アイスラーム ⑫
view:ジェラード・アイスラーム
time:五年前
俺たちはひたすらに西に向かって歩いた。湿原に辿り着く頃には、空は朱に染まっていた。『現実世界』ではよく見ていた空の色だが、『この世界』では『ナインクロス』しか知らない少年たちは深く感動していた。
「これが……『Over Land』……」
今までもずっと住んでいた『世界』のはずなのに、ずっと知らなかった世界が広がっている。ほとんどが白と黒の世界だった今までに対し、この湿原は鬱蒼と茂る緑、その足元には水が染み出している。足を踏み入れれば、すぐに足は沈んでいき、膝上まで埋まってしまうだろう。更には、風に斑紋を見せる池に、広葉樹の森、それらが夕日に照らされ、温かな色に染まる。そして、そんな景色が見渡す限りに広がっているのである。息を呑むような広大な世界の一端に、彼らは初めて足を踏み入れたのだ。
「……っ、ぐす」
「おいおい、エマ……、何泣いてんだよ」
「う、うっさい……、あんただって鼻声じゃんかよ」
エマ、ジャック、ラッセル、シェリーの四人はただただ湿原を前に立ち、ひたすらにそれを見つめていた。黄金に輝く湿原、少しずつ沈みゆく太陽。鬱陶しいはずの羽虫の飛び回る音にさえ感動してしまうのだろう。
「お前ら、そろそろテントの用意をしてくれるか?夜になると、モンスターが出てくるぞ」
「あっ、す、すみません!」
「すぐやりますっ」
少年たちは、いそいそと夜への支度を始める。たき火を三か所で熾し、テントを三つ。周囲にはモンスターが現れると音が鳴る罠を仕掛け、それと連動して電撃が走る罠も仕掛ける。夜は二人一組で見張りを行う。二人でもある程度戦えるようにするには、効果的な罠を効率的な場所に作る必要がある。そうでなければ、全員が寝不足に陥ってしまう。
「シェリー、できたか?」
「うぃっす、虫用と妖怪用」
三つ建てたテントのうち一つ、シェリーの錬金部屋を訪ねる。部屋には円陣がいくつも描かれ、ボウルにすり鉢などが、それぞれの円陣の中央に置かれている。たき火を三か所で行ったのには理由がある。それは今シェリーが手に持っている粉末だ。作っている粉末は二種類、水色のものと緑色のもの。それらをたき火に振りかけて燃やすと、それぞれの色の煙が立ち上る。水色の煙は妖怪を遠ざけるもの、緑色の煙は虫を遠ざけるもの。すなわち、モンスターを寄ってこなくするためのものだ。戦闘は少ないほうがいい。
「それにしても、『錬金術』の使い方ひとつで、こんなに安全になるなんて……」
「お前らにとっちゃ、そうだろうな」
モンスターも常に人に襲い掛かってくるものではない。例えば、獣系のモンスターは、腹が減る朝早くと、夜に行動し、植物系のモンスターは昼間に行動する。妖怪系は人が近づくと襲い掛かってくるものが多いが、相手の人数が多いと躊躇う性質がある。賢いというか、せこいというか。それぞれの性質を知っているだけでも、モンスターとの戦闘を避けることができる。それは、『この世界』での旅のみならず、『現実世界』でも有効な手段だ。しかし、『この世界』に初めて来る人にとっては、そんな知識はなく、ただ無制限にモンスターが襲ってくるように感じるのである。
「知識があれば、もっと色んな場所に行けるようになる。湿原一つにいちいち感動してたら、時間かかってしょうがねぇ」
「そ、それはそれですよっ!」
シェリーは少し照れながら、出来上がった粉末を薬包紙に包み込む。後は、それを炎の中に放り込むだけだ。テントから出ると、ラッセルがたき火で料理を行っていた。たき火の両側にブロックを積み、網を乗せる。そして、その上に鍋を置く。
「どうだ?」
「とりあえず、スープにしようと思います。夜は冷えそうですから」
「そうだな」
いくら湿原が『ナインクロス』に比べて気温が高いとは言っても、ここはまだ雪山の影響圏内だ。時折、吹き付ける雪山からの風は冷たい。
「ポールさんがたくさん用意してくれて、助かります」
そう言いながら、ラッセルは『持ち物』から密封瓶を取り出して、鍋に注ぎ込む。料理とは言っても、ポールが作ってくれたものを温め直す程度のものだ。ちなみに、『持ち物』フォルダに入っている食べ物はいつまで経っても腐らない。
「あとは腹に溜まるものを適当に頼む」
スープだけでは腹が減って夜中に起きそうだ。交代で見張りをする場合、休む方はしっかり休むことが仕事である。それが分かっているのかは不明だが、ラッセルは、くすり、と笑って「分かりました」と返してきた。
その後、エマとジャックが周囲散策から帰ってくると、早目の夕食が始まった。
翌日、俺たちは湿原を更に西に向かい、『火の町レア』を目指す。泥濘に足を取られながらも、ひたすら西へと向かう。途中、水生の妖怪が現れて戦闘となったが、誰一人として怪我することなく倒すことができた。昨日までは頻りに俺のことを「すげぇ」と憧れの眼差しで見つめてきたのに対し、今日からは「今の太刀筋よかったでしょ?」とか「俺の援護がなかったら、お前背後取られてたぞ」とか、自分たちの技量に自信を持ちつつあった。
「遠くから見てる分には綺麗だったけど、いざ歩くとなると……」
脚を半分湿原に取られた状態で、シェリーが言う。膝下くらいまで埋まってしまうと、もう自力では動くことができない。上半身のみが、ぐらぐら、と揺れ非常に不安定な状態で、「助けて」と前を歩くラッセルに手を伸ばす。
「まったく……、ほら」
「ありがとー」
百九十センチオーバーのラッセルが、百五十センチアンダーのシェリーを抱き上げて、脚を引っ張り出す。年頃の男が年頃の女を抱き上げる光景は実に直視し難いものである、はずである、普通ならば。しかし、その身長差を所以とするものだろうか、どこか微笑ましさを感じる。
「ほら、行くぞ。今日中には『レア』に着きたいからな」
そう言いながら、再び前方に向き直る。沈んで重くなる脚を懸命に前へと出し続ける。目の前には、広大な湿原がひたすらに続き、南方向には深く濃い森が広がる。空は晴れ渡り、日光が湿原を照らし、緑が輝く。湿原の中をひたすら歩く、という重労働が無ければ、エメラルドに輝く湿原に感動し切りだっただろう。
「ふぅ、ふぅ、ジェラードさん、後どのくらいなんですか?」
「ん、んー、昼頃には地面の固い場所に出ると思うけどな」
はっきり言って確証はない。それぞれの歩く速度にも依る上に、モンスターとの戦闘もある。更に、歩き続けて二日目、いくら休んだとは言え、今までここまでの長距離を歩いたことのない者にとっては、過酷である。
「ひ、昼……」
ちなみに今は、八時を回った辺りである。
「前に山が見えるだろ?あれが火山だ」
遠くで自ら吹き出す煙に身を包む高い山、一面緑色の湿原とは異なり、地山が剥き出しになっているのが見える。実際は、溶岩が冷え固まり鉱石となったものであるが、ここからそれを認識することは不可能である。
「あそこまで……」
「いや、『レア』はあの麓だ。山から数十キロは手前にある」
それでも、ここからはまだまだ長い道のりだが。
少年たちは早くも挫折を迎えていた。世界は広く美しい。しかし、広く美しいが故に、自然は人に対して牙を剥く。その一つが湿原の泥濘である。進まない体、重い脚、遠くに見える目指す場所。世界の隅々まで舗装された『現実世界』では考えられない労力だ。
「とりあえず、もう少し歩こう」
そう言って励ますが、効果は薄い。無理もない、目的は『レア』に行くことではなく、『この世界の町』を回ることなのだから。しかし、この湿原の中で休憩するわけにもいかない。尻が濡れることなく座れる場所はどこにもないのだから。
「キシャーッ!」
そして、そんな時にほど、モンスターに襲われるものである。奇声に目を向けると、そこには水色の体皮に藻を張り付け、真っ赤な鶏冠を頭に生やした水生の妖怪型モンスターが三匹こちらを見ていた。妖怪型は策略的と言うか、卑怯というか、こちらが疲れていたり、休んでいるところに奇襲を仕掛けてくることが多い。こいつら──ウォーターグール(仮)の場合は泥濘に身を潜めて、こちらの状況を伺っている。いきなり泥濘の中から脚を掴んでくることもあるが、その場合は奴らの頭に付いている真っ赤な鶏冠が地面から出ているので、それに気づくことさえできれば、先制攻撃のチャンスであったりもする。
「仕方ない、お前らは一旦休憩だ」
俺がナイフを手に取り、ウォーターグール(仮)に向き合うと、エマが「私もやれます」と殊勝なことを言う。しかし、見るからに疲れている彼女に戦闘などさせられない。
「休め、こいつらを片付けたら、また数時間歩くことになる」
俺の言葉に、エマは不満気ではあったものの、「分かりました」と同意した。
「ジャックとラッセルも休んでろ、脚が辛けりゃキャンサーに作ってもらった塗り薬を塗れば楽になる」
「はい」
「うっす」
二人の返事を背中で聞くと、まるで待ってくれていたかのように、三匹のウォーターグール(仮)はそれぞれの腕を振り回して水飛沫を飛ばしてきた。海辺で恋人同士がやるような水飛沫の飛ばし方ではない。その飛沫は、弾丸のように高速で、弾丸のような威力が備わっている。それをバックステップとサイドステップで躱す。さすが妖怪型のモンスターだ、俺の武器を見て中距離攻撃を仕掛けてくる。しかし、次の瞬間には三匹並ぶウォーターグール(仮)の真ん中の奴にナイフが刺さる。
「残念だが、この距離は安全じゃない」
更に携帯に収納しているナイフを『フィンガースナップ』をして取り出すと、二、三と投げる。『スキル:千手』を使用しているため、一連の動きは一瞬、瞬く間に三匹のウォーターグール(仮)の眉間、肩口、膝へと突き刺さる。眉間に突き刺された一匹は、ナイフが突き刺さった衝撃のまま湿原に倒れ、膝に刺さった一匹は動き回ることが出来なくなり、その場に蹲る。そして、唯一走ることのできる肩口に刺さったウォーターグール(仮)は、全力で俺の元へと走ってきた。手、足の指の間に水搔きが付いている彼らは湿原に脚を取られることなく俊敏に動くことができる。更に、全身に身についている、しなやかな筋肉が駆動し、人間では考えられないような瞬発力で飛び込んでくる。しかし、ウォーターグール(仮)は、俺に辿り着く前に緑色の血液を吐き散らかして、湿原に倒れ込んだ。
「ナイフに毒が塗ってあるのはお約束だろ」
ほぼ同時に膝にナイフを受けたウォーターグール(仮)も湿原へと倒れ、小さな水飛沫を上げた。
「おし、さっさと行くぞ」
ウォーターグール(仮)たちからナイフを取り返して、少年たちの方へ向き直ると、「全然休憩になんねッスよ!」「もっと手こずって下さいよ!」「さすがです!」などと、盛大なブーイングを浴びることとなった。




