第四章 ジェラード・アイスラーム ④
圭一のところから離れて、一人で工事現場の方へとやってきた。わいわいと騒がしい上に、地面を掘る重機の音、ボルトを締める工具の音、鉄筋を溶接する光、様々な音が折り合わさる。みんな一生懸命になって、『壁』の建設に取り組んでいる。誰一人『仕事』として『やらさせられている』と考えている者はおらず、それぞれが『やりがい』を持って作業をしていた。それだけ、この『壁』の建設の持つ意味が大きく、そして、誰一人『無関係』ではないということが分かる。自分がやればやるほど、それは早く進み、出来上がっていく。もはや、『現実世界』では考えられない現場である。
「クリスさん、お疲れさまです!」
鉄筋を担ぐ鉄筋工が爽やかな汗を流しながら挨拶してくれた。それに「そちらこそ、転ぶなよ」と返すと「はいっ!」と元気な声が返ってきた。すごい作業現場だな、と思う。
「あっ!」
空を見上げると、すでに地上三十メートル地点に足場が設けられていた。さっきの圭一の話では作業員がごねている、と言っていたが、どうにかしてやったようだ。その足場にも、親綱や落下防止ネットが張り付けられていて、安全管理もばっちりのようだ。
「ぅおいっ!」
「いって!」
大きな声と共に、ケツを思いっきり叩かれた。そして、真っ白のヘルメットが隣に並んだ。
「無視すんなよな」
「ちっせぇから見えねぇんだよ」
「んだとーっ!」
横を見るだけではヘルメットの鍔で顔が見えないほど小柄な女が鼻息荒くこちらを睨む。薄い黄緑色の作業着に安全帯、ぎっしりと工具が詰め込まれた腰袋、そして、安全長靴。そこから覗く褐色の肌がモンキーレンチを片手に装備して、大きく振りかぶった。
「現場に入るんなら、ヘルメットくらいしなさいっ!」
「っと!あぶねっ!いや、俺持ってねぇし」
「あげるからっ!」
きぃーっと吠える彼女の名は、ン・バール。あだ名はンバだ。身長は百四十センチほどと小柄。この町の鳶大工として、プレハブ小屋のセットや、電線の盛替えなど様々なことをやってのける、もはや何でも屋だ。出身は、経済発展の目覚ましい南アフリカ共和国。そこで彼女はゼネコン社員として建設業に携わっていたそうだ。そのため、安全に関してはかなり煩い。今も俺にヘルメットを手渡し、「被れ!」と命令してきている。それを渋々受け取って、頭に装備すると、もわっ、と汗臭い匂いが鼻を刺激した。
「新品じゃねぇのか」
「んな余裕ないよ!現場に来るんなら、匂いなんて気にしないの!」
きぃきぃ吠えるンバの言葉を九割聞き流して、俺は足場を指差して「足場できてんじゃん」と一言。すると、ンバは少しだけ機嫌が良くなった。
「でっしょーっ!苦労したんだよぉ?圭一がさぁ、現場のこと考えないで図面書くから、もーっ!地上三十メートルなんだからクレーン無いと出来ないでしょ!って何回言っても聞いてくれないんだよっ!んで、クレーンの段取りは全っ然!進まないし!」
どうやらクレーン等の重機の段取りは圭一の仕事のようだ。図面書いてる上に、そんなことまでしてんのか、あいつ。
「んで、もう二層までは脱型しちゃってんの!早く三層行かなきゃ、作業員遊んじゃうの!かといって、次のスパンの掘削も進んでないし!」
ンバの機嫌はまた悪くなった。忙しい奴だ。
「だから、人力で組んじゃった」
ふふーんっ!と鼻を鳴らして、腕組み。今度はどや顔を見せる。また機嫌が悪くなると大変なので、少しノッておこう。
「人力って、材料担いで足場登ったのか?」
「まさかっ!ネットを一面外して、そっから手渡しだよ」
バケツリレー縦バージョン。たしかにそれならば、比較的楽に上まで運べるだろうが、いや、大変なことには違いない。しかし、現状として、足場は組みあがり、今は鉄筋工が配筋を始めている。もちろん、鉄筋もバケツリレー縦バージョンで、だ。
「俺も圭一に言っといてやるよ、あれは怖いわ」
十メートルクラスの鉄筋をバケツリレー縦バージョンで持ち上げるのは危険でしかない。誰か一人でも手を滑らせれば、鉄筋は落下し、下にいる作業員は怪我どころじゃ済まないだろう。それに落下の恐れもある。そんな現状を見ての一言に、ンバはぴょん、と飛び上がった。
「ほんとっ!?」
「あ、あぁ」
「やった!クリスのそういうトコ好きだよぉーっ!」と、再度ジャンプ。
彼女なりの喜びの表現なのだろうが、彼女はサバンナ大国のアフリカ人、身体能力がハンパじゃない。ちょっとした喜びのジャンプが俺の全力垂直飛びレベルだったりする。ちなみに、俺の記録は覚えている限りでは六十センチ。すなわち、小柄なンバが時々俺の身長より高くなるのである。
「圭一もクリスに言われたら、すぅぐ準備するよねー」
「そ、そうだといいな」
「ほぉんと!圭一は机の上でしか仕事しないんだからっ!現場見てみろっ!って感じだよね!」
「あ、あぁ」
話半分、ショック半分。しばらく、ンバが喜びそうなことは言わないでおこう。そう心の誓った。
「そだ!暇ならちょっと測量手伝ってよ!」
「へ?」
「あたし、そこに器械据えるから、クリスは足場登って、これ立てといてー」
そう言って、俺の返事を待たずして渡されたのは、赤と白の鉄の棒に、丸っこい鏡が付いたもの。「これ立てといてー」って言われても、どこに立てるのか、そもそも、これなんだ?って話だ。とりあえず俺は、言われた通りに足場へと向かった。
「クリスーっ!そっちの足場じゃなくて、こっちーっ!」
「お、おう」
結局、振り回されっぱなしのまま足場を登り、「俺何やってんだ?」と我に返ったのは、足場の最上階にまで登ってからだった。そこから見渡す『Over Land』の景色は、言葉には出来ないほどの美しさだった。
「おろ?クリスじゃねぇか」
外の景色に見惚れていると、背後からおっさんの声が聞こえた。その言葉を無視して、再び外の景色に見惚れる。白と黒のみで構成される山々、そこから聞こえる風の声、そんな大自然が生き物のように見える。決して敵うことのない相手だ。しかし、俺たちは今、そんな相手と戦っている。『壁』の建設、『町』の建設はそういう事なのではないだろうか。
「うぉぉーい、無視すんなよぅ」
「今は哲学タイムだ、邪魔すんじゃねぇよ」
突如、おっさんに肩を組まれる。髭面に抱き寄せられると、ちくちくと頭に刺さる。
「離せっ!」
「おっと、足場上じゃ暴れんなよ」
なんとかおっさんの腕から逃れる。短く刈り揃えた坊主頭に、髪の毛よりも長い髭が特徴の、強面のおっさんがそこに立っていた。強面なのは顔だけではなく、体も厚みがあり、非常にごつい。本来ならば、俺の抵抗など子猫のジャブ程度のものだろう。
「あんたも仕事しろよ」
「お、言うようになったなぁ小僧」
「メット被らねぇと、ンバに怒られっぞ」
言って、足場の下を見下ろすと、器械の設置を終えたン・バールが腕組みしながら、こちらを見上げていた。粘着性の高い視線で睨んでいるところから、機嫌は良くない。
「問題ねぇよ、おらぁ鉄頭だからな」
おっさんは、言いながら自分の腰袋からラチェットを取り出して、頭を叩く。普通ならば考えられない、カンカンという金属音が鳴った。
『スキル:身体硬化』──全身、もしくは体の一部を硬い素材へと変質させる。拳を硬質化させたり、腹を硬質化させたり、と攻守において便利である。精神力の消費は体を硬質化させている箇所が多いほど大きくなる。
「相変わらずエロいスキルだな」
「ほぉー、まだ社会進出もしてねぇガキが言うじゃねぇか」
「やかましい」
おっさんのことを放って、こちらを見上げて(睨み上げて)くるンバに手を挙げて合図を送る。すると、すぐに携帯が鳴った。
《アランは無視ね》
「分かった」
「なぁにが分かったって?」
アラン・フォードラン、坊主頭の強面のおっさんの名だ。建設の技術や、いろんなウンチクなど知識を多く持ち、ンバと同じくこの町の何でも屋として『壁』の建設に関わっている。主に、資材等の段取りや安全面に関して仕事をするンバに対して、アランは技術屋。鉄筋の配置位置、コンクリートの打設、均し、型枠の組み立ての相番など、品質や技術に関して仕事をしている。仕事の効率や段取りでンバと喧嘩しているのをよく見る。お互い真面目に仕事に取り組んでいるが為の衝突の為、仲が悪いわけではない。もちろん、圭一とも。
「コンクリート準備しとけよーっ!二日で鉄筋組み終わっぞー!」
いきなりアランは野太い声で、足元三十メートルにいるン・バールに向かって叫んだ。現場内では様々な音が飛び交っている為、大声でないと聞き取り辛いが、いきなり耳元で叫ぶのは勘弁してもらいたい。キーン、とする。それに「うっさい!あんたは仕事してなさいっ!」とアランに負けず劣らずの声量で反論するン・バール。仲は悪くない、はずだ。
《んで、クリス。測量だけど》
「この棒をどっかに立てんのか?」
今度は声量を抑えた声で、通話を再開。それを見たアランが、「クリスは仕事で疲れてんだぞ、おいっ!手伝わしてんじゃねぇ!」と大声で足場下に向けて怒鳴った。すぐさま、「あんたは仕事しなっ!」とンバも応戦し、通話はすぐさま中断した。
「クリス貸しな、俺がやってやるよ」
「ん、お、おい」
半ば俺から棒を強奪すると、アランは俺から携帯もひったくった。
「おら、ンバ!どこ立てんだっ!──あ?っせぇーな!さっさと言え!──コンクリートの天端ぁ?四隅か?──おら、一点目だ!さっさと測れっつの!」
仲は、悪いのかもしれない。携帯での通話でも、直に話している声量で叫ぶように会話する二人。実のところ、足場下から「はぁ!?なんであんたが!──コンクリートの天端!なんで、んなことも分かんないの!あんた!──あったりまえでしょが!出来形取んの!──ちゃんと気泡合ってんでしょうね!」とンバの馬鹿デカい声が聞こえてきている。二人がどんな会話をしてるのか、手に取るようにわかる。
「ほら、クリスはもう下りて休め。お前らがいなけりゃ、建設どころじゃねぇからな」
「あ、あぁ、いいのか?」
「いいって、またおっさんの酒にでも付き合ってくれや」
おっさんは、にかっ、と笑うと、俺の携帯を投げてよこした。そして、再び、「おら、測ったんか!さっさせぇや!」と足場下に向かって怒鳴った。
「たまには休めよ、おっさん」とだけ言い残して、俺は足場を下りる。下りると、ンバにも「悪いね、手伝ってもらって」と謝られると同時に「測ったっての!次行け!次ぃ!」と足場上に向かって怒鳴った。こんな二人だが、仕事じゃないときは、最高に楽しい奴らだ。
「早く測れや!この『ピーーー』!」
「測ったっての!この『ピーーー』!」
本当だぞ。




