第三章 クリストフ・アルバー ⑩
「ったく、最悪だな」
俺たちは『ナインクロス』を出て、雪山を登り始めた。足首くらいまで積もった雪の上をひたすら歩く。目の前で走り回るライガこそ楽しそうだが、隣を歩くミノ虫はもちろん、俺もかなり辛い。『現実世界』にあるどんな冬山に比べても危険度や難易度では最高レベルだろう。麓は比較的傾らかだが、ある程度登ると、一気に斜面がきつくなる。しかも、雪もどんどんと深くなる。たまに見える岩場の陰に隠れて休憩をするが、止まると体温が下がり、かなり息も苦しくなってくる。こんな山に登る人の気がしれない。エベレストやモンブランを登る人間なら登頂したときの達成感を求めて登るかもしれないが、それでもモンスターに襲われる危険性を考えれば誰も登らないだろう。麓ではホワイトスノーベリーが群生しているのを見つけ、冷凍きのこ、雪山の小さな花も順調に採ることができた。しかし、そこから先が非常に困難だ。
『ホワイトタイガー』は、名の通り白い虎。虎のように獰猛で、人の姿を見つけると、途轍もない速度で襲いかかってくる。奴らの恐ろしいところは、人を襲う目的が捕食のためではないことだ。完全に遊戯、嗜好である。雪に足を取られて満足に動けないこちらを嘲笑い、俊敏な動きで人を殺す。しかも、白い体躯は雪に紛れ、姿を消す。本当に笑えないモンスターだ。そして、更に『スノーリーフ』は山の麓には生えていない。万年雪が氷の地層となり、たまに届く太陽光により徐々に溶かされて、ゆっくりと時間をかけて出来上がった氷の洞窟にしか生えていない。キムの知識によると、その純度の高い雪解け水が『スノーリーフ』を育むのだ、と言っていた。正直どうでもいい。
「氷のダンジョンですねー」
ぜいぜい、と苦しそうに呼吸をしながらも、ミノ虫はいつもの口調だった。雪や風により視界が不明瞭なため、今のミノ虫は前髪を左右に分けている。寒さにより頬が赤くなり、いつも以上に幼く見える。さらに背も低いため、膝下あたりまで雪に埋まっていた。それでも、どこか楽しそうにミノ虫は話す。
「楽しそうだな」
「ひひひー、だってクリスくんとデートですよー、過酷でもあたしは頑張りますよー」
こんなデートでいいのか、と言いたくなったが、あんまり喋るのは苦しい。雪山に入って、ずっと山道を登っていたのだ。
「でも、悪いことばかりじゃないですよー」
そう言うと、ミノ虫は立ち止まって空を見上げた。薄い雲に遮られてはいるが、確かに届く太陽光、その光に輝いて振り続ける雪、帽子を被った針葉樹、真っ白に輝く大地。確かに幻想的だ。心が洗われるというか、普段がごちゃごちゃと散らかっている『ナインクロス』にいるからか、かなり美しく感じる。しかし、
「見とれてると死ぬぞ」
寒さは和らぐものではない。骨の芯にまで染みるほど寒く、時折『風速十メートル』が吹き付けるのだ。見とれていると、一気に体温を持っていかれ動けなくなる。
「もうちょっとムードに浸ろうよー」
「そうかよ」
このクソ寒いのに、なぜかミノ虫は乙女脳全開でうっとりしていた。
「綺麗だねー」
「はいはい」
「もうっ!そこは──」
「オ前ノ方ガ綺麗ダヨ」
「そうですよー、それですよー」
「オ前ノ方ガむーど壊シテルヨ」
乙女の相手は疲れる。
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しばらく、無言で山道を歩き続けた。ライガだけは元気だったが、俺たち二人はその姿を見て羨むことはなかった。隣を歩くミノ虫は、ゆらゆらと頭を揺らし、その足取りもフラフラと左右に揺れていた。
「おい、ライガに乗せてもらったらどうだ?」
「うーん、でもクリスくんとデート……」
うわ言のようにしょうもない事を言う。俺とデートが何だと言うんだ。フラフラになって倒れられたら背負うのは俺になるだろう。それは阻止しなければならない。
「ライガッ!」
俺が叫ぶと、ライガは凄まじい瞬発力でこちらを振り返り、どこか嬉しそうに雪道を走ってきた。そして、目の前で止まると、こちらをくりくりとした目で見つめる。「よく来た」と二、三度頭を撫でると、隣でフラフラとするミノ虫を抱き上げて、ライガの上に乗せた。その際、「わっ、わっ、く、クリスくん……」とミノ虫が慌てふためいていたが、そんなのは無視だ。
「乗ってろ、寒くなったらあったかい飲み物でも飲め」
投げやりに言うが、どうやらミノ虫の目には紳士の行いに見えたのだろうか、どこかうっとりとした表情で「うん」と頷いた。
「あたし、クリスくんに抱かれた今日を、忘れない」
「しばくぞ──お?」
そんなバカなやり取りをしていると、目の前から白い獣が迫ってきていた。体長は五メートルはあるだろうか、そいつは四つん這いになって牙を剥いていた。
「ったく、今は呼んじゃいねぇよ」
「どうしますかー?」
ライガに乗るミノ虫が伺うように俺を見つめる。少し身を屈めて俺を『上目遣い』で見る、計算された視線だ。しかし、そんなんでは俺の胸には届かない。
「『ホワイトタイガー』が出たとき邪魔になるしな、やっとくか」
俺は『右手で左肩に一度触れると、勢いよく振り下ろす』と、剣を取り出して、目の前の白い獣、スノーベア(仮称)と対峙する。すると、スノーベア(仮称)は上半身を起こし、両手を大きく振り上げた。体長五メートル程度、腕から爪先まで入れると七メートルほどだろうか。かなり大きい。
「ライガは待機、他にもいないか周囲を見ていてくれ」
「えー、ライガもやりますよー」
「がう」
ミノ虫とは違い、ライガは非常に頭がいい。ぶー垂れるミノ虫を乗せたまま、お座りをすると、周囲の索敵を始める。
「お利口さんだ」
「もー、ライガってばー」
ライガを一度見やると、再度スノーベア(仮称)に向き合う。すると、スノーベア(仮称)は、大きな雄叫びを上げると、左右の爪を交互に振り回してきた。左の爪をサイドステップで躱し、右の爪の攻撃範囲から離れて空振りさせる。空振りしたことが分かると、スノーベア(仮称)はすぐに四つん這いになり、両手両足の筋力を使い、ロケットのように突っ込んできた。それをサイドステップと前転で何とか躱す。勢い余ったスノーベア(仮称)は、樹木に突っ込み、四、五本の木々をなぎ倒した。凄まじい威力だ。
「く、クリスくん、大丈夫ですかー?」
どこか気の抜ける声に「大丈夫だ」と返すと、俺は『左手をぶらぶらとさせる』と褐色の小瓶を取り出す。その間にも、ロケットのようにスノーベア(仮称)は俺に突っ込んでくる。それを再度、前転で躱すと、剣の柄頭に小瓶を装着する。
「ぐるるぉおおおおおおおおおッ!」
更に三本程度の木々をなぎ倒したスノーベア(仮称)は怒った呻きをあげ、上体を起こして、覆い被さるように迫ってきた。力の弱い、この地域の太陽だが、それでもスノーベア(仮称)の影は大きく伸びた。威圧感がハンパじゃない。
「ちょっと大人しくしな」
大きく両手を上げたスノーベア(仮称)の脇を抜ける。その間、スノーベア(仮称)の脇腹に一突きを浴びせる。スノーベア(仮称)の体毛はかなり分厚く、刃を体躯に通さない。効率的にダメージを与えるには全ての力が集約される一点、切っ先を相手に突き刺すのが一番だ。そして、更に、
「ぐるるぁあああああああああああああッ!」
一突きを浴びたスノーベア(仮称)は激痛に雄叫びをあげる。脇腹からは血が溢れ出し、白い体毛を朱に染める。そして、数秒後には、スノーベア(仮称)は口から大量の血を吐き出した。更に、その大きな脚はガクガクと大きく震え、凄まじい痙攣を起こした後、膝を落とした。
「さすが、ヤブ医者だ。よく効くな」
俺は柄頭から褐色の小瓶を抜き取る。中からは、ちゃぽっと液体の音が聞こえる。中身は毒だ。巨大生物型モンスターには、毒が効率的だ。
「ミノ虫、スノーベア(仮称)って何かいいもんあったか?」
「んーっと、確か爪が何かの素材になるって言ってたようなー」
ライガの上にちょこんと座るミノ虫が左右に頭を揺らしながら答える。何の素材かは分からないのは癪だが、せっかく倒したのだ、頂けるものは頂いておこう。
「爪なら毒の影響もないだろ」
俺はナイフを取り出し、もう動かなくなったスノーベア(仮称)の爪を剥ぐ。真っ黒で非常に硬質。そしてツヤの有るそれは、宝石の類にも見えた。
「やっぱり剥ぐのは慣れないですねー」
「やらなきゃ生きてけねぇよ」
とは言うものの、俺も慣れたものではない。殺して、その死体から肉や、内臓、爪や皮に至るまで奪うのである。倒したモンスターから何かを剥ぎ取るのは、『現実世界』のゲームでも定番だが、簡略化されていて、残虐性はない。しかし、実際にやってみると、キツイものがある。生きるためとは言え、残酷だ。
「本当は肝臓とかも薬になるらしいですけどねー」
「毒つかったからな、爪だけにしとくか」
剥ぎ取った爪二十個を携帯にしまうと、俺たちは先へと進んだ。




