第三章 クリストフ・アルバー ③
パニーノを受け取った俺たちは、二人揃って『メインクロス』を目指した。特にやることはないのだが、『メインクロス』に行けば、道行く人たちの不幸そうな顔を眺めたり、風俗店のスカウトに引っかかる女を見たり、一円単位まで値段交渉をするおばちゃんと店員の戦いを観戦したりと暇潰しには事欠かない。隣にミノ虫が並んでいる時点で面倒なことになるのは間違いないのだが。
『サウスイースト』から西に向かって歩くと、『サウスクロス』に出る。治安の悪い『ナインクロス』において、もっとも治安の悪いクロスである。ここにはヤンチャ盛りのボーイズ&ガールズがたむろしており、このクロスを通りかかる奴に片っ端から喧嘩を売っては身ぐるみを剥がすという商売をしている奴らだ。ちなみに身ぐるみを剥がされた奴は、クロスのすぐ裏にある『暗黒街』に裸で放り出される。その後のことは俺には分からない。
「ねーねー、クリスくんー、あたしたちってー、カップルに見えるんですかねー?」
きゃー、と喚きながらミノ虫が気持ちの悪いこと言う。寒気を感じながら、「んなことねぇよ、バカが」と返すが、ミノ虫は「照れなくてもいーですよー」と、俺の腕に絡みついてきた。
「バっ──やめろっつの!ジャケットにケチャップついちゃうだろーが!」
「大丈夫ですよー、あたし染み抜き得意なんですよー、そうですねー、ジャケットが脱げて、水のあるとこに行きたいですねー、例えばー、ホテルとかー、きゃーっ!」
言いながら照れて顔を手で隠すミノ虫。すでに髪で顔が隠れているのに、更に手で覆い隠す意味がよく分からない。無視を決め込んで、冷めつつあるパニーノにがぶり付く。この手の食い物は冷めるとまずくなる。
「おぉおぉ、見せつけてくれんねぇ、お兄さんよお」
隣でミノ虫がきゃーきゃー、喚く隣で、成人していないであろう年頃の男が、妙な巻き舌口調で話かけてきた。ごついダウンに身を包み、野球帽を被っている。おそらくダウンを脱がすとバスケットのユニフォーム風のシャツを着ているに違いない。安いアメリカ映画の開始十分くらいに出てくるヤラレ役Dみたいな奴だ。
「なんだ?お前、こいつに抱きつかれてんのが羨ましいのか?」
睨みを利かせてくるヤラレ役Dに素朴な一言。俺なら嫌だ。髪で顔全体を隠している女なんざホラーでしかない。しかも、中学生だ。有り得ない。
「あぁ、羨ましいね」
あろうことかヤラレ役Dは気にする素振りもなく言ってのけた。素晴らしい、俺はお前を尊敬する。
「そうか、ならやろう。そら持って行け」
「ぎゃー、嫌ですよー」
俺はミノ虫の両肩を掴んでヤラレ役Dに突き出す。ミノ虫が必死に抵抗してくるが、俺も抵抗する。中学生にまとわりつかれて喜ぶ趣味は俺にはない。
「いらねぇよ、んなもんより、ここ通るのに『通行料』が必要なんスよ、ざっと二億」
ヤラレ役Dは、簡単に掌を返した。ひどい奴だ。尊敬していたのに。
「んで、その二億をどうするつもりなんだ?遊ぶには多過ぎんだろ?」
「はっ、決まってんだろーが、『ジェラード』さんに渡すのよ、あの人に金を渡せば、俺も『この町』で認めてもらえっからな」
また一歩、俺の目から一センチほどの所に顔を近づけて、ヤラレ役Dは凄んだ。なんだこいつ、ミノ虫より俺狙いだったのか?やめてくれ、気持ち悪い。尊敬して損した。ちなみに、ミノ虫は俺とヤラレ役Dに挟まれてじたばたしていた。
「それなら、『ジェラード』より『キム』に渡しな、もっと有効に使ってもらえるはずだ」
気持ち悪いから、ヤラレ役Dの胸を押し返す。予期していなかったのか、奴はよろよろと後ろに四、五歩下がると、胸に手を当てて顔を歪めた。やめてくれ、俺はお前のハートを打ち抜いたつもりはない。
「てめぇ、何してくれてんだ!肋骨折れちゃったなぁ、慰謝料請求すんぞ、コラ」
「その程度で折れるような骨なら全部折ってやろうか?あぁ?」
もう面倒だ。最初からやれば良かった。俺はミノ虫の肩から手を離すと、拳を握る。一発やれば泣いて謝るだろう。しかし、空気の読めないミノ虫は、俺の手が離れたのをいいことに、すぐに俺の腕にしがみついてきた。
「ダメですよー、クリスくんの腕は喧嘩するためにあるんじゃないんですからねー」
「お前が抱きつくためにあるもんでもねぇけどな」
腕から引き剥がそうとするが、ミノ虫は全力で腕に抱きつく。本来ならば、性別女に抱きつかれれば、もっと愉快な感触があるはずなのに、それがない。すなわち、ミノ虫はまだまだガキだ、ということだ。
「おいおい、俺を無視してイチャついてんじゃねぇよ」
ヤラレ役Dはよろよろとしていたのに、一気に詰め寄ってきた。イラっとする。俺は最初から言ってんのに。
「だから、お前にやるっつってんだろーが!」
「いらねーっつってんだろーが!」
売り言葉に買い言葉、俺とヤラレ役Dは互いに睨み合う。
「ねぇねぇ、クリスくんー、あたしもそろそろ怒っていいよねー?」
「あぁん?怒ってんのは俺だ、いい加減に手ぇ離せ!」
「怒ってんのは俺もだ!さっさと『通行料』と『慰謝料』払え!ざっと三億!」
「んな金あるか!だからミノ虫やるっつってんだ!未成年同士仲良く乳繰り合えっつの!」
三億の価値はないだろうがな。
「いらねーって何度言えば分かんだよ!俺はもっとボインな姉ちゃんがいいんだっ!」
「それは俺もだ!」
妙なところで分かり合ってしまう俺たち。もっと違う形で出会っていれば親友になれたかもしれない。
「ねぇねぇ、そろそろ本気で怒っていいよねー?」
「っせーな!怒ってんのは俺だ、いい加減に手ぇ離せ!」
腕がケチャップまみれじゃねぇか、このミノ虫が。しかし、引き続きミノ虫は俺の腕にしがみつく。もはや、ミノ虫の手にある冷め切ったパニーノは、俺にケチャップを付けるためだけに存在すると言っても過言ではない。
「だから、イチャつくなっつってんだろーが!いい加減ヤっちまうぞ、コラ!」
そう言うと、ヤラレ役Dはナイフを取り出した。この世界のシステムとはいえ、いきなりナイフを取り出されるとビックリする。『風速十メートル』が吹き荒れる『ナインクロス』の夜の寒空の下、外灯に照らされたそれは、きらりと光ると、突如、俺の顔を目掛けて振り回される。
「っつ」
なんとか躱すが、片腕がミノ虫に引っ付かれている為、躱しきることができずに、ナイフは頬を掠めた。ちなみに、躱さなければ鼻の中腹あたりを切り裂かれていただろう。ガキの遊び道具にしては、趣味が悪すぎる。
「離れろ」
俺は腕を後ろに下げながらミノ虫に告げる。しかし、「ヤですよー」といつもの口調で言うと、ミノ虫は『前髪を掻き分け、ヤラレ役Dの顔を覗き込む』。
「あたし、これからクリスくんとデートなの、邪魔しないでくれる?」
「なに……、──分かった」
すぐにヤラレ役Dはナイフを手放し、一歩下がると俺たちに道を明け渡した。あまりの素直さに俺は少し可哀想に思う。
「さ、行きましょー」
俺の腕を引っ張って、ミノ虫は言う。目の前を通り過ぎる間、ヤラレ役Dは、どこか遠くを見つめるような目で、何も言わずに俺たちを眺めていた。可哀想に、俺たちの姿が『サウスクロス』から消える頃には、きっと『元に戻る』から、それまで我慢しな。と、声に出さずに慰める。
俺たちが『サウスクロス』を抜ける頃、近くで傍観していたボーイズ&ガールズは声を潜めて話した。
「あいつバカだよな、『この町』でクリスさんに喧嘩売るとか、最近『来た』奴か?」
「最近『来た』奴が『ジェラード』さんのこと知ってるわけないでしょ?ただのバカよ」
まぁ、俺には関係のない話だ。




