第三章 クリストフ・アルバー ②
「こんちゃわー、なんか楽しそうですねー」
口調は陽気なのだが、表情は見えない。一体、何年伸ばし続けたのか分からないほどに長い髪が前後左右に垂れ下がり完全に顔を覆い隠しているからだ。通称ミノ虫。
「これのどこが楽しそーなんだっ!あぁ!?めちゃくちゃ殺気立ってんだろーが」
「そうなんですかー?あたしは別にクリスくんが童貞でも全然構わないですよー?」
「おい、今なんつったコラ」
ミノ虫のようにすべての髪が下へと垂れ下がっている頭を掴み、頭蓋骨を握りつぶそうと力を込める。
「あ、ポールさん。あたしにもパニーノ焼いてくださいよー。乙女っぽく野菜たっぷりでー」
「あいよ、マスタードは抜きでいいわね?」
「はいー、ありがとーございますー。あのー、クリスくん痛いですよー」
「無視してんじゃねーよ、ミノ虫が」
ミノ虫のようにすべての髪が下へと垂れ下がっている頭の上に拳を乗せて、頭蓋骨を粉砕せんと力を込めて拳をぐりぐりした。
「誰が童貞だぁ?あぁ!?」
「えー全然いいじゃないですかー、あたしだってまだ処女ですよー?」
「やかましい、中坊の処女と二十八の童貞とじゃ言葉の破壊力が違うわ!」
「へー、じゃあ童貞なんですかー?」
「………」
俺は黙らさせられた。
「ぶぁーはっはっは!パルちゃんの勝ちだね」
「うっせーバカ、こいつがあんまり上手い言い返ししてきたから感心したんだよ。おいコラおっさん!腹ぁかかえてんじゃねーよ」
「いやー、まさかビンゴしちゃうとは思いませんでしたよー。いやはやーツンデレ級のギャップですよねー、キレイな顔してるのにー」
「やかましいミノ虫。ナメんなよ、もうヤりまくりだっつーの。それこそ食っちゃ寝食っちゃ寝で女には飽きてんだよ、俺は」
「あーなるほどー、だからポールさんとは意味深なほど仲良くしてるんですねー」
ミノ虫が風に揺れるように頭を揺らしながら言うと、鉄板の向こうから大男が身を乗り出してきた。
「そうなの?」
「んなわけねーだろが!さっさとパニーノ作れっつの。つーかミノ虫ぃ!てめぇシバキ飛ばすぞコラぁ!」
「キャー、とうとう年端もいかないあたしにまで手が伸びるんですねー。キャーキャー、不束者ですがよろしくお願いしますー。初めてですので優しくしてくださいねー」
「うぜーうぜーうぜー」
もう言うだけ無駄だと悟ったので、両耳を塞いだ。それを見て「可愛いー」なんて二人で笑っているのが分かって余計に嫌になる。
「つか、パニーノ遅ぇーよパニーノ。俺のんもうできてんだろ」
「あら、気付いちゃった?ほれ、380α」
「ったく」
「あれー?クリスくんどっか行くんですかー?」
小銭を鉄板の隅に置いて立ち去ろうとする俺にミノ虫が問いかけた。お前のせいで居心地が悪いことに気付かないのだろうか。
「あー、ちょっと『メインクロス』の方までぶらついてくる」
湯気の立つパニーノをはふはふ言いながら口に含む。ケチャップとマスタードのハーモニーと絶妙な焼き加減に肉汁を漲らせたサラミの旨み、そして、サラミの油が絡んだキャベツの甘さが口の中に広がる。さすが料理の腕は抜群だな、と口には出さずに褒めた。
「じゃー、あたしも行きますよー」
「は?いや、お前は居ろよ。ポールが一人になっちまうだろーが」とカウンターに目を向けるとポールの奴は笑顔で「行っといで」と言った。
「そのうち、他の奴らも来るさ。客はあんたらだけじゃないのよ」
「ほらー、ポールさんもああ言ってることですし、あたしも行きますよー」
ぷらーん、とミノ虫は揺れながら焼け上がったパニーノを受け取った。しかし、気になる。いつもならば「えーもう行くのぉん?」といやに色っぽく引き止めてくるのに笑顔で送り出すなんて、と思って奴を睨んでいると案の定の言葉が鉄板の向こうから笑顔と共に出てきた。
「優しくしてあげなさいよ」
「うぜー」




