第二章 アルジール・クライ ⑨
view:アルジール・クライ
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その後、僕はしばらく蓮兄ぃ達に匿ってもらい、傷を治した。そして、傷が治ると、すぐに蓮兄ぃの友達、翔兄ぃを紹介され、大工仕事を手伝うことになった。しかし、それは町へと出る事を意味していて、僕にとっては大きな恐怖を伴った。もちろん、町の人たちも気づかない訳がない。隙あらば、暴力、嫌がらせをしてくる。その度に、蓮兄ぃや、翔兄ぃ、薫姉ぇが間に入ってくれて、助けてくれた。そんな地獄のような日々が、今まで続いていた。
この店のお風呂は、一般家庭のものに比べると、少し大きめだ。四百リットルの浴槽に、シャワーが一つ。椅子が一つ。その目の前に鏡と洗剤が並ぶ。店の木へのこだわりは浴室にも及んでおり、浴槽と床は桧、椅子は松、壁は杉で出来ていて、心から安らげる。蓮兄ぃと二人で浴室に入ると、僕は掛湯をして湯船に入り、蓮兄ぃはそのまま体を洗った。「だぁー」と脱力する姿を見ると、普通のお兄ちゃんに見える。しかし、今この町には、このお兄ちゃんを狙う『死神』がおっちゃんの『スキル:千里眼』を掻い潜って入り込んできている。
「蓮兄ぃ」
「ん?」
シャンプーで頭を洗っている蓮兄ぃに話しかける。今日はやたらと昔のことを思い出す。
「みぃ姉ぇ、痛いのかな?」
「……、さぁな」
蓮兄ぃはそう呟くだけで答えてくれなかった。僕は知っている。毎週火曜日の夜は、痛みで眠れないみぃ姉ぇの為に眠らないで朝まで付き合っている事を。それには薫姉ぇも一緒に付き合っている。幼馴染三人会、なんて名前を付けているけど、実際は僕がつけた傷が原因だ。
ふ、と蓮兄ぃの背中を見る。色んなところに切り傷や火傷の跡が付いている。一見すると、どこにでも居そうなお兄ちゃんなのに、この町を、文字通り身を呈して守っている。そして、町だけではない。僕の事も、守ってくれている。
「気になるか?」
「……うん」
「気にしない方が、あいつの為だけどな」と言いながらも、「やっぱ、それは無理か」と付け加えて、シャンプーの泡を流した。
それに無言に頷く。僕がギルファードの様にならなかったのは、みぃ姉ぇのおかげなんだから。みぃ姉がいなければ、今の僕はないのだから。
「痛いと思うぞ。寝れないくらいだからな」
「……だよね」
「お前、町で何かあったか?」
蓮兄ぃはタオルにボディソープを付けて泡立てながら言った。おそらく、僕の身に何かあった事は分かっているのだろう。
「何もないよ」
それでも、こう答えるしかなかった。もし、蓮兄ぃにギルファードのことを言えば、すぐに捜索、警備を開始するだろう。そうしないのは、僕の中にまだ蓮兄ぃを恨む気持ちがあるからなのかもしれない。もう、頭は混乱していた。
蓮兄ぃは、その言葉を信じてはいないようだった。しかし、追求することなく、黙って体を洗う。すると、「風呂から出たら、映画大会だ。おっさんにお菓子いっぱい作ってもらうか」と話題が変わる。きっと蓮兄ぃは、僕が町の人に何かされたと思っているのだろう。だから、それを忘れさせようとしてくれているのだろう。僕は、その言葉に「そだね」とだけ答えた。
お風呂から上がり、フロアに出る。すると、そこでは夕食の準備ができていた。それに僕と蓮兄ぃは目を合わせて「ご飯の後だな」と苦笑した。いつも、当たり前のように並ぶ僕の食器。いつから僕は、こんな温かい『家族』の一員になれたのだろう。思い返すと、自然と目はみぃ姉ぇの方へと向いた。せっせ、と料理を並べていくみぃ姉ぇ。何気なく、何不自由なく家事をしているように見えるが、よく見ていると左腕はあまり動いていないことに気付く。しかし、人に気を遣わせないことに関すれば、かなりの熟練者であるみぃ姉ぇの傷には誰も気付かない。気付くのは、その傷の治療をした三人と、傷付けた一人。他のみんなは、それに気付かないで夕食が並ぶのを待っている。
この三年間で、どれだけの償いができただろう。
僕たちの襲撃により亡くなった六十二名の方々、その遺族は許してくれるだろうか。
いや、そんなことはない。決して、許されることではないし、許されるべきではない。
だから、だからこそ──
「蓮兄ぃ、みぃ姉ぇ、薫姉ぇ」
僕は、三人の名を呼んだ。僕をずっと守ってくれた人たち。三人は、急に改まって名前を呼ばれた為に、少し驚いた表情をしていた。
「僕、ちょっと忘れ物しちゃったから、ちょっと取ってくるね」
そう言って、ゆっくりドアへと向かう。すると、「じゃあ、俺も行こう」と当然のように蓮兄ぃは僕の後に続こうとする。それに「大丈夫だよ、もう夜だし、雨降ってるし」と断ると、蓮兄ぃは信じられない、というような表情で僕を見た。そうだろう、だって今までずっと蓮兄ぃの後ろでしか町を歩けなかったのだから。
「どうしたの?」と、みぃ姉ぇが僕と蓮兄ぃを見合いながら尋ねる。それに「大丈夫、すぐに戻るから」と僕はドアを開けた。
──僕は『ここ』を守るんだ。
ドアから出ると、僕は走った。後ろから、僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。しかし、もう止まらない。一日降り続いた雨で道は泥濘、泥が跳ね返り足を取る。しかし、僕は止まれない。
ギルファード、お前がもう一度同じことを繰り返すというのならば、僕がそれを止める。
絶対に、繰り返させやしない。
僕は大きく跳んだ。




