第一章 神阪 蓮 ②
「あっ、蓮ちゃん!キノコ」
「お、それ旨そうじゃねぇか」
山に入るとそこは食物の宝庫だった。キノコや木の実はもちろん、この『Over Land』にしか存在しない植物や、近くを流れる小川には小魚が、海には貝もある。みずきの見つけたキノコは肉厚がしっかりと付いていて食べごたえありそうだ。俺は赤い木の実を摘み取る。名前は知らないが、少し火で炙ると繊維が緩んで鳥肉のような食感になる。その奇妙な木の実は塩を振って食べると絶品だ。酒に良く合う為、酒飲み仲間の薫や直人はこの木の実が好物だ。
「蓮ちゃん、そればっか採りすぎだよ。それとお酒も控えないとダメだよ」
隣でぷくっとふくれっ面をするみずき。彼女も酒は飲むがあまり強くない為、俺たちが楽しそうに飲んでいるのを羨ましそうに見ているだけだ。嫉妬とお節介が入り交じる彼女に「お前も好きだろ?」と言うと「たしかに美味しいけどさぁ」と、おそらく今日の夜に開かれるのであろう飲み会を思うとやはり微妙そうな顔をした。
また小川の方では黄色い花を咲かせている草を引き抜く。球根になっている根っこを小川で洗い流し、そのままかぶりつく。ほのかに甘くまた水分を多く含んでいる。そして、何よりカシュッ!という歯ごたえがいい。ちなみに茎や花は油で揚げると美味しい。すると、またもや「蓮ちゃん!」と後ろから恨めしそうに名前を呼ばれる。
「つまみ食いズルい!うちもそれ食べる!」と、彼女は近くに生えていた花の茎を引っ張る。しかし、残念ながら球根まで引き抜けず、茎のところで千切れてしまった。意外とこの花の根っこは抜くのにコツが要る。恨めしそうに千切れた茎を睨みつけ「うー」と唸るみずき。それがおかしくて笑ってしまう。「ほら、いっぱい採ってやるから、これ食っとけ」とみずきに投げ渡したのは、さっき俺が一口齧った球根。それを受け取ると「うん」と、頷いてカシュッ!と一齧り。その美味しさにみずきは満足そうに微笑んだ。単純な奴だ、とつくづく思う。
そして、後は海で岩にへばりつく貝を採って、俺は携帯を取り出した。タップするとメニュー画面が開かれ、その中の『持ち物』のアイコンをタップする。いくつかある俺の『持ち物』の中から何点かをタップしてスライドさせると、俺の足元にカセットコンロと網、ヤカンにマグカップが出現する。それらを手早く準備すると、昼食の準備が整った。網の上にはさっき採った貝や木の実、キノコが並びちょっとしたバーベキューだ。
「ほいひいへ」
アツアツのキノコを頬張ったみずきが、息を吐きながら言う。食いながら喋るなよと思うが、解読が容易であったため「そうだな」とだけ返す。見上げるとさらさらと風に揺れる木の音と、その隙間から差し込む柔らかな光が降ってくる。鳥の囀りも聞こえてきて、静かで平和な時間に気持ちがほっこりする。マグカップにコーヒーの粉末を入れて、ヤカンで沸かしたお湯を注ぎ込む。コーヒーの香りが山と海の香りと混ざり合う。それを口に含むと隣でみずきが羨ましそうにこっちを見ていた。
「いいなぁ」
「お前は飲めねぇもんな、コーヒー」
「の、飲めるよ!」
「お腹緩くなるもんな」
そういうとみずきはまたもや膨れた。さっきから膨れてばっかだな、とコーヒーを啜る。
「コーヒーメーカーのCMみたいに飲まないでよ」
「そう言われてもなぁ」
普通に飲んでるだけなのに、と呟きながら球根をカシュッ。それを見てまた「ずるい!」とみずきは膨れた。どうせーゆーねん、と、軽い頭痛を覚えていると、携帯が鳴った。ポケットから取り出して画面を見ると『薫』の文字が表示されていた。どうやら学校を終えて、『こっち』に来たようだ。画面に映るアイコンをスライドさせて通話を始める。
「あいよ?」
《あんた、お昼どうすんの?》
挨拶もなく、要件だけを伝えてくる女の声。彼女らしいと言えばそうなのだが、味も色気もない。いや、別に色気を求めてるわけじゃないのだが。
「もう食ってる。あ、おっさんには悪いって言っといてくれ」
昼には戻るって言っておきながら、外で飯食べているからな。おっさんの寂しげな顔が浮かんできて申し訳ない気持ちになるが、晩飯はいつも店で食べているので許してもらおう。
《ふぅん、いいんじゃない?別に。んで、何食べてんの?》
「自然の恵み、かな」と言って、一口カシュッ。
これで大体どこにいるのか分かるだろう。彼女も何度も来ているし、第一この食事の仕方を考えたのは彼女だったりもする。
《あんた、それ好きね》と、呆れた声で言うと続けて、《あたしも食べたくなってきた》と不本意そうな声が聞こえる。この球根は『Over Land』の水辺のとこならどこでも生えているものだが、おそらくこの食べ方を知っているのはごく少数だろう。なぜなら、『この世界』でもレタスや玉葱などの野菜や林檎や蜜柑などの果物が育つからだ。すでに味や栄養、安全性が分かっているものと、全く見ず知らずの野草とでは、どっちを食べるかは比較にもならない。ただでさえ、死ぬことのある世界なのだから無理もない。それを勿体ないととるか、ギャンブラーだととるかは個人の自由だ。そして、俺たちは前者をとった。
「お前も来るか?」
そう言いながら、横目でみずきを見ると頷いて返した。必要性を感じなかったが、一応の確認。
《行く》
即答だった。というより、電話が掛かってきた時点でこうなることは分かっていたと言う方が正確だ。それからは大体の位置を教えると電話を切った。まったくフットワークの軽いやつだ、とコーヒーを啜る。ほぉ、と深い息を吐くと、鳥の囀りと小川のせせらぎが耳に届いてきた。しばらくその音に耳を傾けながら隣を見る。ほけーっとしたみずきの顔。何も考えていない間抜けな顔。それを彼女に気づかれることなく見つめる。なんか眠くなってきたなぁ、とか思っていると、
「おっす」という声と共に何かが這い回る感触が背中を走った。
あまりの衝撃に俺は「ぬぉわ!」と情けない声を出した。ぬめり、とした感触に全身総毛立つ。全力で服を捲り上げ、背中を叩く。すると、べしゃ、とそれは地面に落ちた。それは『Over Land』特産の軟体動物:なめくじ(仮)。この世界での正式名称は知らないので、とりあえず仮称。うねうね、と蠢き、べたべた、とした手触りまでなめくじに似ているのだが背中に線模様はなく、ツノもない。色の種類も豊富に取り揃えており赤いものや青いものなどカラフルな奴だ。また、大きく成長し一メートルくらいにまでなるものもいる。今回、俺の背中を襲撃したのは緑色で大体十センチくらいの奴だった。ちなみに焼くと身が固くなって、こりこりとした歯応えがする。味はない為、塩や味噌をつけて食べるのがオススメ。
「あ、薫ちゃん。やっほ」
「やっほ、みぃちゃん」
「やっほ、じゃねぇ!」
何事もなかったかのように、挨拶を交わす女の後頭部に手刀を叩き込んだ。すると、女はなぜか恨めしそうな顔で振り返り「なによ」と一言。
「なによ、じゃねぇよ。人の背中になめくじ(仮)を流し込みやがって」
「いいじゃん、あたしとあんたの仲なんだし」
「背中になめくじ(仮)を流し込む仲ってどんなんだよ!」
「こんなん」と薫は自分と俺を指差した。あまりの呆気のなさに意気消沈するしかない。
「んで、わざわざ採ってきたのか?これ」
俺は地面に転がるなめくじ(仮)を摘む。すると、なめくじ(仮)は気持ち悪く蠢いた。
「まぁ、差し入れ?」
「たしかに、差し入れられたけどな。背中に」
「あんたもしつこいわねぇ」
簡単に忘れてたまるか、という意思表示を込めて睨む。
「見た目はあれだけど、美味しいでしょ?」
「まぁ、な。ビールが欲しくなる味だけど」と、言うと隣でビールの飲めないみずきが膨れた。
「飲めるよ」
「分かったから」
どうやら俺の態度で何かを感じ取ったらしい。
「つーか、俺ら何でも食べすぎじゃね?木の実とか球根ならまだしも、なめくじ(仮)て」
「なによ今更。食わず嫌いは損するよ」と言って、薫はカシュッ!と一口。本当に何でも食う奴だ。実際、なめくじ(仮)に「焼いたら意外といけんじゃね?」という調味料を加えたのは薫である。ここまで食い意地を張っている奴なのに、身長百六十八センチでスレンダーなモデル体型だったりする。この男勝りというか、男すぎる性格さえどうにかできればいい女だと思うんだが、と考えていると案の定「なんか文句でもあんの?」と眉間に皺を寄せて睨まれた。本当、これさえなければね。
「それにしても、お前早かったな。電話切ったのさっきだろ」
「そりゃ、走ったし」
さも当然のように言う薫。確かに、彼女の運動神経は抜群だ。部活動に入らずしてサッカー、バスケット、野球など球技系から、陸上、体操、空手などの体術系、水泳を除く全ての競技を簡単にやり遂げる。ランクにして上の下。しかし、いくらみずきが歩くのが遅いからと言っても、俺とみずきが十数分かけて歩いた距離をものの二、三分で来るのは想定外だ。
「今日の蓮ちゃんは気が抜けてるね。うちにもビックリさせられてたし」
「ふぅん、ま、この天気だしね」
そう言って、空を見上げる薫。濃淡紅緑様々な立木の上に広がる青い空。緑の隙間を刺すように差し込む太陽光。穏やかな風。春を思わせる気候。気が抜けても仕方がない、そう仕方がない。悪いのは俺じゃない。
「で、この後どうすんの?」薫は赤い木の実を一摘み口に入れながら言った。もはや、俺の気が抜けているという話題はどうでもいいらしい。
「いや、何も考えてないな」とみずきに目を向けると、熱いお茶を啜った彼女も頷いた。
「何その『あなたさえ居れば、何も予定なんていらないわ』的なやり取り。あたしのみぃちゃんに手ぇ出すなんていい度胸ね」
薫は笑顔で指を鳴らした。さっきも言った通り、彼女は空手、柔道、古武道、レスリング、剣道を難なくこなす。道場に通った経歴はない為、段位は分からないが、ジャージに身を包んだ彼女に欲情した痴漢を撃退した経歴ならば何度かある。その場に居合わせた事はないが、みずき曰く「いつも痴漢を警察に引き渡すのに必死だよ」との事だ。みずきのいない所では、一体どこまでやる(殺る)のだろうか。考えるのも恐ろしい。
「なんでそうなる。つか、お前のみぃじゃねぇだろ」
「あんたのでもないでしょ」
一方的な殺意に身が凍る。薫は好きな人や物に対しては異常なほどに愛情や信頼を置く。一面的には俺も信頼してもらえるのだが、みずきに対しては特別だ。薫は同性愛者ではない。しかし、みずきの事は愛していると言っていいほど大好きなのだ。それは小さな時から変わらない。俺と薫、みずきの間で何度も繰り返しているやり取りだ。だからだろう。隣でみずきは熱いお茶を啜る。
「お茶おいしい」
「みぃ、ちょっとは薫を止めろ」
「うちが止めて止まるならやってるよ」と、お茶をもう一啜り。
「さすがみぃちゃん。あたしのこと分かってくれてる。てことで、蓮。死のっか」
ゆらり、と薫の体が動く。武道家の動き。無防備に見えて、隙がない。薫の目は蛇を狙う鷲のようだ。背筋が凍る。冷たい汗が体を走る。夏なら冷房いらずだ。常温のビールも一瞬でマイナス二度まで冷える。ははは、意外と俺も余裕だな。
「でもね、薫ちゃん。本当にやったら、うち薫ちゃんのこと嫌いになるよ」
ぴたり、と薫の動きが止まった。いや、止まらない。微かに震えている。それは怒りなのか、それとも悲しみなのか。さすが、やればできる子。
「蓮、あたしは本気であんたを殺そうなんて思ってないからね」
「あ、あぁ。当然だよな」
薫は震えながら、俺と握手した。そんなに嫌なのか、と聞きたくなるが、「当たり前でしょ!みぃちゃんに嫌われるくらいなら、あんたと握手するのくらい屁でもないわよ!」という返事が容易に予想できたので言わないでおこう。みずきは俺と薫が握手したのを見て、にっこりと微笑むとまたお茶を啜った。