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Over Land  作者: 射手
第一章  神阪 蓮
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第一章  神阪 蓮 ⑭

「蓮、お疲れだな」


 店に戻ると、おっさんがコーヒーを淹れてくれた。暖かで、柔らかい香り。いつものカウンターの席に座ると、いつものスコーンが並べられた。

男たちを医院へと運んだ後、アルジールとユーマから周囲の確認を終えた連絡が来た。『賊』たちが集まってそうな気配もなく、また、こちらを伺っているような様子もないとのことだった。しかし、周囲が森に囲まれているため、気配を絶つことなど容易にできるだろう、という判断から徹夜の警備を行うことにした。町の出入口にそれぞれ配備し、更に、おっさんに『監視』もしてもらった。

 おっさんの『監視』というのは、おっさんの『スキル』である。おっさんは『スキル:千里眼』を習得しており、ある程度の範囲は目を閉じることで『見る』ことができる。しかし、その周辺の地形や状態が分かっていなければ見ることができないという制限がつく。その為、おっさんは日々、町を練り歩いては周囲の状態を把握している。俺たちにとっては、町の異変を察知する『レーダー』のような役割を担ってもらっている為、非常に頼りにしている。

 結果、おっさんから「特に異変はない。もういいだろう」という判断が下され、朝日が昇ったところで撤収となった。


「俺、スコーン好きだって言ったかな?」

「嫌いでも出すけどな、俺は」


 そう言って、スコーンをひと摘み口に放りこむ、おっさん。


「普通に食うよな」

「スコーンはよく焼くからな、こいつはいい出来だ」


 いつものように口をもごもごとさせながら、食器を拭く。コーヒーを出すようになってから、おっさんはシェイカーを振るより、食器を拭いている姿を見るようになった。喫茶店のマスターが板に付いてきたな、とは言えずにコーヒーを口に含む。


「皆はもう休んでるか?」

「あぁ、帰ってきたのはお前で最後だ。今は薫が風呂に入ってる」


 バックヤードを指さして、おっさんが言う。バックヤードには厨房と二階へと上がる階段の他に風呂とトイレ、そして、おっさんが寝泊りする部屋がある。ごちゃごちゃしているが、生活するのに問題はない。


「そうか」

「あぁ、覗くなよ」

「それ、俺に言うのか?」


「普通直人だろ」と嘆きながら、スコーンを口に入れる。シナモンの香りが鼻から抜け、香ばしい甘さがコーヒーの味を引き立てる。また腕を上げたなと思いながら、コーヒーを一口。


「とりあえずな、あいつの裸を見たら嫌でもあいつの女を意識してしまうだろ?そうなりゃ、普段とのギャップがある分、お前は特にイチコロだ。言っとくが、薫はやらんぞ」


 ふふん、と鼻息荒く言ってのけるおっさん。徹夜の上に、『スキル』まで使ったものだから、妙なテンションになっているのだろう。普段しない下品な話に娘を持ち出す辺りが特に不注意だ。しかも、父親なら知っているはずの、薫の入浴時間を考えていない時点で、おっさんは頭が回っていないのだろう。おっさんの背後で、薫はフライパンを振り上げた。


 ごわんっ!  「うっ!」


「なんつー話してんのよ、あんたらは」


 きっ、と俺を睨む薫。風呂上がりで髪が湿り、体が高揚し赤みがかっている。更に、シャンプーの香りも漂ってくる。おっさんには悪いが、俺は知っている。こいつは『普通に』していればいい女だって事は。


「蓮、言い残すことは?」

「おい、おっさんにはフライパンで、何で俺には銃なんだ?」

「うるさい、実弾でいくわよ」

「ててて、殴ることはないだろ。お前がいつまで経っても男の一人や二人作らんから」


 衝撃から立ち直ったおっさんが命知らずな事を言う。が、言い切る前に銃口を向けられ、言葉を止めた。父親に銃口向けるなんて、それほどのことか?と思う。


「薫、悪かった。徹夜続きで変なテンションになってたんだ。銃下ろせ。んで、おっさんは休んだ方がいい」


 はぁ、とため息を吐きながら、俺が言うと、薫はすぐに銃を下ろした。そして、おっさんは「悪いな、コーヒーのおかわりは置いとくからセルフで頼む」と言い残し、そそくさとバックヤードへと戻っていった。


「ったく」と愚痴ると、薫はおかわり用に置いていったポットをひったくって、新しいカップに注ぎ、そして、頭を拭きながら俺の隣に座った。ふわりと漂うシャンプーの香りが、俺の鼻を刺激する。


「蓮、あんた先に休みな。昨日から休んでないんでしょ」


 言いながら、薫はスコーンを口へと運ぶ。薫はそれを言うために、わざわざ風呂上がりに出てきてくれたのだろう、と分かっておっさんの間の悪さに笑ってしまう。それに「なによ」と不信な目で睨む薫に「悪い、なんでもない」とだけ返す。

 きっと今頃、みんな眠っているんだろう。そう思うと、「みんな無事でよかった」という言葉が自然と出てくる。それには薫も同意して「本当に」とこぼして、コーヒーを呑んだ。

 しばらく、何も言わない無言の時間が流れた。窓の外から聞こえてくる波の音、ログハウスをノックする風の音、歌う鳥の声。立ち昇るコーヒーの香り。おそらく、こんな時間を幸せというのだろうか。なんて、哲学的なことを考えてみる。もちろん、答えはない。

 そんな贅沢な時間が過ぎた頃、二階から、とて、とて、とゆっくり階段を下りてくる足音が聞こえてきた。ゆっくり、ゆっくり、下りてくる。そして、一階にたどり着くと、小さな影がこちらへと向いた。


「おとーさん」


 小さな声が、ログハウスに響いた。


「おう、おはよう」


 同じく小さな声で答える。隣に並ぶ薫も「おはよ」と答えた。薫の声には、一度びくりと震えたが、すぐに俺へと向き直り、駆け寄る。脚の高いカウンターチェアーに座っているため、あすかは俺を見上げて、両手を広げた。「ん」と無垢な目で俺を見つめ、抱っこをせがむ。そういえば、小さな頃から抱っこするのは俺の役目だったっけ?と昔を思い返して、小さく笑いながら、あすかを抱き上げた。


「よっと、よく寝たか?」

「ん」


 こくん、と小さく頷く。その仕草に、薫も思わず「可愛い」なんて言いながら、あすかの頭を控えめに撫でた。


「そらさんは、まだ寝てるか?」

「ん」


 こくん、と小さく頷く。こんなに小さいのに起こさないようにと気遣いのできる子なんだな、と感心していると、「起きなかった」と当然のようにあすかは言った。その辺りは、歳相応なんだなと認識を改めて、コーヒーを口に運ぶ。昨日と同じように、コーヒーのカップを見つめ、ソーサーに戻すと、あすかはすぐに手を伸ばした。


「あすか、これは昨日のと同じだ。苦いぞ」とたしなめるが、あすかは聞こうとせずに、カップを持ち、口に入れる。すると、昨日と同じように間髪入れずに、べー、と吐き出した。


「言わんこっちゃねぇ」と、片手で顔を覆いながら落胆する俺を横目に、薫は、くっくっく、と笑っていた。そう言えば、昨日薫はいなかったんだっけ、と思いながら、手元にあるおしぼりで椅子とズボンを拭く。このペースでいけば、二、三日後にはすべてのズボンにコーヒーのシミが出来ることになる。


「あすか、これは苦いだろ?もう飲むな、分かったな」


 さすがにそれは避けたいので、あすかに教え込む。すると、「ん」と言って頷いたが、おそらく、またやるだろうという予感はしていた。


「あんたが旨そうに飲むからでしょ」と言いながら、薫は新しいおしぼりを投げてよこした。

「そう言えば、この前もみぃに同じこと言われた気がするよ」


 新しいおしぼりであすかの口元を拭う。すると、また昨日と同じようにおしぼりを舐め出した。苦味を拭きたいという気持ちは分からんでもないが、行儀が悪いし、何より汚い。


「こら、あすか。やめなさい、次したら怒るぞ」


 おしぼりを離すと、あすかの小さな舌が出ていた。その先っぽを摘んで、少し声色を低くする。すると、あすかは「えー」と言いながら、こくこくと頷いた。そのやり取りに、薫は「本当の親娘みたいね」と言いながら席を立つと、カウンターの向こう側へと移動した。そして、足元をごそごそとし、カウンターに取り出したのはミキサーと缶詰。種類は桃、みかん、パイナップル。そして、更に厨房へと戻って取ってきたのは、牛乳と凍ったバナナ。さすが、大阪の娘。用意するものが渋い。


「あーちゃんは、フルーツ好き?」

「すきー」

「そかそかー」と言いながら、薫は手際よく缶詰を全て開け、ミキサーの中に全部ぶち込む。そして、凍ったバナナも入れ、牛乳を適当に入れて、一気に混ぜる。豪快、の一言に尽きる男らしい調理でものの一分で大阪のソウルドリンク、ミックスジュースが出来上がった。

 手品のように手際よく、更に豪快に調理していく姿を見て、あすかは「おー」と歓声を上げたが、実際は大したことはない。ただ単に混ぜただけ。しかし、あすかには大きな刺激だったようだ。目を輝かせて薫を見る。そして、更に数秒後にはグラスに注がれたミックスジュースがあすかの目の前に置かれた。


「飲んでみ、うまいから」

「ん」と、いつもより嬉しそうな返事をすると、すぐにこっちを向いているストローに口を付ける。一気に飲み込むと、あすかは嬉しそうに笑って、薫に「おいしい」と一言。果物そのものの甘さと、缶詰のシロップのチープな甘さが重なり、牛乳でマイルドにブレンドされた一品。一分でできる簡単ドリンクだが、出来合いのオレンジジュースよりずっと美味い。しかも、一瞬にしてあすかの心を惹きつけた。

「かおる」と一瞬でミックスジュースを飲み干したあすかは、両手を広げて抱っこをねだった。それに「ん、はいはい」と、軽々とあすかを抱き上げる。


「ありゃ、服濡れたまんまだね、替えの服あんの?」

「そういやねぇな、アルのはさすがにデカイよな」

 昨日の今日のため、そう言った準備は一切していなかった。それよりも、あすかのことはどうしたらいいのだろうか。もう一度、教会に連れていくのか?そんな考えが思い上がった。


「さすがにねぇ、そうだ、あーちゃん後で服買いに行こう!」

「いくー」


 俺の悩みなど露知らず薫はあすかを持ち上げる。そして、あすかの全身を見て「んー、あーちゃん可愛いからなぁ。何でも似合いそう。悩むなぁー」と、珍しく女の子節を炸裂させていた。あすかも嬉しそうに笑い、薫に甘えっぱなしになっていた。


「しくしく」


 どこからともなく泣き声が聞こえてきた。どこかわざとらしく、それでいて本当に悲しそうな声。その声を辿って、視線を巡らせると、バックヤードの入口の影から、こっそりとこちらを見ているそらを見つけた。一体いつから見ていたのだろうか。


「あたしなんて、最初避けられたのに」


 あー、結構見てたな。そらは昨日、あすかを抱っこしようとしたら「や」と避けられていた。それで、何とか無理やりそらの元へあすかを行かせ、何とか抱っこすることに成功した。しかし、薫は違う。ミックスジュースをたった一分で作り、あすかを手懐けた。しまいには、あすか自ら抱っこをせがむ程である。そんなことなど知らず、薫はあすかとじゃれ合う。そらの視線に気づかずに。


「うぅ、いいなぁ。女として魅力の差なのかなぁ」


 いいえ、女の魅力で言えば貴方の圧勝でございます。しかし、残念ながら相手は五歳児。採点基準は、魅力より面白さだったようです。


「はぁ、もっかい寝よ」

「あ、そらさん」


 間が悪く、薫はそらを見つけた。薫には悪気はない。しかし、今のそらには酷だ。


「あ、そらー」

「へ?」


 しかし、想像していたような悪い状況にはならなかった。そらの姿を見たあすかは、薫の手から離れて、てこてこ、とそらの元に歩み寄る。そして、「そら、ありがとー」と言って、抱きついた。一体何についてのありがとうなのか。一瞬、そらの体が強ばったが、すぐに力を失って、その場に座り込んだ。そして、あすかと同じ五歳児のように、そらは泣き出した。


「そら?」

 同じ目線にまで下がったそらの頭をあすかが撫でる。そらにとって、これほど嬉しい一言はなかった。泣き崩れながら「ありがとう、あーちゃん、ありがとう」と何度も何度も言う。なぜ、そらが泣いているのか、あすかには分からないようだった。もちろん、わからなくていい。


「あーちゃん、いい子ね」

「全くだ」

そう言って、俺はコーヒーを飲み干した。





 時刻は昼前、おっさんが起きてきたと同時に、そらの体は硬直した。あすかはそらの膝の上、そらが泣き止み、落ち着いてからはずっとそこにいた。三人であすかの服の話で盛り上がっていたところだった。


「おっさん、もう大丈夫なのか?」

「飲食業やってんだ、睡眠時間が少ないのは職業病だ」


 そう言って、おっさんは自分でコーヒーを淹れ、一口含んだ。


「ねぇ、父さん。あーちゃんの服買いに行くんだけど、どんなのが似合うと思う?」と昨日の事を知らない薫がおっさんに言う。寝起きのためか、それとも昨日と同じことのためか、おっさんは低い声で「服、か。蓮、どうすんだ?」と言った。


「えー、蓮に聞く?こういうのは」

「薫は黙ってろ」


 おっさんは薫の言葉を遮った。そして、俺を見る。更に、そらを見る。


「何?」


 不穏な空気を感じ取った薫が小さな声で俺に聞いた。


「昨日、な」


 そして、俺は説明した。昨日のことを。なぜ、あすかを教会へと連れていったか、を。


「は?」


 俺の話を聞いた薫の第一声はこれだった。町のこと、全体のことを考えて俺たちはあすかを教会に連れていったんだ。という、重苦しい話だったはずなのに、薫は「何言ってんだ、こいつら」というような態度だった。


「アホらし、あのね蓮、あんたカリスマ性がないのよ!だから、そんなみみっちい事で悩むのよ」

「み、みみっちいだと!」

「そうよ!『もう、あすかみたいな子供を増やさない!俺がこの町を守ってみせる!』くらいの事言えないわけ?兆が一、あんたが心配してるようなことになっても『うるせぇ、お前らは黙って俺について来ればいいんだよ!』とか言いなさいよ。てゆうか、あんた、別に町の重要人物でもなんでもないわよ。たかが二十三歳の若造が思い上がるんじゃないよ。好きなように生きりゃいいじゃん。あー、アホらし。そらさん、あーちゃんの服買いに行きましょ!こんなとこに居たら、アホがうつりますよ」

「え?あの、薫ちゃん」

「ほらほらー、市場もう開いてますよー。みぃちゃーん!買い物行くよー」


 そらからあすかを引き取ると、そらの腕を取って立ち上がらせる。そして、その勢いのまま、まだ二階にいるみずきに向かって呼びかけると、二階から「いくいくー」という返事が返ってきた。その勢いを、俺とおっさんはただただ見ていることしかできなかった。


「分かった?蓮。あんた思い上がりすぎ。それから、父さんもね」


 振り返って、薫はきつい一言を言う。そうしている間に、二階からみずきが下りてきて「お待たせー、どこ行くの?」

「あーちゃんの服買いに」

「わーっ、いいねいいねー」

「姉さん!外に行くなら車椅子準備しないと!」

「あ、つばさも行こっ」

「もちろん!」

と、一気にガールズトークに華が咲き、一団は一瞬にして去っていった。残された俺とおっさんは静かに見つめ合った。


「おっさん、俺らのシリアスモードって何だったんだ?」

「さぁな」


 そう言うと、沈黙がしばらく続き、どちらともなく、くっくっく、と笑い出した。


「あー、アホくさ。昨日も薫がいりゃよかったなぁ」

「娘の成長を目の当たりにできるなんざ、親父としては嬉しい限りだ」


 そう言い合うと、再び二人で笑いあった。ちょうどその頃、バックヤードの影からこちらを見ている姿が二つ。


「なんか、怖いね」

「うん」


 お腹を空かせたアルジールとユーマがご飯にありつけたのは、もう少し後のことだった。


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