第六章 ユーマ・シフォン ⑨
View:ユーマ・シフォン
Time:二年前
それから、しばらくの時間が過ぎた。木々の切れ間から覗く空には、真っ白な雲が流れていた。ずきずき、と痛む肩に、『グランタリア』にいた時に配給された傷薬を塗り込む。非常に沁みて、呻き声を上げる。痛みに涙が溢れる。視線を巡らせると、ユーの方を見つめている『大狼』と目があった。「大丈夫だよ」と声をかけるが、『大狼』は微動だにしない。
いつか、『この子』と仲良くなれたらいいな。
そんなことをいつも考える。どうしたら仲良くなれるのか、考えるがはっきりとした答えは見つからない。しかし、一つだけ分かることはある。傷つけられるからと怖がってはいけない、ということ。堂々として、接すればきっと……。
そんな風に考えを巡らせていると、突然、背後からガサガサ、と草木を掻き分ける音が聞こえた。何だろう?と思って、振り返る。直前、『大狼』はグルルルルルッ!と唸り、三本足で身構えた。『大狼』の声が聞こえると同時に、ユーの目にも『それ』は映った。
「まさか、『フェンリル』と一緒にいるとは……」
「ど、どうして……」
動揺を隠せない。たとえ、ユーの飛んだ方角が分かったとしても、森は深く、目印もない。追いかけてきたとしても、こんなに早く見つかることなんてあり得ないはずだ。いや、それ以前に、畑泥棒ごときの為に、命を賭けて追いかけてくるなんてあり得ない。
「あんたの肩に発信機を付けたのよ」
ガサガサと追加で草木を揺らして現れた女が言う。続いて、女がもう一人と男の子が茂みから出てくる。その『四人』は、さっき畑の前で会った連中だった。
「発信機なんて……ッッ」
その時、女に触れられた肩に触れると、ズキリ、と痛みが走った。さっき『大狼』に引っ掻かれたんだった。もしかしたら、『大狼』はユーを攻撃したんじゃなく、『発信機』を壊したのかもしれない。そう思うと、少し信頼関係が築けたように思えて嬉しかった。
しかし、そのせいで『こいつら』をここに連れて来てしまったのは、大失態だ。歯を噛み合わせていると、先頭に立つ男は両手に短剣を持った。
「っ!待ってよ!!」
両手を広げて男の前に立ちはだかる。問答無用で戦闘態勢をとる男はユーのことを睨んだ。
「『この子』は怪我してるの!治ったら、ここから連れて行くからっ!だからっ!!」
「そんな事できるわけないだろ」
男はユーの言葉を、一瞬にして否定した。微かな望みすら許されなかった。男の背後では、女が銃を手に取り、男の子は自身の身長より大きな鎌を肩にかけた。
それでも、ユーは諦めることなんてできなかった。
「絶対に連れて行くから!何があっても連れて行くからッッ!!」
「『何が』あっても、ってお前な。『何か』あったら、どうやって連れて行くつもりだ?」
「〜〜〜っ」
「『町』の近くに大型の『モンスター』がいること自体が危険なんだ。ましてや『畑』もある。見過ごせる状況じゃないんだよ」
男がユーに並びかけ、『大狼』を睨む。
「こいつは『モンスター』だ、今は怪我をして大人しいかもしれないが、治れば一番最初に襲われるのは、お前だぞ」
男は左の短剣を前に、右を後ろに構える。それでも、それでも……。
ユーは、男の服を掴んで、再度目の前に立つ。諦めるなんて、できるわけがない。
「させないっ!『この子』は絶対に——ッッ!!」
再び両手を広げて男の前に立った瞬間だった。ユーの背中に鋭い痛みが走った。
目の前の男の表情が険しく変化する。その後ろに控えていた女も、男の子も慌てた様子で駆け寄って来た。それでも……、今度こそ……。
「大丈夫だからッッ!!ユーは平気だからッッ!!!」
「平気なわけあるかっ!みぃ!!」
「うんっ!」
男の脚に縋り付いて引き止めるが、すぐに引き剥がされて、追い越される。すぐに女がやってきて、ユーを抱きかかえると、ユーを『大狼』から引き離そうとする。
「やめてっ!やめてよっっ!!お願いだからっっっ!!!」
ユーが振り返って泣き叫ぶが、男たちは止まらない。銃声と共に男は短剣で『大狼』を切り裂いていく。
三本脚の『大狼』は、三人の人間の連携した攻撃に為す術なく、空に雄叫びを轟かせることしかできなかった。
「殺さないでええええええっ!!!」
——————————
View:神阪 蓮
Time:二年前
最後に『フェンリル』の首に刃を滑らせると、雄々しく立っていた姿は、ようやく地に崩れ落ちた。実に三十分にも渡る戦闘であったが、もはや『戦闘』と言っていいものかどうかさえ怪しいものであった。理由は分からないが三本脚となっていた『フェンリル』は機動力がなく、その場から動けず終いとなり、薫が前足を銃弾で牽制、俺とアルジールで唯一残った『フェンリル』の武器である牙をへし折った。その後は一方的な蹂躙劇となった。
「はぁ、はぁっ、最悪、だな」
目の前で血の海に沈む『フェンリル』を見て、吐き捨てる。三メートル程度の大きさにまで育った『フェンリル』と言えば、もはや『ボス級モンスター』である。そんな『モンスター』を倒したというのに、達成感は皆無、虚無感が体が支配するのみだった。
ふぅ、と呼吸を整えて、薫は少女のもとへと歩く。みずきに肩を抱かれたまま、気絶するように眠りについている少女の顔にはいくつもの涙の筋が残っていた。
「結局、背中から一裂き。信じるもんじゃないね、『モンスター』ってのは」
薫はしゃがみこんで、少女の頰を撫でた。その表情からはやり切れない感情が見て取れる。
「そう……なのかな……」
さすがに、みずきも寂しげに薫に同調するのみだった。この少女がどれほどの感情で『フェンリル』を守っていたのか、自ら傷ついても守ろうという覚悟を見せていたにも関わらず、『フェンリル』は少女を背後から切り捨てた。余りにも残酷すぎる現実である。
「………」
「どうした?」
黙りこくって俯く銀髪の少年、アルジールの髪を撫でる。すると、少年は顔を上げないまま、「何が……、正しいんだろう……」と思い悩んだ。その答えは、俺には出せない。アルジールが住んでいた『ナインクロス』という『町』は、『モンスター』に日々襲われ続けている『町』である。そんな『町』で過ごしていた少年にとっては、『モンスター』は忌むべき存在のはずだ。
しかし、歳が近いであろう目の前の少女は、『モンスター』を身を呈して守ろうとした。同じ『人』でありながら、その行動、感性は正反対である。
「この子にとって、僕たちがしたことって、『死神』が『町の人』を殺したことと同じなんだよね……、きっと……」
アルジールの言葉に、誰一人として「違う」と言えなかった。言えなくなるほど、目の前で眠る少女の行動は衝撃的だった。
「先に戻っててくれ」
「蓮ちゃんは?」
薫が少女を背負ったのを見て、俺は『フェンリル』に向き直る。
「ちゃんと、弔ってやるべきなんだろな、って思ってな」
「………、好きにしなよ。じゃあ、行こっか」
「ぼ、僕も残っていいかな?」
普段から察しのいい薫はさっさと帰ろうとしたが、アルジールは残ることを申し出た。おそらく、少年にも思うところはあるらしい。それすらも薫は察して、「わかった、みぃちゃん行こ」と心配そうに少年を見つめていたみずきを促して、帰路に着いた。
二人を見送ると、俺は『フェンリル』の傍に座り込んだ。それをアルジールは不思議そうに見ていたが、俺にも思うところがあった。
「やはり、そうか……」
「どうしたの?」
「いや……」
すぐに立ち上がった俺は、スマートフォンからシャベルを取り出した。