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Over Land  作者: 射手
第一章  神阪 蓮
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第一章  神阪 蓮 ⑩

 それからしばらく、そらのあーちゃん大好きハグ攻撃が続いた。ものの三十分は抱きついていただろうか。我に帰ったとき、そらは顔を真っ赤にして、あーちゃんに「ごめんね」と謝った。しかし、あーちゃんは首を横に振って、「そら」と名を呼ぶと、再度そらの首に抱きついた。その行動に、そらは感動し、鼻を啜りながらもう一度抱きしめ、更に十五分続いた。


「教会?」

「あぁ、こんな世界だからな、孤児はいくらでもいる。この子もそこへ連れていくべきだろう」


 仕込みの終わったおっさんが、キッチンからこちらにやって来た。その脇には、その手伝いをしていたみずき。寂しそうな顔をしているのは、おそらくキッチンでおっさんとそんな話をしていたからだろう。あーちゃんは、そらの膝の上で犬のぬいぐるみで遊んでいた。


「まさか、お前その子を引き取るつもりじゃないだろうな?」


 おっさんは声を押し殺しつつも、厳しい口調で言った。その言葉に、俺だけではなく、そらも意気消沈した。おっさんの言葉の意味はよく分かる。今、『あーちゃん』と引き取れば、これから先も同じことを繰り返すだろう。いや、そうしなければならなくなる。たった一人の孤児を特別扱いすることは、教会にいるたくさんの孤児たちにとって差別となる。そうなれば、町の中に不平等が生まれ、町の治安が変化するだろう。決して、いい変化ではない。孤児を一人、俺たちが引き取った。これだけでは治安が悪くなることはないだろう。しかし、今後『賊』たちの侵攻が強まり、多くの孤児が生まれた時、俺たちに同じことができなければ、『町の人間』と『俺たち』の間に溝が出来てしまう。


「会えなくなるわけじゃないもんね」


 悲しそうにそらは言いながら、膝の上の『あーちゃん』を撫でる。そらにとって彼女は既に『特別な存在』となっていた。つばさも、そんなそらの姿を見て、悔しそうに顔を歪める。しかし、分かっていた。この後、おっさんからどんな言葉が出てくるか。


「会うのも駄目だ。その子を特別扱いしてはいけない」


 おっさんも辛い役回りだな。口には出さず、俺は温くなったコーヒーを飲み込んだ。視界の隅で、そらは震えていた。顔は、長くふわふわとした髪に覆い隠されて見えない。


「マスター、私と姉さんで引き取ることはできないか!」


 つばさは耐え切れなくなり、大きな声で言った。それには、そらの膝の上で遊んでいた『当事者』もびくりとして、つばさの方を見る。あまり聞かせたくない話だ。俺はすぐに、おっさんの隣に立っているみずきに目配せをした。意味は、『当事者』をこの場から連れ出してくれ。それを理解したみずきはすぐに、「あーちゃん向こうで遊ぼっか」と手を差し出す。しかし、そらが『当事者』を離さなかった。ぎゅっと、抱きしめた。


「それも一緒だ。お前たちは蓮の関係者だ。お前たちが引き取っても、蓮が引き取っても変わらない」

「そこを何とかならないか!」

「どうしても、と言うなら二つ方法がある。一つは、お前たちがもう二度と蓮と関わらないこと。もう一つは、蓮がこの町を捨てることだ」


 おっさんの言葉に、つばさは絶句した。そして、小さな声で「どうして」と零すに留まった。


「つばさ、もういいよ」


 柔らかな声が、つばさに向けられた。顔を覆っていた髪は左右に分けられ、声の主の表情が見えるようになっていた。悲しいほどに爽やかな微笑み。


「マスター、ごめんなさい。我侭を言いました」


 ぺこり、と頭を下げたそら。それにおっさんは「いや」と低い声で返す。そして、つばさの方に向き直り、「教会、行こっか」と微笑みを湛えたまま言った。瞬間、


「~~~っ!姉さんは諦めるなっ!」


 つばさは、そらに怒鳴った。


「マスターっ!何か手はないかっ!蓮っ!」


 つばさの声に俺もおっさんも黙り込む。手がないわけではない。俺たちが彼女を引き取ってもおっさんが言った様にはならないかもしれない。全く受け入れられ、万事問題なしになる可能性もある。可能性、全ては可能性の話。しかし、その可能性を試すには、賭けるものが大きすぎる。俺たちの仕事は『町を守る事』。そんな『町を守る人間』が特別に一つ守るとすると、反発も起こるだろう。


「蓮っ!何とか言え!お前はどうなんだ!どうしたいんだ!」

「つばさ、やめなさい。みっともない」


 そらが今まで聞いたことのない口調で、つばさを叱責した。


「それでも、秋風家次期頭首ですか。そんなみっともない姿を晒すのなら、『現実世界』に帰って修行を積みなさい。私に付き合う必要はない」

「姉さん」


 そらの家系は由緒正しい公家の末裔。日本の家を守るという風習が失われて以降、名は変わってしまったそうだが、今でもその地域では絶大な力を持っているらしい。そんな家系の次期頭首が次女。そんな力を持った家系が治せなかった病を患う長女。一体、二人はどんな人生を歩んできたのだろうか。


「蓮ちゃん、ごめんね。教会、行こっか」


 厳しい表情から一変、いつも通りの柔らかな笑顔を貼り付けた顔で言った。


「……、そうですね」

「『あーちゃん』お出かけするよー」


 俺が同意すると、すぐに膝の上の『当事者』に優しげな声で言う。しかし、さっきまでの優しさではなく、他人に向ける優しさ、上辺だけの優しさ、取り繕った優しさだった。そんなこととは知らず、『あーちゃん』は、つばさの怒鳴り声に萎縮していたが、そらの呼び掛けに「ん」とだけ返事して、そらに抱きついた。今度は、その行動に感動することなく、「行こ」と淡々とした口調で言った。


「蓮」


 そらが『あーちゃん』を抱いて、外に向かうのを見ながら、おっさんが小さな声で呼び止めた。


「なんかあったら言え。今度は、理屈じゃなく、感情で話をしよう」


 そう言うと、おっさんはキッチンの方へと歩いていった。なんだかんだ言って、頼りになる人だ。


「みぃ、つばさを頼む」


 テーブルでは、放心したつばさが座っていた。時折、大きなため息を吐く。誰よりもそらの幸せを願っていた彼女だけに、さっきのそらの言葉は辛かっただろう。


「うん、蓮ちゃんも」


 みずきはつばさの方に向いながら、言った。


「そらさんを助けてあげてね」

「もちろんだ」


 俺は、そらを追いかけた。



 歩くこと、数十分。町の中心である噴水広場からすぐ近く。レンガ造りの建物。屋根には十字架が掲げられている。神の作った世界、神の教えから遠く離れたはずの『この世界』でも、人は神を祈るらしい。教会には、今日も多くの人が祈りに来ていた。教壇には神父が立ち、キリストのものなのか、イスラムのものなのか、分からないが教えを説いていた。その教会の裏手に、孤児院はある。そこにいるシスターに状況を説明、そして、『あーちゃん』を引き渡した。簡単で、事務的なやりとり。『あーちゃん』は意味が分からないといった感じで、シスターに抱き上げられた。そして、離れていく俺たちを見つめていた。泣きもせず。嫌がらず。抵抗せず。ただ、何が起こっているのか分からなかったのだろう。シスターの腕の中で、ボーッと俺たちを見ていた。

 教会から離れると、そらは海が見たいと言った。古風な人だなぁ、と思ったが、俺もそんな気分だった。どこか誰も居ないところへ行きたい。自分が何て小さな存在なんだと打ちのめしてくれるところへ行きたい。俺は、そらの車椅子を押して、堤防沿いを歩いた。波の音、風の音、虫の声。太陽はまだ頂点には達していない。朝の清々しい時間のはずなのに、気が重い。


「蓮ちゃん」


 車椅子を止めて、草が薄く茂る堤防に二人並んで腰掛けた。俺は空を、そらは海を見て、しばらくぼんやりする。どれだけ時間が過ぎただろうか。その感覚が無くなった頃、そらは小さな声で言った。


「泣いていい?」

「いいですよ」


 そらは一度大きく息を吐くと、嗚咽を上げた。その涙が意味するのは、おそらく寂しいじゃない。悲しいでもない。悔しいだ。何の役にもなれず、少女一人助けることもできない。そんな自分が悔しくて仕方ないのだろう。彼女はしばらく泣き続けた。穏やかな波の音にかき消されてしまいそうなほど、小さな声で。普段泣かない人だけに、今までも誰にも気づかれないように小さな声で泣いていたんだろうな、と思った。そして、数分泣いたら、そらは「ふぅ」と声に出して息を吐いた。それが区切りだったのだろう。そらは立ち上がると、大きく伸びをした。


「んーっ、つばさに謝らないと」

「そうですね、あの時のそらさんは怖かったから、つばさもヘコんでましたよ」


 はは、と笑って言う。それに、そらは顔を真っ赤にした。目まで赤いものだから、本当の意味で全体が赤かった。


「そ、そんなことないよ。つばさだって、心の中じゃ「まぁた言ってる」って程度にしか思ってないよ。うん、全然怖くない」

「いやいや、迫力十分でしたよ。もう絶対にそらさんは怒らせちゃいけないって学びました」

「も、もー!怖くないよ」


 そらは笑った。それが演技なのかどうかは分からない。しかし、笑えることが重要だ。


「蓮ちゃん、マスターはああ言ってたけど、やっぱり私は会いにいくよ」


 彼女の心の整理は、そこに落ち着いたらしい。一時に悔しさも、さっきの数分の涙で流しきった。


「教会に居た、他の子たちも可愛かったし、大丈夫だと思う。蓮ちゃんの迷惑にはならないよ」

「迷惑とかは別に」

「うん、大丈夫。つばさも納得する」


 そう言うと、そらは車椅子の方へと歩いていき、座った。そして、「行くよー」と俺を呼び、ログハウスの方へと向かう。本当にこれでよかったのかどうかが分かるのは、少し先だろう。


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