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第三話

 しばらく深呼吸をした後、マリエルは少しだけ落ち着いたようだった。

 しかし、おれはより一層動揺が増す。

 もうすぐ死ぬ? 死ぬって、どういうことだ。


「わたしの体、もうすぐ限界が来てしまうの。もう……長くない命だから」

「そ、そんなの! なんでわかるんだよ!?」


 マリエルは静かに首を振った。


「わかるわ。自分自身のことだもの。それに、お医者さまが両親に話しているのも、聞いてしまったことがあるの。わたしの体は年を経るごとに弱くなっていて、まず二十歳にはなれないだろうって。もしかすると、もっと早くその時が来るかもしれないって」


 そんな……嘘だ。

 信じられるわけがない。


「だからね、わたしは本当にルーンを天使さまだと思ったの。わたしを迎えに来た天使」

「……おれは天使なんかじゃない」

「うん、そうみたいね。だってあなたが本当にわたしを迎えに来たのなら、わたしがもうすぐ死ぬってことに驚くわけないもの。ルーンが本当は誰なのか、今のわたしにはわからないけれど……会えて良かった」

「マリエル……」

「ごめんね」


 なぜあやまるんだ。おれのことを忘れてしまったからなのか。それとも、もうおれと会えないからなのか。


「ルーン、わたし、そろそろ中に入るわ。また、明日――」


 言いかけて、マリエルは口をつぐんだ。おれは間髪入れずに言う。


「来るよ、明日の夜に。だからマリエルはゆっくり休んで、またここで待っててくれ」


 うつむいたままのマリエルはしばらく何も言わなかった。

 やがて、アレクサンダーの黒い毛並みに、ぽつりと雫が落ちる。マリエルは頷いた。


「……待ってる」


 消え入りそうなほどか細い声。おれはマリエルの正面で膝をつき、そっと彼女の金髪を撫でた。

 緑色の瞳が涙に濡れている。白い頬を月光が照らし、涙の通り道がまるで流れ星の軌跡みたいに光っていた。

 涙の痕に唇で触れる。柔らかな頬はひんやりと冷たく、初めて味わう涙の味は、苦かった。


     * * *


 マリエルが死ぬ。

 そのことを考えるだけ、心臓が張り裂けそうに痛かった。その痛みをかき消すために、おれは夜の森を全力で走って魔女の館へ戻った。


「ハァハァ、オイ、オオカミ! な、何を考えてるニャ!?」


 アレクサンダーはおれの後ろでニャーニャー鳴いている。二本脚のおれにも付いてこれないとは大した脚力だ。

 アレクサンダーを無視し、おれは魔女の部屋へ飛び込んだ。


「魔女!」

「なんだ、騒がしいな」


 案の定、魔女はベッドの上で寝転がりながら何やら分厚い本を読んでいる。

 ベッドの横に散乱している本をどかし、おれはなんとか見えてきた床に両膝と両手をついた。


「頼みがある」

「また頼みか。おまえの一生のお願いとやらは叶えてやっただろ」


 魔女はおれを見もしない。


「一生狼のままでいい。一生、おまえから逃げずにおまえの元で働くと誓う。だから――マリエルの体を治してくれ」


 ベッドに飛び乗ったアレクサンダーを撫でながら、魔女は読みかけの本を閉じた。


「おまえもマリエルの命が長くないって知ってるんだろ。本当に、最後の願いだ。おれの命と引き換えでもいい! マリエルが健康になるならおれはどうなってもいいから……」

「バカな狼だね。答えはノーだ。ワタシは人間には関わりたくないんでね」

「頼む!! このままじゃマリエルは死んでしまうんだ!」


 冷たい床に額をぶつける。こいつ相手に跪いたりするもんかと思っていたが、今はこんなこと屈辱でもなんでもない。

 医者でも匙を投げたマリエルを救えるのは、魔法しかない。そしておれの知る限り魔法を操れる唯一の人物は、この魔女なのだ。


「何をしたって無駄だ。大体、魔法を奇跡の術か何かと勘違いするんじゃないよ。人一人の命を脅かすような病をちゃちゃっと治せたりなんてするものか」

「ご、ご主人……」


 突然、アレクサンダーが弱々しく口を出した。いつものからかうような響きはない。


霊薬(エリクサー)はもうないのかニャ……?」

「エリクサー……?」


 魔女は苛立たしげに舌打ちをする。


「チッ、余計なことを言うんじゃないよ、アレク。おまえまであの女に絆されたのか」

「す、すまないニャ……でも、だけど、狼に肩入れするわけじゃないけども、あんな若いのに死んでしまうのは、あまりに可哀想ニャ」


 アレクサンダーのこんな弱々しい態度は――いや、魔女に何か意見するところは初めて見た。


「エリクサーって何だ? まさか、マリエルを治す方法があるのか!?」

「エリクサーは魔法の万能薬さ。ま、確かにこれを使えば治せない病はないかもね」

「本当か!?」

「だが前に作ったのは百年も前だし、余りなんて残ってやしないよ」

「だったら作ってくれ!」

「バカ。そんな代物、ぽんぽん作れるわけないだろ。大体材料もないんだ」

「おれが集める! 何が必要なのか教えてくれ」

「無理だね」

「どこにあるんだ?」

「無理だと言ってるだろ」

「絶対集めてくる!!」


 わなわなと魔女が震え、壮絶な怒りの表情にぞわりと肌が粟立ったが、おれはめげない。ここで退いたら終わりだ。


「――教えてください」

「――ったく、しつこい狼だね。じゃあ教えてやるよ。この森の奥の奥に、泉がある。その泉の水と、畔に生えている花。それがエリクサーの材料だ」

「……それだけ?」

「ああ、材料はそれだけだ。だが見付けるのは無理だよ。泉はワタシでさえほとんど踏み込まない、深い領域にある。しかも魔力を秘めた特別な泉さ。泉の魔力にあてられて、その周辺に住む獣どもはとんでもなく凶暴だ。仮に泉を見付けたとしても、泉の周囲に踏み込めばそいつらが黙ってはいないだろう」

「構わない。そうとわかればすぐに――」

「最後まで話を聞け。エリクサーの材料になる花は、月光花と言ってね。月の光を浴びた時だけ花をつける、特別なものさ。今から出たとして、泉に辿り着く頃にはもう昼になってるだろうよ。大人しく次の夜を待ちな」


 次の夜……おれが人間としてマリエルに会える最後の夜。

 絶対に、マリエルを死なせたりしない。


「泉はここからずっと西にある。ただし、ワタシは一切手を貸さない。行くなら自分一人で行って、一人で帰って来い。おまえの願いなんだからね」


 魔女の目は冷たい。おれはぐっとその赤い瞳を見返した。


「……わかってる。おれ一人で、やってみせるよ」


     * * *


 次の日の晩。約束の時間よりは早いが、おれはマリエルの家に行っていた。

 今夜はエリクサーの材料を探しに行かなければならない。一刻の猶予もないのだ。

 一言マリエルに、きみを助ける方法が見付かったと言うために、ここへ来た。そしてマリエルを少しでも安心させてあげることができれば、彼女も希望を見付けて少しは楽になるかもしれない。


 しかし、現実はおれの予想ほど甘くはなかった。


「マリエル……来ないな」


 しばらく待っても、マリエルは庭に出てこない。

 なんとなく、屋敷の中がバタバタしている気がする。――いやな予感がした。


「様子、見て来るかニャ」


 アレクサンダーも心なしか不安げだ。


「……ああ、そうだな」


 木の上から降りようとしたその時、庭に面したドアが開いた。いつもマリエルが出入りしている所だ。


「マリエル!」


 しかし、出て来たのはマリエルではなかった。

 使用人だろうか。二人の女性が庭に出て、何やら話し始める。


「ふう……やっと、一息つけるわね」

「まだわからないわよ。お医者さまの話では今夜が峠らしいから」

「あんまりだわ。あんな優しいお方が……まだ十六にもなっていないのに」


 どくん、と心臓がいやな音を立てる。

 間違いない。マリエルのことだ。

 マリエルに何かあったのか。きっとそうだ。あのまま具合が悪くなって……


「今夜が峠、って……」


 アレクサンダーが呟いた。


「……戻ろう」

「……本当に行くのかニャ。あそこは危険すぎるニャ。辿り着けるかもわからないし、着いたとしても戻って来れないかもしれないニャよ?」

「それでも、マリエルを助けるには、魔女にエリクサーを作ってもらうしかない。おれは行くよ」

「……わかったニャ」


 森へ入った途中でアレクサンダーと別れ、おれは全速力で走り始めた。


 とにかく西。西へ向かう。

 月の出ている間に辿り着かなければならない。そして館まで戻って、魔女に薬を作ってもらって、マリエルに届けに行く。

 到底、一晩で終えることは無理なのかもしれない。それでもおれはやらなければならなかった。おれが人間としてマリエルに薬を届けに行けるのが今晩だけだということ以外に、マリエルが明日にはどうなっているかわからない。


 今夜が峠――本当に、時間は残されていないのだ。


「待ってろ、マリエル……絶対に、おれが助けてやる!!」


 呪いは永遠に解けなくていい。マリエルに会えなくなったとしてもいい。

 おれは彼女に助けられた。彼女がくれたあたたかさは、ずっとおれの宝物だった。

 今度は、おれが助ける。

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