第6話
ハーティの城下町を背に進む。
その歩みは重い。追われる身だ、当然街道は使えない。
淡々と、黙々と、歩を進める。
生い茂る草地が行く手を阻む。
雨が降れば、大地は泥濘み、足を取られる。
只でさえ、標高は高い。連なる山々の峰を、登りは下る旅だ。体力の消耗は激しく、一行の行進速度は遅くなるばかり。
ハーティを経って三日。僕等は行程の半分も踏破出来ずに居た。
リリアの声に一同の進行が止まる。
見ると最後尾を行くルーガーがしゃがみ込んでいる。
「ルーガーが…」
リリアがルーガーに水を呑ませながら言う。服の脇腹付近が赤く染まっていた。
水路で負った傷だ。姉さんが朝夕と治癒魔法を掛けてはいたが、魔法は万能じゃない。ルーガーの傷は、然るべき場所で長期的な安静と継続的な治癒・治療が必要な類の負傷だった。
心身共に限界を迫られる、この強行軍だ。ルーガーの消耗は必然であった。
「少し、休憩しよう。カルメ、ルーガーを頼む」
ジョウストンの言葉に、皆がその場に腰を降ろした。途中、川で汲んだ水を喉に流し込む。食料は夜に一口だけ食べる様にしていた。
少しして、姉さんが近くに腰を降ろした。
「ルーガーの様子はどう?」
姉さんに水筒を差し出しながら尋ねる。
「当然、良くないわ。傷口が開いては血を流す、其れをここ二三日で何度も繰り返してる。栄養のあるものを食べて安静にしないと。今は気力で歩いているけど、ホントはもう限界の筈よ。直にルーガーは歩けなくなる」
姉さんはそう断言した。診断結果はジョウストンにも報告済みだろうから、彼は難しい選択を強いられる事になる。
彼を背負うか、斬り捨てるか。
「何処へ行くの?」
立ち上がった僕に、姉さんが声をかける。
「少し、ルーガーと話してくるよ」
僕はそう答え、歩き出した。
ルーガーは切り株に背を預け、目を瞑っていた。
隣に座ると、ルーガーは目を閉じたまま顔を向けた。額には汗粒が浮ぶ。
「ルーガー、調子どう?」
ルーガーはゆっくりと深呼吸をしてから口を開いた。
「…悪くない。此処は空気が綺麗だ」
脇腹付近から漂う血の匂いが、僕の鼻を刺激する。
「何か欲しいものはある?」
「水をくれ。やたら喉が渇くんだ」
僕はルーガーの口元に水筒を近付ける。
「俺はもう駄目だ。此処に残る」
水を飲み終わると、ルーガーは言った。
「姉さんに何か言われたのか?」
「…歩けなくなる、てな。お荷物にはなりたくない」
「お荷物じゃ無い。仲間だ。決して見捨てない。嫌がっても、連れて行く」
ルーガーの眉が小さく震えた。
「やめてくれ、お前はまだ若い。世の中は綺麗事だけじゃ、ないんだ」
「知ってる。その上で、言ってる。結果、自滅しても死の間際に後悔は無い。そうだろ?」
長い沈黙があった。
「お前は後悔する」
「後悔はしない。さっきも言った」
ルーガーの反論に即答する。
「僕が、そうしたいんだ」
口を閉ざすルーガーに僕は言う。
暫くしてルーガーは目を開けた。
「ありがとう…不安だったんだ…」
その瞳から涙を流し、ルーガーは言った。
「よし、出発だ!」
様子を伺っていたジョウストンが立ち上がる。僕はルーガーを起こすと、肩を貸して歩き出した。
「ロラン!貴方…」
すぐに姉さんが僕の行動に顔を歪める。
「ロラン、彼をリューゲンまで支えて運ぶつもり?どれだけ無謀な事か、分からない?」
気に入らないのだろう、姉さんは不満を募らせる。
「カルメ…お前の気持ちは分かる。俺も最初は断った。だがロランの決意は固い。この先、途中で捨てられても、いい。俺はロランに賭けた」
「それは貴方の助かりたい一心でしょ!ロランまで巻き込まないで」
「巻き込んだのは僕だよ、姉さん」
いよいよ目の前に立ち塞がった姉さんに、僕は言う。
「愚かな事よ、すぐにやめて。貴方の行為は自分の命を軽んじる、冒涜な行為よ」
「姉さん、今この瞬間にも僕等の体力は消耗を続けている。この不毛なやり取りをやめて、前に進もう」
「その通りだわ。その為にも、彼から離れなさい、ロラン」
「それは出来ない」
「彼を支えていたら、リューゲンまで貴方の体力が持たないわ!」
「なら交代でルーガーを支えればいい」
そう言ったのはヴァズだった。
「俺とロランで交互にルーガーの面倒を見る」
「私も手伝うわ」
リリアも加わった。
「弟を助けたいなら、お前も手伝えばいい。どうでもいいなら、知らん振りして一人先に進め」
ヴァズが言う。
「助けたいなら、ですって!?私は貴方なんかよりも断然ロランの事を想ってるわ!!」
ヴァズの言葉にカルメは逆上する。
「姉さん、手伝ってくれないなら、邪魔だからどいてよ」
これ以上時間をとる訳にはいかない。一刻も早くリューゲンにたどり着く必要がある。
僕のその言葉に姉さんは絶句し、そして弱弱しい口ぶりで返した。
「私も手伝うわ…」
姉さんは恨みがましい目で僕を睨み付けながら言った。
僕は皆に感謝しながら、交互にルーガーを支え合った。遅々として、それでも少しずつ進む。
その日の晩、節約に節約を重ねた食料も、後僅か。一口の下に飲み込んでしまいたい欲求を抑え、僕は空腹を訴える胃を、その痛みに堪えながら食料をしまった。
夜半過ぎ、灯る火をぼんやりと見詰めながらただ時が過ぎるのを待っていた。
足音に気付き、振り返る。
ジョウストンが居た。焚き火の灯に照らされた彼は、神妙な面持ちをしている。
「どうしたんです?まだ交代の時間には早いと思いますが」
僕が言うと、ジョウストンは隣に腰掛けながら頷いた。
「ああ。少し、話があってな」
そう言ったものの、ジョウストンは焚き火を見つめたまま暫く口を開かなかった。
僕もあえて催促をする事もなく、ただ静かな時間が流れた。
「食料を分けて欲しい」
唐突だった。
彼は、焚き火から僕に視線を移すと頭を下げた。
「頼む。この通りだ」
僕は全てを理解した。頭を上げようとしないジョウストンに、食料の入った袋を差し出す。
「貴方の娘達に、これを」
ジョウストンは袋を受け取ると、僕を見た。
「姉さんには内緒ですよ」
「…ありがとう、ありがとう。この恩は決して忘れない!」
ジョウストンはそう言うと、姿を消した。元はと言えば、原因は僕にある。ルーガーを連れて行くことで一行の進行速度は更に遅れ、食料事情もまた厳しさを増した。腹が恨みがましい音をたてる。
「バッカじゃねーの」
「ヴァズ!」
何時から其処に居たのか、ヴァズが木陰から姿を現した。
「俺の見立てじゃ、リューゲンまで後二日。只でさえ、腹ペコなのにどうするんだよ」
「二日か。耐えられるな」
その言葉に、ヴァズは呆れた顔を見せる。
「お人好し馬鹿とは、まさにお前の事だな。ルーガーの件も含めて、いい加減にして欲しいもんだぜ」
「ルーガーの事は感謝してる。お前の助力がなければ、とても此処まで来れなかった。ありがとう」
「少しは先を見通してから行動しろよ。ルーガーの事も、食料の事も。お前の向こう見ずな正義感の為に損をするのは、俺なんだからよ」
そう言うと、ヴァズは僕に小袋を投げて寄越した。中身は乾燥肉に一切のパン。
「ヴァズ…」
「お前の正義感を満たす為に、周りの人が被る迷惑を考えろ。その人達を、少しは思い遣れ。カルメが死ぬ程お前を心配してるぞ」
「分かった」
そう応えると、ヴァズはためいきをついて寝床に戻っていった。
ハーティを出て、四日目の朝。
「おはよう、姉さん」
朝支度をしている姉さんに僕は声をかけた。
「え!?お、おはよう?」
姉さんは目をパチパチと瞬かせた。僕から姉さんに挨拶をするなんて、数年振りだろうか。更にここ数日は重い空気が流れていたから、尚更驚きなのだろう。
その日は姉さんが朝からご機嫌だったからか、ヴァズと姉さんの啀み合いも無く、順調に歩を進めた。夕方には、サーベルウルフの群れが襲ってきたが、餓えた人間の群れには敵うはずも無く、殲滅。決して美味しくは無いが、念願の食料を調達出来た。
サーベルウルフの硬い肉も、空腹具合でご馳走になる。
夢中で骨にしゃぶりつくマナ、カナを横目に、負けじと僕を大口を開けた。
「端ないわよ、ロラン」
食事の礼儀作法に煩い姉さんも、注意はすれども表情は穏やかだ。
篝火を囲む一同には、笑いが絶えず、剣呑な雰囲気は皆無。
如何に、食事という行為が尊い行為だったのかが分かる。
ただ、エネルギーを補充するだけじゃない。心身共に、人を豊かにする。
僕は肉を噛み締めながら、自分の娘に肉を取り分けるメリザ夫人を微笑ましく思えた。
久方振りの食事に胃が膨れると、皆は俄に活気付いた。
翌日、身体に漲る力があった。
つい先日は彷徨う様な行進に、虚ろな瞳を宿していたルーガーも、今は希望に瞳を輝かせる。
「早ければ、今日の昼にはリューゲンに着く」
ジョウストンの言葉に、皆が歓声を上げた。
困難な旅路だったが、終わりが見えれば楽なものだ。リューゲンに着いてから、やる事は多々あるだろう。しかし今はリューゲンの港町で、美味しいものを腹いっぱいに食べ、温かいお湯につかる。
各々が、リューゲンに想いを馳せながら今その足を踏み出した。
次話投稿まで少しまた時間かかります。