第5話
この後の展望を話し合う事になった。テーブルにはハーティの城下町の地図が広げられている。
「そろそろ、どうするか決めないとな」
ジョウストンが言う。皆は互いに頷き合った。
「まず現状だが、ハーティは今や完全にグリタリア家に占領下にある」
今迄の様な、審問官がギノア人の不審か、そうでないかを監視する段階は終わった。彼等の仕事基準は、ギノア人かそうでないかに変わったのだ。
「我々の取りうる選択肢は、ハーティからの脱出以外に無い」
確かにこの地下室が発見される可能性は低い。現に占領されて三日経っても、奴等が此処を見付ける気配は無い。
つまりは、出なければ見付からない。安全だ。しかし、篭り続ける事も出来ない。
「食料も長くは持たない。尽きる前に、行動を起こすべきだ」
地下室に蓄えられた非常食も、残りはそう多くない。この人数だ、持って数日だろう。
「地下水路に繋がる入口が宿の裏手にある。裏口から出れば、恐らく見付からずに水路に出れる」
問題は其処からだ。当然、地下水路の存在は奴等グリタリア家も警戒する所だろう。逃亡路には売って付けだ、見逃すとは思えない。其れに、あの場所は魔が巣食う。
「幸いな事に、武器はある。戦える者も、そうでない者も、充分に装備を整えるに足りる」
地下室の片隅に並べられた武具。様々に揃えてあった。
「しかし問題はその先にある」
ジョウストンは続ける。
僕達がリューゲンから此処まで、半日を荷馬車で進み、其処からは徒歩で三日掛けた。それも少人数且つ若く体力のある者のみで構成された旅路。今回は総勢十一人、中には負傷者や決して若いとは言えない者も、また逆に若すぎる者も居る。水路で傷を負う者も出るかも知れない。
リューゲンまで早くても五日、途中手間取ればそれ以上は必須だ。対して食料は僅か。
厳しい道のりになるのは想像に難く無い。
「一つに、ハーティからの脱出。二つに、リューゲンまでの旅路…」
ジョウストンは指を二本立てる。
「命の保証は無い。だが行かなければ、死を待つだけだ。何か異論はあるか?」
異論は出なかった。皆が覚悟を決めていた。
僕達は夜になるのを待って、鹿ノ蹄亭を出た。
僕とヴァズ、姉さんが先行する。姉さんの視力強化のお陰で、夜でも昼の様によく見える。安全を確認し、後方に合図を送る。
メリザ夫人にその娘達マナとカナを始め、エミリアとリリアの母娘をジョウストン、ルーガーとブライアンが護衛しながら進む。
裏路地に入り、階段を下る。
石の枠組みが設けられた水路への入り口をヴァズと二人で開ける。
地下へと続く梯子が姿を見せる。
ランタンを灯し、先行する。
水路に降り立つと、周囲を警戒。魔物の気配は無い。
僕は上から顔を覗かせる姉さんに、ランタンの灯りを強弱二回点滅させた。姉さんの顔が引っ込み、やがて皆が続々と梯子を降りて来る。
「ルーガー、ブライアン、後衛を頼む。その他の陣形はそのままだ」
水路は幅が狭い。横に並べるのはせいぜい二人がいい所た。三人並べば、剣を抜く事すら危うい。
僕とヴァズそして姉さんが先行変わらずに、その少し後ろをジョウストン、メリザ、マナ、カナ、リリア、エミリア。そして更にその後ろにルーガーとブライアン。
十一人は縦に細く伸びた。静かな水路を、その足音にも過敏になりながら慎重に進む。前回水路を抜けた際と同じ失敗は避けたい所だ。
そう思った矢先、甲高い音が水路内に響いた。残響が木霊し、耳を突く。
ヴァズが凄まじい顔で振り返る。
カナの手からランタンが落ちていた。顔を青く染めている。
「ちくしょう、ファントムだ!」
「来るな…うわああああ」
後方からルーガーとブライアンの声が響く。
「な、何をするブライアン!血迷ったか!?」
見ればブライアンがルーガーに切り掛かっていた。
響く剣戟音。ファントムは人に取り憑く。
「私が行くわ!」
そう云ってリリアが剣を抜く。止める暇さえ無い。
「ロラン、前を見ろ!」
ヴァズに言われ、振り返る。物言わぬ骸が二体。
「い、いや…」
姉さんは半恐慌状態だ。
「突破するしかない!皆、走れ!」
ジョウストンの声に、皆が動き出す。僕とヴァズが二体を走り抜けざまに斬る。取り零しはジョウストンが仕留める。その後ろを残りの皆が駆ける。
空が薄っすらと明るくなり始める頃、僕達は水路を抜けた。
幸いな事に、一番警戒していたグリタリア家の兵に遭遇する事は無かった。
「明るくなる前に、山に入るぞ」
ジョウストンの声が非情に告げる。一行にブライアンの姿は無い。しかし、誰もそれを口にしなかった。水を一口飲むと、僕は立ち上がった。
太陽が登る。僕等はハーティを一望出来る場所に居た。つい先日この場所から見た景色とは違う。街は無残に破壊され、活気無く静まり返っている。街が静かに泣いてる様だ。
「結局、奴等の目的は何だったのかしら」
リリアが横に並び立つ。
「分からないけど、多分解放戦線の出鼻を挫いて士気を沈めたかったのかな。逆らえばこうなる、そういう見せしめの意味もあったのかも」
僕は応える。
「お父さん…」
リリアの父は、奴等に背を斬られ地に伏した。恐らく生きてはいまい。重い空気を変えたくて僕は話題を変えた。
「剣、使えるんだね」
僕が言うと、リリアは自らの腰に携える剣に視線を落とした。
「そんな事ないわ。無我夢中で、出鱈目に振り回しただけよ」
きっとセンスがあるのだろう。憑依されたブライアンを斬り伏せたのは彼女だ。その才能を、羨ましく思った。
「ロラン、こっちに来なさい」
姉さんが僕を呼んでいる。
「お姉さんが呼んでるわ」
リリアが言う。
「うん」
僕は振り向き、姉さんの元へ向かう。すると後ろから声を掛けられた。
「昼には出発みたいだから、ゆっくり休んでね、ロラン。頼りにしてるわ」
「リリアも」
僕は笑顔で手を振った。
「あの娘と何を話していたの」
着くなり姉さんは僕に尋ねてきた。
「何って、雑談だよ」
「その雑談の中身を聴いてるの」
「中身って…大した事じゃないよ。そんな事聴いてどうするのさ、姉さん」
「別に。ただ貴方が現を抜かしてるんじゃないかと思って。」
「変な言い掛かりは止してくれよ」
「硬くなに言ようとしないのね。私に聴かれたくない事でも話していたんでしょ」
「何を言ってるんだ。被害妄想だよ、姉さん。リリアはそんな子じゃ無い」
「リリア?あの娘、リリアって名前なのね。随分と親しげにあの娘の名前を呼ぶじゃない」
「姉さん、昼には出発なんだ。いま寝とかないと、支障を来たすから…」
「あの娘との会話は嫌がらない癖に、私との会話は嫌がるの?」
「…姉さん」
此処は魔法の言葉の出番か。昔からコレを言えば、姉さんの機嫌はコロッと良くなってしまう。
対ヒステリーカルメの僕の秘密兵器だ。
「姉さん、よく聴いて。僕は姉さんを愛してる。唯一無二の存在だ、掛け替えのない大切な人だよ。だから今は寝よう」
「!!」
例え会話が噛み合っていなくても、多少強引に姉さんを納得させる事が出来る。魔法の言葉。
姉さんは何故だが家族愛に滅相弱い。昔から家族愛が強調されたお話が好きだったし、そういう類の物語を何度も姉さんに強制的に読まされたりした。結末は大抵綺麗な家族愛、特に兄弟姉妹愛で終わるお話だったが、中には行き過ぎだろうと思われる話もあった気がする。
とにかく、姉さんには家族愛が効く。これは僕の処世術の一つなのだ。
姉さんのヒステリーが起き、手に負えない時、この手を使うのだ。
勿論、姉さんは家族として唯一無二の掛け替えのない人だから、嘘じゃない。美しきは姉弟愛。
「私も、貴方を愛してるわ、ロラン」
姉さんは満面の笑みで応えた。
永く辛い逃亡の路、その始まりでもあった。