第16話
ロランとカルメがジョウストンとの予期せぬ再会を果たした頃、リューゲンの街中央防衛線手前の、放棄された野戦病院。
怨恨の血を注がれた剣を握る青年と、返り血に甲冑を染めた女が対峙していた。
二人の間には、無造作に、屍が積み重なる。
「ぶっ殺してやるッ!」
激昂するヴァズに同調する様に、呪われた剣の刀身が脈打つ。
「ほう、自ら切味を矯正するか…」
剣は、研がれる訳でもなく自然にその鋭さを増した。
まるで一個の生き物の如き、剣の動きにミーシャは感心する。
ヴァズの太刀筋は、彼に掛けられた幾つもの補助魔法と呪われた武器に拠る身体能力底上げに、彼自身の潜在能力も合わさって、かなりの鋭さを持ち合わせていた。
しかし、それは才能の原石であって、磨かれたものではない。
才能を持ち、長年の研鑽をそれに加えてきたミーシャの敵ではなかった。
怨念の濃縮された剣技をいなし、流し、そして青年の手元を強かに撃ち付ける。
咄嗟に落とした剣を拾おうと身を屈めた青年に、三度目の膝を入れる。
度重なる腹部への打撃に、ついに青年は、剣を拾うこと叶わず、そのまま蹲った。
「私が憎いか」
胃液を吐き出しながら、涙する青年に向けて言う。
青年は咽るばかりで言葉を返さない。しかし、その瞳には憎悪の闇が宿っていた。
「いい眼だ。さて、お前に復讐のチャンスをやろう」
ミーシャは、足元で蹲るギノア人に告げる。
「私の部下になれ。さすれば、お前に復讐を遂げる機会を与えよう」
屍が積み重なる戦場の地で、ヴァズは血反吐を吐きながら答えた。
「誰が、お前などに…」
その返答に、ミーシャは無表情のままに、青年の腹部を蹴り上げた。青年の口から血が噴き出る。
「大陸人を殺したくて殺したくて堪らないのだろう?そのお前の願いを叶えてやろうと言うのだ。悪い話ではなかろう」
その一部始終を傍で見ていた一兵が、戸惑いに口を開く。
「ミ、ミーシャ様?一体何を…」
不運にもその兵士は、ミーシャ直属の部隊所属ではなかった。
歩兵連隊の一兵であり、伝令役としてここに留まった者だ。
故に彼の首は切り落とされた。
ミーシャ靡下の部隊ならば知る事実、それを彼は知らなかったのだ。
彼女が、そういう人間である、という事。
現に、目前の蛮行に、ミーシャ靡下の部隊は眉一つ動かさない。
「貴様…一体」
味方を切り殺すという行為を前に、ヴァズが問う。
その問い掛けに、ミーシャは自身の前髪を掻き揚げる事で答えを示した。
そこには、確かに切断面があった。角のあった証だ。
「ッ!」
ヴァズは驚きに眼を見開く。
「お前は…、ギノア人…なのか!?」
ヴァズの言葉に、ミーシャはにやりと笑みを返す。
「どうだ、私の話に乗る気になったか?」
「裏切り者…」
ヴァズの返答に、ミーシャは溜息をつく。
ミーシャは徐に、流血し蹲るリリアの頭を掴み上げた。
「私に従わないなら、仕方ない。この娘をお前の代わりに痛めつけるとしよう」
リリアは痙攣しながら、弱弱しく短い悲鳴を吐く。
「卑怯者…」
「さあ、どうする」
嬉々として問うミーシャに、ヴァズは顔を顰める。
ミーシャにとって、ギノアの小娘の生死など些細な事だった。
肝心なのは、呪いの武器の使い手。自身の野望を叶えるに、大いに役立つ駒になる。
ヴァズの胸中を占める感情が、憎しみの呻りが不思議とその勢いを亡くした。
――どうでも、いい…
ルーガーが死に、リリアがやられ、ロランも居なくなった。
元より自分の出生も知らぬ身だ。母の顔も、父との思い出も、無い。
ろくでもない幼少期を過ごし、人から奪い盗む事で育った。
明確な目的も目標もないまま生きてきた。
世界に対して漠然として怒り、不条理を恨み、孤独に脅え、生を渇望して生きてきた。
「…条件がある」
暫くして、青年は答えた。
「なんだ、言ってみろ」
「リリアを助けてやってくれ…」
「いいだろう」
ミーシャは微笑むと、リリアを控える兵に投げ渡した。
「治療してやれ」
ミーシャが命令すると、ヒーラーが治癒魔法を唱え始めた。
「さて…」
歪な笑みを浮かべたまま、ミーシャがヴァズを覗き込む。
ミーシャは徐に鎧に覆われた足をヴァズの前に差し出した。
「忠誠を誓え」
ヴァズは蹲ったまま、女を睨み、そして顔を歪めながら足の甲に口を付けた。
一瞬の痛み。
熱と共に刻まれた魔法印。
ミーシャは、ヴァズの額に刻まれたその呪印を確認し、微笑んだ。
「歓迎するよ、負け犬君。君は今日から私の奴隷だ」
戦場に女の高笑いが響いた。