第13話
「ルーガー?」
ヴァズの横に居た筈の男は、その胸に一振りの剣を刺して、倒れていた。
人の血脂が付着し過ぎたソレは、斬れ味など最早無い。
幾人もの命を奪ったであろう、その剣。
皮膚を割き、肉を斬り、骨を断ち、刃は毀れ、血に塗れていた。
そんな持ち手から切っ先まで、鮮血に濡れる剣が、墓標の様に見えた。
ほぼ無意識の内に、両手を縛る縄を、その刃で千切り落とした。無造作に剣を抜く。
咆哮と共に、駆けた。
澄ました顔で、その表情に不敵な笑みさえ浮かべる女に、ヴァズは斬り掛かった。
「将軍をお助けしろ!」
歩兵部隊を率いる男が慌てて叫ぶ。
「手は出すな。お前達は、お前達のやるべき事をなせ」
女は一喝し、新たな剣を抜いた。
「ーーーー!!」
声にならない怒りの叫び。
血に濡れた剣を、まるで鈍器の様に叩き付ける。
女はそれをいなして、踏み込む。そのまま膝で青年の腹を打つ。
鋼の甲冑が、ヴァズの鳩尾を叩いた。
呼吸が止まり、胃液が逆流する。
「そんなものか?」
女の挑発に、冷静では居られなかった。
狂乱状態の様に、剣を振り回す。
血脂で斬れ味は落ち、何人もの骨を切断した事の刃毀れが、剣を剣でなくしていた。
激しい剣戟の応酬が続く。
その傍らで、グリタリア兵が身動きの取れないギノアの負傷兵を、無慈悲にも刺し殺していく。
瞬く間に、大地は血で染まった。
白銀の剣と血脂の剣が衝突した。
女がヴァズの剣を絡めとる様に、そして弾き飛ばした。
そのまま踏み込み、再度ヴァズの腹部に具足を打つ。
ヴァズは堪らず、吹き飛ばされた。
びちゃり。手をついて、妙な感触に眉を顰める。
掌を見れば、赤い。
生暖かい血が、血溜りが其処にあった。
「つまらん。殺すか」
女はそう言うと、近付いて来る。
――おいおい、嘘だろ…
こんなのって、ありかよ。ああ、神様。
その時、弾き飛ばされた剣が真紅に輝くのを見た。
その剣は血を吸いすぎた。
それも怨み辛みが濃縮した血だ。
そして、祖に魔の眷属を持つとされる、一角族ギノアの血。
潜在魔力に富み。身体能力も高い。
その身体は、根本的に魔に近しい民族だった。
その剣は、俗に言う“呪い”のかけられた魔法具として覚醒した。
今まさに、己の力の無さを嘆き、絶望し、悲しみに暮れ、敵を憎み、呪い、怨む、力を渇望する、そんな青年が居た。
剣は彼に応えるべくして生まれた。
呪われたギノアの剣だ。
何かが横を過ぎるのを、ミーシャは視界に捉えた。
赤い何かだ。
あまりの速さに、それを確かな形で視認する事は出来なかった。
その正体はすぐに分かった。
目前の少年が握る、鮮血色の武器。先程まで、自分が振るっていた剣だ。
「面白い。果たして貴様は、その武器を扱えるかな」
事前に魔を込められた武具以外にも、時として、魔法具として覚醒する武具がある。
一つは、精霊・神々に祝福を受けた場合。悪戯好きな精霊は時として人の運命を残酷な程に狂わせるという。より高位な存在は、徳の高い人間の前にしか現れない。故にミーシャは見たことなどないし、その存在を疑う事もある。
二つに、悪鬼・邪神の類に見初められた場合。彼等は、大抵にして血や臓物、そして悲劇を好む。度が過ぎた精霊が悪鬼になると考えられ、常人では及ばない程に人が絶望し、悲嘆し、憎悪を持つ時、彼等は現れるという。
トロルを召還した事により、此処は普段よりも魔界の影響を受けやすい。
そして例の剣は、私の手によって幾百という血肉を、その怨念と共に喰らった。
覚醒するにはお誂え向きな条件が整っている。
「何故だ…」
青年が呟く。
「何がだ?」
ミーシャは言う。
「何故、殺した…」
青年は尚、尋ねる。
「それは幾百というギノアの兵士の事か?先程の捕虜の事か?それとも」
ミーシャは、散乱する死体の下で蹲る少女を引きずり出した。
「こいつの事か?」
少女の、その恐怖に引き攣った表情を見て、ミーシャは満面の笑みを浮かべた。
その背徳が、ミーシャの体温を熱くさせる。
神がいるならば、罰して見せろ。私はここに居る。
――ぐさり
リリアはただ思った。
――来なければ、良かった…
母さんと逃げていれば、こんな事には。
助けて、ヴァズ!助けて、ロラン!
死にたくない!嫌だ!
嘘だ!こんな…ああ…
「何を言っているのかな?」
リリアの虚ろな瞳を覗き込みながら、ミーシャは嬉しそうに問う。
リリアの口からは血の泡が出るばかり、声は言葉として紡がれない。
「んー、なになに?虐めてくれって?」
嬉々としてミーシャが言う。
ミーシャが、その少女の髪を無造作に引き抜き始めた時、目前に青年が迫った。
その形相はまさに悪鬼にして、血の涙を流す。
呪いの武器は、その持ち手に力を与える。
青年自身は、あらゆる感情に錯乱状態だ。
しかし、その身体能力と潜在的白兵戦のセンスが、彼を並の戦士以上に動かす。
更に、誰が掛けたのか、重ねがけされたエンチャントが彼を強化しているのだ。
素早さ、反射神経、動体視力、直感、筋力に至るまで。
あらゆる身体能力が向上され、更には女神の加護、幸運の呪い、祝福の類い。
案外それらが武器の覚醒を促したのかもしれない。
そして、呪いの武器が、彼を更に強化する。
強力に過ぎる暗示と共に、彼に掛けられた補助魔法。
何より、彼自身の確固たる意思。
哀しみ、怒り、恨み。
それらの激しい感情が、若きギノア人を爆発させている。
ミーシャは突き出される血糊の剣を叩き落とした。
彼の勢いを留まる所を知らず、唯その殺意を膨らませる。
「何故、殺した!!何故、何故だ!応えろ!許さない…殺してやる!」