リセット 1
4
「……はあ、なんかすごく疲れた」
「ご、ごめんなさい。嬉しかったから、つい舞い上がっちゃって。あっ、これ美味しいですよ、飲みますか?」
小さく口の中で呟いた声は向かいの席に座る彼女へ届いてしまったらしい。
聞かせるつもりで言ったわけじゃないんだけど。なんだかこっちが申し訳なく感じる。疲れてこそいるけれど、俺も楽しんだことは事実だし。
それとさりげなく自分の飲み物を勧めてくるんじゃありません。免疫がない俺にとっては異性とのそういう好意に満ちたやりとりは心を乱れさせるから。彼女みたいな容姿だと特に。
茫然自失の中に叩き落された校門でのやりとりから一時間ほどたった今、俺と例の美少女がいるのは学校近くの商店街、その一角にある喫茶店のテーブル。
こげ茶色の木材に淡い光を放つライトといった内装で落ち着いた雰囲気を漂わせる商店街の人気店だ。
以前凜太郎がデートに最適だとかなんとか延々と話し続けていたことを思い出し、一息つこうと転がりこんだわけだが、思った以上に心が落ち着いた。凜太郎の情報もたまには役に立つな。
しかし、放心状態だった俺の手を引いて校門から連れ出した彼女の、意外な天真爛漫さは俺をむこう一週間分くらいは疲れさせた。実際、明日から一週間は学校を休みたい。
うむむ、と唸って目をつむった俺の意識は一時間前へと遡った。
まずは商店街まで引きずられ、クレープを買い食い。
「あっ、あれ食べたいです、一緒に食べませんか?」
「えっ、ああ、クレープ? 別にいいけど」
彼女の指さす先には広い路上にとめられたカラフルなワゴン、そして側面が上下に開いた車内に立っている妙齢の女性店員。のぼりにはポップな字体でクレープの文字が躍っている。
「おう、いらっしゃい」
「私は、えっと……この抹茶羊羹チョコクリームクレープにします」
「じゃあ俺はこのスペシャルチョコバナナで」
「あいよ、ちょっと待ってな」
そのまま作業へと取りかかるのをボーっと眺めていると、鋭い視線が俺の目とかち合った。
……そんなに見るなよ、クレープ屋のお姉さん。お姉さんの言わんとしてることはわかってるから。
「お代はいいよ、俺が出す」
「えっ、そんな、私そんなつもりじゃ、ちゃんとお金も持ってますから」
「気にするな、……その、あれだ、これ一応デートなんだろ? お代は男が持つものって姉貴も言っていたしさ」
「あっ……! ふふっ、そう、ですね。ありがとうございます。あとで食べ比べしましょうね」
いや、それは勘弁してくれ。個人的に羊羹とチョコレートは相容れない。あれ、前に今の言葉を言った気がするけど、……駄目だ、思い出せない。
あとお姉さん、「お幸せに、末永く爆発しろ」ってのはいろいろ間違ってるから。
次に寄ったのはゲームセンター。
いつも遊びに行くところに、と言われたから連れてきたけれど、太鼓を叩いたり、クレーンゲームをするところまでは漠然と予想できた。だが、プリクラコーナーへ引きずりこまれるとは誰が予測できるだろうか。
動作を指示する底抜けに明るい音声に行き場のない怒りの矛先を向けていた俺は、きっとプリクラで流れる声を生涯嫌い続けるだろう。それ以前に無駄に羞恥心をあおる(ように感じた)あの音声を好きになることはできそうにないけど。
ふと、目を向かいの空いた椅子へと移す。そこにはゲームセンターでの戦利品が、ちょこんと置かれていた。
「……うん、やっぱり俺が持ってたりなんかしたら死にたくなってたな。良かった」
心の底から安堵の息をついて、もう一度意識をゲームセンターでの一場面へと戻した。
「あの、本当にいいんですか?」
「俺の部屋にあってもどうしようもないし、それ以前に俺が持ち歩くのは無理がある」
押し付けるように渡したのはうさぎのぬいぐるみ。
迷惑がられることはない、はずだ、たぶん。彼女が見ながら可愛いと連呼していた物だし……それでも嫌がられるようなら無理強いはしないけど。
と臆病風に吹かれた俺の邪推は、
「わぁ……、ありがとうございます!」
満面の笑みで打ち砕かれた。
花が咲くように、って言葉で言うならわかりやすいくらい満開の笑顔で。
笑うと童顔に見えるんだな、とかとりとめもなく考えながら、何かが頭に引っかかった。少しづつ落ち着いてきたからだろうか、校門で会った時にも感じた既視感。まるで笑顔を見たことがあるような錯覚。
結局は、考えてもわからず、それよりも次へ次へと嬉々として手を引く彼女のバイタリティに圧倒されているうちに気にしなくなった。
そして、その後もウィンドウショッピングなどで歩き回り、ようやく頭が正常に回り始めたところで喫茶店を提案し、今に至る、と。
我ながら随分と振り回された。まるで嵐のように唐突に衝撃的で、夢のように実感がない一時間は途轍もない充実感と疲労を感じさせてくれた。
そのおかげ、と言うべきなのか少しずつこの状況にも頭が慣れ始めた。
さて、慣れるくらいにならないと考えが追いつかない、個人的には突発的な珍事だったけれど、落ち着いたなら真っ先に聞くことが――いや、聞かなきゃならないことがある。
「あー、その、えっと」
話を切りだそうとして、そういえばそもそも名前を知らないことに気付いた。
雰囲気にのまれるにしても酷いな。結局ここに来るまでも手を繋いで移動している時はまったく集中できてなかったんだから、まだまだ根本的に慣れるのは遠そうだ。
「先に謝っとく、ゴメン。気を悪くしないで欲しい、ってのは無理だろうけど……俺が君にいつ、どこで会ったのか教えてくれないか?」
言葉と同時に頭を下げる。
ここまでの道中でも、どんな鈍感でも理解できるくらいには好意を寄せてくれているのを感じられた。
そんな相手にこの質問は相当に失礼だろう。ともすれば、ビンタと罵倒のコンボくらいは当然覚悟していて然るべき、そう思っていた。
でも、俺が顔を上げて見た彼女の表情は、悲しそうな顔でも、怒った顔でもない、思い描いていたどの表情とも違う、優しげな苦笑いだった。言葉で表すなら「やっぱり」といった感じの。
――チリチリと、火花が散るような音が頭に走る。
また、頭をかすめる違和感。
俺は、やっぱりこの子をどこかで見たことがある。そんな曖昧な既視感。
今浮かべた表情はもちろん、彼女の反応を予想した自分の頭の中に、とっさに浮かんだ様々な表情、それはとても鮮明で、はっきりと思い浮かべられる。まるで彼女のいろいろな表情を何度も見たことがあったかのように。
でも、まだ靄がかかったように思い出せない。
「……そうですね。私があなたと最後に会ったのは、三年前です」
三年前。
普通ならなんの意味も持たない、別になにもおかしな『いつ』じゃない。
でもそれは俺にとって、忘れられない年だ。たぶん、いや絶対に死ぬまで忘れることはない、ある出来事が起こった年。
それが彼女に関係しているなんて安易に考えるほど馬鹿じゃないけど、それでも違和感は増した。
「私とあなたは、一緒の学校に通って、今日みたいな、恋人みたいなことをしていたんですよ?」
ちょっと責めるような、悪戯っぽい表情で彼女は笑う。俺は知っている、この表情も。この声音も。
なぜ、いったいどこで?
俺は彼女をよく知っている。それは今までの感覚が間違いないと教えてくれる。
彼女の言葉通りなら、中学の同級生か?
そんな馬鹿な、たった三年前だ。同じ中学でデートなんてしていれば忘れるわけがない。まして彼女は百人見れば百人がふり返るほどの絶世の美少女なんだ。
でも何度も感じた既視感、どころかその表情まで鮮明に思い出せる……いや、本当にそうか?
本当に俺が思い浮かべているのは――今、目の前にいる彼女の表情なのか?
……いや、違う。それは確かに彼女の表情ではあるけれど、それは現実のものじゃない。もっと遠い。
「もしかしたらわかってくれるかな、ってちょっと期待していたんですけど。でも、仕方ないです。こんな風に会うのは初めてですから」
こんな風に。
その言葉で、頭の中にあった映像が掘り起こされて繋がっていく。
それは数年前に、ただしそれは決して現実世界での出会いじゃなく。なによりその姿は今朝も見ているはずじゃなかったか。
「そう、か……君は」
そうだ、俺は知っている。彼女のことも、その名前も。
そうだった、そもそも次元が違う。肌に一つの傷もない、無駄な皺の一つもない、そんな完璧な人間が存在するわけがない。
「椿木、莉瀬」
「はい、お久しぶりです。時間は……ギリギリですね。ごめんなさい、詳しく説明したいんですけど、そろそろ一回目の時間みたいです」
本当にごめんなさい、ちょっと強引になりますけど。
と前置いて、次に莉瀬が発したのは幾度となく、それこそBADENDのたびに聞かされ、聞き慣れたものによく似た、『やり直しの言葉』。
――今日を、やり直します。
「は、あ……えっ、はぁっ!?」
一瞬だった。
まるでコマ送りのように目の前の景色が切り替わる。思考がぐしゃぐしゃにこんがらがって、事態が把握できない。いや、したくない。
こういう時だけは自分の直感の良さ、そしてそれをすぐに信じる馬鹿正直さが恨めしい。
映画か漫画のように一瞬で切り替わったシーン、そこへ変わらず自分だけが残っているっていうのが一番適切な表現だな、とか冷静に考える自分の側面がいつになく憎い。
彼女は言った、「今日をやり直す」。
そして目の前に広がる見覚えのある光景、というよりは見覚えのある人物。状況も相まって非常にウザい。
「おおっ! そんなに驚いてくれるなんて、僕もわざわざ自慢した甲斐があるってもんだよ。ねえ、僕に先を越されてどんな気持ち? 今どんな気持ち?」
疑問だとか、質問だとか、推測だとか、仮説だとか、そんな思考のすべてをぶん投げて、
とりあえず全力で殴った。
強さは前回の拳骨より当社比三倍で。拳が真っ赤に燃えた気がした。




