きよ
俺は生まれは東京だ。見事に都会で育ち、特に苦労の無いままここまで生きてきた。それが何の因果だろうか。
俺は今、江戸に来ている。
それも結構な日が経っている。
・・・・・・所謂「タイムトラベル」というヤツなんだろう。俺自身如何して来たのかは分からない。
いつかに俺は仕事が長引いてしまったせいで、体調を壊した。だから一日中何をするわけでもなく寝ていたのだ。そしたら目が覚めた時にはもう江戸に居た。
だけど俺も男さ。どうしようもない事でいつまでも足掻いているほど馬鹿でもなければ間抜けでもない。いっその事江戸に来てしまったことを受け止めようと思った。
しかし今日まで俺が抱えてきた問題はそんな ちゃちな事ではないのだ。
「お侍様、今日はいかがして過ごしましょうか」
こいつだ。
名前はきよ。見た目からして、明らかな子供だ。だがこいつは俺が目を覚ました時から、この狭くて殺風景な家にずっと一人で居たらしい。そして何故だか知らないが俺の事を「お侍様」呼びする。本当はどっかの家に押し付けてやりたいくらいだが、俺はある意味こいつに助けられたようなもんだった。歴史の教科書でしか見たことの無い時代に追いやられ、身寄りなどある筈の無い俺を「どうぞ」の一言で片付けたこいつを俺の都合で捨てるなど出来はしなかった。
「いかがしてって・・・・・・外で遊んでくればいいだろう」
「そんな、私一人では淋しゅうございます。お侍様も一緒に外へ出ましょう。一日中家に籠っていては、病に罹ってしまいますよ」
江戸の女は恐ろしい。こんな小さな子供ですら、我が強くて男勝りだ。
「俺は大丈夫だよ。病気には強いほうだし、籠ることには慣れてるから」
きよはむう、と黙り込む。
「ほら、せっかく天気がいいんだ。家の周りに居る子供たちと遊んでこいよ。友達いんだろ」
この一言がまずかった。
「・・・・・・いませぬ」
俺の耳にようやく聞こえるほど小さな声だった。俯いてしまっていて顔は見えない。
今度は俺が黙り込むばんだった。
「きよは生まれた時から病持ちだったので、外で遊べませんでした。だから友達はいませぬ」
どうやら俺はこいつの地雷を踏んだらしい。
「きよは、親なしの独り者でございます」
・・・・・・あーあ、何やってんだ俺は。こんな小さな子供傷つけて(しかも女である)、無理矢理自分の意見通そうとするような我が強いヤツは俺の方じゃないか。
―――というか俺は最低である。
俺はきよが涙を溜めて必死に泣くまいとしているのを見て、ほんの少し、ほんの少しだが色っぽいと思ってしまった。
別にそういう節があるわけではない、と思う。
だが不思議とこいつのふとした瞬間の表情を覗いてみると、驚くほど色っぽい時があるのだ。子供だからといって油断はしちゃいけない。
いつだったろうか、たしか秋風の気持ちい真夜中だったと思う。俺はきよという女を見た事があった。
■
スズムシの泣き声がしたかと思えば、意識はだんだんとハッキリしてきた。
俺はきよと寝間で寝ていたのだが、部屋には俺の布団ときよの居ない抜け殻のような布団しかなかった。
普段だったら特に気に留めることもなく、また布団の中に潜るところなのだが、今日は何だか異様に気になる。もはやこれは自分の意思などではなく、何か不可思議な力で導かれているような感じだった。俺は布団から出ると、いそいそときよを探した。
そしてその不可思議な力とやらは、土間に行って見ると分かった。
どこで拾ってきたのか、ススキを一本持って土間に腰掛けている女が居た。きよだ。
子供だ、子供の筈なのだ。十歳そこらの娘の筈なのだが、夜の月に照らされた横顔はまさしく若い女だった。
俺はきっとこの妖艶さに導かれたのだと思う。むしろそれ以外に理由のつけようが無かった。
声を掛けようかと思って戸惑っていると、きよの方から俺に気がついたのか、ススキをそよそよと振って笑いかけてきた。きっとこの時からだったと思うが、俺はきよの中に居る女のきよを探すようになった。あの和らげな微笑みにすっかり参ってしまったのだ。
■
きよを泣かせてしまった明くる日だった。
きよは酷い熱を出した。持病の病が悪化したのだ。
俺は東京に居た頃のちっぽけな最先端の知識を生かして、一晩中看病をした。
「・・・・・・すいません。ここ最近は、調子が良かったので、お薬、飲んでなかったんです」
こいつは堰き込みながらも長々と喋る。しかし今更白状したところで許してやるような俺ではなかった。
「いいから大人しくしてろ。せっかく看病してやってるんだから、今日くらいはじっとしててくれ」
「すいません・・・・・・」
ああ、また泣きそうになっている。頬なんか林檎よりも赤くなってるっていうのに、こいつはどうしてこうも色っぽいんだ。
きよの様態はとても安定したとはいえない。むしろこんなに危ない所まで来ているというのに、俺はどうしようもなくきよを愛しいと思っていた。まさか自分がここまで下衆な人間だとは思わなかった。
苦しみながらも、どこか微笑を絶やさないきよがとても色っぽくて愛らしかった。愛らしいと思いながら、辛かった。ちっぽけな最先端の知識がこいつはもう長くないと告げている。
きよの呼吸が荒くなる。
「どうして、お侍様が、泣かれるのですか・・・・・・?」
止めろ。何で一つ一つ言葉を区切るように話すんだ。まるで今から死ぬようじゃないか。
俺は食いしばる口を無理矢理こじ開ける。
「お前と同じだよ」
男の癖にめそめそ泣いて女一人守れない俺に、きよは弱々しく手を伸ばした。
俺は力いっぱい握り締めて、嗚咽をあげる。
どうして死に際だっていうのに、こいつは美しさすら感じさせるんだ。俺は短いお河童頭を撫でてみる。きよは泣きながら笑う。
「何だか、今日はもう、疲れてしまいました」
「・・・・・・そうか」
「私は、最期にお侍様と、一緒に入れて、幸せ者です」
「・・・・・・」
「一人で淋しく、逝くことが、なくなりました」
今の俺に相槌を打つ余裕などとっくに無かった。たった一人の小さな子供に、大の大人が泣かされているのだ。
「お侍様で、本当に良かった」
言ってきよは息をするより容易く目を閉じた。
堰き込むことも無い。
俺は目を覚まさないきよを抱き起こして、静かに抱きしめた。
徐々に体が冷めていく。
きよの顔は、若い女の顔だった。
江戸の女は恐ろしい。こんな小さな子供ですら、俺を置いて逝きやがる。