第56話:荒野の境界標
凍てつくような長い夜が明け、コンテナのハッチの隙間から、白々とした陽光が差し込んできた。
風の唸りは止み、外の気温もどうにか生身で活動できる水準まで上昇している。
「……朝ね。背中と腰がバキバキだけど、凍死しなかっただけマシかしら」
エリスは大きく伸びをしながら立ち上がった。泥のような固形食と一晩の休息を経て、彼女の魔力(MP)は25まで回復していた。依然として王都時代の万全には程遠いが、身体を動かすための最低限の熱量と、思考の冴えは確実に取り戻している。
レイは無言でハッチを押し開け、外の空気を肺に満たした。
右手に握られた【ただの木の棒】の電子文様は、夜明けの光の下でも微かに明滅を続けている。二人はすぐさま身支度を整え(といっても埃を払うだけだが)、エリスの脳内に記録された『第零アーカイブ』の座標――北西へと歩みを進めた。
荒野の景色は、昨日までと少しずつ様相を変え始めていた。
無機質なコンクリートの残骸や錆びたパイプの山が減り、代わりに巨大な獣の骨や、得体の知れない棘だらけの植物が自生しているエリアが目立ち始める。システムに管理されていたドーム付近の「無菌の廃墟」から、独自の生態系が息づく「本物の外の世界」へと足を踏み入れつつある証拠だった。
さらに一時間ほど歩いた時だった。
先行していたレイが、ピタリと足を止めた。
「どうしたの、レイ。環境トラップ?」
「いや……見ろ。あれを」
レイが顎でしゃくった先、瓦礫と赤茶けた岩が交差する谷間の入り口に、**『それ』**はあった。
地面に深く突き立てられた、太い鉄の槍。
その先端には、暴走オートマトンの頭部パーツと、巨大な獣の頭蓋骨が奇妙なワイヤーで縛り付けられ、風に揺れてカタカタと乾いた音を立てていた。さらに、槍の周囲には赤黒い塗料(あるいは血)で、王都の言語コードとは異なる荒々しい文様が地面に描かれている。
「……トーテムポール? いや、警告の標識ね」
エリスの表情から軽口が消え、ハッカーとしての鋭い分析の目が光る。
「システムエラーを起こした機械が、こんな無駄な装飾を施すはずがないわ。これは知性体の仕業よ。……ここから先は『誰かの縄張り』ってことね」
「ああ。しかも、これを設置した連中は、機械の頭部を戦利品として飾る程度の武力を有している」
レイは冷徹な【確率演算】を回し、周囲の岩肌や高所へと視線を走らせた。
王都の追放者たちが寄り集まったコロニーか、あるいはこの環境に適応した亜人の部族か。どちらにせよ、ここはシステムが機能しない弱肉強食の荒野だ。無断で他者のテリトリーに足を踏み入れれば、問答無用で略奪の対象とされる。
ふと、レイの左手首で【** ????? **】のカードがピリッと熱を持った。
同時に、レイの研ぎ澄まされた皮膚が、風のわずかな乱れを察知する。
「エリス、止まれ」
レイが低く声をかけた直後だった。
ヒュッ、という鋭い風切り音とともに、二人の数歩先の地面に『黒い影』が突き刺さった。
乾いた砂を巻き上げて深々と突き刺さったのは、鉄クズを削り出して作られた粗悪だが殺傷能力の極めて高い「クロスボウの太矢」だった。
牽制の威嚇射撃。
王都の自動防衛システムによるレーザーや警告音声ではない。明確な殺意と警戒を伴った、生身の者による泥臭い「一撃」だ。
「……歓迎はされていないみたいね」
エリスは動揺を隠し、指先に微弱な青い放電を纏わせて戦闘態勢を取った。
「当然だ。俺たちはヨソ者だからな」
レイは右足の重心をわずかに沈め、【ただの木の棒】を斜めに構えた。
見上げる先、谷間の切り立った崖の上に、ボロ布を纏い、鉄クズを継ぎ接ぎした猟銃のような武器を構える複数の人影が姿を現す。
システムに管理された箱庭を捨てた二人が、外の世界の『人間』と対峙した最初の瞬間だった。




