#8 夜に舞う、一輪の彼岸花
なしろが寝静まった夜更けに、純喫茶ごーすてらは顔を少しだけ変える。
「Bar:Ghostella」──小さい看板を少しだけおしゃれなものに変えて、夜も店を開く。
外装はそのままに、昼間には出さないお酒などを提供するバーへと様変わりするのだ。
(よし、開店準備もできたし、店を開けるか)
外の店達も昼間とは顔を変え、色を変えるのと同様に、それらしい店には変わった客が来る。
トキヤとノルンが日替わりでマスターをするが、今日の店番はトキヤだった。
グラスを磨き、ウィスキーのボトルを拭いていると、カランコロンと扉が開かれる音がした。
「ん?見ない顔だな。……あぁ、その銀髪。貴女が盞華さんか?」
「おやおや、私も知らない間に顔が広くなってしまいましたか。貴公は確か……アスファルトさん?」
「アルフェルドだ。トキヤ・アルフェルド。路面じゃないんだよ、オレは」
「これは湿気……いや失敬失敬……」
オヤジギャグが好きな女性に、トキヤは乾いた笑いを発しながら、カウンターに座るように促す。
彼女は昼間になしろを寒がらせたという女性だ。『AmA』……トキヤが師匠と崇めている女性も所属する探索者チームのマスターだったはずだが、どうして夜のこの時間にもごーすてらに訪れたのかは、分からなかった。
ひとまずお冷を差し出し、メニューを渡すと、嬉々とした表情で盞華は目を通す。
コロコロと表情を変え、時には悩み、時には笑顔を見せる。黙っていても騒がしい人に見えていた。
(一体、何の用でこの時間に?そもそも此処が夜も営業しているのを知ってるのは極一部なはず)
そもそもではあるが、看板娘であるなしろが寝静まった時間帯に静かに飲みたいという要望が常連から来ていたが為に、少しずつ酒の種類を増やしていったのが、「Bar:Ghostella」の始まりだった。
次第に客は増えていったが、基本的には一見さんお断りの店だ。
誰の紹介かは知らないが、何かしらの用があってきたんだろう。無碍にするわけには行かない。
「アスファルトさんっ!おすすめはなんですかっ?」
「アスファルトじゃない、アルフェルドだ。あんたの好きな酒は何だ?」
盞華は腕を組み、うーんと悩む仕草でしばらく考えた後に、急に頭を上げる。
トキヤは無表情で盞華を眺めていたが、微笑ましい事限りなかった。
「強いて言えば……ビールですね!!」
「今更だが……、貴女成人してたんだな」
意外そうな表情でトキヤが盞華を値踏みするような目で見ると、盞華は頬を膨らませた。
カウンター越しに顔を急に近づけ、唇を尖らせて、苦言を呈する。
「むむっ、失礼な!これでも弐拾は越えてますからっ!」
「そ、そうか。ビールが好きならトロイの木馬とかはどうだ?飲みやすい筈だ」
「何やら不穏な名前ですが……アスファルトさんのおすすめ……頂きましょう!」
「分かった、用意しよう。待っていろ」
トキヤは冷蔵庫から黒ビールとクラフトコーラを取り出し、ワイングラスに注ぎ込む。
甘めのクラフトコーラであれば、黒ビールの苦みを殺さずに調和させることが出来る筈だ。
酒の仕入れはフカ・ネコザメに一任しているが、酒好きな事もあって、質は大変いい。
あらかじめ置いてあったコースターの上に、トロイの木馬を置き、盞華の前に差し出す。
「これがトロイの木馬だ。度数は低くく抑えて飲みやすくしてるが、飲み過ぎ……」
「ふむ……これがトロイの木馬……とろとろでもモクモクでもありませんが……頂きます」
トキヤが言い切るまでもなく、盞華は一口で飲み干して、満足気な表情を見せる。
味わって飲め、と言いたくはなったが、彼女の笑顔を見たトキヤは何も言わずにグラスを下げる。
「おかわりはいるか?それとも別のものが?」
「トロイの木馬……気に入りました!同じものをお願いしましょう!」
盞華が嬉しそうに酒を飲んでいるのを眺めながら、トキヤは自分のボトルを取り出す。
中にはスモーキーなウィスキーが入っているが、それををグラスに注いでロックでちびちびと飲む。
ただ酒を飲みに来ただけなら、それでいいのだが、きっと彼女は違う。そう感じたトキヤはなぁ、と声を掛ける。
「……?どうしましたぁ?」
「オレに話があってきたんだろ?多分、師匠──『AmA』の事で」
「へぇ、ただのバーのマスター代理だと思ってましたが、どうやら違うらしい」
先程までお酒が入っていたからなのか、盞華の顔はトロンとしていたが、いつの間にか元の凛々しい表情に戻っていた。
どうやら図星だったらしい。トキヤは気を引き締めて、彼女の言葉を待つ。
「包み隠さず言ってしまえば、そうなりますね。実際行方を探してますし。此処が昼間に狙撃された話は……、そこの窓ガラスを見れば分かりますよね?」
「あぁ。オレのマスターから聞いている。それに……」
トキヤが目を伏した瞬間に、盞華はカウンターに手を置き、顔を近づける。
銀色の瞳がギラギラと光り輝いている。彼女の瞳には信念と怒りの炎が燃え上がっているようだった。
「貴方も『AmA』が狙撃した現場に居た。そうでしょう?」
「……どうしてそう思う?何の根拠があって言うんだ?」
チッチッチと人差し指を左右に動かしながら、自慢げな表情を見せる。時にトキヤは思った。
多分、こいつ、シラフを装ってはいるが、それなりに酔っているんだろうなと。
適当に話を合わせて、気持ちよく帰ってもらおう。トキヤはそう心に決め、酔っぱらいに向き合う。
「勘ですよ、勘!第一、初めましての人なんですから分かるわけ無いじゃないですか!」
「……今日はチェイサーだけ飲んで帰りな。お代は後日、おたくの事務所に送っておくから」
目が再び虚ろになり始め、ぼーっとし始めている盞華を席に座らせ、トキヤは深く息を吐く。
恐らくだが、一気に酔いが回ったのだろう。顔が紅潮しており、目が回り始めている。
「……そこまで強い酒じゃないはずだが……ペース配分の問題か?」
トキヤは盞華に毛布を被せ、ノルン経由で潰れたので連れ帰って欲しいという旨の連絡を入れる。
半刻もせぬ内に、扉が開かれる。白い和装に身を包んだ口を覆う黒いマスクをした大人びた女性だ。
恐らくだが、彼女が今日の昼間に訪れたもう一人──白と名乗る女性だろう。
トキヤは念の為、客の可能性も鑑みて、女性の方を見て、声を掛ける。
「いらっしゃい、持ち帰りか?それとも此処で飲んでいくか?」
「(すみません、連絡を受けて持ち帰りに来ました。ご迷惑お掛けします)」
彼女は口を動かしていないのに、何故かこちらと意思疎通が出来るらしい。
顔にこそ出してはいないが、心底驚いたトキヤは目を丸くする。
そんなトキヤを横目に、白は盞華を小脇に抱えると、小さくお辞儀だけして店を後にした。
「……しまったな。領収書を彼女に渡せばよかったじゃないか」
そんなことをぼやいたトキヤは閉店準備をそそくさとこなし、証拠隠滅をして店を出た。
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翌朝、場面は代わり「天下布舞」のマスター盞華の私邸。
い草の匂いが強く残る和室、古き良き縁側に座布団を敷いて盞華は座っている。
広々とした庭には鹿威しが時折、音を奏でており、小鳥達と小さなセッションを繰り広げている。
朝方ではあるが、盞華は縁側に座り緑茶を飲む。これが日課になりつつある。
若干の二日酔いに苛まれながら、一枚の請求書をちらりと横目で見る。
「はーっ、昨日そこそこ飲んだとは思いましたが、まさかここまでとは……」
昨晩に白に運ばれたことは微妙に記憶に残っている。
お姫様抱っことまでは言わないから、せめて小脇に抱えて運ぶのは流石に絵面が酷すぎるから止めてくれと説教した気がする。
その後も色々言われた気がするが、覚えていないのでもう良いのだ。
「最近は暇になってしまいましたし、数少ない依頼は他の面々が片付けるから、もはやお婆ちゃんなんですよね……少し暖かい初夏……。初夏のアイスはいかがでしょうか?あーっ、いーっすねぇ〜。……ぷくく、良いネタが出来ました。あとでさらさんにでも披露しましょうかね?」
懐から取り出したネタ帳にネタを書き込み、フフンと鼻を鳴らす。
最近はもっぱらこういった生活をしている。不労所得にあぐらをかき、平穏に過ごしている。
たまには刺激が欲しいものだなぁ、と急須で淹れた緑茶を飲んでいると、見覚えのある顔が庭に現れる。
小さい体躯に、白っぽい髪。確か、ごーすてらの看板娘をしていた姫宮なしろ……だったか。
盞華は急な来訪者の彼女に微笑む。こういう来訪こそが、非日常であり、刺激なのだ。
「おはようございます、姫宮さん。私の家、知ってたんですね?」
「盞華さん……依頼をしたんですけど、いいですか?」
盞華は怪訝な表情を一瞬浮かべるが、すぐににこやかな表情に戻す。
一度しか会っていないが、あまり彼女の表情を見るに、茶化すのはよくなさそうだと判断したからだ。
なしろに座布団に座るように、促し、お茶を一杯飲ませて、一旦落ち着かせる。
「大丈夫ですか?随分と顔が蒼いみたいですけど」
「……大丈夫じゃない。ノルンが……ノルンが……」
ノルン。確か姫宮のるんで、彼女の保護者であり、ごーすてらのマスターの人物だったはずだ。
彼女がどうしたというのだろうか?昨日の今日で、暴徒に絡まれたりでもしたりしてね。
「はい、ノルンさんがどうかされましたか?」
「置き手紙を置いて……消えちゃった。うわああああん!」
なしろの泣く声が、盞華の屋敷に木霊する。泣いてる子どものあやし方など分からないが、ひとまずは肩を擦り、慰めることから始めることにした。