#5 拳で語り、スコープで照準を
最近、どうにも視線を感じる。いついかなる時もそうだ。
ただ、今まで感じていたものとは違う。いつのまにか感じ、いつのまにか消えていく。
フカさんのような粘つくものとは違い、ノルンのように優しいものでもない。
(そうだん、したほうが良いのかな。でもめいわくはかけたくないな)
わたしは悩んでいる。喫茶店で仕事をしている日に、何処かから視線を感じるのだ。
仕事に支障はきたしていない。フカさんが投げている灰皿は綺麗に打ち返せるし、リアさんの相手だってそつなくこなせるようになってきた。
ただ、得も知れぬ未知の感情に恐怖を覚えている。誰だって、知らないことは怖い。
わたしが深い溜め息をつくと、後ろから肩を叩かれ、ビクリと身体をはねさせる。
「どしたの?なしろ。最近ずっと何かに怯えてるみたいだけど」
「……え?あぁ、うん、大丈夫っ。なんでもないよ?」
声を掛けてきたのは、この店の店主ノルン。わたしの大切な人だ。そんな人に迷惑はかけられない。
訝しげな表情でわたしの顔を覗き込む彼女に、わたしは精一杯取り繕った笑顔を見せる。
その表情を見たノルンは、不機嫌そうに唇を尖らせて、わたしの耳元に唇を近づける。
「なーんでそんな嘘つくのさ。……まぁ大体の想像はつくケド。視線感じてるんでしょ?」
「……むぅ」
わたしから少し距離を開けた後に、彼女はいたずらっぽく自分の唇に指を添える。
何の意図もないことは分かっているのに、それでもドキッとせざるを得ない。未だに緊張する。
わたしもノルンと同じ様に口を尖らせる。ノルンは意地悪だ。分かっててこういうことをするのだ。
お見通しならお見通しと言って欲しい、そんな風に思わせぶりな態度を取るから勘違いする人が現れる。
「…………」
「リアが凄い表情で見てるから、相手してくる。ちゃーんとお仕事してよねっ?」
「ほぁい……」
ノルンが顎でわたしに方向を示すと、今にでも人を殺しかねない表情でこちらを見ている女性が居る。
もはや常連になりつつあるノルンの元姉──リアさんだ。正直まだちょっと怖い。
(さいきんは少しずつ話せるようにはなってきたけど、それでもあの視線はこわいなぁ)
やれやれと言った表情で、ノルンがリアの方へと向かうと、彼女は破顔する。
彼女は彼女で気苦労が絶えないんだなぁ、と苦笑しながらわたしを呼ぶ常連客の方へ向かう。
「はぁい、どうしました?お冷のおかわり……ですか?それともご注文ですか?」
にこやかな表情で接客しながら、繁盛している喫茶店を切り盛りしていると、疲れが凄い勢いで溜まる。
今日はわたしとノルンの二人のシフトのせいか、お互いを推す客が一定数、店に長居している者が多い。
そのせいか、普段は混むことがないのだが、やや混雑気味で忙しい。
しかし、数時間もすれば夕刻、ここから閉店までの間は、殆ど休憩時間だ。
常連客も粗方帰り、そろそろ店じまいも近い矢先に凄まじい勢いでドアが開かれる。
バァアアアッンと、相当重厚なドアが吹っ飛びそうな音を鳴らしながら、外から入ってきたのは、明るい茶髪に黒いハチマキ、三日月の髪飾りをしている赤い和装をしている女性。
確か、とある地方で暗躍しているという「忍び」を彷彿とさせる着こなし。露出度も相まって、「和」を感じることはないが、カテゴリ的には和装なはずだ。
髪の毛はポニーテールで纏めており、円らな瞳からは想像もつかないほどの熱い何かを感じ取れる。
(なんだか、すんごいイヤな予感がするなぁ。わたしはやくノルンに本読んでほしいのになぁ)
入ってきた和装の女性は、目を輝かせながらエントランスで首がもげるほどの勢いで、あちこちを見回している。見覚えのない方だが、恐らく新規客だろう。
ノルンはお客さんがいないからと、わたしの珈琲を淹れているので、わたしが応対しなければならない。
今日は朝から嫌な視線をずっと感じていたので、わたしはすこしだけ顔を引き攣らせて新規客のもとへ向かう。
「ようこそ、純喫茶ごーすてらへ!お客様は1名様ですか?」
「はいっっ!!!!そうです!!!まだ営業していますか!?!?!?」
わたしは彼女の声が聞こえた刹那に耳を抑え、バックステップで距離を取る。鼓膜が破けそうになった。
こちらとの距離感を考えずに、腹から声を出しているのか、声量が凄まじい。
他に客が居たら、即座にクレームが入り、わたしが軽鈍器で殴り飛ばさざるを得なかった。
満面の笑みで両手を腰に置いて、はっはっはと笑っている彼女は新しいタイプだ。もうすんごい。
未だに耳がキーンとしているが、彼女も客であることに間違いはない。
「は、はい……大丈夫ですよ。空いているお席にどうぞ……」
「ありがとうございますっ!!!!!では私は此処に!!!!」
彼女はわたしの鼓膜を殺しに来ているのではないだろうか。
助けを求めようとノルンの方向を向くと、ノルンは口笛を吹きながら珈琲を淹れている。
どうして平然としているのだろうと、耳元を見ると、なんと耳栓をしているではないか。
(いや、前々からどんなお客さんが来てもとは言ってたけど、鼓膜破壊系は想像つかない……)
わたしは和装の女性を席に案内し、お冷とおしぼり、メニューを渡すと、ノルンの元へ足早に駆けつけて耳栓を引っこ抜く。
なんで引っこ抜くのみたいな表情をノルンはしていたが、それはこっちのセリフ。なんで持ってるの。
「あの人……誰?うるさすぎて、わたし、死んじゃうよ?」
「死にはしないと思うけどなぁ……、おーい、ユキさん。彼女に自己紹介して」
ノルンはわたし越しに和装の女性──ユキと呼ばれた女性に声を掛け、徐ろに耳栓をする。
いくつ持ってるんだ、と怒りの感情を覚えたが最後、後ろのテーブル席で立ち上がる音がする。
「はいっ!!!「天下布舞」所属のユキと申します!!好きな物は拳装具!好きな事は強い人を拳装具で殴り飛ばすことです!!よろしくお願いします!!むんっ!!」
「ノルンっ!!この人!!凄い……うるさい!!」
「…………」
胸を張り、大きく息を吸ったあとに繰り出される大声は、窓ガラスを振動で割りかねない。
あまりに通りがいい上に、鼓膜を殺しかねない元気の良い声に、わたしは耳を塞ぎ、ノルンの方を向いて表情で抗議する。
ノルンは、わたしの顔を見た後に、手を顎をおいて考え込むような表情を見せる。
そして、なにか思いついたのか、徐ろに手話をする。確か前に一緒に勉強したので、簡単なものなら理解できる。
(えーと……なになに?が、ん、ば、れ、♡?ノルン〜!!!)
投げキッスまでお見舞いしたノルンは、耳栓をしたままご機嫌に雑誌を読み始める。
後ろから鳴り響く殺人音波のせいで、わたしは耳から手が離せない。
話している内容はもう聞いてられない。耳がおかしくなる。早くお水でも飲んで欲しい。
流石に我慢ならなくなったわたしは、軽鈍器を展開し、勢いよく和装の女性めがけて振り抜く。
いきなり殴りかかられると思っていなかった和装の女性──ユキは目を見開いて躱そうとするが、その刹那、銃声が鳴り響き、窓ガラスが一枚、派手な音を立てて割れた。
横薙ぎに振るわれた軽鈍器は、何処からか放たれた弾丸で軌道が逸れて、ユキには当たらなかった。
ノルンは窓ガラスが割れるのを見て、軽鈍器を弾いた弾丸を拾い上げて憂いた表情を見せる。
「……ん?あぁ、なしろの言ってた視線ってやっぱりあの人か」
「こ、これって長銃の弾丸……だよね?一体どこから……?」
わたしがノルンの横から弾丸を見ようとすると、ノルンは弾丸をポケットに仕舞った。
そして、恐らく狙撃者のいる方向を見ながら、言った。
「コードネーム『AmA』、百錬練磨の狙撃手兼照準器を使って他者を盗撮する変態だよ」
ただ、どうしてだろうか。彼女の表情は哀愁というよりかは、被害者のような気がした。
『AmA』という人物がどういう者か、分からないわたしは、眼前の女性にうるさーい!と叫んだ。