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#33 多大な犠牲を払いながら



 さらが刀を構え直し、こちらの様子を窺っている。

 無闇矢鱈に突っ込んでこない辺り、戦いにおける才能は、夢に堕ちていたとしても残されているのだろう。

 『Noise』も同じく、相手の刀を興味津々に見つめ、ふむと小さい声で呟く。


 『この身体もそこまで保つわけじゃないし、どうせなら同じ刀にしておこうか』


 虚空から赤黒い大剣──アンヘイルシュレクを取り出し、刀の形に再構築する。

 自身の体躯と変わらなかったそれを刀の形に変えて、『Noise』は満足げに刀身を眺める。

 

 『刀とやらに変えたのは初めてだが、やはりこの身体には刀が一番あってそうだ』

 「…………」


 さらは何も応えずに、ただこちらを見ているだけ。やはり動く気はないのだろう。

 『Noise』が暫くの間、彼女を見守っていたが、ただ悪戯に時間が流れるだけな事に痺れを切らす。

 あちこちが切り刻まれ、もはや足場すら覚束ない現状では一歩踏み出すことすら危険な状態だ。

 それでも、残された時間が長くないのはこちら側。相手が様子を窺うだけに留めるのは正解なのだ。

 

 『動かぬのなら、こちらから動こうか』


 刀を握り締め、『Noise』は瞬時に互いの戦闘領域(バトルレンジ)へと足を踏み入れる。

 さらは至近距離(ショートレンジ)中距離(ミドルレンジ)長距離(ロングレンジ)の全てに対応しているが、刀を使用することから、至近距離を得意としている。

 そんな彼女は、『Noise』が至近距離に踏み込んだ瞬間に刀を横薙ぎに振るう。

 『Noise』は『Noise』でさらの刀の軌道を読み、ギリギリで躱し、ふふと小さく笑う。

 

 『流石に速い。主が苦戦するのも頷ける。……だが』


 躱した矢先に、赤黒い刀をさらめがけて投げつける。勿論、その程度の攻撃であれば難なく躱せる。

 だが、難なく躱したはずのさらの太ももには刀傷が残り、血が少しずつ滴り落ちている。

 それに、いつの間にか投擲していた筈の刀は『Noise』の手元に戻っている。


 「…………」

 『完全に躱し切った筈なのにって顔してるな』

 

 さらは困惑を声にも身体にも出していないが、明らかに困惑している。

 刀を握り締める力、地面を踏み締めている力、こちらを窺い見る力、そのどれもが跳ね上がっている。

 感情を失い、夢に堕ちても尚、強者への恐怖心などは消えていないのだろう。

 様子を窺うだけでは済ませないように『Noise』は敢えて至近距離から中距離の間の距離感に立つ。

 いい加減、何もせずに時間を消費させるというツマラナイ展開は避けたいのだ。


 (強者故に、動かないのだろうが、それはそれで主の意思には反するからな)


 今回の目的は、彼女を下すことではない。彼女を連れ帰ることだ。

 命を奪う必要もなければ、この空間を破壊することでもない。それに、時間が余り残されていない。

 そんな中での相手の動きは理に適っており、最早最適解と言えるだろう。


 (ならば、こちらから動き、連れ帰るまで。アタシの趣味じゃないけど)


 『そろそろ動くぞ、覚悟しろよ。心刀羅刹』

 「……!!」


 『Noise』がゆらりと歩き始めていたが、さらは視界に捉えることが出来なかった。

 いきなり消えた『Noise』の行方を探るべく、目以外の視点で彼女を探り出し、振り下ろされる刀になんとかして対応する。

 防がれると思わなかった一撃に『Noise』は口笛を吹き、ニヤリと笑う。


 『ほぅ、流石に刀聖の名前に恥じぬ動きだ。今度はそちらから来い。それとも怖気づいたか?』

 「…………」

 

 さらは、刀を握り直し、中距離まで離していた距離感を一気に詰め寄る。

 常人であれば目にも止まらぬ早さだと表現していただろう。

 ぼろぼろに切り刻まれた畳の冷たさ、あちこちに飛び散っている二人の血の匂い。

 激しい戦闘の痕が痛々しく残る梁に──面を被るさらが『Noise』の首元を狙い、刀を振るう。

 『Noise』は一歩たりとも動こうとしない。あまりの速さに反応ができなかったのだろうか。


 「…………」

 

 正確無比に振るわれたさらの斬撃は確実だった。ゴトリと首が落ちる音がし、勝負は決する。

 のるんは身体を支えることが出来ずに、膝から崩れ落ちる。彼女の反応はもうない。

 あまりの速さで動きは読めず、相手が避けられぬ一撃は、本来の彼女が振るうべき一撃ではない。

 普通の人間であれば、まず間違いなく首が堕ちて、そのまま命まで掻き消えていただろう。


 ──だが、のるんは死んでいなかった。『Noise』を宿した彼女はのそりと立ち上がる。


 『良い一撃だ。だが、一瞬の迷いが生じて数ミリ、ズレたらしいな?』


 意地悪な笑顔を見せ、『Noise』はさらの刀を見る。確かに斬った感覚も血も刀に残っている。

 だが、それでもさらは何も言わずに、刀を向ける。死んでいないのなら、死ぬまで斬ると言わんばかりに。


 「…………」

 『残念ながら、主は()()()()んだよ。そう簡単にはな』

 

 堕ちていた筈の首が、音もなく繋がっている。斬った感覚は確かにあった。

 だが、現実と己の感覚がズレている。その事実が己の自信を少しずつ奪い去る。


 「…………」

 『オマエがコイツを殺せるのなら、どれだけ素晴らしいことだろうな。まぁ、させないが』

 

 さらは呼吸で周囲の場を整えて、再度踏み込む。

 木目のささくれ、足裏の重心、刀が空気をかち割る“直前”の微妙な歪み。

 彼女の刀が狙うのは、絶命に至る急所。つまりはのるんの心臓、そこを貫けば死ぬ筈。

 またしても、一歩たりとも動こうとしない『Noise』に違和感を覚えながら、さらは心臓を穿ち貫く。

 鮮血が飛び散り、確実に心臓を破壊したことを確認すると、勢いよく刀を抜き、身体から分離させる。

 のるんの身体は地に伏し、どくどくと血が身体を染め上げている。間違いなく死んだはずだ。


 「…………」


 さらは納刀し、上を見上げているといきなり右脚に激痛が走る。鋭利な刃物で切り刻まれた感覚だ。

 後ろから深々と突き刺さるのは赤黒い刀──『Noise』の操るアンヘイルシュレクだった。

 急いで抜け出そうにも歪な形をしている刀が突き刺さっているせいで無理に動くと傷が広がる。


 『良い一撃だった。常人なら間違いなく死んでいる。認めよう、オマエは“人間”の中では天才だ』

 

 『Noise』は勢いよくアンヘイルシュレクを引き抜く。乱雑に引き抜かれたそれはさらの脚を破壊する。

 さらの動きは完璧だった。無駄は一切無く、恐怖も迷いもない。

 殺すために最適な動きを最短経路で、常に選び続けていた刃の振るい方だった。

 人間の域など既に超えている。呼ぶものが呼ぶのであれば人外の領域、英雄の領域だろう。


 (だが、残念ながら……)


 『Noise』の口元が、わずかに歪む。普段の彼女からは伺い知れない邪悪な笑み。


 (それでも、所詮“人間”という枠組み内での評価でしか無い)


 右脚が酷く痛むのか、無理やり引き摺りながらも距離を開ける。

 本来なら立ち上がることすら困難なキズの深さにも関わらず、そこまで出来ることに『Noise』は驚く。

 更には、未だに刀を構え、こちらと事を構えようとしている。その胆力に脱帽する。


 『そこまで傷つきながらも、アイツがアタシと戦おうするとするのは何故だろうか?』

 (きっと、猛者と戦いたいって気持ちが全面に出てるんだよ。彼女の深層心理がそう言ってたから)


 のるんの言葉に『Noise』はふむ……、と考え込む仕草を見せる。


 『あいつを救うにはどうすればいい?ただ殺せばいいって訳じゃないだろ?』

 (心置きなく戦わせるしか無いんじゃないかな。その末にどちらが負けても悔いはないんじゃない?)


 『Noise』は何いってんだと言わんばかりにのるんの言葉を笑い飛ばす。


 『何悠長なこと言ってんだか。そうすればオマエが力尽きるだけだぞ?』

 (なら、残された時間で勝負を決するしか無いね。キミなら出来るでしょう?)


 『Noise』は心底愉快そうに顔を歪める。だが、不快感は一切ない楽しそうな笑い声だった。


 『相変わらず神使いの荒いオンナだな。日頃の礼だ。完膚無きまで叩き潰してやるさ』

 (ありがと、『Noise』。でも……やり過ぎは駄目だよ?精々再起不能くらいで……)


 のるんの最後の言葉には耳を貸さずに、『Noise』は踏み込んできたさらの刃に対応する。

 先程までとは動きが違っている。出せる力を出し切っているのだろう。彼女は本気を出していた。

 室内の空気が震え、畳が悲鳴を上げ、床が沈み始める。

 

 ──心刀羅刹。人として生きているにも関わらず、修羅の道を歩む幼子。


 その幼子の身体から放たれている、明らかに過剰過ぎる殺意に『Noise』は嘲笑う。

 彼女が刀を振るう度に、建物は耐えきれずに崩れ去っていく。

 『Noise』は丁寧な刀捌きでさらの攻撃を綺麗に受け流す。荒々しい先程の動きとは大きく違う。

 のるんが培った技術を用いて、あくまで人間としての技量で相対している。

 

 『足の傷が痛むんだろう?血を流せば流すほど、オマエが不利になり、アタシが有利になる』

 「…………っ!!」


 多くの攻撃は捌けているが、刀での戦いに不慣れな『Noise』は時折、さらの一撃を一身に受ける。

 しかし、血を流せども、傷を受けようとも、『Noise』は不敵に笑い、気がつけば傷が消えている。

 さらからしてみれば、斬った筈なのに、命中したはずなのに、肉を断つ“結果”に辿り着かない。

 のるんの身体が斬撃を受け取っているにも関わらず、無かったことにされている。


 ──再生しているわけでも、回復しているわけでもない。


 そもそも彼女は傷を受けてすらいないように振る舞い、こうして鍔迫り合いを繰り広げている。

 面の奥に、どんな表情が映し出されているのかは知らないが、さらは連撃を『Noise』に見舞う。

 初撃で心臓を撃ち貫こうとしたが、さらの刃は初めて空を切った。


 『頃合いだろ、出血量的にオマエのリミットもここらが限界だ』

 

 さらの背後から『Noise』の声がする。だから、横薙ぎで身体を断ち切ろうとした。でも居なかった。

 紡いでいる言葉は掻き消えていないのに、彼女の身体だけは綺麗サッパリ消えている。

 先程まではあったはずの、斬った感覚すら、今はもう感じることができなくなっている。


 『じゃあな、天才。オマエは確かに強い。だからこそ、驕らないその姿勢、アタシは好きだ』

 

 『Noise』は刀を構えずに、身一つで一歩ずつ歩みだす。

 だが、彼女は床を蹴らず、重心を使わず、もはや彼女の動きに技術すら無い動きを見せる。

 この世界の概念を無視し、姿を消したり表したりしながら、さらの目前まで歩み寄る。

 さらは刀を『Noise』の肩を狙い、上から振り下ろす。だが、『Noise』はその刃を手で掴む。


 『良い刀なんだろうな、アタシにはさっぱり分からないが』

 

 『Noise』は手に力を込め、さらの刀を少し歪める。破壊はしないが、その歪みが刀の価値を失わせる。

 刀から手を離し、『Noise』はさらの脇腹を横蹴りで吹き飛ばす。

 風が吹き、飛ばされた紙のようにさらは壁に打ち付けられる。

 アンヘイルシュレクを懐に納め、『Noise』はふぅと息を吐き、さらを睨みつける。

 面は割れ、黒い靄は身体から霧散している。こうなったら恐らくはもう大丈夫だろう。

 

 『これでいいか?もうここじゃアイツは戦えない。全身打撲辺りで済ませといた』

 「うん、ありがとう。後はボクにまかせて?」

 

 勝負が決したと判断した『Noise』はのるんの身体から抜け去る。

 一気に身体が重くなる。左腕は既に使い物にならず、全身のあちこちが悲鳴を上げている。

 それでもなんとか倒れ込んでいるさらの元へと駆け寄り、右腕で抱き寄せる。

 眠るように目を瞑るさらに、のるんは小さな声で囁く。

 

 「……ごめんね、さらちゃん。本当は刀での勝敗を付けたかったんだけど……」

 「店主……さん?」


 どうやら彼女は正気に戻っていたようだった。

 こちらを心配するような眼差しに、のるんは酷く心を痛める。


 (ボクの力だけじゃ助けることが出来なかった……。やっぱり心刀羅刹は強かった)


 互いの身体は相当のダメージを負っている。のるんは左腕を、さらは右脚に深い傷が残っている。

 この世界での負傷が、現実世界にまで反映されていなければ良いのだが、とのるんは思う。

 ふと、のるんの顔に何かが触れた感覚があった。さらが自分の目元に触れていた。

 「どうしたの」とのるんが優しく尋ねると、さらは薄く笑う。彼女の笑った顔は初めて見た気がした。


 「泣かないで、店主さんのお陰で今がある、から」

 「……そっか。じゃあボクはイイこと、したのかも知れないね」


 さらはのるんの腕の中でうん、と頷いた後、疲れ切っていたのかそのまま眠ってしまった。

 崩れ行く「天下布舞」の拠点を眠るさらと共に眺める。


 「なしろ……大丈夫かな。リアも、無事で帰ってきたら良いけど……」


 血を吐き、戦闘の反動が凄まじいことを全身で感じながら、のるんはふと、「あ」と小さい声を出す。

 辺りをキョロキョロと見回すが、出口らしいものは見当たらない。

 

 「これ……どうやって帰るんだろう?出口……無いよね……。置いていく訳にも行かないし」


 傷だらけの梁に身体を預け、のるんはぐったりとする。

 『Noise』に支払った代償に加え、『Noise』が無茶苦茶な戦い方をしたせいでもう動けそうにない。

 さらをそっと抱きしめ、のるんは目を瞑る。崩れ去る拠点と共に、眠りにつくことにした。

 約束は果たした、自分にできることは成し遂げた。後は運命に身を任せるだけだ。




 

 


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