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#32 届かぬ頂きに手を伸ばす為に


 さらの心象風景を垣間見たのるんは、一言も発さずに「天下布舞」の拠点を闊歩する。

 彼女の想いに対し、何かを思うことはない。彼女には彼女なりの苦しみや葛藤があっただろう。


 (心刀羅刹って、そういう意味だったんだ……本当盞華さんのネーミングセンスよ……)


 あちこちが破壊され、鋭利な刃物で斬られた痕跡の残されたオブジェを見ながら、息を吐く。

 自分は彼女を救うことが出来るのだろうか。相手は刀聖と呼ばれた天才。

 かつてより才能が凄まじく、探索者になる前から最強と謳われた少女。

 対する自分は小手先だけの技術で生き延びてきただけの一介の店主。戦闘センスはからっきしだ。


 (出来るだけの準備はしたけど、勝てるビジョンが見えない……)


 あの時、嬉しそうにミックスジュースを飲んでいた彼女は、「天下布舞」の中でも指折りの実力者。

 その気になればマスターの盞華すらもボコボコにされてしまうだろう。

 現に前に一度だけ、見かけた彼女が盞華に抜き身で下しているのを見た際は、心底驚いたものだ。


 「……あれか」


 屋敷内の最奥。恐らくは大広間であろう場所に、彼女──さらが立っていた。


 幼い身体には不釣り合いな、異様な形相の面を被り、黒い靄が身体中に纏わり付いている。

 手には美しさと妖艶さを兼ね添えた彼女の愛刀が握られていた。

 夢に堕ちた彼女は一言も発しない。ただ、獲物だと認識したのるんの方を向いている。

 お互いが何も発していないのに、呼吸や心音すら聞こえてこない。ただただ静かに時が流れる。

 無駄だとは分かりつつも、のるんは形式張った言葉をさらに掛ける。

 

 「さらちゃん、帰ろう?ここで微睡んだって、なんにもならないよ?」


 のるんの言葉に、さらは何も応えない。何の反応も示さずに、ただこちらを見ているだけ。

 その圧は、凄まじい物だ。彼女は何もしていないのに、のるんの神経をすり減らしていく。

 暫くの間、両者は立ち尽くしていたが、ある時、さらが一歩、床を軋ませる。


 ──その刹那、のるんの背筋に電撃が走り、脳が警鐘を鳴らし始めた。


 理由は分からない。互いの間合いに両者は居ないのに、既に斬られたような錯覚に陥りそうになる。

 音も殺意も感じさせないのに、彼女が“来る”と本能が訴えかけてくる。


 「ッ……!?」


 のるんは反射的に、その場から離れるために横へと跳んだ。

 彼女が元いた場所には斬り落とされた柱が倒れ、木片が爆弾のように爆ぜている。

 冷や汗が止まらない。危険だ、逃げろ、お前が勝てる相手じゃないと本能が訴えている。


 (……勘で回避したけど、太刀筋も彼女の動きも何も見えなかった……)


 その事が、どれほどのことかは理解している。最悪の場合、俎板の鯉よりも無惨に殺されてしまう。

 彼女の刀を握る小さな腕は、ずっと止まったように見えていた。でも結果は違う。 

 自分が居た場所に、柱が崩れ落ちた上に、木片が身体を切り刻むように弾け飛んでいた。


 ──まるで“結果だけが残された”ような異様で不自然な光景。


 身の危険は感じているのに、それを察知することが出来ないのだ。

 気づかぬ内に死んでいる。そんな絵空事が起きかねないのだ。それはもはや死刑宣告と相違無い。


 (やっばいなぁ。勝てる気が全くしない。死なないよう気をつけるので精一杯かも)


 のるんは苦笑する余裕も無く、白銀の刀を構える。やられっぱなしでいるわけにはいかない。

 自分は彼女を連れ戻す為に、今ここに立っている。きっと、他の面々は連れ返している頃だろう。

 そんな中で、自分だけが出来ませんでした、など到底許せることではない。


 (例え、この身が滅びようとも、絶対に連れ返す。約束したんだから)

 

 震える手を必死に抑えながら、さらの事を注視していた。次の瞬間、さらが“跳んだ”。

 足取りは軽く、非常に素早い。軽快なステップで距離を詰めるその様は、殺意を一切感じさせない。

 それなのに、刀だけが異様に重く、凝縮した殺意を宿して己の首を狙っている。


 「ぐぅ……っ!!」

 

 ギリギリ視認できたが、のるんは受けに回るしか無かった。

 首だけは守らねば、とさらの太刀筋を逸らす為に白銀の刀を割り込ませる。

 鈍い金属音が鳴り響き、のるんの腕に凄まじい衝撃が走る。腕から肩に走り、骨が悲鳴を上げる。

 首を守ったはずなのに、衝撃で脳震盪を起こし、視界が霞む。

 

 (一度、刀を振るわれただけで分かる……彼女は強すぎる。打ち合いですら致命傷に為りかねない!)

 

 さらは無言で刀を返し、流れるように二撃、三撃と攻撃を重ねる。

 音は既に置き去りにし、極限状態にまで陥ったのるんは読みと勘だけでなんとか攻撃を捌く。

 しかし、それでも直撃を免れただけ。切り傷は全身へと及び、徐々に出血量も増していく。


 (斬られたことすら感じさせない太刀筋……、流石に厳しい戦いに為りそう)

 

 斬撃の軌跡が光となって、乱れる。室内の壁も床も次々と切り刻まれていく。

 柱を破壊された構造物は、崩れ始めていたが、さらの動きに合わせて本当に崩壊し始めている。


 「ぐっ……」


 さらの柄での一撃がのるんの脇腹を捉えた。酸素が肺から追い出され、息が出来なくなる。

 急いで呼吸を整えながらも、懸命に彼女を視界に入れるように神経を集中させる。

 焼けるような痛みが全身を襲いながら、必死に落ち行く意識を繋ぎ止める。


 (まずいまずい、普通に殺される……!)


 さらはのるんの血が着いた刀を振るって血を飛ばす。

 殺すことに躊躇いの無いであろう彼女を前に、のるんは死を覚悟する。

 彼女は自分の首を狙っている。明確に確実に息の根を止める為に。

 

 (万事休す……かなぁ、ボクの刃は一振りたりとも届かなかった……でも、逃げる訳には行かない) 


 のるんは震える腕に鞭打ち、刀を握り直す。

 意識は既に朦朧、身体のあちこちから血が吹き出しているその様はまさしく満身創痍だ。

 恐らく、振るえる一撃はこれが最後だ。この一撃に込めるしか無い。


 ──呼吸を整え、のるんはさらを見据える。

 

 「行くよっ!さらちゃんっ!」


 のるんは崩れ始めている畳を強く蹴って跳躍する。

 動きを読ませない重心移動、軸を崩し、体勢を変えて、変えて剣筋を読ませない“小手先の技術”。

 そんな最後の抵抗にも、さらは即座に反応する。刀聖の本能が刀の軌道を読み、先読みして振るう。

 

 (これも読まれてる……でも!)


 のるんは決死の覚悟を決め、身体を大きく捻り、さらの一撃を躱す。

 腕の傷から血が大きく吹き出し、全身が悲鳴を上げ続けている。

 それでも、歩みを──攻撃を中断せずに、続行する。


 「…………」


 のるんが決死の踏み込みで“さらの刀を握る腕”へと己の刀をぶつけたその瞬間。

 さらの手刀がのるんの腕に食い込み、鈍い音を立てる。恐らく腕の骨を折られたのだろう。


 「っつう……やってくれるじゃん……!!」


 利き腕だった左腕を押さえ、のるんは右腕で白銀の刀をさらの腕へと振るう。

 殺生を許さないその特異的な刀は、さらの腕を斬り落とす一撃を見舞っても、落ちることはない。

 血が吹き出し、さらは暫くの間は動きを止めるが、継続して傷口から血が滴り落ちる。 


 (今だっ)


 その動きが止まった僅かな隙を狙って、のるんは己の身体をさらにぶつけた。

 のるんが選択したのは体当たり、斬撃でも小手先の技術でもない。

 ただ、“死にたくない”という純粋な思いを込めた悪足掻きでしかない渾身の一撃。


 「…………」


 さらの身体が弾かれ、奇妙な面が傾く。動きが僅かに狂い、少し蹌踉めいている。

 だが、のるんは力尽き、その場で崩れ落ちる。もはや立ち上がる力すら残されていない。

 腕はひしゃげ、あちこちから血がポタポタと滴り落ちている。


 (不味いなぁ。もう意識が大分遠くなっちゃってるや……)


 体勢を崩していたさらは無言のまま、ゆっくりと立ち上がる。

 面に隠された彼女の瞳には一体何が写っているのだろうか。

 

 「まぁ……、体当たり程度じゃダメージにもなんないよね……はは」


 さらはゆっくりとこちらに歩み寄る。

 一歩ずつ確実に、息の根を止めるために、満身創痍の自分を煽るように確実に。

 もはや乾いた笑いすらも、血が喉に逆流して、させてくれないらしい。

 さらの影がのるんを覆い隠す。見上げると、さらがこちらを面越しに見ていた。


 ──トドメの一撃を刺すべく、刀をのるんの喉元に突きつける。


 その刹那、建物全体が大きく揺れ、天井の梁が落ちてくる。

 さらは視認すらせずに、刀を振るい、落下物を切り刻む。

 立ち上がれないのるんは、目を瞑り、覚悟を決める。


 「……居るんでしょう?見てるんでしょう?」

 「…………」


 さらを含め、のるんの嗄れた声に反応するものは居ない。

 それでも、のるんは言葉を続ける。もはや彼女の言葉は呪詛のようにも聞こえてくる。


 「黙ってないで、返事しなよ。……このままボクが死んじゃ、色々まずいでしょ?」

 「…………」


 上を向いているせいで、口内の出血が鬱陶しく感じる。

 さらは動きを止め、何故かこちらの様子を伺っている。奇妙なモノを見るような感じだろうか。


 「キミに向かって言ってるわけじゃないよ、さらちゃん。もう、焦らすのは程々にしてよね」

 「おぅおぅ、ずっと見てたけどよ。元より勝ち目のないゲームだったよなぁ?」


 意地悪そうな声がどこからか響く。さらは危険を察知したのか、突きつけた刃を納め、距離を取る。

 口角をつらせ、歪に笑うのるんは、あははと苦笑する。


 「ようやく来た。待たせ過ぎだよ。もう十分、血は流したでしょう?これで足りる、かな?」

 「しゃあねぇなぁ。本来の契約とはちと違うが、オマエに死なれるのは確かに具合が悪い」


 男のような女のような声色の主は未だに姿が見えないが、確かに意思疎通は出来ている。

 のるんは天に手を伸ばし、強く拳を握りしめる。


 「おいで……『Noise』」

 「今回くらいにしとけよ?身体への負担。現段階でも相当だろ?」


 何かがのるんの身体に入り込んだ瞬間、起き上がることすら困難だったはずののるんが起き上がる。

 蒼く澄んだのるんの両目が紅く妖しく光る。まるで憑依されたなしろのように。

 折れていた左腕で刀を握り直し、普段の彼女が見せない邪悪な笑みを浮かべ、さらを見据える。

 

 『さて、第二ラウンドと行こうか。()の身体はそう長くは保たないだろうしな』

 「…………」


 さらは刀を構え直す。彼女も何かを感じ取ったのだろう。先程とは違った構えを取る。


 『速戦即決、オマエに猶予など一切与えない』


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