#30 絶てぬ回顧を見据えた彼女は
短くない時間を三月劇場を閲覧するのに費やしたあじゃは舌打ちをしながら、街を歩く。
見覚えのあるような無いような街の風体が、三月の深層心理に反映されているのだとすれば。
きっと彼女は『彼』以外が眼中になかったのだろう。あちこちが曖昧でぐちゃぐちゃになっている。
足場すら覚束ない事に悪態をつきつつ、先程までの回想を思い返す。
「…………なるほどな」
大体この世界の構造は理解できた。きっと、ここは堕ちた者の後悔や絶望で構築されたものだ。
燃えている場所は彼女の怒りが。崩れている場所は彼女の憎悪が。そういった負の感情が渦巻いている。
戦闘用の和装に身を包み、カツンカツンと下駄を踏みしめる音を街に響かせる。
人が居ないのだろう。反響する音からは、人の気配が感じ取ることができない。
「ってなると、本当に店主は不味いかもな。あたしはともかくとして、相手が悪すぎる」
人の心配が出来るほどには余裕があるのは、あじゃが夢に入る前に三月の事を観察していたからだ。
寝かされていた三月は、どう見ても戦えるような身体じゃなかった。
男ウケがいいようなボディメイクは筋肉を最大限まで削ぎ落とし、敢えて脂肪をつけることで、身体が柔らかくなるように調整されていた。
細くは見えないが、不健康極まりない生活をしていた賜物だろう。きっとスイーツばかり食べてた筈だ。
(うちじゃ考えられないが、まぁ、よそのチームの管理にまでは口に出すことじゃないしな)
あの様子では、銃剣ですら扱うのは困難だろう。手にマメもなく、傷一つない身体は女性としては満点でも、探索者としては一点たりともつけることは出来ない。
立て掛けられていた銃剣は、刀身までデコレーションされており、長い間使われていなかったことを言葉なくして物語っている。
(言っちゃ悪いが、イージーゲームだろう。相手が盞華やさらじゃないなら……)
ズダァンズダァン。静かだった歪な街中で乾いた銃声が鳴り響く。その後に何かが崩れるような音がする。
十中八九、街を壊している三月だろう。あの鈍らでも銃撃性能は未だに健在だったらしい。
足早に駆け寄り、三木が居るであろう場所にあじゃは駆けつける。
そこには身体中に黒い靄が掛かっている泣いたおかめの面を被った三月があちこちを狙撃していた。
「おい。随分と酷い物語をよくもあたしに見せてくれたなぁ?三月ぃ」
「…………」
邪悪な笑みを浮かべ、相手を挑発するが、肝心の三月はこちらを見ても特に反応は示さない。
ユキの話を聞けば、すぐにでも襲い掛かって来たらしいが……相手がアレなだけだったらしい。
こちらが煽り口調で話をしても、彼女は何も言わずにただ、銃剣を握り締めているだけ。
恐らくはこういった所に、本人の性格が反映されているのだろう。だとすれば、することは唯一つ。
「見たぜ、お前の後悔と悔恨を。可哀想だよなぁ?好きな男のために何もかも投げ捨てたのに、結局は最悪な結末を迎えたのを。口調や体型、性格すらもそいつ好みにしたんだろ?さぞ苦労しただろうよ」
「…………」
三月が何も言わず、何もしないことをいいことに、あじゃはこっそりと己の銃剣を取り出す。
黒い柄に桜が描かれ、赤からオレンジへと刀身の色が変わりゆくカラーリングの銃剣。
己の愛用している銃剣は、手入れが行き届いており、今にも彼女を切り落としかねない鋭さを持つ。
あじゃの舌戦に効果があるのかは分からないが、動きを止めている間に畳み掛ける。
「お前が好いた男は端から見れば最低だ。クズの部類に振り分けたっていい。自分をこんなにも想ってくれていた女を捨てたんだからな」
「…………」
話しながら、戦いが始まるであろう場所のクリアリングを開始する。
足場が不安定な可能性がある以上、避けるべき場所は避けて立ち回りをしないといけない。
強者の笑みと、獰猛さを孕ませた怒りの表情を交えながら、三月を見据える。
「だが、お前もお前だ。仮に振り向かれたとしても、それはお前でなく、お前の作った虚像だ。虚像で拵えた未来など、結末は今と同じ。崩落と絶望でしか無い。……勿論、一般的な観点の発言だけどな」
「…………」
三月の銃剣を握り締める手が、少しだけ動く。やはりそうだ。
彼女を刺激すれば、戦闘が始まるだろう。こちらが一方的に暴力を振るうワンサイドゲームでも構わないが、それは本来の目的ではない。
一度完全にへし折る必要がある。今の彼女は恐らく、肯定して欲しい筈だから。
「なら未来を見るために、過去を壊そうとするのは何も悪い話じゃない。だが、お前のしていることは別だ。この経験を活かし、どうすれば次に進めるかを考えるのが課題であって、無かったことにするのはただの逃げだ」
「…………」
徐々に周囲の空気が冷たくなっていくのを肌で感じる。
挑発が効いているのを実感したあじゃは笑みがどんどんと邪悪になっていく。
こちらも戦闘準備は既に出来ている。いつでも戦えるようにセーフティは外している。
「黙っててもあたしはお前をただひたすら傷つけるだけだ。掛かってこいよ。三月」
「…………っ!!」
割れた証明が仄かに照らす石畳が僅かに軋む。彼女が動き始めた。
凄まじい速度で詰め寄る三月の一撃を、銃剣で往なし、少しだけ距離を取る。
あじゃはふっと笑い、口笛を短く吹いて息を吐く。
(やっぱりイージーウィンは出来なさそうだな)
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彼女の一撃はとても彼女から放てるレベルのものではないことは、よく分かった。
綺麗にいなした筈なのに、それでも少しだけ腕が痺れる感覚が残っている。
眼の前に居るのは「軽い口調で話す優しいギャル」として振る舞っていた少女──三月。
だが今、その面影は微塵もない。黒い靄が身体を包み込み、振るう一撃は熟練の探索者レベルだった。
泣いたおかめの面で顔を隠し、凄まじい速度で詰め寄ったにも関わらず、息を切らす様子もない。
彼女の手には、キラキラのデコパーツで飾られた銃剣が握られている。
刀身にまで及んでいるそれは、可愛らしさと趣味全開のものだが、今や血を啜った妖刀に等しい。
──対峙するのはあじゃ。「天下布舞」にて副長を任されている女傑。数多の職業を修める者。
和装に身を包み、銃剣を肩に乗せて、臨戦態勢で相手を見据える。
「夢の中だからって、強過ぎるじゃねぇか。こりゃああたしも油断できないなぁ?」
三月は返事をしない。あじゃと同じ構えでこちらの様子を冷静に伺っている。
ほんの一瞬だけ、首がカクンと不自然に傾く。その動きは生者の者ではない。もはや獣だ。
「…………っ!」
次の瞬間、三月の姿が一瞬にして消え去る。
まるで重力を無視したような跳躍力で飛び去り、上下の概念すら捻じ曲げた動きで襲い掛かる。
空中で遠心力を用いて、回転しながらあじゃに刃を振るう。
繊細な脚から繰り出される初撃は、とてもいつもの彼女からは想像がつかない殺意の刃だった。
「遅いっ!」
あじゃはわずかに腰を沈めて、三月の銃剣を己の銃剣で往なす。
鋭い金属音が鳴り響き、火花が散る。
鍔迫り合いを空中から振り下ろしてくる刃でした経験はないが、上手く一撃を躱せて内心ホッとする。
しかし、往なされた一撃を利用して、三月は無反動で二撃、三撃と角度を変えて振り抜く。
「ちっ……!アーツを使わずにこの火力かよっ……!?」
舌打ちをしたあじゃは急いで距離を離す。余り長時間やり合うのは得策ではないと判断した。
(……戦闘センスが達人並になってる。オマエ……、この動きは夢補正なのか、それとも絶望故か……)
観察眼に長けているあじゃは、三月の攻撃を捌きながら、周囲の状況や動きを分析していた。
想定していた動きの癖が一切ない。もはや機械のように決められた動きをしている。
アーツは一切使っていないが、恐らくはこちらに合わせて手加減しているのだろう。
ただ、こちらの息の根を止めるべく、鋭く、致命傷に為りかねない一撃を次々と振るっている。
(油断も隙もない。立ち回りに躊躇いもない。足場も理解しきっているのか、あるいは……)
三月の苛烈な連撃をすれすれで躱しながら、あじゃは低く呟いた。
「オマエ、今の何が不満なんだ?」
その言葉に、三月の動きが僅かに止まった。
ほんの一瞬だけ見せた、彼女の起こした僅かな歪み。
そこに『本来の三月』が外側に押し出されそうになっている気配を、あじゃは見逃さなかった。
「かつてのオマエは悲恋の末に何もかも失ったかも知れないが、今は違うだろ?ごーすてらがあるじゃねぇか。あったかい仲間はオマエを受け入れくれなかったのか?」
「…………」
あれほど苛烈だった攻撃がピタリと止まる。
思想や思考が無いものだと思っていたあじゃは棚ぼただなと思いながら、言葉を紡ぐ。
「いつまでも叶わない悲恋を引き摺るぐらいなら、前向いて自信持って生きてやれ!!お前が捨てた『あーし』はこんなにも魅力的なんだって見せつけてやれよっ!!」
叫んだと同時に、あじゃの身体が三月の懐へと滑り込む。
アーツなんて使ってやらない。相手が使わない以上、こちらも積み重ねた技術と技量で押し込むだけ。
三月が握る銃剣の内側、数少ない死角へとあじゃの手刀が鋭く叩き込まれる。
あまりに鋭く、予測できなかった一撃に三月の腕が跳ね上がり、一瞬の隙が生まれた。
数少ないチャンスをあじゃは見逃さずに畳み掛ける。
「帰ってこいっ!!三月ぃ!!」
銃剣を収納し、繰り出された拳が三月の腹へと深く突き刺さり、少女の身体は建物に叩きつけられる。
崩壊しつつあった建物は、三月の身体がぶつかったことにより、完全に崩れ去る。
勝負は決した──そう思ったあじゃの考えが甘かったことをすぐに思い知る事になる。
「…………」
三月の身体は、壊れた人形のようにゆっくりと起き上がる。
その動きはあまりに静かに、そして人間離れしており、不気味さが勝ってしまう。
「ちっ、流石にしぶといな……」
面を被った彼女の表情は見えない。感情は身体からも感じ取ることが出来ない。
それでも、面の下から、ぽたりと一滴、涙が零れ落ちるのが見えた。
あじゃは歯噛みし、構え直す。大きく息を吐き、真剣な表情で三月を見る。
「……上等だよ。店主への恩売りとか今は一旦後でいい。オマエを取り戻すまで何度でも叩きのめす」
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すっかり日が暮れており、夜目が効かないと相手の事すら視認できなくなりつつ今。
二人の影が月光の下で重なり、再び地を砕く衝撃と共に交錯した。
あちこちから火が上り、建物が崩れつつあるせいか、硝煙と砂埃がまだ舞っている。
本来なら、さっきの一撃で勝負は決していた。ただ、まだ眼の前の彼女は、機械のように立ち上がる。
先程の一撃は相当効いたはずだ。普通なら肺の空気が全部抜けて動けなくなってもおかしくない。
しかし、今の彼女は普通の人間の理論を当てはめてはいけない。
(……クソガキが。どんだけ夢補正で身体強化されてんだよ)
無表情のまま、彼女は銃剣を握り直す。その手は震えておらず、先程の一撃が効いた形跡もない。
けれど──あじゃは三月の面をじぃっと見る。
(涙だけは流したままなんだな……)
あじゃは一歩前へと踏み出す。勝てる自信は正直あんまりない。
むしろ人間離れした動きと体力の彼女に少しだけ恐れを感じている部分もある。
ただ、胸の奥が痛くなるほどに熱くなっている。こんな物を見せた首謀者にも、彼女にも。
「三月、聞こえてるなら、返事しろ」
返事は当然ない。期待だってしていないが、それでもあじゃは繰り返し問い続ける。
返事の代わりに、彼女の足元が揺れる。三月が攻撃を仕掛けるべく、大地を踏み締めたのだ。
(速い。さっきよりも数段ギアが上がってる……明らかに無理してんだろ、アイツ)
身体の限界が近いのか、彼女の動きに、だんだんと反応速度が遅くなっている。
銃剣の刃が横薙ぎに走る。しゃがんで躱し、逆に踏み込んで一撃をお見舞いする。
目が慣れてきたおかげで、動きを読めるようになってきた。
彼女の動きは速度や精度こそ凄まじいが、直線的な動きが多く、捌きやすい。
「ッシッ!!」
後退し、蹌踉めきそうになっている所に裏拳で追撃する。
受け身を取れなかった三月は地面に転がるも、倒れたまま即座に手をついて、跳ね起きる。
徐々に動きが鈍くなってはいるものの、未だに常人ではありえない回復速度だ。
彼女からは諦める様子は見られない。未だに攻撃を仕掛けてくるが、もはや鋭さは失われている。
(オマエは……一体何のために戦っているんだ……、三月)
裏で操られている可能性があるならば、早々に解放せねば、彼女の身体が持たない。
攻撃しているのは自分なのに、こうも胸が締め付けられるのは複雑な気分になる。
「三月っ!!」
あじゃの叫びに反応したのか、一瞬。三月の動きがピタリと止まった。
恐らくこの隙が最期の隙だ。これ以上彼女の身体に過剰な負荷を掛けてしまえば、死にかねない。
(これが最後の一撃。目を覚ませよ……!!)
「フローイング・シリウス」
あじゃは銃剣を数度振り、黒い衝撃刃を三月にお見舞いする。
攻撃を見た三月は銃剣で往なそうとしたが、失敗したのか、刃が床に落ちる。
その刹那、膝から崩れ落ちた三月の面が割れ、涙を流した彼女の表情が白日に晒される。
「え……、あじゃ……さ」
こちらを視認した三月はあじゃの事を呼ぼうとしたが、声にならない声が、細々と聞こえた。
でも確かに聞こえた。三月が確かに自分のことを呼んだ。勝機はここしか無い。
(やっと戻ってきた……。間に合うか?)
あじゃは走り出す。武器を持たず、殴るつもりもない。
ただ、愛くるしい彼女を抱きしめるためだけに。
走り出したあじゃに本能的に反応し、三月が刃を拾い上げようとしたその刹那。
「させるかっ!!」
彼女の腕を掴み、そのまま己の胸元に抱き寄せる。
銃剣を拾えなかった三月は本能的に暴れ、爪を深々と食い込ませる。肩に激痛が走る。
もう、殆ど残されていない、僅かに残った殺意の残滓が肌を裂こうとしてくる。
──だが離さない。絶対に。
「三月!戻れ!!絶望に飲まれて我を忘れるなっ!オマエはここで終わる安い女じゃないだろうがっ!」
怒鳴り散らすあじゃの腕の中で、三月が痙攣した。呼吸が乱れ、瞳が激しく揺れる。
靄が剥がれ落ちるように、彼女の殺意や絶望と言った負の感情が少しずつ薄れていく。
「だい……じょう……ぶ……だよ……あじゃ、さん……」
その声は、しぼみながらも確かに“三月”のものだった。
胸の中で啜り泣く声がこぼれ落ち、あじゃは抱きしめる力を緩める。
三月は力なくあたしに凭れ、デコレーションまみれの銃剣が手から落ちた。
もはや彼女に闘う力は残っていない。どうやらあじゃは彼女に勝てたらしい。
「ったく……人騒がせな甘ちゃんめ」
髪の毛を雑に撫で回し、わざと乱暴に言うと、三月は弱々しく肩を震わせた。
「……ごめん……あじゃさん……こわかった……助け、て……くれて……」
「助けるって決めたら、助ける。それだけのことだ」
三月があじゃの胸に顔を埋める。その涙は、もう悲しみから生まれたものじゃなかった。
あじゃはそっと三月の頭を撫でる。髪が震え、少しずつ呼吸が落ち着いていく。
「帰るぞ、三月。オマエの居場所が何処かは……もう分かってるよな?」
三月は小さく頷いた。夜風が吹き、戦場の残滓は掻き消えていった。
その中で、あじゃは三月を抱えたまま立ち上がった。
想定外の苦戦はようやく終わった。奪われたものを、確かに取り返した。
これで少しは彼女の恩を返すことが出来ただろうか。
「あいつ……死ななきゃいいがな」
ここには居ない彼女の心配をしながら、三月を抱き抱えてその場を後にする。




