#25 最悪の選択肢を視野に入れて
ノルンは一人で店を回しながら、三月と連絡が繋がらないことを怪訝に思っていた。
泡を吹いて倒れていた茶々丸は既に、背負って隣の店の休憩室に放り込み、営業は再開している。
幸いなことに、今日は客の出入りが少ない為、ノルン一人でもなんとかこなせているが、どうにも先程までの会話が頭の奥底にこびり付いている。
「堕夢……ねぇ。普段はマメに連絡を返す三月から連絡がないってことは、そういう事かもね」
ボヤキのような独り言を呟いていると、店の扉に付けられた鈴が二、三度鳴り響く。
ノルンが視線を向けると、そこにはなしろを背負ったフカが息を切らして立っていた。
普段であれば、疲れちゃったのかな?で済むのだが、状況が状況だ。最悪の事態の可能性が高い。
濡れていた手をタオルでさっと拭き取り、ノルンはなしろの元へ駆け寄る。
「おかえり、フカ。……なしろはどうしたの?」
「そ、それがいきなりここに帰る直前で眠くなってしまったみたいでして……、でも流石に急過ぎるので、もしかして今流行りのアレなのかなと、わたくし邪推してますの」
流石は情報屋。フカもどうやら堕夢の事は知っているらしい。ならば、話は早い。
ひとまずは窓際のソファ席に寝かせて、ノルンはフカから詳細な話を聞こうとした矢先だった。
再度、扉の鈴の音が聞こえたので、来客かと思い、入口の方へと向かうと、そこにはリアがいた。
ノルンは目を細め、暗に歓迎しない旨を示すと、リアは首を横に二度振る。
「……いらっしゃい。今日は急患が居るから大したもてなしは出来ないよ」
「別に構わないわ。私も、ネコザメさんに話があってきただけだから」
「わたくしに?別に構いませんけど、彼女に聞かれても構わないんですの?」
ノルンが頭上に疑問符を浮かべていると、リアは首をカクンと縦に振る。
自分の預かり知らない場所で何かあったのだろうか?手持ち無沙汰だったノルンはカウンターへ向かう。
今は豊富に材料があるため、ある程度の飲み物なら対応できるだろう。
「飲み物、ボクの奢りだけど、何が良い?」
「私はアフォガードが良い。アイスはチョコね」
「ではわたくしはロイヤルミルクティーでお願いしますわ」
どちらも作るのがそれなりに面倒なモノを……とは口に出さずにノルンはいそいそと茶葉を用意する。
ミルクティ用の茶葉をミルクで煮出して作るロイヤルミルクティーはミルクと茶葉を一緒に温め、成分が煮出すのを待つ。
その間に、ノルンはディッシャーでチョコアイスを容器に盛り付け、エスプレッソに砂糖を少し入れ、注ぎ込む。
本来はキャラメルアイスの方が味がいいのだが、リアは毎回チョコを頼んでくる。
昔から変わらないなぁと、苦笑していると、遠くから会話が聞こえてくる。
「昼間の件、なんだったの?ふらっと散歩していただけなんだけど、いきなり突っかかられたの」
「私にも分かりませんわ。あの場では話を合わせただけですの。貴方は何かご存知ではないんでして?」
二人は何の話をしているのだろうか。話の一部を聞いただけではさっぱり理解できない内容だった。
流石に会話に割り込むわけにもいかない為、飲み物を置いてなしろの容態を確認する。
やはり死んだように眠っている。普段であれば、寝返りを打つ彼女は微動だにしない。
(堕夢に罹ったって訳ね。どうしたものかしら。三月も探しに行かなきゃだし……)
客が少ないとは言え、店を空けるわけには行かない。
暫くの間は、二人の会話に耳を傾けながら、なしろの様子を見るしか無いだろう。
今の所、治療法も無いこの病をどうするか。あじゃにあぁ言った手前、なにかせねばならない。
「わたくし、これでも情報屋を名乗っている手前、ある程度の情報なら把握しているんですけど」
「うん?それで?」
アイスを頬張っているリアとは対照的にフカは、湯気の昇るロイヤルミルクティーに口をつけない。
折角の出来立てを味わって欲しいのになぁと、ノルンは窓の外を眺める。
「貴方、一体何を企んでいるんですの?あちこちで不審な動きがあるって話を聞きますわ」
「……例えば?」
訝しげな表情でリアがそう尋ねると、そうですわね……とフカは思案しながら、こちらを指差す。
いきなりこちらへと視線を向けられたノルンはビクッとしながら、話の続きを聞く。
「そこで聞き耳立てているノルンさんと、どうやら度重なる逢瀬を繰り返している……とか」
「ただの依頼同行をお願いしているだけよ。あの子も物入りみたいだしね」
二人がこちらをチラチラ見ているせいか、どうにも居心地が悪い。自分の店なのに。
ノルンはフカに渡した余りのロイヤルミルクティーをちびちび飲みながら、二人の視線を躱す。
「店の運営状況も悪くない、彼女自身の物欲は殆ど無い。じゃあ何が物入りなんですの?」
「……さぁね。折角本人が居るんだから、直接聞けば良いじゃない」
二人の視線がこちらに移りそうになっているので、ノルンは机に突っ伏して寝たフリをする。
また話がこちらに移りそうになっている。なんだろうか、この非常に居心地の悪い空間は。
リアを詰問しているのに、その実、自分も責められているような、そんな気分になる。
「あの人は、己が不利益になるようなことは口を割らないんですの。だから、貴方に聞いてますの」
「あの子が答えないことを私が答えるわけ無いじゃない。私から言えることはなにもないわ」
二人のやり取りは拮抗状態だ。恐らく、この先の会話を聞いていても平行線だろう。
取っ組み合いとかにならないと良いなぁとノルンが考えていた矢先に、扉が開かれる音がする。
視線を扉の方へ向けるとそこには、意識の失ったトキヤを胴上げの要領で運ぶ二人の女性と、何故か盆踊りをしている中性的な人が居た。
(なんかまた状況がややこしくなってきたな……格好を見るに、Rpas.の面々っぽいけど)
面識はないのだが、以前に茶々丸が話していた人物像と彼女達は外見が一致している。
プライベートでもピチッとしたスーツを着ている──シルヴィア・ラスフォルト。
ふわふわとした雰囲気に、気のいい顔つきをしている──大鳥。
何故か盆踊りをしている黒髪で中性的な見た目の人物──エルザ・シュミット。
その三人は確か、茶々丸がナンパしてRpas.に入社することになっていたはず。
呼び方は何だったか……えーと、「秘書」に「仕入れ」に「管理人」だったか。
彼女はどうにも、自分のものだと誇示する時は呼び方にマイを付けたがる傾向にある。
(あれ、確か、三月の事は「令嬢」だったような……三月はやらんぞ)
三月をあげたくないという気持ちが顔に出ていたのか、大鳥とシルヴィアは困り顔でこちらを見ていた。
お客さん相手に失礼なことをしたと、はっとしたノルンは軽く会釈する。
「すみません、お客さん相手に変な顔しちゃって……、え?トキヤ、どうかしたんですか?」
「実は四人で談笑していたんですが、急に倒れてしまって。ここまで連れてきた次第です」
シルヴィアは涼しい顔でそう言うが、未だにトキヤの首根っこを掴んだままだ。痛くないのかな。
脚を持っている大鳥は、少年くんおもーい、落として良い〜?と疲れた顔で言っている。
「まぁ、変さで言うなら、今もそこで盆踊りしているエルちゃんが一番変だけどね〜あはは」
「えぇっ!?だって、盆踊りしてろって、シルさんが言ってたじゃないですかぁ……うぅ……」
キャラが濃いとは聞いていたが、初対面で友人の首を掴んでいる秘書は濃すぎる。
薄めて飲む飲み物を希釈せずに飲むぐらい濃い。そして何故盆踊りをしているんだキミは。
ひとまずは、連れてきたトキヤを下ろさせ、なしろの隣のソファに寝かせる。
トキヤも堕夢に罹ったのだろう。そうなると三月も加味してほぼ全員堕ちたことになる。
(あじゃさんの言ってたことが現実になりつつある。打開できない状況下でどう動くべきか)
ひとまずは、盆踊りをしているエルザを静止し、状況を聞くところから始める。
理路整然としてそうなシルヴィアに状況を聞くと、非常に分かりやすい状況説明をしてくれた。
話を纏めると、四人でおしゃべりをしていたら、急に眠くなったから寝ると彼が言い出した。
トキヤの身体はごーすてらに連れて行ってくれと、頼まれたから連れてきた、とのことらしい。
なしろ同様に原因は不明。感染経路や、魔術などによる他者からの干渉も無さそうだ。
(じゃあ、一体どうやって誰が何の目的で……?)
ノルンが彼女達の話を聞きながら、思案していると、再び扉が開かれる。
客は来ないのに来客が多いなぁと思い、扉の方を見ると、先程まで口論していたあじゃが立っていた。
後ろには満面の笑みで腕を組んでいるユキが立っていた。何故か服がぼろぼろなのが気になる。
寝ているトキヤとなしろを見、自分の言ったことが実現したことを確認すると、邪悪な笑みを浮かべる。
「よぉ、数時間ぶりだが、どうにも状況が逆転しつつあるみたいだな?」
「でも大丈夫ですよ!彼女達を我々の手で救いましょう!!」
あじゃの背中には連絡の取れていなかった三月が寝息を立てていた。
きっと、彼女も堕ちたのだろう。ノルンは再び、頭を悩ませながら、あじゃを席に案内した。




