#21 爆走するハム、逃げ惑うギャル
突然の変態の来訪に心底怯えたのか、三月は真っ赤になった目を擦りながら、肩を震わせている。
いつもは店のの空気を明るくさせる彼女も、今日ばかりは空気と肝を冷やしていた。
「ぐすっ……マジ怖かったし……、茶ピは、喋り方きしょいけど、いい人だったし……」
「どうして僕まで巻き添え喰らってディスられているんだい?子猫ちゃん」
「実際きしょいからね、喋り方。不届きマジパナイ……?よ?」
普段はしないような三月風の喋りで罵倒してみたが、茶々丸は満面の笑みで首を縦に振る。
彼女を反応を見た後のノルンの表情は文字通り、度し難い変態を見る目だった。マジパナイ。
ごーすてらのテーブル席でひとしきり泣いた三月は、うしっ、と声を上げると、立ち上がる。
「泣いててくよくよしてても仕方ないし!変態なんてニチジョーサハンジだし!」
「別に日常茶飯事じゃ……、まぁフカは変態か……。うーん、なら日常茶飯事かなぁ」
「済まなかったね、ほら、三月。隣のボンレスハムもほらこの通りだ」
三月達があじゃの方を見ると、そこには先程の二割増ほどで縛られているユキが居た。
ただ、猿轡だけは外されており、なんとか会話は出来るようにしてくれているらしい。
申し訳なさそうに眉を下げ、困り顔を見せているが、顔全体が紐でぐるぐる巻きにされている。
「えっと……その、目が見えていないのであれですけど、どうやらご迷惑をお掛けしたようで……」
「そうだ。反省しろユキ!!」
心底楽しそうにユキを罵るあじゃに、ユキはあじゃの方向を向いて唯一動かせる肩であじゃを指す。
精一杯の抵抗のつもりなのだろうが、端から見ればただ縛られているドMと御主人様にしか見えない。
なにやら怒り心頭のようだが、姿が滑稽過ぎる故に、ノルン、茶々、三月はなんとも言えない顔をする。
「元はと言えば、盞華さんを縛ろうとしたあじゃさんが悪いんですよ!あんなの庇うに決まってる!」
「でもあいつ、弁償する金一部踏み倒して逃亡したんだぞ?あたしが詫び入れず誰が入れるのさ?」
あじゃの言葉に、信じられないといった表情を見せるユキを見た二人は思った。
感動物のドラマみたいな事を、ただの喫茶店であるごーすてらでしないで欲しいなぁと。
茶々丸に至っては、あじゃ達を見て泡を吹いて気絶した際に、紅茶を頭から被っているのだ。
「……どうして私はあんな人を庇ったんだろうか……いや、それでも……」
「盲目の愛従は時には害としかなり得ないんだよ、ユキ。ほら、盞華を一緒に縛ろう?」
ウインクをユキにしたあじゃは、ノルンの顔を見て人差し指を口に添えるジェスチャーをする。
要するにもう少しで出来上がるから、今暫くは大人しくしていてくれという意味だろう。
ノルンは黙って首を縦に振り、二人の感動ドラマを三人で見守ることにした。
「……はい!!分かりました!!今から盞華さんをふん縛って連れてきます!!」
「縛って持って帰るまで帰ってくるんじゃないぞ〜〜」
ガチガチに縛られた紐を全て気合で千切った後に、ユキはうおぉぉと言いながら店を飛び出していった。
残された三人はぽかーんとしながら、あじゃの方を見る。三者三様で抱く感情は違うようだった。
ノルンは、あぁ……と察した表情を。三月はぽかーんとし、茶々丸は髪をファサァとかきあげる。
「久方振りだね、黒幕、驚いたよ。まさか、キミもごーすてらに来る同士だったとは」
「あん?黒幕だぁ?それ、あたしのこと言ってんのか?デカくなったもんだなぁ?」
あじゃがじろりと茶々丸を睨むと、茶々丸は両手を膝の上に置き、借りてきた猫のように縮こまる。
普段の彼女とは違いすぎる姿を見たノルンは笑いを堪えるのに必死になりながら、三月を見る。
(あ、三月も爆笑してる。全身震えながら、笑い堪えてるじゃん。声は出しちゃ駄目だぞ〜)
「三月、もうバケモノは去った。安心してくれるかな?」
「え……あ、ハイ。ちょっと怖かったけど、あの人もたまにキテくれるし?」
目線を逸らしながらも、甲斐甲斐しくそう答えた三月の頭をあじゃは徐ろに撫で始める。
最初はソフトに、しかしながら徐々に力を強めながらも、強弱弁えたそれは、歴戦の撫でだった。
しかし、あまりに撫でられる三月は、ほぼ無意識レベルであじゃの撫で撫で包囲網から逃れる。
「ここは喫茶店!頭撫でたいなら、近くの「Sar Maid」に行きなよ!あそこならお触り出来るから!」
「分かってないな。あたしは愛くるしい小動物を撫でたいだけで、肉食動物には興味ないんだ」
顔が青ざめた三月は、ノルンに視線を合わせると一直線で店を飛び出す。
最近よくある事だが、こうなった三月は割とよく脱走する。その分、給料は削るので構わないが。
店に二人きりになったあじゃとノルンだったが、ノルンはいつも通りカウンターに座るあじゃを見る。
「それで?ボクと話がしたくてわざわざここに来たんでしょ?わざわざユキさんを土産に持ってきて」
「ほほう?伊達に喫茶店のマスター気取ってはないらしい。そいつは半分抜け殻だし、良いか」
二人の表情から誂いや、巫山戯る様子はなくなり、いきなり店内の空気が冷え始める。
目が死に、半分虚ろな表情の茶々丸は一旦置いておき、お客さんの話にノルンは耳を傾ける。
「最近この街で流行っている出来事、姫宮は知っているか?」
「うーん?流行りはちょっと分からないかも……?最近は店にいる事多いし」
ノルンは頭の中を逡巡するも、特にそういった頃合いに心当たりがない。
世俗に疎い事は良くないとは思いつつも、どうしても興味のないものに時間を割く気になれない。
ただ、彼女の表情を見るに、このセントラルシティで穏やかじゃない何かが起きつつあるのだろう。
此処から先の会話では言葉に気をつけよう。一歩踏み外せば、糾弾されてしまいかねない。
生唾をゴクリと飲んだノルンは、あじゃの目を見ながら、彼女の言葉を待つ。
「ふむ、そうか。堕夢、という単語は聞いたことはないか?」
「堕夢……?いえ、あまり聞き覚えはないですね。言葉の意味的に悪夢でも見るんですか?」
あじゃの眼光が益々鋭くなる。どうしてそこまで自分を疑うのか気になるが、毅然とした態度をとる。
こちらの手の内や心の内を覗き込もうとする彼女の動きには、良い気はしないが、疑いが晴れるのなら、好きなだけ疑ってもらって問題ない。
(だって、何も知らないんだもの。貴方の知りたいことは何一つとしてね)
答えられることは何一つとしてないが、それでもあじゃの詰問は続く。
「……似たようなものだ。眠るように落ち、そして戻る者は誰一人としていない」
「病という文字である以上、原因や治療法はあると思いますが、それはないのですか?」
ノルンは敢えて、彼女の言葉を引き出させるような言葉を選ぶ。そうした方が話が早いからだ。
予想通り、あじゃは首を横に振る。そして、徐々に彼女の表情が悲痛に偏り始める。
「無い。この街で一番優秀だと言われている医者にも見せたが、症状も眠るだけなんだ」
「ボクに相談をするということは、貴方の身内が、ボクの知り合いが堕ちたのですか?」
あじゃは首を縦に振り、胸の前で手を組み、長い灰色の髪を鬱陶しそうに払いのける。
店の中には暫しの間、時計の針が刻を刻む音しか聞こえなかった。空気は随分と重々しい。
「うちの者では、盞華とさらが堕ちた。原因は不明だ。ただ、最後に訪れたのがこの店だった」
「前に来たのは……三日程前でしたね。その事、ユキさんや白さんは知っているのですか?」
歯を食いしばるあじゃの表情は、言葉や態度で語らずとも、否定の意を示している。
この話を内密に、誰にも聞かれまいとするべく、わざわざこの場所をセッティングしたのだろう。
……の割には、隣に半ば気絶しているカリスマモデルがいるのだが、良いのだろうか。まぁ良いか。
「言いたいことは分かりました。ボクが何かしたから、お二方が夢に堕ちた、そう言いたいんですよね?」
「そこまでは言っていない。あくまで何か心当たりがあるのか聞きたかっただけだ。あたしはただ」
この先の言葉は既に知っている。きっと彼女が言うであろう言葉を、ノルンは彼女の口に合わせて呟く。
「「仲間を助けたい、支えたい。その一身で動いているだけだから」」
一言一句違えぬ放った言葉が、あじゃに刺さったのか、瞼を引くつかせて、襟を掴み上げる。
茶々丸にも見せなかった激情を全身から発しながら、ノルンを罵り始める。
「何故この言葉を知っている!?一、喫茶店の店主風情が!!」
「人の集う場所に、情報も集うだけ。貴方のことだって聞いていますから」
掴み上げた襟から乱暴に手を離し、あじゃはフンと鼻を鳴らす。
先程まで発していた敵意や悪意は消え去ったが、どうにも自分に抱く不信感は拭えないようだった。
「知らないのなら良い。だが、姫宮。あんたの身内が堕ちた時、あんたがどうするのかは観物だな」
「その時は、全力で動くだけだよ。今のキミと同じようにね」
その言葉を聞いたあじゃは、何も言わずに店から去る。
ひとまずは三月を呼び戻し、気を失った茶々丸を「BlackSmith.Rpas.」に放り込んで営業再開する事に。




