#14 失われた物、失われなかった物
午後の陽光が、陰鬱な田舎町の空をわずかばかりではあるが、照らしていた。
舗装された石畳の道、整然と並ぶ民家、木々の間から吹き抜ける風はどうにも生温い。
久方ぶりの緊張感が全身に行き渡っているのを、盞華は肌で感じていた。
「ねぇねぇ〜?本当にそれだけで終わりなの〜?そんな赤い拳装具一個で、僕に勝てるつもり〜?」
少し開けた街の中央部分で、白髪の少女──ゆうらは足を組みながら、立っていた。
左手には大きな黒く歪な大剣を持ち、地面に軽く先端を突き立てたまま、ゆうらは小首を傾げて笑う。
その声には、聞くものを魅了する愛らしさと、相手を小馬鹿にし、冷静さを奪うような猛毒が同居していた。
先程までの戦闘で受けた、頬のかすり傷を腕で拭い、盞華は不敵に笑う。
「まさか、あんたが本気を出していないのに、あたしが出せる訳無いじゃん。出し惜しみしてる暇、ある?」
ゆうらの挑発に、盞華は銀の髪をたなびかせながら涼しい顔で言い返す。
髪を纏め上げ、破拳ワルフラーンを握り締めて彼女は、常に臨戦態勢を取っている。
静かに相手の様子を窺い、動きを見定めているその様は、獣のような殺気を発しても尚、冷徹であった。
「ふふっ、そっか。本気……ね。僕相手に手加減してくれてたんだ?」
ゆうらはくすくすと笑い、突き立てていた漆黒の大剣を片手で軽々しく持ち上げる。
やはり、彼女はただの打撃近接職じゃない。盞華の知る打撃近接職は皆、両手で大剣を持っていたのだ。
剣先を盞華に向け、霞の構えを取ったゆうらは、踏み込む脚に力を込めた。
「一撃で終わらないでよ?本気、出して欲しいんならね?」
その刹那、風ごと自分が切り裂かれるような錯覚に陥った。
大剣を手にしたゆうらが、大地を蹴り飛ばし、音を置き去りにしてこちらへと急接近していた。
(速いっ……!?視認できなかった!?)
ゆうらが繰り広げた斬撃は、大剣の重厚さからは想像ができないほど、速く、鋭い。
放たれた衝撃刃が木々を掠める度に、葉が千切れ、枝がへし折れる。
(速いだけで動きが単調かと思いきや、こちらの躱し方を学習して動きを微妙に変えてやがる……)
盞華はゆうらの攻撃を躱すので精一杯だった。そのせいで、どんどんと攻守の均衡が崩れていく。
身体を最小限に捻らせ、石畳の上を滑るように躱し、破拳にフォトンを込めて、反撃の隙を狙う。
「やっぱり、あんた、打撃近接職じゃないね?ソードの扱い方も動きもまるで違う」
「やだ、もうバレちゃった?伊達に戦闘狂……って訳でもなさそうだよね?」
ゆうらは盞華の攻撃を素早い回避でなんなく躱しながら、楽しげに嗤う。
彼女の動きには、相当の余裕が見え隠れしている。盞華が形振り構わず攻撃していても、民家などに当たりそうになると、わざと攻撃の軌道を歪めているのだ。
(まるで『遊んでいる』みたいね……、打撃近接職じゃなきゃ、彼女は一体なんの職業を……)
盞華は破拳ワルフラーンを強く握り直し、間合いを詰めるべく、地面を蹴り飛ばす。
しかし、ゆうらは笑ったまま、まるで蝶が舞うように身を翻し、距離を一定まで開ける。
地面に大剣を突き刺し、肩を落とすような素振りを見せると、口角をにぃっと吊り上げて嗤う。
「本当は大剣一本で終わらせるつもりだったけどぉ、お望み通り、本気出しちゃおっかなぁ?」
ゆうらは、大剣を置き去りにしたまま、盞華に急接近する。頭がどうにかなったのだろうか?
そう思っていた刹那だった、いつの間にかゆうらの手には、二丁拳銃が握り締められていた。
(まずいっ、この距離でその武器は危険過ぎるっ)
本来の二丁拳銃よりも速度のある射撃が、盞華の腹部に数発直撃する。
反応速度はもはや、頭で考えるよりも早く、体を動かしていたのにも関わらず、攻撃を受けていた。
「失われた職業──英雄。キミは知ってる?」
「さぁ、あたしはこの拳にしか興味ないし。どうしてそんな職業を使えるのかは、気になるけどね」
盞華は目を細めて、過去の記憶を遡る。随分と昔に似たような技能を持つ少年と、一度会った記憶があるが、それがいつの日だったかまでは覚えていない。
それに、自分の知る限り、職業は十しか無いはず。そのどれでも無いという物は脅威でしか無い。
英雄──、それは過去の探索者が開発していた、古の力であり、今では使用できない職業。
考古学などに興味がある者の中には知る者も居たが、当の盞華は実物で見るのも初めてだった。
「ん〜。ここって閉鎖的なコミュニティが築かれているからさ?技術が流出も流入もしないんだ〜」
「だから、ここでなら失われた職業を収めることが出来るとでも?」
ゆうらは嬉しそうに首を縦に振る。先程までの戦闘時とは大きく違って見える。
「でも〜、ここを出る時には、みんな失われた職業を使用しないことを誓わなきゃいけないんだ〜」
「あぁ……、さっき行ってた流入も流出もさせない為にか。……閉鎖的だな、ここは」
「あはは、まぁ貴方の言う通りかも。だからここは昔から一切変わらないんだ、それこそ千年前から」
「……そう。さて、小休止はもう終わり。続けようか、タイマンでどっちかが倒れるまでっ!」
そう言うや否や、ゆうらは二丁拳銃の射撃と大剣の斬撃を交えた、予測不能な攻撃を繰り広げる。
弾道は予測不可能、時には曲がり、時には速度も落ちている。攻撃の意図さえ汲み取れないほどだ。
(ちっ、想像以上だな……英雄、こんな職業が世に蔓延ったら、全員が使うんじゃないか?)
盞華は咄嗟に石垣の陰に身を隠すが、ゆうらは手を変え品を変えながら、一切の破壊を伴わずに追い詰めてくる。
民家の軒先すれすれを傳う彼女の射線は、木の枝をくぐり抜け、もはや芸術の領域だった。
(“力”だけが優れてるんじゃない。“技術”や“経験値”も桁違いに積まれている)
普通であれば、心が折れ、戦闘不能になる者が多数現れる中、それでも──盞華は怯まなかった。
盞華は真正面からゆうらに向き合い、裏拳をお見舞いした。
防がれること、避けられること前提の攻撃だが、その裏には“破壊”ではなく、“貫通”の意思を込めている。
盞華はひたすらに攻撃を繰り返す、当たらなくてもいい、直撃しなくてもいい。
ただ様子を窺い、一縷の隙を狙うべく、一撃一撃をゆうらの身体に打ち込んでいく。
やがて、盞華の一撃は空気を切り裂き、音速を超えて、ゆうらの懐へと迫る。
「うわっと、危ない〜。今の一撃はステップじゃ躱せなかったかも」
「……らぁ!」
ゆうらは跳躍し、二丁拳銃の攻撃で追撃を防ごうとするが、盞華の脚が一歩、二歩と距離を詰める度に、音速など無視するような速さで追いすがってくる。
もはやそれは拳野郎の出来る範疇を超えており、ゆうらも顔を引き攣らせながら尋ねる。
「……キミ、本当に拳野郎なの?」
「勿論。拳を愛し、拳に愛されたただの拳装具好きさっ」
盞華がくすりと笑うと、盞華の拳が赤く燃え上がる。
ゆうらが距離を取るよりも早く、盞華は空を蹴って肉薄する。
避けられないと察したゆうらが、二丁拳銃を交差して防御を固めるその刹那、防御をぶち抜くように拳が炸裂した。
「ハートレス・インパクトっ!!」
空気を切り裂くような音が、雷鳴のように、田舎町の空に鳴り響いた。
破拳がゆうらの防御を貫通し、炎を纏った一撃が、彼女の身体を吹き飛ばす。
「……いったぁ……。今のは良い一撃を貰っちゃったなぁ〜」
「まだやる気?これ以上はお互いにただじゃ済まないと思うよ?」
地面に倒れ込んだゆうらは、空を見上げたまま、数秒間考え込む。
やがて、微かに肩が震え、笑い声が聞こえてくる。
「……ん、ふふ。そうだね。これ以上はやめとこうかな。お見事だね、盞華ちゃん」
「いきなり馴れ馴れしいですね……ゆうらさん、でしょうか」
身体を仰け反らせて、その反発力で立ち上がったゆうらは、傷だらけではあるものの、まだまだ元気そうだ。
セミロングの白髪が風に揺れ、金色の瞳が空を見上げている。
「ここまで僕と拮抗したんだ。きっとキミの目的が終わるまで、敵対する人はそうは居ないさ」
「……はは、お気遣い、痛み入ります。貴方の英雄の力も凄まじいものでした」
盞華はにへらと笑い、ゆうらに手を差し伸ばす。ゆうらも驚く表情を見せるも、盞華の手を取る。
風が吹き、木々が揺れる。夕暮れ前の田舎町に、戦いの余韻だけが静かに残った。




