#10 嘔吐する乙女、オートメーション
依頼を正式に受理した盞華は、遠出の準備を整える。
換えの下着や衣服から、枕やアイマスク、暇つぶしに使えそうな拳装具の形をしているダンベルなど、必要なものを詰め込んでいたら、鞄の中はあっという間にパンパンになってしまった。
最新鋭の乗り物に乗り、盞華は柔らかい椅子に座り、息をふぅと吐く。長時間の移動になる。
ガタゴトと揺られながら、盞華は窓の外の月を見る。今夜はどうやら満月らしい。
隣には複数の寝息を立てる音が聞こえてくる。彼女の頭を優しく撫でながら、ボソリと呟く。
「何事もなければ、それで良いのですが……。どうにも嫌な予感がするんですよね……」
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今回の依頼は長丁場になる。それも普段と違って、荒事などは起きないだろう。
「ごーすてら」の店主、姫宮のるんの捜索、ないしは救出を依頼されてしまった盞華は、ここ数日の間に聞き込みを開始していた。
足で情報を稼ぐ、というものは往々にして定石ではあるが、非常に面倒くさい代物である。
地道な作業や工程を重んじる者からすれば当たり前なのだろうが、盞華自身は可能であれば楽をしたい。
カレーなどもお金を払って美味しいものが食べられるのなら、手間隙かけて自分で作る必要などない。
そう考えるタイプの人間だ。だから、前までは聞き込みなどはする必要があれば、ユキや白にお願いしたりしていたのだが、今回はそういう訳にもいかない。
(いい歳した大人がズルしているのを姫宮嬢に見られたくなどありませんからね……)
まだまだ過ごしやすい気候とはいえ、地味に動きにくい和装を脱ぎ、ラフな格好でセントラルシティを歩き回る。
石畳からは熱が込み上げ、太陽の光を反射しているせいで、気温以上に熱く感じてしまって嫌になる。
思った以上に顔が広いのか、のるんの話を出すと、ある程度の人は「あぁ、あそこの喫茶店のマスターさんね」や「あそこの看板娘、かわいいよなぁ」などと好意的な印象を抱かれているのが分かる。
聞き込みをしていると、どうやら彼女の故郷とやらに定期的に帰っていることが分かった。それもどうやら毎月、同じ時期にだ。
姫宮殿の表情や状況を察するに、恐らくは誰かしらの命日などで墓参りをしているのではないのか、等といった情報が様々な人から手に入るが、具体的に何処なのか、また墓参りをしている相手は誰なのか。
そういった詳細な情報は一切入ってこない。情報統制でもされているのだろうか?
盞華は集めた情報をメモに纏め、唸り声を上げながら、街を歩く。決定打が未だにないのだ。
「思った以上に姫宮殿は慎重なお人なようですね。大事な情報は誰にも話していないのかもしれない」
まとめ上げたメモを見ても、彼女の故郷が何処なのか、毎月定期的に店を不在にしているが、何処に行って何をしているのか、等といった情報が『噂すらされていない』のだ。
ハンカチで汗を拭い、ふと目線の先には「純喫茶ごーすてら」があった。
周りの建物とは一線を画すような、ノスタルジックな雰囲気を漂わせているごーすてらは、昼と夜で違った顔を見せる。
現在の時刻は正午前、そろそろ小腹が空く頃合いだ。
「そう言えば、アルフェルド殿以外の面々にはお話を聞いていませんでしたね……熱々でこひ〜珈琲を飲みながら、ホットで濃い話が出来ればいいですが……ぷくく」
誰も聞いていないからと、誰も笑わないようなギャグでひとりでに笑いながら、盞華は店に入る。
「あら。いらっしゃいですわ……、あ、貴方は……「天下布舞」のオヤジ担当……!!」
「いや、せめてオヤジギャグ担当にしてくれませんか!?あ、いや私の名前と掛けたわけじゃ……」
盞華の前に現れたのは、可憐で清楚な看板娘のなしろ……ではなく、白に近い灰色の髪に、地雷系にも見える濃いメイク、服装はなしろと同じだが、何故か全体的にタイトなのに、お尻にはサメの尻尾を携えた看板……女のフカ・ネコザメだった。
盞華は心の中で、その格好は拾代がやるから可愛いのであって、三十路近い女がしていい格好ではないだろう、と思いながらも。その気持ちをお首にも出さなかった。
イロモノは色々な場所で見てきたのだ。身内だったり、友達だったり、敵対していた者達で。
今更、自称人妻ロリの清廉清楚瀟洒で従順天才美少女賢者ネコザメイドと言われた程度で、盞華は臆するワケがないのだ。
「まぁ良いですわ。お一人ですの?それともどなたかと待ち合わせですの?」
「……うぷ、今回は一人です。……ところで、姫宮嬢は今日はお休みですか?」
二日前に、己の膝で泣き疲れて眠ってしまった彼女をふと思い出す。
聞き込みの最中だが、依頼主のメンタルケアも、探索者としての立派な仕事だ。
何も眼の前のキッツイ女性を見て、癒やしを求めているわけではない。決してそうではないのだ。
盞華の言葉を受けたフカは、何かを思いついたように右手の手のひらに、反対の手で判を押すような仕草をする。
「わたくしがなしろですのよ〜っ。おかえりなさいませっ、盞華さんっ」
「おええええええええええええっ……!!」
徐ろに嘔吐が止まらなくなってしまった。朝餉に食べた納豆ご飯の大半が飛び出してしまう。
消化しきれていない納豆が粒のまま、胃の中からまろびでてしまった、勿体ない。
盞華が吐くのを見て、フカは頬を膨らませて、地団駄を踏み、尻尾をブンブンと振り回している。
「乙女の顔を見て吐くとは本当に失礼な方ですわねっ!オモテにならないですわよっ!」
「ネコザメ。何があったんだ?」
「彼女がわたくしの顔を見るや否や、その場で吐き出したんですの。多分食中毒ですわ。さっさと病院へ送り出しましょう、さぁそうしましょう。速やかに搬送するべきですわ」
ハンカチで口元を拭っていると、カウンターの奥からアルフェルド殿が顔を出す。
今日は姫宮殿が居ないからか、カウンターの中で、珈琲を淹れたり、キッチンで軽食をテキパキと作っている。
客足自体は落ち着いてはいるが、キッチンとカウンターの両方を、一人で受け持つのは簡単なことじゃないだろう。
未だに食道が胃液のせいで気持ち悪いが、謎の安心感を覚えながら、アルフェルド殿に一礼する。
トキヤは盞華が吐いた跡を一瞥すると、盞華とネコザメ嬢を交互に見渡し、フカを冷ややかな目で見る。
「お前な……、三十路手前がなしろの真似したら、吐くのは当然だろう?」
「キーっ!!どうしてどいつもこいつも三十路三十路言うんですの!それにまだわたくしは二十代ですわっ!!」
両腕をブンブンと振り、怒る仕草を見せているが、とてもなしろと同じようには見えなかった。
年齢というのは残酷なものなのだなぁと、己の吐瀉物とネコザメ嬢を見ながら、盞華は虚ろな目をする。
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暫くして、盞華は奥のテーブル席に案内される。向かいには半ば不貞腐れているネコザメ嬢が座る。
吐瀉物は責任持ってネコザメ嬢が掃除し、何故か深々と頭を下げて謝罪を受けた。
(フカ嬢が深々と……ぷくくっ、これはネタ帳に仕込まねば……!)
今ここで書くとネタが割れるので、後ほどゆっくり認めよう。
そう心に決めた盞華は仕事モードに切り替え、両肘を立てて、手の上に顎を乗せる。
なにせ相手は、この街でも影響力の高い自称(以下略)なのだ。警戒心は最大まで引き上げる。
「私がこの二日、情報収集で動いてることはご存知ですよね?」
「勿論ですわ。何を嗅ぎ回っているのかも、概ね把握しておりますもの」
彼女は近くのコンカフェ「生足疑惑のサーメイド」を運営したり、商人もしているが、その他にも情報屋としての側面も持っている。
情報に見合ったカネさえ払えば、相応の情報は何でも手に入る。そんな噂すら立っている程だ。
今までの依頼で自分は使ったことはないが、恐らくうちのチームでも使っている者はいるだろう。
そんな彼女との接触は今まで最低限にしていた。弱みを握られでもすれば、ろくな目に合わないからだ。
(実際に、彼女の情報で破滅したって言う探索者は一人じゃないですからね……)
ネコザメ嬢と関わるということは、諸刃の剣。メリットはあるが、デメリットも明確に存在する。
少しずつジャブを打って、こちらも水面下で情報を引き出すべきか、単刀直入に聞くべきなのか。
悩んだ盞華は、単刀直入に情報を買う事で優位に話を進めていく方向性で動くことにした。
「なら話が早い、私が欲している情報は幾らで買えますか?」
「残念ながら、お金は求めてませんわ。だって、盞華さんが欲している情報は「姫宮のるんの行き先」でしょう?」
伏し目がちにそう呟いたネコザメ嬢の表情は先程と比較して、あまり明るくはない。
心理戦を持ちかけられている可能性も鑑みて、盞華はあえてなんの反応もしない。
首を縦に振り、午前中の町中を歩き回って聞き込みをしたものの、成果がなかった話をする。
「そりゃあそうですわ。のるんさんは無駄に慎重ですもの。そこらの民草が知れるようなものではありませんわ。……ただ」
「ただ?」
彼女の言葉には、節々に棘があるように感じる。それでも彼女の表情には影が射したままだ。
「残念ながら、彼女が定期的に故郷に帰ることも、故郷の場所も存じ上げてはいますわ。ただ、今回の外出は時期が違うんですの。ですので、確実に故郷に行けば会える確証はありませんわ。故郷に行ってみる価値はあると思いますけど」
「彼女の故郷というのは?」
確か、フルール嬢やアルフェルド殿と同じ故郷だったというのは聞いていた。
よく考えれば、この二人に場所を聞けばよかったのでは?と思うが、もう後の祭りだ。
「閉ざされた古き異郷の地、ハガルですわ。わたくしも一応、そこ出身ですわ」
「話には聞いたことがありますが、人の出入りが殆ど無いとか……」
「えぇ。ですので、出身者がいないと門前払いにされますわ。そうだ、フルールさんを連れて行っては如何?わたくしとトキヤは店番をしなくてはならないので」
どうやら、二人はハガルとやらにどうしても行きたくないらしい。
それもそうか、居るかどうか分からない上に閉鎖的な故郷になど帰りたくはないのも当然の話しだ。
そうと分かった盞華は、フルールに声をかけ、説得の後に依頼に同行してもらうことにした。
「さて、準備を整えて今晩にでも出ましょうか。行動は早いほうが良い」
早々に支度を終えた盞華は移動手段を用意して、その日の夜に移動しようとした。
半ば嫌がっているフルールを無理やり押し込んで、移動しようとしたら、乗り物の前に一人の人影が佇んでいる。
盞華がよくよく目を凝らして見てみれば、大きな荷物を持った姫宮嬢だった。
この旅は危険なものではないが、それでも年端のいかない子どもを連れて行く理由にはならない。
ふぅと息を吐き、盞華はなしろに声を掛ける。
「姫宮嬢、こんな夜更けにこんな場所に居ては、のるん嬢に怒られますよ?」
「おこってくれるのるんは、居ない。ならわたしが好きにしたっておこられないよね?」
これは困ったな、と盞華は苦笑する。こうなった彼女はきっと止まらない。
若かりし頃の自分もそうだった。なら、自分が止める道理はない。
ただし、危険がつきものの旅に同行する以上、覚悟は必要だ。護られるだけの者に価値はない。
「姫宮嬢。この先、自分の身は自分で守ってください。いざとなったら逃げて下さい」
「わかった、やくそくする。私が死んだら、のるんは悲しむから」
それが分かっているのなら、もう盞華は止めはしない。なしろに手を差し伸べ、乗り込ませる。
どうやら、この旅の難易度は大きく跳ね上がりそうだ。




