#9 少女は涙し、届かぬ想いに身を焦がす
盞華は縁側に置いていた湯呑みをテーブルの上に置き、座布団に腰を下ろす。
イ草の香りが充満していて落ち着く場所だが、朝方だと匂いがより強く香りだしている。
先程まで取り乱していた姫宮嬢が、ようやく大人しくなったため、胸を撫で下ろす。
「ようやく眠りましたか……。短い縁ですが、あそこまで取り乱すような子じゃないのでしょう?」
「それをわたしに聞いて、答えると思う?……わたしだって子どもは居ないし」
「天下布舞」マスターの主、盞華は和室の上座に来訪者を座らせ、己の膝になしろを寝かせる。
涙の跡が痛々しく残り、泣きつかれた彼女は己の膝の上で寝息を立てている。
先程までの荒れっぷりは想像以上だった。癇癪を起こし、自分に掴みかかる勢いだった。
年端も行かぬ子であれば、普通だが、彼女のことを知る人からは予想外だったと聞いている。
(まぁ、確かに。随分と落ち着いた子……だと聞いていますしね)
盞華はまだBarの方しか行っていないが、今日にでも純喫茶の方に顔を出そうとしていた。
その矢先に、マスターが失踪したとなれば、手伝えなくとも話くらいは聞く義務がある。
なんだか嫌な予感がした盞華はひとまず、マスターを詳しく知りそうな者を呼び出し、眼の前に座らせている。
それが今しがた口を尖らせている女性──リア・ラ・フルールだ。黒髪紫目の随分と大人びた様子の彼女だが、どうやらマスターの元姉らしい。
その辺の事情は探らずに、今は自分の知りたい情報だけを抜き取れるように努力しよう。
啜っていた湯呑みをひとまずテーブルの上に置き、盞華は両手を組んだ手の上に顎を置く。
「それで、姫宮嬢から話がありましたが、姫宮殿が失踪されたとか?」
「わたしも詳しくは知らない。手紙で暫く出掛けるけど、アルフェルドに店番を任せる。いい子にして待ってて。って書いてあったらしいわ。いつ帰ってくるかも、何処に行ったのかも分からないことに不安を覚えたんでしょ。きっと」
フルールの反応は、至極どうでも良さそうな態度だった。
長い黒髪の毛先を弄り、どうしてこんな場所に呼び出されたのかも理解していない様子。
話を聞いている感じだと、普段から失踪癖があるのだろうか?深堀りしてみようか。
「昔から彼女はこういった事があったのですか?随分と落ち着いていますけど」
「貴方に話す理由も必要も無いでしょ。居なくなったらそれまでよ」
苛立ちを隠さずに、こちらを睨みつけ、威嚇する様は明らかに何かを隠しているようにしか見えない。
旧知の仲……元というのも気になるが、親族が居なくなって、此処まで無関心なのも不思議なものだ。
彼女に話す前に、アルフェルドにも事情聴取をしたが、彼も似たようなことを言っていた。
『オレはノルンが暫く出掛けると言ったのなら、待つだけだ。店主代理くらい造作もない』
『探しには行かないのですか?』
『当然だ。預けられた店を回す必要があるからな。連れて行くなら、店に入り浸るあの女にしろ』
『ラ・フルール嬢でしたか。彼女は一体……?』
『捨てたものをもう一度取り戻そうとしている哀れな女だ。オレ視点ではな』
『そうですか……。それでは呼び出してみましょう。ご協力感謝致します』
そういったやり取りがあり、今に戻る。
どうにも彼女からは警戒と不快の二つの感情が織り交ぜられている毛を感じる。
姫宮殿にしか心を開かないというのも、何か理由があるのだろう。
仕方ない、多少無理やりにでも話を進めないと、彼女は梃子でも動かないだろう。
「では、私はもう少し様子を見た後に、姫宮殿を捜索する依頼を正式に受理するつもりですが、貴方は何もされない……ということでよろしいでしょうか?」
「なっ……依頼?その子が?」
どうやら、姫宮嬢が捜索依頼を出したことすら、フルール嬢は知らなかったらしい。
少しずつではあるが、彼女の立ち位置が垣間見えた気がする。
盞華は心の中でニヤリと笑う。眼の前のフルール嬢は狼狽えているが、意に介さずに話を続ける。
「えぇ。緊急性はないかも知れませんが、これからお世話になっている喫茶店の店主が居なくなったと聞けば、動くのは必然のことでしょう?」
「……帰りを待つのも良妻賢母の証よ。わたしはただ待っているだけ」
毛先を弄り、興味なさそうにしているが、口調や語尾から苛つきが滲み出ている。
もうひと押ししてみようか。怒られれば、後で謝りを入れればいいだけのことだ。
「だから捨てたんですか?姫宮殿を」
「……!!貴様っ!!わたしの何を知って、そんな口を聞いてるのっ!!」
頭に血を昇らせたのか、徐ろに具現化した長杖を取り出したフルール嬢が、思い切り振り被ろうとするも、盞華は難なく指で柄の部分を掴む。
目を見開き、驚きを見せたのも一瞬、フルール嬢は即座にフォトンを練り上げ、周囲を凍らせる。
部屋一面を凍らせる勢いだったが、盞華は具現化させた赤い拳装具で立ち込める氷を砕く。
あまりの光景に、フルール嬢は絶望した面持ちで膝から崩れ落ちる。
「なっ……。あの範囲の氷を……、一瞬で?」
「燃え盛るほどの熱い拳であれば、どれほど分厚い氷でも砕くまでです……それに」
盞華は拳装具を外し、フルール嬢に薄く微笑んで手を差し伸べる。
怯えや恐怖の入り混じった表情をしていた彼女の手を無理やり引っ張って起こす。
「ひとまず様子を見てみましょう。三日待って、それでも帰ってこないようであれば、私は動くつもりです。その時にご助力頂けると幸いですが……」
盞華はワンテンポ挟んでから表情を、笑顔から一気に冷酷さを剥き出しにした物に変える。
「邪魔だけはしないで下さいね。無闇矢鱈に人を殺めたくはないので」
「……分かったわ」
この場は、此処で解散したが、三日待ってもノルンが帰ってくることはなかった。
なしろは気丈に振る舞い、看板娘としての仕事をしていたが、夜にはノルンが居ない事で、ベッドで涙を流しながら帰りをただひたすら待っていた。
本格的に「天下布舞」が捜索依頼を受理したのは、ノルンが置き手紙を残してから四日目のことだった。




