#1 店主と少女
惑星ハルファのセントラルシティの外れには、知る人ぞ知る喫茶店がある。
純喫茶ごーすてら──時代錯誤の外装と、最近のトレンドを的確に捉えているお店だ。
数千年前に建てられた古民家をベースに、内装を綺麗に改装した店は、少し前に出来たばかり。
物珍しさがウケ、一過性の流行りになるかと思いきや、それなりに常連客が付いたことで今日も営業している。
「いらっしゃい。ようこそ、純喫茶ごーすてらへ」
木製の重厚な扉を開くと、そこには教科書に乗っているような古めかしい内装が賓客を出迎える。
硝子の瓶に詰められた珈琲豆、今や化石とまで言われている豆を粉砕するミル。
フローリングはワックスが掛けられており、光り輝いている。随分と手入れをされているようだ。
店内には何処か懐かしい深く苦い香りが立ち込めており、カチカチと古時計が時を刻んでいる。
「おや、見ない顔だね?こんな小さい子が一人で来るなんて珍しいね」
白い髪を短く纏め上げた中性的な店主らしき人物は、苦笑にも似た笑顔を自分に見せてくる。
あの人は店主だろうか、店に他の人は居ない。おそらくはあの人が店主なのだろう。
席に座るように促された私は、店主からメニューを渡され、決まったら教えてと言い残す。
(どうしてここにきたんだろう。わたし、しぬつもりだったのに)
あどけなさが残る幼い容姿に、片方の目だけが紅い少女は、生気を失った瞳で文字列に目を通す。
ミックスジュースに、アイスココア、エスプレッソ……どれも聞いたことのない単語だ。
分からないが脳裏を支配していく中、少し離れた場所から店主らしき人物がこちらを見ている。
少女が視線を合わせると、店主はカウンターから出てきて、こちらへと近寄ってくる。
「ご注文は決まった?えーと……キミの名前を聞いてなかったね。聞いてもいいかな?」
店主に名を尋ねられた少女は困り果てた。名乗る名前など無い、とっくに捨ててしまった。
この残酷で冷たい世界に絶望してしまった私にはもう何も無いのだ。
俯き、何も答えずにいる私を暫くの間、不思議そうに眺めていた店主は、優しい表情をしていた。
「言えない事情があるのなら、ボクは無理に聞かないよ。やなこと聞いてごめんよ」
「……別に事情なんて無い。名前……忘れちゃった」
私はそう答えると、店主は何も言わずに私の頭を徐ろに撫で始める。
最初は手で振り払おうと思ったのだが、身体に力が入らなかったのか、拒むことが出来なかった。
優しく髪を梳く様に撫でる店主の撫で方は、今まで私がされたことのなかったものだった。
ぽたりとテーブルの上に水滴が零れ落ちる。何処から出たのか気づく頃には、視界が滲んでいた。
ふと、店主と目が合う。ぼやけながらも店主の表情を伺うと、薄い笑顔をたたえたままでいる。
「ふむ、丁度いい。ボクのお店に看板娘が欲しいとこだったんだ。厨二病とヤンキーしか此処には居ないからね、儚げなキミが居てくれると嬉しいんだけどどうだろう?」
「……え」
必死に懸命に、残された力を振り絞って発することが出来た言葉は、その一言だけだった。
その後の記憶がない。後に店主──ノルンによるとプツリと糸が切れるように気を失ったらしい。
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私が目を覚ますと、知らない天井だ。身体を起こすと、ふかふかのベッドで寝ていたことに気づく。
起きたのに身体が痛くないなんて、どれくらい振りだろう。
数を数えることが不得手な私が覚えていないということは、相当昔なんだろうな、と私は苦笑する。
辺りをキョロキョロと見回しても、見覚えがない。そもそも私は定住している場所がないのだから、その日その日で寝る場所なんて変わってくる。
木陰で寝る日があれば、ゴミの山の上で寝る日だってある。誰かの庇護がなければ、人は弱いものだ。
ぼんやりする頭で、何があったのか懸命に思い出すと、昨日の出来事を思い出した。
(おなかがすいて、もうダメだってときに、しらないおみせに入っちゃったんだっけ)
嗅いだことも無いのに、何処か惹かれるような匂いに誘われてふらふらと歩いた先が此処だ。
純喫茶ごーすてら。聞いたこともない名前に、知らないメニューが沢山あるお店だった。
(そういえば、ここも同じにおいがする……すんすん)
私が鼻を鳴らしていると、がらがらと横開きの扉が開けられる。入ってきたのは店主だった。
あまりにびっくりして、ベッドから落ちて尻餅をついてしまう。……おしりが痛い。
私を見た店主は、少し驚くような素振りを見せた後に、ふふっと優しい笑みを見せる。
おしりをさすりながら、立ち上がる私に店主は手を差し伸べるが、私は拒んで一人で立ち上がる。
「あらあら……大丈夫かい?お嬢さん。珈琲の匂い、気に入った?」
「こーひー?」
聞き覚えのない単語、この匂いの元なんだと思うが、私は知らない単語を聞いて首を傾げた。
「そ、昔人気だった飲み物の一つなんだ。苦いものとか酸っぱいものがあるんだ」
「そうなんだ。どうでもいい」
私の一言に、露骨に寂しそうにする店主を見て、何故だが罪悪感を覚える。
普段はこんな気持ちにならないのに、どうしてだろう?
「まぁ良いや。キミ、身体の方は大丈夫?腕とかあちこち怪我してたから、簡単に治療したけど」
「!?……なんで、勝手に治したの」
傷が癒えた少女の紅い目が徐ろに輝き始める。こうなると私には私自身がもう止められない。
自分じゃない私があちこち暴れまわって、壊して、無くして、無に帰してしまう。
そうして居場所を何度も追われ、迫害され、こんな場所まで流れ着いたのだ。
(この人もころしちゃう……やさしい顔で私にせっしてくれた人なのに)
嫌だ、嫌だ。もうこんな力に支配されて何も失いたくなんて無い。
紅く光る目を抑え、必死に堪えるも、どす黒く身の毛のよだつような衝動は止められない。
(コイツをコロセ。ハラワタをヒキサイテ、チをアビロ……コロセ……)
目の前の人間を殺せと、誰かに囁かれる。最初は拒んでいても徐々に蝕まれていく。
そうして、私は殺戮衝動に身を任せて、何もかも破壊する。
(あぁ……もうダメ……、またわたしは、ころしちゃうんだ)
残った理性を振り絞って、少女は目の前のお人好しに最後の警告をするべく、口を開く。
「に、にげて……。このままじゃあなたも……」
「そかそか〜、でも此処、ボクのお店だから逃げ出すわけにもいかないんだよね」
飄々とした態度で、私を見ていた店主は、何処からかカタナを取り出す。
店主の体躯とそう変わらない大太刀だ。そんなモノを振り回しては、この部屋ごと消し飛ぶだろう。
少女は、恐怖と同時に安心感を覚えた。もしかしたら、終わらせてくれるかも知れない。
(ころしてくれるのかな、おわらせてくれるのかな。もしそうだったらうれしいな)
警告はした。逃げてって言った。だから此処からは店主の自己責任だ。
抑え切ることの出来ない殺戮衝動が、幼い身体に行き渡った頃、少女は懐から鈍器を取り出す。
彼女が肌見放さず持ち歩いていた護身用の得物──軽鈍器だ。
フォトンを操作することで重さなどを調整でき、誰でも扱える護身具の一つ。
店主を店主だと認識出来なくなる程に、染まりきった少女は、店主めがけて軽鈍器を振り下ろす。
(見たくない……ミセロッ!嫌だ!オマエが、ヒトを、コロスサマをっ!!!)
自分じゃない自分が、脳裏でケタケタと笑う。
無抵抗で、ただこちらを見ているだけの店主を、自分は殺すことが出来たのだと。
幼いからと見下していた愚か者を、自分の手で排除できたのだと。笑いが止まらない。
(アァ……?感触がナイ?……え?店主さん?)
紅い目の少女が、軽鈍器を振り下ろした先を見ると、店主はカタナの柄で軽鈍器をいなしていた。
目があったその刹那だった。店主はいつものようにニコリと笑う。
「フェアレス・アティチュード」
振り下ろした軽鈍器の力を利用して、放たれた一撃は幼い少女の身体を再びベッドへと送り返した。
ぱちくりと瞬きをしながら、少女は体が動かないことを確認すると、ふかふかのベッドに心も預ける。
「大丈夫かい?なしろ」
「な、しろ……?」
なしろとはなんだろうか。私のことを指しているようにも聞こえるが、そんな名前はない。
口を動かすこともしんどいことを察したのか、店主は得意げに胸を張る、胸はないが。
「名前のない、髪の毛が白い子だから、なしろ!あと、ボクの苗字の姫宮。姫宮なしろ」
「……ひ、め」
やはり声が出ない。反動で暫くの間動けないのだが、どうやら身体が限界を迎えたらしい。
次第に瞼が重くなり、疲弊しきった身体が言うことが聞かなくなる。
うつらうつらとしていると、店主は私の頭を撫でる。あんな事があったのにも関わらずだ。
「おやすみ、なしろ。ボクのことは……起きてからまた話すから」
「……すぅ……」
この日を境に、姫宮なしろは純喫茶ごーすてらの看板娘として第二の人生を始めることになった。