12.
(何なのでしょうか、この状況は)
私とハロルド殿下、フェルナンド・ルーグマンとその補佐役のエドワードが、来週開店予定のイグナス村のレストランに座っています。
私と殿下はテーブル席に向い合せで、そんな私たちを、カウンター席に座り興味津々といった様子で見つめているフェルナンドとエドワード。
馬車から降りてきたのがハロルドだとわかると、フェルナンドとエドワード以外は気を利かせてレストランを出ていきました。
ハロルドがわざとらしい咳払いをしてみせます。
「私はアリーシャと二人きりで話がしたいのだ。そもそも、なぜ貴殿がここにいるのだ。フェルナンド侯爵」
「聞いておりませんか? 王室には報告書を提出したのですがね。この村がルーグマン侯爵領になったからですよ。ロッセリーニの息子から、博打の賭け金の代わりにもらったのです」
「な……! 貴様は何をいけしゃあしゃあと」
これには私も同感です。
内容もそうですが、殿下相手に軽い物言い。
不敬罪で処罰されてしまいますわよ。
仕方がないので、私から殿下に声をかけました。
「ハロルド殿下、それで、本日は一体どのようなご要件でしょうか?」
「それは……」
殿下の姿を拝見するのは約一年ぶりですが、心なしかやつれて見えるのは気のせいでしょうか?
殿下は、冬の澄んだ空のような紺碧の瞳で私を見つめました。
その瞳に映る自分を見ることは二度とないと思ってましたから、不思議な心持ちがしてきます。
「それにしても安心したよ。荒れた土地が広がる寂れた村だと聞いていたから……。このような立派な食事処があるのだ。どうやら、部下の報告が間違っていたようだね」
「間違いではないですわよ」
私は、フェルナンドとエドワードに言ったのと全く同じ台詞を口にしました。
「私がこの村に辿り着いた時、この荒野にあったのは、家が三軒、井戸が一つ、トウモロコシ畑と収穫前のジャガイモ畑とカボチャ畑、高床式倉庫に粉砕機がある小屋、村長が飼っているニワトリ二匹、それが全てだったのですから」
私の言葉に、殿下はその拳をきつく握りしめ、あからさまに動揺した様子を見せます。いつも冷静沈着だった殿下はどこへ行ってしまったのでしょうか?
そして、殿下のその態度は私を苛立たせました。
私をこの地に向かわせたのは殿下です。
それを、どの口が安心したなどという台詞を吐くのでしょう。
「私も驚きましたわ。まさか、ここまで殿下に嫌われているとは思ってもいませんでしたから。婚約破棄の慰謝料が、荒野にある小さな村の代官という地位と金貨三枚。おまけに圧力をかけられ護衛は雇えない。その状況で速やかに移動しろというのは、死ねと言っているのと同じですからね」
「アリーシャ、それは……!」
「やはり、側室を断ったのがいけなかったのでしょうか? それとも元々嫌われていたのでしょうか? だとしたら、殿下の演技力は相当のものですわ」
私でなければ、ここにたどり着く前に盗賊に襲われて死んでいたか、王命に背いた罪で処罰を受けていたのです。
これくらいの嫌味は言っても構いませんよね?
「側室を断った?」
そう呟いたエドワードが、しまったというように口を抑えました。
「私ではない!」
ハロルドがカッとなったようにテーブルを叩きつけ、その音がガランとしたレストランに響き渡ります。
私の知る限り、殿下はこのような乱暴な真似をするような人ではありませんでした。
この一年余りで変わってしまったのか、それとも、私がその本質を見抜けていなかったのでしょう。
殿下から感じるのは、怒りというより焦りです。
けれど、何が殿下をそうさせているのか見当もつきません。
「私がそなたに与えようとしたのは、王都の隣にある鉄鋼が盛んな街とその街の領主館だ。何もせずとも多額の税金がそなたに入るよう手配していたのだ。それから、慰謝料として大金貨3枚。一生贅沢に暮らしていける環境を準備していたのだぞ!」
これにはさすがの私も驚きました。
「そうなのですか? それでは、護衛を雇えないように圧力をかけたりなどは……」
「そんなことをするわけがない!」
「それならば、一体なぜこんなことに……」
「……聖女だ。聖女が謀ったのだ」
私は耳を疑いましたが、殿下ははっきりとそう口にしました。
確かに、私に任命書を渡し、このイグナス村に速やかに移動するよう命じたのはロッセリーニ子爵です。そして、聖女はロッセリーニ子爵の後ろ盾を受け養女となっています。
ですが、そんなことはあるはずがありません。
なぜなら、原作の聖女は純粋でとっても良い子なのですから。
「それは聞き捨てなりませんわね。聖女様は聖なる力を宿した癒しの化身。人を欺こうなど、そんなことをするはずがありません。例え殿下といえども、聖女様を貶める発言は許されませんわ」
私の言葉を聞いた殿下が、小さな声で呟きました。
「はたして、あれが本当に聖女なのか……」
「えっ?」
「いや、何でもない。ただ、今回のことに聖女が関わっている可能性は非常に高いのだ」
「まさかそのような……。だいたい、なぜ聖女様がそんなことをする必要があるのですか? 私には全く理解できません。……あっ!」
「どうしたのだ?」
「もしや、聖女様は私と殿下の仲を誤解しているのではないでしょうか? それが不安で、私を遠ざけようとしたのかもしれません。護衛の件は何か行き違いがあったのでしょう。そのような心配をする必要など全くありませんのに。私たちの婚約は政略結婚を前提としたもの。聖女が現れたら婚約破棄という誓約書だって交わしていたのです。どうか聖女様にお伝えください。何も心配はいりません。私と殿下は、全く、これっぽっちも愛し合ってなどいなかったのですと」
「ぶっ!」
なぜだかフェルナンドとエドワードが同時に吹き出し、殿下が二人を睨みつけました。
その時、
「ハロルド殿下、そろそろお時間です」
そう声をかけたのは、殿下の側近アーサー・カッセルです。彼にも二度と会うことはないと思っておりましたが、人生とは何がどうなるかわからないものですね。
殿下が力なく下を向くと、金色の髪がさらりと揺れてつむじが見えました。
まさか、殿下のつむじを見ることになる日が来ようとは。それも、婚約者ではなくただの他人になった後で。
「父上に黙って来たのだ。もう行かなければ」
私は、少し呆れてこんなことを考えました。
(そんなに時間がないのなら、私がしたように早馬で来ればよかったのでは? それを、なぜ豪奢な装飾のせいでゆっくりとしか進まない王室馬車で来たのでしょうか。しかも、こんなに大勢の護衛騎士を引き連れて)
すると、顔を上げた殿下が、紺碧の瞳で私を見つめながら懇願するように言いました。
「アリーシャ、戻ってきてくれ。聖女との結婚は覆せない。しかし、側室として側にいてほしいのだ」
「側室? なぜ今になってそんなことを……」
(まさか……)
その瞬間、私の背筋は凍りつき、体中に冷たさが広がっていきました。
これが原作の強制力というものならば、どんなに抗っても、私が側室になる運命は変えられないのではないでしょうか?
そうなれば、私に待っているのは、聖女を害した罪で処刑される未来だけです。
(そんなのは嫌ですわ!)
「あっ……!」
どうしたのでしょうか。上手く言葉が出てきません。
体は芯まで冷えきって、自由がきかないのです。
(このままでは、側室を了承したことになってしまいます。早く断らなければ……!)
その時、
「それは無理ですね」
そう言ったのはフェルナンドでした。
「ルーグマン侯爵、これは私とアリーシャの問題だ。口を挟むでない」
「不敬と言われようが挟ませていただきますよ。その権利もあります。何しろ、アリーシャ・マクレーンは俺の婚約者なのですから」
「はっ? 何を言っている!?」
殿下は声を荒げましたが、私も同じ事を考えました。
(はい? 何を言っているのでょうか?)
「俺とアリーシャ・マクレーンは婚約したのです。書類も近日中に提出する予定だったんですよ」
「嘘を言うな!」
「嘘ではありません。そうであろう? アリーシャ」
フェルナンドが私の名前を呼び捨てにします。
そこで私はピンと来ました。
フェルナンドは助け舟を出してくれているのです。それならば、その舟に乗らせて頂きましょう。
「彼の仰るとおりですわ。私たち、婚約いたしましたの」
殿下が、信じられないものを見るような視線を私に向けました。
「そんなことは許さない!」
許さない?
今度は何を言い出すのでしょう。
「許すも許さないも、殿下には何の権限もありませんわ。私はもう、殿下の婚約者ではないのですから」
「くっ……!」
殿下が何か言おうと口を開いた時、アーサーの男性にしては甲高い声が響きました。
「殿下! お時間です!」
「……わかった。アリーシャ、また来る」
(えっ!? また来るんですの?)
そう言いそうになって咄嗟に口を噤みました。
それはさすがに不敬です。
そうして、ハロルド殿下は王室馬車に乗り帰っていきました。
「助かりましたわ。ありがとうございます、フェルナンド侯爵」
ほっとしたと同時に、不安が押しよせてきました。
「けれど、王族を堂々と憚るような真似をして大丈夫でしょうか? あのような嘘、すぐに露見してしまいますわ」
「それならば、真実にしてしまえばいいのだ」
「はい?」
フェルナンドが、また何かおかしなことを言っています。
「今日はこれで済んだが、王家から正式に側室を打診されれば断れないであろう。それならば、本当に俺と婚約した方がよいのではないか?」
「確かにそうですが……。それであなたに何のメリット……得がありますの? それに婚約者はおられないのですか?」
「婚約者はいない。それから、そなたと婚約して得るものは十分にある。まず、周りから結婚しろとうるさく言われなくなる。釣書も娘を紹介したいという輩も来なくなる。何より、夜会や舞踏会で香水臭い女どもに囲まれずにすむ。いい事ずくめだな」
「言っておきますが、私もその香水臭い女のうちの一人ですのよ」
「いや、そなたは違う」
「何が違うのでしょうか?」
「そなたは面白い」
(面白い? 前世も今世も含めてそんなことを言われたのは初めてです。私を面白いという侯爵の方が余程面白いと思いますが……)
フェルナンドの言う通り、王家から正式に側室にと請われれば、それを拒むことはできません。
私にすれば、願ってもないありがたい話ではあります。
「確認なのですが、婚約したら、私はどこに住むことになるのでしょうか?」
今イグナス村を離れるのは嫌です。
この村は、まだまだこれからなのです。
フェルナンドは答えました。
「何も変わらない。そなたは、イグナス村の代官としてここで暮らせばよい」
(これは……! もしやこの婚約は、前世で読んでいたロマンス小説に出てくる、期間限定の契約的なあれなのでないでしょうか?)
まさに私に都合の良い展開ですが、さすがに気乗りがしません。
私は婚約破棄をしたばかりですし、フェルナンドの人となりも正直よくわかりません。何しろ、まともに話をしたのは今日が初めてなのですから。
(けれど……。もしあれが叶うのなら、婚約するのもやぶさかではないですね)
「一つ条件がございます」
「条件?」
「この村に水路を引いて頂きたいのです。その代わり、これまで納めていなかった税をきっちり納めますわ」
水路が通り水不足が改善されれば、ドライブインの各部屋に浴槽をおけますし、水風呂が作れなくて断念したサウナを作ることができます。
何より、この村の乾いた大地が潤えば、トウモロコシとジャガイモとカボチャ以外の作物も育てることができるのです。家畜だって飼えますし、養蜂だってできるようになるかもしれません。イグナス村は飛躍的に発展するでしょう。
「いいだろう。これで決まりだな。後になってやっぱり嫌だは通用しないぞ」
「わかっています。女に二言はありませんわ」
それから、フェルナンドがニヤリと口角を上げました。
「何をにやにやしているんですの?」
「俺はルーグマン侯爵家の当主、そしてこの村はルーグマン領になった。この村が経済的に発展すれば、村を治めるルーグマン侯爵家も潤うのだ」
「つまり……?」
「つまり、代官のそなたが村に水路を作りたいと申請すれば、それが領地のためになるならば、引き受けるのが俺の務めだということだ」
「それでは、何も婚約せずとも、水路を作りたいと頼めば作ってもらえたということですの?」
「そういうことだな」
「騙したのですか?」
「騙したも何も、言い出したのはそなたの方だ。それに忘れたのか?」
「はい?」
「女に二言はないのであろう」
「うっ……!」
こうして私カリナ・マクレーンは、フェルナンド・ルーグマンの婚約者になったのです。