10.
さらに半年が経ちました。
アリーシャ・マクレーンです。17歳になりました。
イグナス村に見慣れない訪問者がやって来たのは、春の終わりのことでした。
訪問者は二人。私と同年代の若い男性です。
一人は背が高く立派な体躯をしており、黒髪のストレートヘアにレモンクォーツを嵌め込んだような眩い瞳。
もう一人は小柄で眼鏡、ふわふわの栗色の髪を風に靡かせていました。
二人とも馬に跨っておりますが、なかなか毛並みのいい立派な馬です。手入れが行き届いており、二頭とも可愛らしい円らな瞳をしています。まぁ、私のオスカルには叶いませんが。
その馬と身なりを見ればわかります。どこからどう見ても貴族です。それもかなり高い身分の。
ここはロッセリーニ子爵領。
子爵の息子でしょうか?
全く似ていませんが、今さら何なのでしょうか。
黒髪の方が、馬上から私を見下ろしこう尋ねました。
「この村は、ロッセリーニ子爵領からルーグマン侯爵領になった。村長はいるか?」
私は答えます。
「村長はおりますけれど、忙しそうですので私が応対しますわ」
黒髪の男が、私の頭の先から爪先までを眺めます。
それはほんの一瞬で、嫌な感じ、というほどのものではありませんでした。
「そなた……平民ではないな? ロッセリーニの娘か? ここで何をしている?」
「私は、このイグナス村の代官です」
二人は、馬上で顔を見合わせました。
ふわふわ頭が、眼鏡のブリッジを人差し指で押さえながら尋ねます。
「代官……ですか? 代官がいるという話は聞いておりませんが」
こんな時はあれですわね。
伝家の宝刀、任命書の出番です。
私は、広げた任命書を二人に向けて突き出しました。
「こちらが、その証拠ですわ」
よく見えないのか、馬から降りたふわふわ頭が、私の手から任命書を奪いました。
乱暴な奪い方ではなかったので、大目に見てあげましょう。
「任命書で間違いありません。玉璽までありますよ。それに……、アリーシャ・マクレーンと書いてありますが……」
「そうですわ。私、アリーシャ・マクレーンです」
二人は、地上と馬上で再び顔を見合わせました。
二人とも、物事がよく飲み込めていない時の、複雑な表情をしています。
私がアリーシャ・マクレーンであることに何か問題があるのでしょうか?
黒髪が、馬上から私に尋ねました。
「そなた……、聖女が予定より早く誕生したせいで第一王子と婚約破棄になった、あのアリーシャ・マクレーンか?」
あの、とは何なのでしょうか。
私、見ず知らずの人間に『あのアリーシャ・マクレーン』と言われるようなことはしていないはずなのですが……。
まぁ、いいでしょう。
「そうですわ。私がそのアリーシャ・マクレーンです」
「王子の元婚約者が、なぜロッセリーニ子爵領の、それも荒野が広がるカスタール地方の小さな村で代官をしているのだ」
「なぜかと聞かれましても……。それが婚約破棄の慰謝料だった、としか答えようがありませんわね」
「婚約破棄の慰謝料?」
二人は再び顔を見合わせました。もう三度目です。余程仲がよろしいようですね。
「私もお聞きしたいことがございます。ここはロッセリーニ子爵領でしたわよね? それが、どうして突然ルーグマン侯爵領になるのでしょうか? ルーグマン侯爵」
すっかり忘れておりましたが、黒髪の男性のことは知っておりました。
といっても、夜会で何度か挨拶を交わしたことがある程度です。そして、あちらは私のことを覚えていないようですね。
フェルナンド・ルーグマン。
この村の南西に位置するルーグマン領を治める若き侯爵です。ちなみに私たちが屋台を出したユピシカは、ルーグマン領の領都なのですよ。
私の問いかけに、ふわふわ頭が苦笑いをしました。
「実はフェル……、いえ、うちの当主が、ロッセリーニ子爵の息子をカードゲームで打ち負かしてしまいまして。すっからかんになった子爵の息子が、金の代わりに領地を譲るというものですから、ちょうど我が領都ユピシカに近いですし、貰えるものなら貰っておこうということになりまして。それが、ちょうど1年前のことです」
「1年? それは一体、どういうことなのでしょうか?」
「実は二人とも少々酔っ払っておりまして、この村を貰い受けたことをすっかり忘れていたのです」
「そういうことだったのですね」
多少驚きはしましたが、これで腑に落ちました。
ロッセリーニ子爵は勝手にしろと仰ったそうですが、それでも代官が置かれたからには、税を徴収して納めるよう指示があると考えていたのです。
しかし、その後子爵からは何の音沙汰もありませんでした。その謎が解けたというわけです。
「あっ、申し遅れました。僕はルーグマン侯爵の補佐役でエドワードと申すものです。それにしても……。村として登録してあるものの、村人は数人、干からびた荒地が広がっているだけとの情報でしたが、聞いていた話とはだいぶ違うようですね」
「エド、お前の情報が間違っていたのだろう」
「どうやらそのようですね」
「いいえ、間違いではないですわよ」
私の言葉に、二人は剣呑な眼差しを向けてきました。
「私がこの村に辿り着いた時、この荒野にあったのは、家が三軒、井戸が一つ、トウモロコシ畑と収穫前のジャガイモ畑とカボチャ畑、高床式倉庫に粉砕機がある小屋、村長が飼っているニワトリ二匹、それが全てでしたから」
二人はもう一度顔を見合わせました。もう四度目です。
「それがどうして、こんな短期間で……」
「そうか、わかったぞ。王家の都合で婚約破棄になったのだ。莫大な金額の慰謝料を受け取ったのだろう。金にものをいわせて、短期間でこの村を改革したのだな」
「いいえ。婚約破棄の慰謝料は金貨三枚でした。ちょうど、王都からこの村までの馬車と御者の賃貸料と同じ額でしたわね」
「なっ……!」
二人は再び顔を見合わせましたが、もう数えるのはやめておきましょう。
「宜しければ、村をご案内しますわ。この村を治める新しい領主様なのですから」
代官とは、広大な領地を治める領主に代わり、代理で領地を任せられている者を指します。
つまり、フェルナンド・ルーグマンは私の上司に当たるわけですから、最大限のもてなしはしておいたほうがいいでしょう。
二人の馬には、私の家の裏手にあるオスカルのいる馬小屋で休んでもらうことになりました。
「ここは村人の家か?」
フェルナンドが尋ねます。
「いいえ、私の家ですわ」
「何だって?」
「村には頗る腕が良い大工がいるのです。隙間風など入りませんわ。おかげで快適に暮らしておりますの」
「そ……そういう問題なのか?」
二人とも混乱しているようです。
私の家のことなどどうでもいいので、先に行きましょう。
「こちらが村人たちの家がある住宅地です」
半年前、元サンタナ村の村人30人が移住してきました。
移住当初は、即席で作った大きな小屋で雑魚寝をしてもらいましたが、屋根のある場所で寝られるだけありがたいと、皆さんそれはそれは感謝してくださいました。
その後それぞれが住む木造家屋が建ち、家族がいるものは家族と、もちろん私のような独り者も、賃貸ではありますが自分の家を持てるようになったのです。
ちなみに、元サンタナ村の村人の他に、方々の村から26人が移住してきました。村人募集の看板を見た街道を通る商人たちが、行く先々で宣伝してくれたおかげです。
今では村の西側に、村人の住む家が35棟建っています。大きな小屋も、食材や資材を保管する倉庫として役立っていますよ。
「あれは何だ?」
フェルナンドが、村の西端にある建物を指差しました。
「あれは、くるみタルト工房ですわ」
「今王都で大人気だという菓子のことだな?」
「そうです。そのくるみタルトですわ」
くるみタルト工房では、女性を中心に20人の村人が働いています。
生産リーダーのカリナが中心になって、クッキー生地を作る担当、キャラメルくるみを作る担当、形成しオーブンで焼く担当、梱包担当に別れ、作業を分担し作業効率を上げているのです。
フェルナンドが、顎をさすりながら呟きました。
「やはり、噂は本当だったようだな」
「噂、ですか?」
私の問いかけに、エドワードが答えます。
「じつは、王都で話題になっているくるみタルトが、荒地が広がるカスタール地方の小さな村で作られているという噂を耳にしまして。それで、この村を譲り受けたことを思い出した次第なのです」
「なるほど、そういうことでしたか」
「それにしても……。このような小さな村で、本当にくるみタルトが作られていたとは」
エドワードが、感心したように息を吐きました。
それから、私は二人を畑に案内しました。
畑では村長とベネットの他に、男性を中心に6人の村人が農作業に励んでいます。
「あれはトウモロコシ畑です。その隣がジャガイモ畑、隣がカボチャ畑です。ジャガイモ畑にいる初老の男性が村長ですので、後ほど紹介いたしますわ」
私の説明に、フェルナンドが聞き返しました。
「なぜ、トウモロコシとジャガイモとカボチャなのだ?」
「そんなの決まっていますわ。この村の乾いた土でも育つ作物が、トウモロコシとジャガイモとカボチャだけだからです。他の作物は育ちません。牧草地がないので牛やヤギも飼えません。花が咲かないので養蜂もできません。そのような状況下でも、最初にここに村を作った九人の村人は、諦めずに畑を耕し作物を育てたのです。全ては生きるためですわ」
「なるほどな。この荒野で生きるためのトウモロコシとジャガイモとカボチャというわけか」
独り言のように呟いたフェルナンドは、東の方角へ体を向けると、遥か先を指差しました。
「この村に来た時から、一番気になっていたのはあれだ。あれは一体何なのだ?」
私は答えました。
「あれですか? あれはドライブインです」
「ど、どらいぶ……いん?」
訝しげに眉を顰めるフェルナンドとエドワードですが、私にはわかります。
どうやらお二人は、とってもわくわくしているようです。