ふたご座流星群のもとで
「うわぁー! すごいっ! 星が降るって本当にあるんだ!」
暗闇の中に彼女の声が響く。普段、大人しい彼女も、流星群の光に興奮しているらしい。
ここは、とある山頂の駐車場。
薄っぺらいシートに寝転んでいると背中がじわじわと冷えていく。見上げる夜空には次々と星が流れていく。ふたご座流星群。
クリスマスまで後、十日。十二月に入ってから、テレビのニュースで、ふたご座流星群が、月半ばに見られると繰り返し伝えていた。
☆
二つ年上の三回生の知成さんが、「流星群鑑賞会しようぜ」と僕と春逢を誘ってくれたのは二週間前。
流星群のピークは日曜日の深夜から月曜日の早朝にかけてだと言われていた。日曜日の晩九時に知成さんのマンションに集合し、車で、この街のシンボルでもあるR山の山頂に向い、流星群を鑑賞しようということになったのだった。
知成さんは高校の先輩だった。弱小サッカー部の先輩と後輩。地区大会でも初戦敗退ばかりだった。でも、チームの絆は強かった。負けてもぐじぐじしない。さっぱりしたいいチームだった。
高野春逢と出会ったのも、高校時代だ。春逢はサッカー部のマネージャーだった。中学から仲良くしていた先輩に誘われる方でマネージャーになった子だった。
「高野春逢です。サッカーのことよく知らないので、ご迷惑おかけすることもあるかもしれませんが、頑張ります。よろしくお願いします」
マネージャーになることが決まった初日、春逢はそう言って、ぺこりと頭を下げたのだった。学校指定のジャージがぶかぶかな小柄な子という印象だった。
そんな春逢に先輩マネージャーが「頑張らなくていいよぉ。気楽にいこう!」と言い、部長の長谷川先輩が「ちょっとは頑張ってくれよ」とつっこみ、みんながどっと笑った。
春逢は真面目な子だった。
ボールを磨いたり、グラウンド整備をしたり部員ですらサボろうとすることを黙々とこなした。先輩達が「高野ー。適当でいいよ」と言うのに対して「はい」といいながらも最後まで作業するのだった。
そんな春逢に触発されて部員も今までより、真面目に備品やグラウンドを整備するようになった。その真面目な姿が神様にも届いたのか、その年、初めて地区予選で二勝したのだった。
それ以来、春逢は部員の中で密かに〝勝利の女神〟と呼ばれるようになった。一重で切長の目は、アジアンビューティーと呼ぶには形がよくなかったけれど、古典的な美しさを持った春逢のことが、気になり始めたのは、この頃だったと思う。
でも、高校生の僕は、それが淡い恋心だなんて思いもしなかった。
☆
サッカー部を引退するとクラスが違う春逢とは、滅多に顔を合わせることはなかった。大学受験が迫る中、僕は隣の県にある大学を第一志望にすることにした。
ある日、サッカー部の顧問に呼び出された。引退してからは、顧問と話すことなんてなかったから、呼び出されたことが怖かった。何かまずいことしたかな……と思いつつ職員室へ行くと、そこに知成さんがいた。
サッカーをしていた頃は、短く整えられていた髪は、伸び気味になり、暗めのグレーに近い色になっていた。
「よぉ! 久也」
目を糸のようにして笑いかける顔は変わっていなくて、安心した。
「お前、R大受けるんだろ? 山本にアドバイスしてもらえ」
顧問の先生が言った。それで、呼び出されたのか、と合点がいった。その後、知成さんからキャンパスライフのことを聞いたり、受験の時に使っていた問題集を教えてもらったりした。
そして、次の春。僕は無事、知成さんと同じR大の合格通知を手にしたのだった。
☆
入学式の日、着慣れないスーツを身に着け、高校とは圧倒的に広さが違う大学のキャンパスを歩いた。入学式が行われる講堂に足を踏み入れた時、後ろにいた人に革靴の踵を踏まれた。
つんのめりそうになるのを何とか堪えた。
「あっ、ごめんなさいっ!」
背後から女性の声がした。その声を聞いたことがあるような気がして、振り返った。そこにはダークグレーのスーツを着た小柄な女性が立っていた。
髪の毛を後ろで一つに纏めていて、化粧っけのない顔だった。既視感を覚えつつ「あ、いえ」と靴を履き直していると「もしかして藤本君?」と訊かれた。
その一言で目の前に立つ女性が誰なのか、わかった。春逢だった。マネージャーをしていた頃より髪が伸び、若干ふっくらしたような気がする。
「高野? だよな?」
春逢に間違いないと思いつつも尋ねる口調になった。すると目の前の彼女はみるみる表情を崩して笑顔になった。
「まさか、同じ大学だったなんて。私、社会学部なんだけど、藤本君は?」
「経済学部。誰か知ってる顔がいて安心した」
それは本音だった。春逢の顔を見た途端、張り詰めていた気持ちが楽になったのだ。
☆
知成さんから、遊ぼうと誘われたのは、ゴールデンウィークが終わってすぐの頃だった。
友達と近くにある自然公園にドライブがてらピクニックに行くらしかった。僕は了解した。入りたいサークルもなかったし、こんな機会でもなければ、先輩達と関わることもない。
約束の日曜日、駅で待っていると知成さんが車に友達を乗せてきた。ワゴンタイプのでっかい車だった。カーシェアで借りたらしい。どんな車種も運転できるなんて、知成さんは器用だなと感心しながら、乗り込む。三列シートの真ん中に春逢がいた。
僕と同じように春逢も驚いた表情を見せる。
「高野も同じ大学だって聞いたから誘った」
僕と春逢の反応を見て「いしし」と笑いながら知成さんが言った。
「え? 知り合い?」助手席にいた知成さんの友達が、こちらを向いて訊く。
「サッカー部で一緒でした」
僕が答えると「サッカー部? あ、高野さん、マネージャーとか?」と先輩が尋ね、春逢が「そうです」と緊張が解けない声で言った。
その後、公園に着き、芝生広場を無駄に走り回ったり、池にある足漕ぎボートに乗ったりした。そして、先輩の一人が「小腹すいた」と言い出し、入り口入ってすぐの所にアメリカンドッグとかフライドポテトとか簡単な食べ物や飲み物を売る売店があったと思い出し、春逢と僕が買い出しの任命を受けた。
先輩から頼まれた物と自分達が欲しい物を注文し、近くにあるパラソル付きのテーブルと共に設置されている椅子に座り、商品を待つ。
「大学慣れた?」
当たり障りない質問をされる。
「まぁまぁかな。でも、サークルに入ってないから、そこまで親しい人いない」
僕がそう言うと「私もおんなじだ」と春逢は言った。でも、自分を卑下するような言い方ではなかった。たぶん、新生活に慣れることに純粋に精一杯なのだと思う。
「藤本君がよかったらだけど、連絡先交換しない? 数少ない友達」
ちょっと照れたように笑う。それが眩しかった。
☆
ピクニック以来、たまに僕達は連絡を取り合った。時間が合う時には何度か一緒に学食にも行った。僕も春逢も人見知りのところがあるので、学部内に仲良くする子ができても、遠慮がちに付き合っているのだった。
お互いサークルに入らず、バイトもせず、家と大学の往復だけ。そんなつまらない毎日でも、春逢とは何気ない会話ができた。
通学の時にすれちがう散歩中の犬とか、公園に咲くヒメヒマワリとか、いつも同じ車両に乗っているサラリーマンとか。
会話の内容も盛る必要も映させる必要もない。それが何より心地よかった。
こんな風に殻に閉じこもりがちな僕たちを、知成さんは遊びに誘ってくれた。
バーベキュー、河川敷で花火、海、紅葉狩り。
知成さんの友達である先輩とも、少しずつ仲良くなっていった。今ではよき相談相手であり、話し相手だ。
そんな風に季節が流れていく中で、春逢が生き生きと輝いていくのが、わかった。春はおどおどしていたのに、いつしか大学生活を楽しむ余裕が出てきたのか、よく笑うようになった。
ころころと笑う声を聞いていると、こちらまで幸せになるようだった。その笑顔を、これからもずっと見ていたい、そう思った。
☆
僕にそのような心境の変化があった頃、知成さんに言われた。
「久也、もしかして、高野のこと気になってるんじゃない?」
その日は知成さんに誘われて、二人で大学近くの居酒屋で飲んでいた。口にしていたジンジャエールを吹き出しそうになり、慌てて飲み込む。
「だって、いい感じだよ? お前ら」
だし巻き卵を箸で切って口に運びながら、知成さんが言う。揶揄う口調ではなくて、客観的な意見を述べるようだった。
改めて、春逢のことか気になるか? と問われれば「はい」と答えるかもしれない。友達としてでも側にいて欲しい存在だった。友達としての好きか、恋人としての好きか。その時の僕には判断しかねた。
それから数週間後のことだった。講義のない時間が重なった春逢と僕は次の講義まで学食で時間を潰すことにした。僕の目の前に現れた春逢の左手には、真っ白な包帯が巻かれていた。よく見ると中指と薬指にまとめて巻いてある。
「どうしたの? それっ!」
驚きのあまり大きな声を出してしまう。左右の席にいた学生が、僕の方を見た。
「昨日、晩御飯作っててケガしちゃって……」
恥ずかしそうに春逢が言う。話によると、味噌汁に入れる具材を切っていた時に、考え事をしていて誤って中指と薬指を切ってしまったのだと言う。
なかなか血が止まらず、夜間救急に行ったものの、縫合は免れたらしい。全治まで一ヶ月近くかかるらしい。
「大変じゃん」
ありきたりな言葉しか出てこない。「まぁ、仕方ないよね。自業自得」と春逢は諦めたように笑う。春逢のこういうところ。大変なことがあっても、不機嫌になったり、投げやりになったりしない。そんな強さを僕はすごいと思った。
☆
春逢は大学入学と同時に一人暮らしをしていた。通学に二時間弱かかっても、実家の方が何かと楽だと実家住まいを続ける僕とは違い、自立している。
「何か手伝えることない?」
真っ白な包帯に目を向けたまま尋ねた。
「ある! お願いしたいことがある!」
春逢は即答した。
その日の帰り、二人でスーパーに寄った。春逢が手伝って欲しいのは買い物だった。
「ちょうど、お米が切れちゃって。重たいものの買い物はやめて、しばらくパン生活しようかな、と思ってたから。藤本君が買い物手伝ってくれるなら助かる」
春逢は安堵したように言った。純粋に力になれたことが嬉しかった。僕がカゴを持ち、春逢が必要なものを入れていく。お米、食パン、ハム、ヨーグルト、レタス、冷凍食品……
そこから生活が垣間見えるようだった。朝はパン派なのかなとか、疲れた日は冷凍食品に頼るのかな、とか。スーパーを出た後、二人並んで春逢のマンションまで帰ってきた。
マンションは三階建でエレベーターはない。お米の入った袋は、ずっと持っていると、さすがに腕が痺れてきた。春逢が部屋のドアを開け、玄関先に袋を下ろす。
「ありがとう。本当、助かった」と言う春逢を見て、少し照れ臭くなった。「じゃあ、また」と言うと春逢は「ちょっと待って」と引き留めた。
冷蔵庫からカフェオレのペットボトルを出すと
「お礼にしては申し訳ないけど、カフェオレ飲める?」
と言って差し出した。「ありがとう」と受け取る。実はコーヒーが苦手なのだけれど、春逢がせっかくくれようとしているのに、断るのは申し訳ない気がした。もらったカフェオレをトートバッグにしまうと僕たちは「またね」と手を振り合った。
マンションを出て春逢の部屋を振り返る。彼女の姿はどこにも見えなかったけれど、僕の心は、ほんわかと温かくなっていた。
☆
その日以来、ふとした時に知成さんの「だって、いい感じだよ? お前ら」という言葉が、頭を過ぎるようになった。
その度、これまでに見てきた春逢の表情を思い出す。真剣な表情でサッカーボールを磨いたり、グラウンド整備を手伝ったりしていたこと。入学式の日、僕の靴の踵を踏んで、申し訳なさそうにしていたこと。先輩達とピクニックに行った時、声を上げながら芝生広場を楽しそうに駆け回っていたこと。買い物を手伝った後、ほっとした様子でカフェオレを手渡してくれたこと。
どんな時の春逢の表情も正確に思い出せるのだった。知成さんに指摘されたように、僕は春逢に惹かれているのだと自覚した。
とはいえ、自分の気持ちを伝えようなんて考えてもいなかった。自分の中だけで気持ちを処理しようとしていた。
そんな僕の様子を見かねた知成さんは、はっぱをかけてきた。
「客観的に見てると絶対、上手くいくと思うんだけどな。お前ら」
キャンパス内にあるコンビニのイートインスペースで、向かい合ってパンを齧っていると知成さんが言った。
「このままでいいです。というか、このままがいいのかも」とパンをミルクティーで飲み下しながら言うと「もったいねぇー!」と知成さんは椅子の背もたれにのけ反った。
高校の頃に比べて確実に縮んでいる、春逢と僕の今、この距離感こそが、僕にとって心地いいのだった。
もし、付き合えるのなら、それ以上に嬉しいことはない。でも、思いが伝わらなければ、友達のままでいられたとしても、今の心地よさはなくなってしまうだろう。
☆
知成さんは諦めなかった。
「流星群鑑賞会しようぜ」
と誘われた。その時、二人きりにしてやるから、告白してみたら? と言われた。親切で言ってくれているのもわかるけれど、半分以上は面白がられているんだろうなと思った。
「でも、最終的に決めるのは久也だからな」
と言われた。
流星群鑑賞会の話は、あっという間に決まった。当日まで僕は悩みに悩んだ。結局、答えは出ず、その場の流れに任せることにした。
そして今、春逢と並んでシートに寝転び、星空を眺めている。
どれが双子座なのか、わからない。でも、花火のように空に広がりながら輝いて消えていく流星群は、とても綺麗だった。宇宙の神秘のようなものを感じた。
車を挟んで少し離れた所に、知成さんとその友達の先輩が、大きなブルーシートを敷いて寝転がっている。時々「マジ、すごい!」という声や歓声が聞こえる。
こんなシチュエーションで告白なんて、一生のうちにもうないだろう。そう思うと気持ちを伝えてみようかなと思った。
ひとしきり感嘆の声を上げた春逢は今、くいいるように流星群を見つめている。気づかれないように、その横顔をそっと見つめる。
丸い鼻、小さな顎のラインが暗闇の中でも見えた。時々、息遣いも聞こえる。今までで一番近くにいるのだと思った。
深呼吸をし春逢の方に体を向けた。僕の身じろぎに気づいた春逢も顔をこちらに向ける。
「どうしたの?」
いつもと変わらない声。気持ちを伝えるための言葉を何も考えていなかったのに、自然と口から言葉が溢れた。
「……好き なんだ。高野のこと」
あまりにも直球な言葉。春逢が目を丸くするのが気配でわかった。直球な言葉がよかったのか、僕は清々しい気持ちになっていた。
きっと顔も耳も真っ赤になっている。耳や鼻先に触れる夜の冷気が、心地よかった。
「本当に?」
春逢の声がした。泣き出しそうな声だった。「あぁ」と春逢は息を漏らした。
「どうしよう……めちゃくちゃ嬉しい……私も藤本君のこと好きだよ」
手で顔を覆って言う。そんな春逢を見て、胸が苦しくなった。こんなにも好きになっていたなんて。
春逢は顔から手を離すと、恥ずかしいそうに僕の方を見た。
「よろしくお願いします」
そう言って右手を差し出す。その右手に僕は左手で応えた。お互いの手はすっかり冷えてしまっていた。でも、体と心は熱がある時のように熱かった。
☆
突然、「ぴゅうっ!」と指笛が聞こえた。
僕達はびっくりして飛び起きた。
「いえー! おめでとう!」
「いいなぁ! 青春っ!」
知成さんと先輩達が、車の影からこちらを見ていた。僕達は急に恥ずかしくなって、顔を見合わせ、俯いた。
「お祝いしよう! お祝い!」
先輩の一人が言い、こっちにこいと手招きをする。先輩達がいる車の向こう側に行くと、ブルーシートの真ん中にカセットコンロがあり、その上でミルクパンがくつくつと音を立てていた。
「お祝いにしては子どもっぽいけどな。本格的なお祝いは改めて」
先輩はそう言いながら、ミルクパンの中身を紙コップに移した。「ありがとうございます」と湯気の上る紙コップを受け取ると知成さんが「乾杯っ!」と叫んだ。
「お前、声デカすぎ!」と先輩が言い、みんなで笑う。
僕は幸せだと思った。こんなに面倒見のいい先輩は、なかなかいないだろう。
紙コップの中に入っていたのは、ホットカルピスだった。甘酸っぱくて温かい。お腹がじんわり温まる。
春逢もその温かさを味わうように、ゆっくりゆっくり紙コップを傾けていた。
僕達の頭上では、双子座流星群が、きらきらと流れ続けていた。
読んでいただきありがとうございました。
冬は夜空に輝く星が綺麗ですね☆