第64話 世界を巻き戻す鍵②
「最初に言っとくが、俺は全く月見里の血とかは引いてないからな。完全に他人だから」
「うんうん。分かった分かった」
僕の雑な相槌に、デネブは舌を鳴らした。デネブに話させてる間、考えをまとめる。多少無理矢理でも時間を稼ぐ。
「俺が生きるために殺しを始めて、7年くらいの時だ。自分で言うのもアレだがな、当時裏の世界で俺の名は轟いていた」
「なんて名前が轟いてたの?」
「言わん。とにかく、俺には大量の依頼が舞い込んだ。好き嫌い出来るくらいの量だ。その中から危険性が少なくて、報酬が高い依頼をこなしてた。そんな中、ある人物が俺の元へ訪れた」
「訪れるって、お前の自宅に?てか、殺し屋って何処に住んでるの?やっぱり山奥とか、人気のない場所?」
「言うわけないだろ!黙って聞いてろ」
デネブは怒鳴った後、不機嫌そうな顔で僕を睨む。ブチ切れるのも無理はない。そろそろ限界。言われた通り、黙って話を聞くしかない。
「そいつはまず報酬の話から始めた。破格の額を提示されて俺の心は浮ついた。それからターゲットの名前と住処だけを俺に伝えた。この時点で、怪しさを感じて断るべきだった」
「ええ?怪しいって何が?名前と居場所が分かれば十分じゃないの?もうちょい情報が欲しかったってこと?」
「殺しの依頼をしてくる奴は、絶対に自分と相手の関係言わば因縁。それをかなりネチネチネットリと語るんだよ。絶対に自分が正しくて、絶対に相手が間違っている風に語る」
「へえ。意外とキモい奴が多いんだね」
「殺し屋使う奴なんて、金だけは持ってる粘着質の負け組ばっかりだぜ。だがな、そいつの依頼は淡白だった。私怨がない依頼だ。怪しいとは思いつつも、俺は報酬に目が眩んで依頼を受けた」
「その依頼のターゲットが、月見里家の誰かだったってこと?」
「当たりだ。当時の俺は、自分の実力に酔っていた。泥酔超えて酩酊だ。だからって、仕事中に慢心はない。俺はターゲットが1人になる、最も殺しの成功率が高まるタイミングを狙った」
過去を話すデネブの目元から、血が流れ出した。血の出どころは晴さんが残した傷。
「俺がターゲットとの距離を詰めると、周りに身を潜めていた護衛が出てきた。意表を突かれたこともあって、俺はあっさり捕まった。その時は、100パーセントぶっ殺されると思って死を覚悟した」
デネブは頬を涙のようにつたる血を親指で拭って、その手を川に沈めて洗い流す。
「押さえつけられて身動きの取れない俺に、ターゲットが近づいて来て言った。お前は依頼を達成した。だが失敗した。相手が悪かったと。度胸は認めてやるから、これから尽くすなら命は奪わないってな」
「依頼達成したけど失敗したってどゆこと?意味分かんないよ」
「俺も未だに分かってねえ。まあ、ともかくそれ以来、俺は月見里の気に入らない人物を殺し回っている。命令には逆らえない。囚われの身の不自由な殺し屋って訳だ。可哀想だろ?」
「...自業自得だ」
「辛辣な感想だな。俺の汚点エピソード2だぜ。もっと、ちゃんとした感想聞かせてくれよ。これから向かう、月見里家への道中にでも話せよ」
デネブは再び僕の腕を掴む。掴む力は先ほどの比ではない。痛みを堪えながら、デネブの力に逆らい続ける。
「おい?約束しただろ?いい加減にしないと、そろそろ本気で殴るぞ」
デネブの声には僅かな苛立ちが含まれている。
「殴るだけでいいのかよ!?」
叫んでデネブの腕を思いっきり振り解き、立ち上がって走り出す。目標はデネブが投げ捨てた晴さんの刀。
「おい」
僕を呼び止めるデネブの声が背中に届く。その声には焦りも緊迫感もない。それもそうだ。僕とデネブには圧倒的な実力差がある。
蟻と人くらいの差だ。人が蟻に噛まれたところで、痛いと呟く程度で済む。その痛みは痛いと発した自分の声に、かき消されてしまうほどの僅かなもの。それでも良い。僕はデネブに痛いと思わせたい。
川に転がる大小様々の石が、僕の走りを不安定にする。一心不乱にスピードを上げて、ぐらつく体を無理矢理誤魔化す。
「デネブ!お前は殺し屋なんだろ!」
川底から刀を拾い上げ振り返る。
色々考えたけど、やっぱり死ぬしかなさそうだ。時間を稼ぐための会話の中、デネブから興味深い話を聞くことが出来た。この情報は大きい。死んで戻ったら晴さんと共有してやる。
大きく息を吸い込んで、大声を出す準備を整える。自分で自分を殺すのは無理だった。脳が拒絶して腕が震えた。だったら、目の前にいるプロフェッショナルに任せるのが1番だ。
「殺し屋が誘拐なんて命令されて、情け無いと思わないのか!?舐められてるだろ!?月見里家への反抗の第1歩として、命令に背いて僕を殺してみろよ!」
デネブは視線を落として、右手に握るナイフを見つめた。
「プランBだな」
ぼそっとした呟きに続いて、デネブのナイフが飛んで来た。視界がそれを捉えるのに精一杯で、体は一切動かない。
不快な感覚を振り撒いて、ナイフが僕に突き刺さった。ナイフが体に刺さった恐怖に怯えて、僕の膝はガクンと崩れ落ちた。
最初の感想は熱い。熱い飲み物を飲んだ時に、喉と胃に熱が残る感覚。それが永遠に体内に居座っている。
体が熱で溶けそうだ。徐々に溶かされて、食べられるアイスの気持ちが理解出来る。溶け出た血が川を沸騰へと近付ける。
「お前のお陰で目が覚めた。最高の自由には無秩序が必須。そうだよな。俺は殺し屋だ。今日まで誇り持ってやってきたんだ。あんな所で燻らせてる場合じゃないよな。俺の殺し屋魂が、犬のまま繋ぎ止められて終わるとこだった」
デネブの声は、辛うじて僕の意識を繋ぎ止める。
「サービスだ。その箇所の傷、死ぬか生きるか五分ってとこだ。痛みに堪えて耐えて、生き抜いたらお前の勝ちだ」
最悪だ。良心的なサービスを付属させられた。1回目と2回目は、首をひと突きで即死だった。今回は苦痛が長引きそうだ。ゆったりとのんびり、生か死に向かっている。
これを生き抜いたら、晴さんが本当に死んでしまう。刃物が体に刺さった時、無理に引き抜くと出血多量で死に至ると、どこかで聞いた覚えがある。死ぬためには、刃物を引っこ抜いて、多量の血を排出するしかない。
小刻みに震える手を、突き刺さる刃物の持ち手に近付ける。もう体内の熱は冷めた。今はただ体内に鋭い痛みが永住している。
血が体から溢れる感覚はどんなものだろう。想像と共に体中から冷や汗が溢れる。手の震えは、恐怖によるものに置き換えられた。
今は痛みに恐れている場合じゃない。自分に言い聞かせて、刃物の持ち手を掴む。ゆっくりと少しずつ、引き抜こうと刃物に力を加えると、味わったこともない激痛が鮮明に走った。
今やっている行為は、刃物が突き刺さった時の痛みをなぞる行為。言わば、痛みの塗り絵みたいなものだ。
激痛に意識が沈みかける時、僕の意識を完全に目覚めさせる音が耳に飛び込んだ。
工場の方向からタグ付きが飛んで来た。いや、飛ぶという表現は似合っていない。宙を舞うタグ付きは、紙飛行機くらい不安定だ。モモンガのように、ふんわりと落下に向かっている。
そのタグ付きを追うように、火薬の音が漂う音が響く。ロケットランチャーがタグ付きを追従する。1発だったロケットランチャーは、急激に数が増える。恐らく小林さんのギフトだ。
無数のロケットランチャーに追われるタグ付きは、避けきることも叶わず、翼に1発傷をもらった。轟音と共に黒い煙がタグ付きを包む。
煙が晴れて、タグ付きの背中に誰かが乗っていることに気がつく。その人間はタグ付きが関与出来ない位置から、手に持つ武器で傷を与え続ける。
悲鳴と共にタグ付きは川に落水した。その姿はまるで不時着する飛行機。この浅い川で、誰よりも派手な水飛沫を上げる。
川に墜落して動かなくなったタグ付きの上には、見知らぬ男がいた。その男はくるりと振り返り、デネブに視線を送る。
「久しぶりだな。次はお前だ」
向けられた言葉にデネブは焦りを露わにする。ポケットに手を突っ込み、取り出した石を僕目掛けてぶん投げた。
今の僕にはは飛んで来る石に何かを思うほど、余裕は残されていない。開きっぱなしの虚な目で見ていると、男が一瞬で目の前に現れ、石を蹴り飛ばし軌道を逸らした。
男は僕を守るようにデネブの前に立ち塞がった。デネブはぴたりと動きを止めたようだ。
「勘弁してくれ!アンタには昔、負けを認めたはずだろ!?今更、俺に何の用があるってんだ!?」
「そんなことあったか?もう忘れたな。俺は最近、悪党を潰すのにハマってるんだよ」
「アンタが!?大悪党が同族狩りして、罪悪感でも薄めようってか!?」
デネブは男に語りかける。そこに戦意はないように見える。会話だけで丸く収めようとしているのだろうか。
そんな考えが頭によぎった時、僕とデネブの位置が入れ替わった。正面に現れた僕を見て、男は余裕が滲み出た笑みを浮かべる。男がすぐさま振り返ると、晴さんの刀を持ったデネブが切り掛かる。
「なんだよ!戦意も殺意も、ちゃんとあるじゃねえか」
男は手に持つ刀で、デネブの攻撃を受け止めてから振り払う。男の刀は太かった。人を殺すには無駄な太さに見えるが、ダストを殺すのには向いていそうだ。
「そんなもんない。ちょっと過激な正当防衛だ。俺じゃアンタには勝てないって、よく理解してるつもりだ」
「言動と行動が見合ってないな」
言ってから男は、一瞬でデネブの背後に移動した。高速移動だとか、デネブのような入れ替えではない。瞬間移動という言葉を使うのに相応しいものだ。
デネブはそれを予見していたかのように、振り返りもせず頭を下げて避けた。男は次々と瞬間移動を繰り返して、デネブに切り掛かる。襲われるデネブの表情には一切の余裕はない。
男の猛攻に削られて、デネブの抵抗が弱まっていく。避ける動作も防ぐ動作からもキレが消えた。デネブが石に足を取られ、バランスを崩した。その隙を男が見逃すはずもなく、素早く刃を振る。
デネブはよろめきながら坂に視線を送る。すると、巨大な木が川に現れた。デネブは坂に生える木と位置を入れ替えた。ここに来るまでに入れ替わる用に、触れていたようだ。
男は目の前に現れた木を見て、薄気味悪く笑う。それから坂を見上げて姿を消した。
邪魔な音が消え去って、川を流れる水が際立つ。
花を靡かせるような優しい風が吹く。今の僕にとっては、どんなに穏やかな風でも体を震わせる。
「...今の奴、晴さんに似てたな」
晴さんを失った直後のショックが見せた幻覚だろうか。
晴さんは変わらず眠っている。
もう痛みに耐えるのは限界だ。
目が覚めたら死んでますように。神様に意味の分からない願いを捧げる。
次に目を覚ます場所が病院のベッドの上ではなく、理恵加さんの膝の上であることを願う。
意識を保たせる派手な飾りが周りから消えた。風前の灯の意識は順当に火を失う。火という灯りを失った僕の世界は真っ黒に染まる。




