第36話 月見里家
「はあはあ、...やっと着いた」
キャリーケースから手を離し、膝に手をついて呼吸を整える。
「疲れたね」
言葉とは裏腹に理恵加さんの表情は涼しいし、呼吸も乱れていない。
目の前には建物が2つ。基地の隣の建物は病院だろうか?駅から見えていたものが、今は目の前にある。間近で見る基地の大きさに驚くと同時に、自分の想像していた見た目と違いそこにも驚く。
ビルのような縦長を想像していたが、実際はショッピングモールのような横長型だった。横長と言っても、十分上にも長い。その建物と僕たちを隔てるように大きな鉄の門があった。
「ここから右に行って敷地内に入るよ」
「え?この門は開かないの?」
「ここ門は車の通るところだから。人間を通してくれるほど懐が深くないの」
そう言って理恵加さんが示した先には階段があった。
「ええ...また階段?」
「あの階段は今までの坂道と比べたら、そんな大したことないから大丈夫!」
「あっちの白い建物は病院?」
基地の方に歩いて行くにつれて、どんどんと離れていく白い建物。学校のグラウンドよりも広い駐車場には車がたくさん停まっている。
「そうだよ」
「基地と同じ敷地にあるんだね」
「病院はダストの脅威から、1番守りたい場所だからね。規模の大きい基地の隣には、病院があること多いよ。クズハキの訓練中の事故とかにも、すぐに対応できるし。お互いが近くにあると良い事尽くめなの」
「なるほど。win-winこと利害の一致ってやつか」
「そう言うこと。おっ、あったあった!あの入り口だ」
理恵加さんの目線の方を見ると、フェンスの間に取り付けられた扉があった。
「ここから前も入ったんだよ」
「何かしょぼいね。ウサギ小屋の入り口みたい。基地の周りも、もっとゴツい塀とかで覆われてるのかと思ってたよ。学校とかにもある、金網みたいなやつで仕切ってあるだけだし」
基地の周りは僕の背丈より少し高いフェンスで囲まれているだけだった。そのフェンスの奥に中を隠すように、申し訳程度の木が生えていた。
「私も去年思ったよ。でも、入り口分かりやすいから良いよね」
フェンスの扉を通って敷地に入る。しばらく歩くと、数台の大きなトラックが停まっている駐車場が見えてきた。駐車場は広く、トラックの出入りがしやすそうだ。その駐車場を囲むように両脇には、僕の背丈の4倍はありそうな壁が佇んでいる。
先を歩く理恵加さんが駐車場の右奥に進んで行く。奥まで歩くと基地の入り口が見えた。入り口の近くには警備員が立っていた。
「何の御用ですか?」
警備員が進路を塞ぐように前に立ち、僕たちに尋ねてくる。
「星彩玲瓏学校から研修に来ました」
理恵加さんがそう言うと、警備員は険しい表情を和らげて、重く頑丈そうな扉の手すりに手を掛かる。ギギギと鈍い音を出しながら扉が開く。
「どうぞお入り下さい」
空いた扉から順番に中に入る。扉が再び鈍い音を出して閉まる。中に入ると右側には受付カウンター、左側には車1台くらいなら、問題なく通れるくらい広い通路がある。
刑務所の面会室のように、ガラスで隔たれた受付カウンター。ガラスの向こう側には受付のお姉さんがいた。目が合うとお姉さんはニコリと微笑む。とてつもなく美人だ。流石WESOの基地の受付だ。レベルが高い。
「研修で来ました」
理恵加さんがガラスの向こうにいるお姉さんに言う。
「研修の生徒さんですね。学生証の提示をお願いします」
「学生証あるよね?」
「うん」
財布から学生証を取り出して、理恵加さんに預ける。分厚そうなガラスの仕切りの下に空いた、小さな半円形の穴から理恵加さんが学生証を渡す。
「学生証をお返しします。星彩玲瓏学校からお越しの、双葉様と津江月様ですね。お待ちしておりました。ただいま担当の者を呼びましたので、少々お待ち下さい」
ガラスの向こうから上品で優雅な声で言う受付のお姉さん。掴みっぱなしのキャリーケースから手を離す。
「両手に力が入らないよ。今なら生卵も豆腐も潰さずに運べちゃう」
「ねー、私も手が疲れてるよ」
初めて入る基地に興奮して、キョロキョロと周り眺める。キャリーケースに座って休憩している理恵加さんを横切って少し奥に進むと、受付カウンター側の方向にも通路がある。どこまで続いているのか分からないくらい長い。
通路を凝視していると、コツコツ響く足音が聞こえてくる。黒いスーツを着た男が歩いてきた。
「お疲れ様です」
男はそう言いながら、受付カウンターに繋がる扉を開けて入っていった。受付カウンターの前まで戻ると、ガラス越しに資料を受け取る男の姿があった。男は資料に軽く目を通すと扉から出てくる。こちらまで歩いてきて、僕たちの前で立ち止まる。
「星彩玲瓏学校から来た双葉理恵加です!今日から1ヶ月間よろしくお願いします!」
キャリーケースから飛び降りて、ハキハキとした声で自己紹介をした後、理恵加さんは深々とお辞儀をした。お辞儀をした理恵加さんの目が、僕に訴えかけてくる。
「つ、津江月葵です!よろしくお願いします!」
今までの人生で経験したことのないくらい深いお辞儀をする。
「俺は君たちが研修中に所属する班の班長、月見里晴だ。よろしく」
年齢は20代くらいだろうか。僕より少し高い背丈に、キリっとした顔立ちと鋭い目。凛とした雰囲気を醸し出している。厳しそうな印象を感じて勝手に緊張していると、横にいる理恵加さんが声を出す。
「月見里!?」
驚いた表情で月見里さんを見る理恵加さん。それを見た月見里さんも一瞬、驚きを含んだ表情を見せた。
「双葉、お前は物知りだな。お前が頭に思い浮かべている事と、お前のその表情に対する俺の心当たりは同じだと思う。でも、俺は違う。たまたま名字が一緒だっただけだ」
月見里さんはそう言って、右手の資料をペラペラとめくり目を通す。
「...苦労してるな。資料通りの、ただの高校生じゃないらしいな」
「星科にいる時点で、ただの高校生ではないですよ」
「それもそうだな。お前みたいな反応する人を見るのが久しぶりだったから、少しだけ驚いたよ」
キャリーケースを引く音が通路に響き渡る。天井が怖いくらい高くて、電気が点いているのに絶妙に薄暗い通路。床と壁の塗装は、元の色がどれか分からないくらい剥げている。床の色の剥げ具合から、人が普段どこら辺を歩いているのかが伺える。
僕たちを先導する月見里さんの足取りは速い。靴が奏でる音の間隔が非常に短い。目をつむっていても、その速さは伝わってくる。
「理恵加さん、聞いても良いかな?」
「なに?」
「さっきは何を話してたの?月見里がどうだの、名字がどうだのって」
先程の2人のやり取りの一部分すら、理解することが出来なかった。緊張が吹き飛んで、代わりに大きな謎と疑問に頭が支配されていた。
「今から話す事、絶対に誰にも言わないって約束できる?」
笑顔以外の理恵加さんの顔を初めて見た。普段は1番星のように明るい声も低く、刃物のような鋭さを持つ目つきが見えた。
「だ、大丈夫!口は堅いし、約束は絶対に守る男だから!」
強張る声を押し殺すために、ボリュームを上げて誤魔化す。
「じゃあ、信じるね」
いつもの理恵加さんに戻ってホッとする。
「京都に月見里って言う、何百年も昔から今まで続いているお家があるの。月見里家は、代々あるギフトを引き継いでいる」
「え?ギフトって引き継げるもんなの?」
「親の遺伝で似てるギフトとか、同じギフトを引き継ぐ事があるらしいの。可能性は低いらしいけどね」
「へえぇー」
僕のギフトも父さんか、母さんのギフトを引き継いでいるのだろうか。でも、予知夢のギフトを持っていたら、岐阜に隕石が落ちることを事前に知って回避する事が出来たはずだから、恐らく違うだろう。
「その継がれてきたギフトは、とても大きな力を持ってるの。国の運命すらも、変えることが出来ちゃうくらいにね。ギフトを持つ月見里家は、国と密接な関係を持っていて、国の動向すらも裏で決めているなんて噂があるくらい。それが月見里家ってわけ!」
「えー、やば。そんなすごい一族がいたんだ。で、どんなギフトなの?」
話の中で1番気になったことを聞く。
「...それは私も知らない」
「そっか。月見里家が国の運命すらも変えれちゃうって事は分かったけど、何でこれが誰にも話しちゃいけない内容なの?」
「この月見里家の存在がひた隠しされている主な理由は、ギフトが遺伝するっていう情報があるからだね。この情報が公になれば、社会にありとあらゆる混乱を呼ぶことになるから」
「混乱ってのは?」
「犯罪者とかが危険なギフトを増やしたり、優秀なギフトを持つ人間を攫ったりするのが、今より活発になるかな」
「ああ、それは確かによくないね」
「そんなことになったら、本当にゴミ同然の世界が広がっちゃうからね。まあ、月見里のギフトの内容が分からない以上、これが1番の理由と考えるしかないかな。因みにこれ全部私の推測ね」
「なるほど。月見里さんがその一族と同じ苗字だからびっくりしてたんだ」
「うん。たまたま名字が同じだけって言ってたから違うんだろうね。WSEOにいる人だからもしかしたらって思ったけど、普通に考えて月見里家の人間がこんな所で、クズハキとして働いている訳がない。でも、何で月見里家の事を知っているんだろう?一般の人なら知る由もないことなのに」
「え?じゃあ、何で理恵加さんは知っていたの?」
「内緒ー」
「理恵加さんは何者なの?」
「...私は別に、何者でもないよ」
あからさまにテンションが下がる理恵加さんに、質問を続けることは出来なかった。足音とキャリーケースを引く音だけが聞こえる。
「おい!お前ら早く来い!上に昇るぞ」
エレベーターの前で、月見里さんがこっちを見て呼ぶ。
「急ごう!理恵加さん」
「うん!」
通路は忙しいキャリーケースの音に染まる。




