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星の贈りもの  作者: ちゃもちょあちゃ
第一章 旧雨今雨
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第29話 ふたりきり

 ガラスが割れる音が近づいてくる。ガラスの割れる音に近づいていく。ガラスが割れる度に車体が揺れる。何のためらいもなく前進する足をピタリと止める。


 「いた」


 ダストがいたのは2両目。2両目と3両目を繋ぐ貫通扉のガラス越しに、ハッキリと目が合う。

 ダストを目の当たりにしても冷静だった。何故だろう。誰も見てないから?周りに誰もいないから?扉越しで距離も離れているから?檻の中にいる動物を見ているような安心感があるから?


 それは違う。僕たちは今同じ檻の中にいる。あのダストと僕の関係は見世物と客ではない。見世物と見世物だ。古代のコロシアムで行われてきたような、殺し合いが始まろうとしている。違うのは、それを見て熱狂的な狂気に支配された、歓声を上げる観客がいないことだ。

 冷たくて静かに盛り上がる雨が、僕たちのコロシアムである電車の屋根に打ち付ける。雨音は拍手のように、僕たちの遭遇を喜ぶように強く大きくなる。


 「よし。...やるぞ」


 刀の柄を力一杯握りしめて、貫通扉のガラス越しに対面するダストに背を向けて走り出す。するとダストは耳障りな雄叫びを上げる。


 獲物が逃げた。ダストはそう思ったはずだ。きっと追いかけて来る。


 散らばったガラスの破片が、ダストの足と床に挟まれて悲鳴を上げる。それを聞いてから、くるりと方向を変えて再びダストの元まで走る。予想通り、ダストはこちらに全速力で向かってきている。それを見ても怖気づくことはない。


 作戦は決まっていた。あのイノシシのダストはデカい。体がデカい割には足も速い。あのスピードから逃げ切るのは不可能だ。体がデカくて、足が速い奴の体当たりが直撃したら確実に死ぬ。車に轢かれるよりも悲惨なことになる。死んだ後も苦しむことになりそうだ。

 加えてジャンプ力も凄まじい。駅のホームから窓ガラスを割って飛び込んでくるならともかく、何の踏み台もない線路からガラスを割って車内に飛び込んでくる。デカいくせに速くてジャンプ力もある。一見無敵に思えるが弱点もある。


 さっきダストの突進が真横を通り過ぎて行った時だ。アイツは自らが作り出した勢いを、止めることが出来ていなかった。ダストをブレーキをかけることが出来ず、電車の扉を突き破った。

 このことから、細かい動きをすることは出来ないと断定をしても問題はない。あの巨体では小回りは利かない。体がデカいと言っても、電車が窮屈に感じるほどではない。ギリギリこの貫通扉を通過することが出来るサイズ。あのダストの突進力なら、途中で引っかかることなく通り過ぎることが可能だろう。その勢いとスピード、壊れたブレーキを利用させてもらう。


 「藍川先生が言ってた通り、アホだと助かるんだけどな。人がたくさん住んでるところに、わざわざ来た間抜けなダスト。この世からお先に失礼させてやるよ」


 貫通扉のすぐ近く、左側の座席に飛び乗ってしゃがみ、刀の刃をダストの通り道に構える。ここからではダストの位置を見ることは出来ないが、奴の足音が居場所を知らせる。足音がすぐそこまで迫り、向こう側の車両の貫通扉が破られる音がする。

 すぐにこちら側の扉も粉砕されて、ダストの横顔が見える。その瞬間、両腕に耐え切れないほどの重みがのしかかる。切先がダストの白い血の噴水をこしらえる。ダストの血が顔や髪、服に飛び散る。だが、そんなものを気にしている余裕はない。


 「んんっ」


 刀の峰が肩に押し付けられる。皮膚がめり込んでいるのが分かる。座席に乗せる足、刀を握る腕に全力で力を込める。長いような短いような時間が終わる。ダストは僕の横を完全に通り抜け、刀が身を預ける場所がなくなる。体のバランスの支えがなくなり、座席から転げ落ち、肩を思い切り床に打ち付ける。


 「痛った!」


 腕に感じる違和感に目をやると、血がチョロチョロと流れている。ダストがぶち破った貫通扉のガラスの破片が、右腕に刺さった。強く握っていた刀を緩やかに手放す。


 「アドレナリンが足りねえ。ドバドバじゃないと。こんな軽そうな痛みかき消せるくらいの」


 チクチクする嫌な痛みだ。不快感と激痛の狭間の感覚。


 「あー!最悪だ!袖まくらなきゃよかった。アイツの血もついてベトベトだし」


 道標のようなダストの白い血を辿って、少し奥で横たわっているダストに目を向ける。体には僕がつけた傷。途中で腕が震えて揺れたから、ダストの体には波のような切り傷ができている。ダストは自身の血が作り出した、水溜りに浸かっている。


 あれだけガラスに突っ込んでも傷一つなかったダストの体に、切り込みを入れて出血をさせた。


 「やっぱり、このペンダントから造り出した武器じゃないとダストは殺せないんだなぁ」


 白い血を乗せる刀身を見ながら、藍川先生が教えてくれたことを強く認識する。


 「まあ、僕の体はガラスの破片がちょっと刺さっただけで、ギブアップ寸前なんだけどね」


 ガラスの破片が刺さった腕は痛むが、安心感がそれを和らげる。あのダストの痛みと苦しみが、僕の心と体の痛み止めになる。

 

 「出来たら奥まで刀を突き刺して、深い傷を作ってやろうと思ってたけど無理だったな」


 右腕からチョロチョロと流れる血を、どうすることも出来ずに、ただ左手を軽く添える。傷を凝視すると、痛みが強くなる気がしたから窓の外を見る。相変わらず雨は強く、止む気配を一向に感じさせない。


 「そろそろクズハキが来るかな?一旦あっちに戻るか」


 ガラスも割れていない車両で、雨が降りしきるような、雨漏りをしているような、雨が何かに触れる音がして辺りを見渡す。

 音の正体はダストだった。よろよろな体で、足をがくがくと震えさせながら立ち上がろうとしている。立ち上がりかけて、転んで血の水たまりが弾ける。それを繰り返している。ダストが倒れる度にぴちゃぴちゃと、子どもが水遊びをしているような可愛い音が響く。


 それを見て不安が膨らみ、腕の痛みが引いていく。殺せたとは思っていなかったが、立ち上がる気力と体力が残っているとも思っていなかった。ダストにとって体内の血がどれほど重要か知らないが、あれだけの出血量で動けるものなのか。そんな場合ではないが関心してしまう。


 「勘弁してよ。頑張って立ち上がろうとしなくていいよ。僕はもう、頑張る気力も立ち上がる気力もないからさ。終わりが来るまで一緒に休もうよ」


 額から流れ落ちるのは、止まない雨でもダストの血でもない。僕の弱った心から流れ出した汗だ。左手が血の流れる右腕の介抱を放棄して、流れる汗を受け止める。床にぺたりと座ったまま、今にも立ち上がりそうなダストをただ茫然と眺めている。


 そして、ついにその時は来る。立ち上がったダストは倒れることなく、その姿勢を維持して見せた。


 「マジか。お前が頑張ると、僕も頑張らなきゃいけないんだよ」


 隣で横たわる刀の柄を左手で握る。


 「この刀は結構重いんだよ。左手が主役だと盛り上がらないかもね」


 雨の拍手は鳴りやまないどころか、強さを増す。

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