第21話 ポジションチェンジ
薄暗い山の中、足を曲げて倒れている人を確認する。
「......朝陽?」
恐らく、先程のダストに襲われたであろう朝陽が横たわっている。しかし、これを朝陽と認められるはずがない。人とすら呼べないほどに無残な姿。これを人と呼ぶことが出来るなら、赤色のペンキで着飾った岩も人になれる。
曲げた足を伸ばして、顔を右手で覆いながら立ち上がる。そして、顔に付着する自身の血に気付き再び驚く。左手で拭っても取れない。拭えば拭うほど顔がねちゃねちゃしてくるし、顔も体も熱くなる。
顔に触れようと震える手を抑え込んで、朝陽の近くを行ったり来たり行ったり来たりする。今の僕に大人しくしていられるほどの元気はない。
「いや、これが朝陽なわけないじゃん!だってさぁ!そおだよぉ!朝陽は両足あるし、手も指もちゃんとあるし、目も耳もちゃんとついてて、顔は優しくてかっこよくてさ...こんなんじゃないよ...こんなんじゃない...」
笑顔のその先の表情で続けて喋りだす。足も口も止まることはない。
「その足で一緒に走ったし、その手で僕の手を取ってくれたし、その指で示してくれたし、その目で見てくれて、耳で話を聞いてくれて、笑顔を見せてくれたじゃんか...」
動き回っていた足が、猫を見つけたネズミのようにピタリと止まる。
「そーだ。そーだぁ、これきっと夢だ。悪夢だけどまぁいいよ。だったら、早く起きて朝陽を起こしに行かないと!朝陽はいつも僕が起こしに行かないと、寝続けてるんだからさ!目覚まし時計早く僕を起こしてよ!お前まで寝坊したら意味ないだろ!?なぁ早くー!」
頬を両手で強く引っ張り、これが夢だと証明する。
「いて!痛いー!痛いいい!あれ?痛いと夢なんだっけ?どっちだっけ?夢かな?痛いもん!でも痛みを感じる夢なんて嫌だな...」
朝陽を見ていて、あることに気付く。穴が空いて空気に逃げ出す風船のようにしゃがみ込む。
「何でその靴履いてきたんだよ朝陽。汚れちゃってるし、片っ方なくなってるじゃん」
顔と体に冷気が戻る。この靴は朝陽のお気に入りだ。いつも大事そうに履いていた靴。こんな山で遊んだら当然こうなる。朝陽の顔に右手で触れる。手に付着する僕の血と、朝陽の顔に乗る血が混ざる。
朝陽の血に触れた時、自分の血を触れた時より怖かった。大切な人の血に触れて、生が失われたことを実感して体がよろける。慌てて後ろに手をついた。頭から血が出るほどの、怪我をしていることを思い出す。
「そうだ。早く帰らないと行けないんだ。父さんと母さんが心配してる。その前に誰か人を、人を呼んでこないと...」
震える頼りない手を、支えにして立ち上がる。また斜面を転がり落ちてしまわないように、近くにある木を手で掴みながら降りる。頭から血が出ている事を考えているだけで、意識が飛んでしまいそうになる。フラフラな足取りでゆっくりと降りていく。
ようやく地上まで降りて、明かりの灯る民家の方へと力を振り絞り歩き出す。頭の中でエアコンが作動しているかのように、今頭の中はキンキンに冷えている。
「涼しいなぁ、いや少し寒いか。頭の中に冷えピタがいるみたいだなぁ、へへへ。もう少し、もう少し、すぐ目の前だ。せめて誰かに見つけてもらえないと…」
1番最初に目に入った家の玄関まで、雨上がりのミミズくらいの速度で歩いていく。何とかインターホンに手を伸ばし、ボタンを押すことに成功する。ボタンを押すと同時に視界は真っ白に、いや真っ黒に染まる。
目を覚ますと、僕はベッドにいた。僕の視界に入り込んできたのは病院の天井、モザイクを浴びた二人の人影。ぼやけた視界は鮮明に、心配そうな顔をする両親を映し出した。2人とも立ち上がり、こちらを覗き込んでいる。まるで僕が、世界1一番大切だと思っているかなような瞳で。
「葵、葵!大丈夫!?喋れる!?」
母が心配そうに話しかけてくる。
「ああ、うん大丈夫だよ。喋れる喋れる。痛っ」
両親を安心させるために、起きあがろうとする途中に痛みを感じて再び横になる。
「痛いか?無理に起き上がらなくていいからな」
父親が一時的な安堵の表情でそう言う。
「うん少し...あさ」
1番気になる事を聞こうとして、一旦口にしまい込む。その質問の答えは、僕が1番知ってるはずだし、1番分かっている。それでも聞かずにいられない。
「あのっ、朝陽は?」
二人の顔に雲がかかる。やっぱり聞かなければよかったと、一瞬で後悔する。
母親が重い口を開いて話そうとする。それに被せるように父親が声を上げた。
「お前が無事でよかったよ。いや、無事ではないかもしれないけど、重傷にならなくてな」
2人にとって1番大切な.1人息子の朝陽が死んだにも関わらず、そんな言葉を掛けてくる父。この言葉に何て返せばいいのか分からない。
2人に向ける視界を天井に向ける。この病院は雨漏りしている。顔も枕も濡れてしまう。生き残るべきじゃない方が、生き残ってしまった。死ぬべきでない方が死んでしまった。
あの時、僕が朝陽を庇って死なないといけなかったのに。命が軽くて安い僕の役割だったのに。
2人は実の息子である、朝陽が死んでいるのに泣いていなかった。僕の前では涙を見せなかった。
この日から僕は、僕がいない空間にいる2人の表情を見ることも、会話を聞くことも出来なくなってしまった。いや、避けるようになった。
僕がインターホンを押した後の話だが、その家の人が頭から血を流して倒れている僕を見て警察に通報。僕と朝陽が山に入っていくところを見ていた人がいて、山の中をクズハキが捜索。そして、朝陽の死体は見つかった。
朝陽を襲った熊のダストも、死体となって発見された。このダストを駆除した者は、未だに判明していない。どうしてダストは、朝陽を殺した後すぐに僕の方に来なかったのだろうか。
「朝陽が何かやってくれたのかもな」
ベッドで横になり、朝陽の部屋の天井に向けてつぶやく。玄関のドアが開く音が聞こえる。
「ただいまー。葵ー!いるのー!?」
仕事から帰宅した母親の声が2階まで響く。
「うん!いるよー!」
大きな声で返事をしてベッドから飛び起きて、階段を下りて1階に向かう。1階に行くと買い物に行ってきた母が、肉や野菜を冷蔵庫にしまっていた。
「おかえり」
僕に気づいた母が片手間に言う。
「うん」
「玄関に置いてある花はあんたの?」
「あっ、そうそう。朝陽のお墓参りの」
「別に毎回お花なんて添えなくてもいいのに。帰ってくるたんびに、買ってくるんだから。お金がもったいないでしょ?」
「いや、でも花ないと何か墓参りって感じしないしさ、花も持たずに行くのもマナー違反かな~って」
「年に1回くらいなら、お花くらい添えた方がいいだろうけどね。それに朝陽にマナーとか、そんなこと気にしなくていいわよ」
「えー、でも親しき中にも礼儀ありかなって」
「もう買ってきてくれたなら何でもいいわよ。ちゃちゃっと行って来な。書類とか、いろいろ書かなきゃいけないんでしょ?」
「あ~、うん。ごめんね。色々と迷惑かけて」
「いいわよ別に、気にしてないからさ。行ってらっしゃい」
「じゃ、行ってきます」
玄関に置いてある花を手に取り、靴を履いてドアを開けようとすると、ドアが開いた。父さんが帰ってきた。
「あっ、お帰り。墓参り行ってくるね」
「そうか。気をつけてな」
「行ってきます!」
カラスの鳴き声が馴染む空の下、お墓参りに向かう。




