第20話 皆既日食
小学校の卒業が近づいた2月14日。僕と朝陽は、近所の山に遊びに行っていた。よく晴れた日だった。山に秘密基地を作りに、向かったのだ。
到着して自転車を停めて、小学生ながら山の異様な雰囲気を感じた。明らかに、人が入るべき場所ではなかった。そもそも、入り口らしい入り口もなかった。 一切の隙間もなく、びっしりと草や木で完全に覆われていた。まるで、何かから守っているような、何かを閉じ込めているような、今の自分なら、確実に家に帰っていた。
小学生だった僕は、朝陽も一緒ということもあり、不安はワクワクに置き換えられていた。ただ、朝陽は違った。いつもなら率先して先に進むはずなのに、足を動かそうとしなかった。
しばらく立ち止まって、何かを考え込んでいた。静かな朝陽を見たのは、この時が初めてだった。やっと口を開いて発した言葉は「引き返そう」だった。神妙な面持ちで言う朝陽を見て、何故か僕の中のワクワクは膨らんだ。僕は朝陽の手を取って、山へ駆け出す。今まで朝陽が、僕にそうしてくれたように。
僕に手を引っ張られても、朝陽は特に抵抗する様子はなかった。立ち塞がる草木の前で一旦足を止める。すると、僕の後ろにいた朝陽は、一切の躊躇も感じさせずに、草をかき分けて山に入っていった。最初に感じた、ごく少量の不安を頭に残しつつも、朝陽のあとを追って僕も山に入っていった。
草木をかき分け無理やり入った山は、やはり僕たちを歓迎してはくれなかった。斜面はとても急で、登るのはかなり苦労しそうだ。木も草も誰にも邪魔されずに、伸び伸びと育っていた。
斜面に生えた草は、僕たちの首あたりの高さがあった。人間が1度も立ち入ったことがないように感じた。不安そうな表情を浮かべる朝陽が目に入る。朝陽もこちらを振り返り、不安な表情を見せ合うと、それは笑顔に変化した。
危機感は好奇心に負けた。ギリギリ立つことが出来るレベルの、斜面を2人で登っていく。山登りというよりは、壁登りといった方が、この状況を表すには適切だろう。
しばらく登って、斜面が緩やかな場所を見つけて、そこで遊んだ。秘密基地なんて立派なものは作れなくても、僕と朝陽は楽しみに満たされた表情でいっぱいだった。
あたりは既に薄暗くなっていた。それもそうだ。学校が終わってから、ここに来て2時間ほど遊んでいた。そろそろ帰ろうと言って、山を下り始めようとした時にチャイムが聞こえた。18時になった合図だ。早く帰らないと母さんに怒られちゃう。そんな会話をして斜面を下り始めたとき、近くの草木の悲鳴が耳に入って来た。
音が聞こえてすぐに草むらの方を見ると、白い巨体がこちらに向かって突進してくる。熊を模倣したダストだ。
普通の熊とは比べ物にならない大きさで、ものすごいスピードだ。何百年も恋焦がれた獲物を見つけたかの如く、興奮気味のダストが蛇行しながら向かってくる。どうしようかと、そんなことを考える暇もなく、背中に優しい衝撃が伝わるのを感じる。
朝陽だ。朝陽が後ろから、僕を突き落としてくれたのだ。体勢を崩しながら、首だけを後ろに振り返らせて朝陽の方に目を向ける。朝陽は迫るダストに目を向けることはなく、声を上げる僕に返事をすることもなく、斜面を転がり落ちる僕の方を見ていた。
表情は暗くて見えなかった。どんな表情で、僕を送り出してくれたのだろうか。最後に僕の目に映った景色は、ダストが朝陽に接触する瞬間だった。
斜面を滑る、落ちる僕は必死で止まろうと、土に爪を立てていた。このままの勢いだと確実に死ぬ気がしたのと、上でダストに襲われているであろう、朝陽のことを考えていたからだ。
上に戻ることは、朝陽の行動を無下にすることになるかもしれない。そんな考えがあっても、滑り落ちるのを何とか阻止しようとする、指の力は弱まることはない。しかし、滑り落ちる速度が落ちることはない。
次の瞬間、体に大きな衝撃が加わる。斜面に堂々と生える大木に衝突し、思い切り背中と頭を打ち付ける。やっと止まったと安堵する暇はなく、すぐに立ち上がろうとするが、頭に今まで体験したことがない痛みを感じる。
後頭部に触れると、手にはべったりと赤色の血がこべり付いた。これが自分の頭から出た血だと理解すると、倒れてしまいそうになるくらいに血の気が引いた。
それでも、僕の中にあるのは朝陽だ。土がパンパンに詰め込まれた爪を地面に立て、血と汗と土まみれの手を地面について体を起こす。さっきの場所は分かる。ここまで落ちてくるのに自分が書いてきた、10本の線があるからだ。これを辿れば戻れる。
残った力を振り絞り、何とかさっきまで朝陽と僕が居た場所まで登ってきた。暗くてよく分からないが、地面がゆるい気がした。雨が降った後の地面のようだ。土じゃなくて、泥のようになっていた。ある一部分だけ。
「雨なんて降ってないもんな...」
あたりを見渡すと、地面がシャベルで掘られたように削られていた。すぐにそれが、ダストが通った後だと理解する。呆然として、その長く削られた地面に沿って歩いた。その先には、僕と同じくらいの身長の人間が倒れていた。




