第19話 帰星
2度の乗り換えを終えて、ようやく京都の実家の最寄駅に到着した。最寄駅と言っても、家まで歩きで30分くらいは掛かる。ズボンのポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す。
「今何時だ?うわっ、もう12時になるじゃん。やっぱり遠いな〜」
今から親に連絡して、迎えに来てもらうことも出来る。
「う〜ん。歩くかー。運動しとかないと」
張り切って歩くことが決定した。家に向かって歩き始める。駅から歩いてすぐに、田んぼが見えてくる。
「相変わらず田んぼだらけだな〜」
見渡す限り辺り一面、田んぼに支配されている。ポツリポツリと、一定の間隔で家が建っている。今は5月で、田植えが始まる時期だ。
田んぼには田植機を操縦して、田植えをしている人がいる。道路には田植機が通った証の泥の塊が、カピカピになって固まっている。自転車に乗っている時に、この泥のせいで転んだことを思い出す。
「ふんっ!」
込み上げる怒りと、これまでの長い電車での拘束時間の恨みを晴らすように、思い切り泥の塊を蹴飛ばす。
「いて。こんな硬いことある?親指が泣いてる。もう歩けないー」
泥の塊は僕の蹴りを拒んで、道路と仲良くしている。いつもは空っぽの水路に、溢れるほどの水が勢いよく流れている。水路に流れる水を調整する、止水板が上がっている。これを1回下げて、水を溜めて波を作る。そんな遊びを、昔していたことを思い出す。それが見つかって、田んぼの人に怒られたこともあった。
周りに誰もいないことを確認する。持っている花を、地面に置いてから止水板を下げる。少し待って、水を溜めてから上げる。ミニミニな波の登場だ。
「おお〜」
久しぶりに見た波が、あの頃の記憶を連れて来る。
「こらっ!それはいじっちゃイカン!」
昔を懐かしむ僕を、引き返す声に振り返ると、知っている顔がいた。向こうも僕に気づいたようだ。
「...葵君か」
「あっ、こんにちは佐藤さん!あ、あとすみません」
「うん。君も、もういい年だろ。こんなしょーもないこと、せんといてくれ」
思ったより呆れた表情で注意されて、かなり心がしぼんだ。自分がアホみたいになった。佐藤さんは優しい。優しさの頂点に住んでいる男性だ。だから余計に心に来た。
「す、すみません」
軽く腰を曲げて謝罪する。
「まぁええや、しかし懐かしいの〜、葵君たちよくこんなことして遊んでたもんな」
「そうですね。昔も、今みたいに注意されてた気がします」
「そこに置いてある花は墓参りのか」
僕の足元にある花に、気付いた佐藤さんが言った。
「そうですね。この後家に着いたら行こうかなって」
うなづきながら僕の話を聞いてから、佐藤さんは僕をつま先からつむじまで見上げた。
「そうかいそうかい。大きくなったね葵君」
「えっ、まあ少しは身長伸びましたかね?」
「そうだね。じゃあ作業に戻るわ。またね」
「はい!また今度」
佐藤さんは首にかけていたタオルをツルツルの頭に巻いて、田んぼに戻っていった。僕も家に向かって歩き出す。
信号が青になる。交差点を抜けて、再び目の中が田んぼだらけになる。ここから川に沿って歩けば家に着く。植えられた稲が風に吹かれて、水面と仲良く揺れる。川では鯉達が、優雅にのんびり泳いでいる。
学校がある場所は大都会ではないが、田舎でもないため、こんな景色を見ることはない。
「やっぱり、心の底から田舎の人間だな〜僕は」
精神に優しい景色を見ながら歩いていると、家が見えてきた。
「はぁ…やっと着いた」
歩くとやっぱり疲れるし、意外と距離があることを実感した。家に入ろうと、玄関のドアの前に立つ。ドアノブを引くと、いつもより軽い気がした。中から父が勢いよく出てきた。
「うおっ!びっくりした」
僕の声に驚いたのか、本当にびっくりした表情を浮かべている。津江月明博。僕の父親だ。
「びっくりしたのはこっちだよー。歩いてきたのか?電話してくれれば、迎えに行ったのに」
「いや、せっかくだから歩こうかな〜って」
「遠かっただろ?」
「まあまあかな」
「ちょっと回覧板回してくるから。母さんは仕事で今いないからな」
「はーい」
「あぁ、あとおかえり」
「うん」
靴を脱いで、花を玄関に置いてリビングに向かい、階段を上って廊下を歩き、自分の部屋に行く。背負ってきたリュックを床に置き、ベッドに勢いよく寝転がる。年季の入ったベッドは、ギシリと控えめに悲鳴を上げた。
「ふ〜、天国極楽もふもふ〜」
いつもは布団で寝ているため、帰ってきた時は真っ先にベッドを堪能する。じっと天井を眺めているのも、飽きてきたので立ち上がる。自分の部屋を出て、隣の部屋のドアを開けて入る。
部屋は綺麗に整頓されている。床に物は転がっていないし、机の上にも物が散乱していない。この部屋の持ち主である、朝陽の性格とは正反対な部屋。
その部屋のベッドに横になる。このベッドもまた、悲鳴を上げる。そんな音に気を取られることなく、正しい位置に置かれた枕に頭を置いた。5年前から、誰の匂いもしない部屋になってしまった。
「んー、無臭...」
朝陽はこの家の子どもだ。僕とは同い年だった。6年前の出来事が原因で家族が居なくなり、この家に引き取られた僕を、嫌がることなく受け入れてくれた。 自分が受け入れる立場だったら、家に知らない子が来るのは、少し嫌だったかも知れない。でも朝陽は、そんなことを気にしていないように見えた。僕たちは、すぐに友達になれた。家族以上に友達だった。
僕は11歳の時に、この家に引き取られた。小学5年生だ。朝陽と同じ学校に通うことになった。
僕は隕石衝突の影響で記憶を失っていたが、読み書きや会話などはすることが出来たので、問題なく学校に通うことができた。
僕の記憶喪失は過去の出来事を思い出せなくなっているだけで、生活が出来なくなるほど重大なものではない。だから気にしなくてもいいと、入院していた病院の先生は言っていたが、もちろん気にせずにいられない。
ただ、思い出を共に過ごした家族も友達もみんないなくなってしまったから、もうどうしようもなかった。悲しいのは、思い出を思い出せないことじゃない。思い出したい思い出を、知ることが出来ないことだった。
そんなことも忘れられるくらい、ここでの生活は楽しかった。朝陽のおかげで学校にも、クラスにもすぐに馴染むことが出来た。友達も出来た。毎日が夢のように楽しかった。朝陽がいなくなる、あの時までは。




