第12話 度胸
電車が学校の最寄り駅に到着する。学校までの距離も道もいつもと同じ。違うのは周りを歩く生徒たちだ。
今日、僕の周りを歩くのは、早起きをして朝練に向かっている生徒たちだ。いつもより、かなり早く着いてしまった。学校に到着して周りの生徒たちは、体育館やグラウンド、校舎に向かって歩いていく。
僕は1人星科の校舎まで歩く。清水先生に言われた通り、教室に向かう。教室に入ると、理恵加さんが昨日と同じ席に座っていた。
「葵君おはよう！！」
明るく元気に挨拶をする彼女につられて、いつもより大きな声で挨拶を返す。
「おはよう！」
僕も昨日と同じ、前列の真ん中の席に座る。それにしても、本当に綺麗な子だ。真っ黒な瞳に、肩まで伸びた黒髪と少し焼けた肌。彼女が浮かべる無邪気な笑顔は、犯罪者の心を灰にすること間違いない。
「今日ってさ、何するの？」
実は、今日ここに来るのにかなり緊張していた。何をするのか全然聞いてないし、昨日の自分が随分あっさりと、星科の生徒になってしまったからだ。
「んー、今日は多分ね、3年生の担当の藍川先生が来て、ダストとか星科についてのお話しとかをするんじゃないかな？」
「理恵加さんたちも、その話聞くの？」
「聞かないよ。今日は外に出て、ダスト駆除実習だからね！」
ダスト駆除実習。当然だが、星科っぽいワードが出てくる。
「え？じゃあ、何でここにいるの？」
「葵くんが、ちゃんとここに来れるか待ってただけだよ！」
やっぱり昨日、清水先生が言っていた通り理恵加さんは優しい。
「てことで、私はもう行きます！」
そう言うと、彼女は勢いよく立ち上がった。長い前髪と、耳に付けたピアスがゆらゆらと揺れる。この高校は、アクセサリーは禁止だったはずだ。普通科と星科では、校則が違うのだろうか。
「長くて退屈かもしれないけど、大事な話だと思うからちゃんと聞くんだよ！じゃあね！」
目にかかった髪を耳にかけ、彼女は教室を出ていった。手を振った彼女に、振り返した手を机に下ろす。教室が、すぐに静かになる。机が5台しかない教室は広く見える。歩き回っても、走り回っても問題ない。
スマートフォンを見て、連絡が来ていることに気がつく。タケちゃんと田中からだ。昨日『僕は明日から星科』とだけ連絡したが、どうやら説明不足のようだ。今日の昼休みに2人に会いに行って、詳しく話すとしよう。
珍しく静かな教室を満喫していると、1限の開始を知らせるチャイムが鳴り響く。だが、先生はまだ来ない。
「藍川先生だっけ？遅刻かな？」
時計を見ながら呟いていると、廊下から慌ただしい足音が聞こえてくる。そして、その音はこの教室の前でピタリと止まり教室の扉が開く。でも、誰もいない。視線を落とすと、そこには土下座をしたおじさんがいた。
「遅れて申し訳ない。そして、逮捕されずに星科に来ることを選んでくれてありがとう。そして、学校が悪い意味で全国に名を轟かせるのを、阻止してくれてありがとう」
白髪交じりの頭が、教室に満遍なく聞こえる声量で話す。
「あっ、いえ、あっ、あの、こちらこそ爆弾仕掛けたなんて、物騒な電話してすみませんでした！」
椅子から流れるように床に手をついて、咄嗟に僕も土下座を返した。
「いや、君は何も間違ってはいない。ダストが学校に来ることを予測し、それを学校に伝え、被害を未然に防いだ。さらには星科に移り、学校の評判も守り抜いてくれた。感謝という感情以外湧かない。本当にありがとう」
「そんなそんな！僕がめっちゃ良い人みたいじゃないですか。たまたまですよ。だから、顔を上げてください」
ここには今、土下座をした2人の人間が会話をしている。お互いの目も見ずに、床のほこりと目を合わせている。
「君がそう言ってくれるのなら、顔を上げてもいいのかな？同時に顔を上げようか」
カウントダウンが始まる。
3
2
1
顔を上げる時が来た。顔を上げて1番に目に入った景色は、土下座を続ける藍川先生だった。僕が、その光景を確認したことを把握して、藍川先生も顔を上げる。
「はっはっは、私と同時に顔を上げられると思うなよ？土下座では、まだまだ若いもんには負けんよ」
喜怒哀楽の怒抜きのような、そんな口調で吐き出されたセリフだった。
呆気に取られる僕を横目に、藍川先生は立ち上がり、膝のほこりをはらい落して教卓へと歩き出す。立ち上がった相川先生を見て、背が高くガッシリとした体格の持ち主ということに気づく。星科の教師に、相応しい外見だ。ただ、態度が相応しいのかどうかは分からない。
「いやぁ、いきなり土下座をして悪かったね。星科の3年担当の藍川雅比古です。どうぞよろしく」
先程まで土下座をしていた人間とは、思えないほどの穏やかなで爽やかな声の自己紹介だった。
「津江月葵です！よろしくお願いします」
「津江月くん、よろしくね。私の土下座の、社会の厳しさと辛さの話でもしようかな？」
「いや、星科とかダストの話を…」
「はっはっは、避けては通れんぞ。この国で、大人になるのならばな」
乾いた笑いの後、藍川先生は現実を語る。
「冗談はこれくらいにして、長くてつまらん話だが、しっかりと聞くんだぞ？」
藍川先生の言った通り、長くてつまらん時間が始まった。
「…というわけだ。聞いていたかね？」
「ふぁっ！あっ、はい！バッチリです！」
藍川先生の声が耳に入り込んで来て、階段から転げ落ちたような勢いで目を覚ます。口からは、よだれが垂れてる。それを拭って、目をぱちぱちとさせる。眠ってしまっていたようだ。
「マンツーマンの授業でうたた寝とは、君はやはり爆弾電話をするだけはある。この学校は、それに救われたんだがね。その度胸は素晴らしい。クズハキにとっての、1番の敵はダストではなく、己の中にいる恐怖心だからね」
「すみません。何回か、聞いたことあるような内容だったので」
「今日話した内容は、半年に1回あるかないかの、ダスト対応講座とほぼ同じものだね」
「ああ、通りで聞いたことがあるような、ないような。ないような」
そのダスト対応講座でも眠っているわけだが、あの講座は睡眠時間のようなものだと、多くの者がそう認識していると思う。
「薬物乱用防止講座と同じくらいの頻度だからね。忘れるのも無理はない。寝ていたがね」
「...すみません。ちょっと寝不足で」
「まぁ、今日のところは終了だ。帰っていいよ」
「え？まだお昼になったくらいですけど」
「午後までやったら、明日話すことがなくなる。それに、私も暇ではないのでね。また明日、会えるのを楽しみにしているよ。睡眠はしっかりとるように」
「はい。ありがとうございました！」
藍川先生が教室を後にする。
「ちょうど昼休みの時間だな」
知らない間に、机の上に置いてあったプリントをファイルにしまう。
「タケちゃんと田中に会いに行くか」
勢いよく立ち上がり、教室の外へと走り出す。
