2.螺旋階段(らせんかいだん)(2)
碧と陽は、連れだってプレイコーナーを後にした。
気付けば、エントランスホールは、さらに混雑していた。
人ごみを縫うように歩いていくと、何人も知った顔に遭遇する。
今日の参加者は、ほとんど、東小か西小の児童の模様だ。
簡易ベンチを通り過ぎたところで、陽が聞いてきた。
「そうだ、碧。この前、ここで前回りして叱られたって本当なのか?」
げ。なんで知ってる。
他校にまで、噂が広がってるのか?
黙り込んだ碧を静かに見つめながら、陽は付け加えた。
「愛叔母さんが、うちのお母さんに話したんだよ」
そっちのルートだったか。
まあ、自分の母親も、青天の霹靂だったのだろう。
担任の先生まで、絶句していたもんな。
「なにかあったのか? 碧は、そういうこと絶対にしないだろ」
おお。陽が真顔になっている。
大変に珍しい。
陽は、地顔が笑顔なのだ。標準の状態で、笑みを浮かべている。
でもなあ。
実は、児童館の扉から、不思議な世界に迷い込んじゃったんだよ。
そこから帰る方法が、バレエのレッスンバーで前回りする、だったんだ。
そうしたら、なぜか、この簡易ベンチの下に転がってたんだよ。
なんて、陽には絶対に言えない。
話したら最後。実奈子伯母さんにも、筒抜けだ。
そしてそのまま、自分の母親へと話が行ってしまう。
それは、面倒だ。
こいつ、嘘がつけないんだよなあ。
碧は、口ごもった。
「……えーと」
陽が、どんどん心配そうな表情になっていく。
表情筋まで正直すぎて、考えていることが、そのまま顔に現れる仕様なのだ。
碧は、陽から顔を背けた。
わざと明るい声で、話を逸らす。
「あ、今日は噴水出てるんだね」
貴婦人の噴水だ。
この周辺だけは、子ども達から明らかに敬遠されていた。
がら空きだ。美しい水の動きが、よく見える。
池の真ん中に立つ、貴婦人像。
ぐるりと取り囲んだノズルから、そのウエストめがけて、水の矢が噴出されていた。
幾本もの水流が広がり、さながら水で出来たスカートのように見える。
一風変わった、仕掛け噴水なのだ。
ただし、西センターは、公共施設だ。
水不足のニュースが流れると、噴水なんか、あっさりと止まってしまう。
今年の夏が、まさにそうだった。
リニューアルオープン後、全然稼働していなかったのだ。
だが、いいかげん夏も過ぎ、秋に入ったからだろう。
今日は、久しぶりに水音がエントランスホールに響いている。
水製のスカート、か……。
碧の脳裏に、水で出来たトレンチコートが浮かんだ。ソフト帽もだ。
オーロラの地宮で出会った、水を操る指揮者。
彼は、外見同様、中身もハードボイルドな、金色のドジョウだった。
その名も「ド・ジョー」。
いやいやいや……誰が信じるんだ、そんな話。
やっぱり、下手に話さないほうがいい。
よし、ごまかそう!
決断すると、碧は、あからさまに進路を転換した。
エレベーターではなく、噴水横の階段に足を向ける。
「おい、碧。ちょっと待てって! だからなんで、」
喚きながら、陽も付いてくる。
階段も、小学生が鈴なりだ。
両端に寄って、みんな思い思いに遊びながら待っている。
かろうじて、真ん中を進める状態だ。
陽を後ろに従えて、碧は、どんどん上っていった。
ゲラゲラ笑いながら、数人の男子児童が、碧を無理やり追い抜いて駆けていく。
間髪入れずに、下から警備員さんの声が飛んだ。
「危ないから走らないでね!」
今日は、仏崎さんか。
お前ら、命拾いしたな。
鬼塚さんなら、捕獲されてるぞ。
「だから碧、稽古の前に話を、」
「おう、三ツ矢」
「陽!」
「三ツ矢君~」
階段を上がっていく度に、声がかかる。
陽は、そのたび、律義に挨拶を返した。
これでは、話すどころではあるまい。
碧は、眼鏡の下で、ニヤリと笑った。
三ツ矢家には、家訓がある。
陽の身体に、鉄の掟として叩き込まれているのだ。
『人語を解するものには、必ず挨拶すべし』
碧が導き出した戦法は、二つだった。
ごまかすときは徹底して。
逃げるときには迅速に。
空手の稽古が終わった後が、また危ない。
そう判断した碧は、最後のお辞儀をするや否や、更衣室に飛び込んだ。
道着を、自己ベストのタイムで着替える。
今日は、きちんと畳んでバッグに入れている暇はない。
突っ込んで肩に掛けると、陽が話しかけてくる隙を与えずに、ドアから飛び出した。
「碧!」
うわ。陽も、マッハで着替えてきた。
追いかけて来る声が、すぐ後ろから聞こえてくる。
エレベーターだと、一緒に乗り込まれてしまう。そうしたら、逃げ場が無い。
碧は、またもや階段の方に足を向けた。
そのまま駆け下りる。
幅の広い螺旋階段は、がらんとしていた。
誰もいない。
ぐるぐると、透明な手摺が、支柱側の筒に張り付いている。
これに乗っかれば、ノンストップで1階まで滑り落ちて行けるんだけどな。
だが、リニューアル後に、これをやった猛者は、未だ存在しなかった。
ちなみに、建物に外付けされていた、非常用螺旋階段の方は、撤去されてしまった。
代わりに誕生したのが、こんなにハイテクな代物だ。
人垣が無くなった今、映し出された映像が、はっきりと見て取れた。
中心の円柱と周りの筒は、全てスクリーンになっているのだ。
音声も、はっきりと聞こえていた。
テーマは、「水族館の生き物」。
夏限定の企画だったが、大好評で、秋になっても続行している。
「碧! 陽! なにやってるの?」
楽し気な声が、上から降ってきた。
暁だ。
一気に駆け下りてきて、レースに加わる。
速い。あっという間に、二人を追い抜かした。
肩に下げたスポーツバッグが、三人とも、びゃんびゃん飛び跳ねている。
「暁! 走っちゃダメだよ! 叱られるだろ!」
「碧も走ってるよ!」
「そうだよなあ」
陽が、笑い声をあげた。
条件反射で注意してしまった碧も、思わず笑いだした。まったくだ。
映像のペンギンも、煌めく青の中を、弾丸のようにぐんぐん泳いでいく。
きらめくイワシの群れが、一体の巨大な生き物みたいに揺らめいた。
「碧、陽、見て! バブルリング!」
白いイルカが、こっちに顔を向けて、泡を吐き出した。
「やった! ハート型の泡だ!」
何回かに一回だけ、見られるのだ。
三人の笑い声が、螺旋階段を下りていく。
階段の踏板は、両端が透明になっていた。
まるで、宙に浮かんだ板を踏んで走っているような気分になる。
明るい海の、青い光が降り注いでいた。
だから、三人とも、全く気が付かなかった。
走る暁の両足が、ふくら脛から運動靴まで、青白い光を放っていたのに。
本作は、「1.ガルニエ宮」の次作となります。
そちらもぜひご覧くださいね。
これから、じわじわとその伏線回収して参りますので。
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